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第八百三十九話 五月五日・ミリュウの場合(一)

 龍府。

 龍の住む都。

 古都。

 ザルワーンの中心都市。

 栄華を極めたその都も、いまやただの一地方都市に成り果てた。しかも、観光都市という不名誉なものに変わり果て、古都の美しくも儚げな景観を目の当たりにするためだけに、ガンディア中から観光客が訪れているという。最近ではガンディア国外からの観光客も少なくはないらしく、特にクルセルク戦争を通して友好関係を結んだメレド、イシカの両政府は、国自体がガンディアとの交流を推進しており、龍府への観光目的の旅行もそのひとつに上げられている。そのためだけとはいえないものの、イシカは龍府へ直行するための街道の整備を始め、メレドも、バハンダールではなく、ルベンへ至る街道の整備を始めている。両国は、まるで競い合うようにガンディアと親密になろうとしている。わずかでも早くガンディアの歓心を買ったほうが勝利者になれるとでもいいたげであり、実際、そういうものなのかもしれなかった。

 ガンディアにしてみれば、メレドやイシカといった小国がどうなろうと知ったことではない。どちらかがガンディアにとってより利用価値のある国なのかを見定めている時期に違いなく、メレドのほうが価値があるとなれば、メレドとともにイシカを攻め滅ぼすだろうし、逆もまた、ありうる。メレドとイシカがアバードほどの国土さえ有していれば、ガンディアもある程度は優遇しようと考えるのだろうが。

 そんなどうでもいいことを考えてしまうのは、恐怖があるからだろう。現実を認識するだけで足が竦んだ。だが、行かなければならない。進まなければならない。でなければ、彼と向き合う資格がない。

(今日は五月五日)

 胸中でつぶやいて、拳を握る。その事実が、力となる。踏み出す勇気となる。

(セツナの誕生日)

 十八年前の今日、彼は生まれた。こことは異なる世界で、生を受けた。彼とよく似た父と母の愛の結晶として、生まれ落ちた。セツナは忘れてしまったかもしれない誕生の瞬間の記憶が、彼女の中にはあった。

 彼女は、一瞬の間に彼の人生のすべてを経験し、認識した。心が灼かれ、記憶に焼き付けられた。セツナの喜び、悲しみ、怒り、痛み――様々な感情や経験を共有してしまった。だから、彼女の中で、彼は特別な存在になってしまったのだ。

 それまでは憎むべき敵だった。殺すべき相手だった。滅ぼさなくてはならない存在だった。

 それなのに、いまではどうだ。

 ただ、愛している。

 愛されたいと想っている。

 彼の顔を見ているだけでいい、などと思ってはいられなかった。独占したい。全部、自分のものにしてしまいたい。けれど、それはできない、ということもわかっている。わかりきっている。彼は、彼女だけのものにはならない。そして、彼女自身がそれを望まない。矛盾している。矛盾した感情が、矛盾せずに同居している。

 奇妙なことだが、それが彼女だった。

 ミリュウ=リバイエン。

 いまは、ミリュウ・ゼノン=リバイエンと名乗るようになった。ゼノンとは、ガンディアの王宮召喚師のみが名乗ることを許される称号だ。レオンガンド王がセツナのためだけに考えだした称号は、いまや名誉と栄光に満ちたものとなっていた。セツナの積み重ねてきた功績が、新設された称号を小国家群に響き渡るほど輝かしいものにしてしまったのだ。

 彼と同じ称号を得られることは、幸福以外のなにものでもない。同じ国に所属し、同じように評価されている。ザルワーン人だからという区別も、差別もない。セツナの側にいるということで特別扱いされることはあるのだが、それも彼女にとっては嬉しいことだった。セツナにとって特別な存在だと周囲に認識されているということだからだ。

 しかし、彼女が彼にとって真に特別な存在になるためには、向き合わなければならないことがある。

 自分について、知らなければならない。

 そのために彼女は、五月五日という彼女にとっても特別な日に、オリアン=リバイエンの屋敷に向かっていた。天輪宮から北西へ。決して遠くはない。むしろ、極めて近い距離にあるといってもよかった。

 リバイエン家は、ザルワーンの支配階級であるところの五竜氏族に名を連ねる一族だ。その当主であり、ザルワーン政府とも深い繋がりのあったオリアン=リバイエンの私邸が、天輪宮から遠く離れた場所にあるはずもない。オリアンは魔龍窟の総帥であり、外法研究の第一人者であり、マーシアス=ヴリディア、ミレルバス=ライバーンらふたりの国主の相談役でもあった。いつでも天輪宮に赴くことのできる距離に屋敷を構えておく必要があったのだ。

 龍府は、天輪宮を中心に計画的に作られた都市だ。国主の住居である天輪宮に近ければ近いほど価値のある土地であり、五竜氏族を始めとする貴族や、政府高官、位の高い軍人などは天輪宮の近辺に屋敷を構えていた。

 つまり、遠ざかっていくほどに土地の価値は低下する。都市の外周を囲う城壁に近い土地に住むのは、ザルワーン最下層の人々といっていいのだが、その生活環境は必ずしも悪いものではない。少なくともガンディアやジベルのような貧民が生まれる都市ではなかった。そのように運営されていた、ということだ。支配者がガンディアに変わったことで、そこら辺りに変化が生まれていると思ったのだが、どうやら変わっていないらしい。ダンエッジ=ビューネルら龍府出身の役人たちが上手くやっているようだ。そして、龍府がセツナの支配地となり、都市の運営がダンエッジらの手に委ねられたことで、悪化する可能性は皆無に等しくなったということだ。龍府は、これまで通り運営していればなんの問題もないのだから。

(あたしは、そういうわけにはいかない)

 これまで通りでは、いけない。

 なぜそう思ったのかは、自分でもわからない。だが、確信があるのだ。これまで通りでは、前に進むことなどできるわけがないという確信。いや、強迫観念といったほうが正しいのかもしれない。

 彼女を取り巻く環境は、変化が起き続けている。

 彼女の中心となるのは、セツナだが、そのセツナに起きた変化は、そのまま彼女の変化となった。セツナはふたつの領地を持つ領伯となり、その立場も発言力も権力も、ガンディアで並ぶものがいないほどといっても過言ではなくなってしまった。その上、彼は押しも押されぬ英雄であり、なにものも、彼を否定できなくなった。無視できなくなった。

 そんな彼の側にいるということは、常に注目を浴びるということだ。一挙手一投足が話題になりうる。ちょっとした発言が曲解され、セツナの足を引っ張ることだってありうるのだ。もっとも、ミリュウたちの失態でどうにかなるような立場ではないのだが。セツナはもはや盤石の足場を築いた。些細な事では動ずることもない。

 つまり、なにも心配する必要はない。

 ないのだが、彼女は考えてしまうのだ。

 自分は、彼に相応しい人間なのだろうか。

 過去と向き合うことを恐れ、自分と向き合うことを恐れ、父と向き合うことさえ拒絶した自分は、彼の側にいて、いいのだろうか。

 いいのだろう。

 彼ならば、どのような彼女であっても、平然と受け入れてくれるに違いない。いまのいままでがそうであったように、これからも、彼はすべてを受け入れ続けるだろう。限界を超えても受け入れ続け、いずれ壊れてしまうのではないか。そんな不安を感じるほどに、彼はなにもかもを受け入れてきている。ファリアもミリュウもレムもシーラも、彼に受け入れられて、彼の中に居場所を得た。

 なにをしても受け入れてくれる彼の中は、居心地が良かった。彼はどこまでも寛容であり、どこまでも慈悲深く、どこまでも愛に溢れていた。

 このまま、溶けてしまいたくなるほどの幸福な日々。

 実際、このままを続けたとしても、だれも文句はいわないだろう。ミリュウ個人の問題が解決しようが、ミリュウが逃避し続けていようが、だれも構いはしないのだ。《獅子の尾》の隊士として求められるだけの戦果を上げていれば、だれも文句はない。

 だから、逃げることもできた。

(それでどうなるっていうのよ)

 逃げた先にあるのは、きっと惨めさだけだ。

 逃げたという惨めな現実は、彼女だけを縛る鎖となる。

 きっと、笑えなくなる。

 幸福も空疎なものに成り果てる。

 それがわかってしまったから、彼女は、ここにきたのだ。

 リバイエン家の門前。

 オリアン=リバイエンが己の活動のために数十年前買い取った屋敷は、豪邸としか言い様がない。龍の都というだけあって、龍を模した装飾がいたるところに施された門が、彼女を出迎えていた。いや、出迎えたのは門だけではない。

 白髪の老紳士が、門前に立ち、彼女の到来を待ちわびていたのだ。

「おかえりなさいませ、お嬢様」

 ミリュウが物心付く前から屋敷に仕えていた執事は、目に涙さえ浮かべていた。

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