第八百三十三話 黒獣隊(一)
「それで、シーラ姫の処遇はどうされるおつもりです? 匿うだけでも結構だと想うのですが、それではシーラ姫側が納得しないでしょう」
少し前までシーラ・レーウェ=アバードと名乗り、アバードの王女であった女性は、気高く、自立心の強い人物だった。少なくともナーレスにはそのように感じられたという意味だが、あながち間違ってはいないだろう。そんな彼女がセツナに跪いたというのだ。相当な決意があったに違いないし、それなりの代償を覚悟していたはずだ。
そんな彼女に対して、セツナは代価を求めなかった。だが、それは匿うことに関してのみであろう。これから彼女たちが死ぬまで匿い続けることなどできまい。できたとしても、彼女たちが息苦しさを覚え、悲鳴を上げることになりかねない。それは匿うというよりは幽閉に近い。
「ええ。それに関してはちょっとした考えがあるんですが」
「聞かせていただけますか?」
「もちろんです」
セツナは、少し得意気に笑った。どこか楽しそうなのは、自分の企みがナーレスにはわからないことだと踏んでいるからだろうし、実際、セツナの考えは彼にはわかっていなかった。大きな流れは視えても、その流れの微妙な変化や光の反射までは把握しきれないものだ。
「黒勇隊を知っていますか?」
「もちろん。セツナ様の私兵部隊ですね」
「黒勇隊は領伯になったということもあって、箔付け的な意味で作った部隊です。まあ、作ったのは俺じゃなくて、ゴードンさんなんですけど、名付けたのは俺です」
黒勇隊。名前だけは立派であり、セツナが私費を投じたという隊服もきらびやかなものだったが、実戦経験のない部隊を経験を踏ませるためという理由だけで前線に出すことは恐くもあり、結局、クルセルク戦争で彼らが活躍することはなかった。黒勇隊がセツナの私兵部隊でさえなければ、前線に出すことも考えたのだろうが。
もっとも、前線に出したとしても、肉壁のようにしかならなかったかもしれない。
クルセルク戦争の相手は皇魔だ。実戦を経験したこともないものが戦うような相手ではなかった。
「なるほど。つまり、シーラ姫を黒勇隊に入れる、と。それならば――」
「いえ、そうではなく、シーラを隊長とする部隊を作ろうかと思いまして」
「ほほう」
ナーレスは、セツナの考えに大きく唸った。確かに、シーラを黒勇隊に入れるよりは、彼女のための部隊を新設するほうが色々と都合がいいかもしれない。シーラは、上に立つことで力を発揮する類の人間だ。王族に生まれたことの宿命といえるかもしれないが、いずれにせよ、一隊員とするよりは隊長に任命したほうが、彼女も実力を発揮できるというものだろう。
「シーラには五人の侍女がいます。彼女たちも部隊に加えることで、居場所を与えようかと」
「それならば、シーラ姫も匿われているだけという負い目を感じずに済むでしょう」
「隊名は、黒き矛と獣姫から取って、黒獣隊」
「なるほど」
ナーレスはまたしてもうなり、セツナの思考を面白く思ったりした。
シーラの処遇に関する話はそこで終わり、話題はガンディアの今後に関するものに移った。
その会話の中で、ナーレスはセツナに、ガンディアはしばらくは外征を行うつもりはないということを伝えた。この一年余り、戦争につぐ戦争といってもいいような状況だった。国も民も疲れている。いまはじっくりと腰を据えて内政に力を注ぐべきなのだ。ジベルやアバードを始めとする友好的な国々との関係を強化しながら、ガンディアの国力を蓄えていくという方針には、セツナも賛同するところのようだった。
彼もまた、戦いに疲れていた。
皆、疲れている。
特にクルセルク戦争には疲労困憊にならざるを得なかった。相手が人間ではなかったということも大きく、絶望的な戦いを強いられたといってもよかった。結果、数多くの将兵が死んだ。大量の血を流した。血を流さなければ、勝てない相手だった。勝ったが、まるで後遺症のように厭戦気分が広がり始めている。いくらレオンガンドが国民の支持を集めていると入っても、そんな状況下で外征を行えば、支持率は急落し、反レオンガンドが息を吹き返すかもしれない。
いまは休むべきだ。少なくとも、半年は休んでいい。三大勢力が動く未来が視えない以上、時間はある。
時間。
(わたしにはないが)
打つべき手、打てる手は打った。
あとは、悔いを残さないよう、メリルと日々を楽しむだけのことだ。
シーラは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。泰霊殿は、五つの建物からなる天輪宮の中心に聳えているが、五つの建物は完全に密着しているわけではない。
五つの建物はそれぞれ独立しており、長い通路によって連結されているのだ。泰霊殿を中心にして真北には玄龍殿、真西には飛龍殿、真南に双龍殿、真東には紫龍殿と呼ばれる壮麗華美な建物がある。通路のない壁には窓があり、窓からは中庭を見ることができた。
中庭は都合、四つあるということだ。彼女が見ている中庭は、泰霊殿の北西側の中庭であり、玄龍殿と飛龍殿へと伸びた通路と、玄龍殿、飛龍殿そのものを繋ぐ通路によってく作り出される三角形の閉鎖空間が中庭となっていた。
北西の中庭には池があり、魚が泳いでいるらしいのがわかった。春の日差しを反射する水面が、やけに眩しかった。
日がな一日、こうやって泰霊殿で過ごしている。
「これでいいのかねえ」
クロナ=スウェンが、どうやら寝台から起き上がったようだった。シーラの侍女団の中で最年長の彼女は、侍女団の纏め役でもあった。黒髪黒目に褐色肌は、彼女の祖先が南方出身であることを証明している。しかもレマニフラの出身だといい、ナージュ・レイ=ガンディアに親近感を覚えずにはいられないらしい。
「よくないです!」
憤然と声を上げたのは、ミーシャ=カーレルだ。アンナ=ミードが鼻で笑ったが、ミーシャはそれを黙殺した。ふたりは相性が悪いのだが、仲が悪いわけではない。口論が絶えないが、戦場では息のあったところを見せる。よくわからないふたりだった。
「といって、なにができるわけでもないですし……」
リザ=ミードがぼそりとつぶやいて、ミーシャを沈黙させた。リザはアンナの妹であり、外見こそよく似ていたが、性格はまるで違っていた。
「音沙汰を待つしかねえってわけさ」
シーラは中庭から室内に視線を戻して、肩を竦めた。セツナは、シーラたちになにも要求してこなかった。故に、彼女たちはなにもすることがない。かといって、勝手に泰霊殿からでるわけにもいかない。
「こうなればあれだよ、姫様がセツナ様を色仕掛けで落とすしかないんじゃないかねえ」
「なんでそうなるんだよ」
「領伯婦人となりゃ、いくらでも仕事があるだろうしさ」
クロナが憮然とするこちらを見ながら、にやりとした。彼女の考えが少しだけわかった気がして、どきりとする。ミーシャが感嘆の声を上げた。
「おおーっ、さっすが姐さん」
「なにがよ」
「仕事ってー……?」
「子作りとかさ」
「はあっ!?」
シーラは、クロナの答えが想像を遥かに凌駕するものであったためか、自分でもわかるほどに素っ頓狂な声を上げた。そして、一瞬、頭の中が真っ白になる。
「いや、冗談とかじゃなくて、わりと本気でいってるんだけどさ」
「本気でいってるとしても、頭おかしいってんだよっ!」
シーラは窓際から離れると、飛ぶようにして寝台に向かった。クロナは、シーラの反応がおかしいのか、笑みを浮かべたままだ。
「幸いにも領伯様は独り身。国王陛下や周りの方々は、つねづねそう思っているはずさ。さっさと身を固めて、子を残してくれないか、とね。領伯ほどの地位ともなれば、子を残すのも立派な仕事のひとつだろ?」
「その通り!」
「なんであなたはそう偉そうなのよ」
「ガンディアと姫様の利害が一致……」
「俺の利ってなんだよ!?」
シーラは、一方的に話を進めていく侍女たちに対して、ただ叫び声を上げて講義するしかなかった。このままでは、彼女たちの中でシーラとセツナの結婚が現実味を帯びた話になっていくのではないか。いや、それはそれで悪くはないのかもしれない。などと、さまざまな思考が頭の中に生まれてはぶつかり合い、シーラの中の混乱を拡大させていった。
そのときだった。聞き知った声が、シーラたちの騒ぎを中断させた。
「随分賑やかだな」
特にシーラはクロナに掴みかかった手を止めなければならなかった。こんなはしたないところを見せられる人物ではなかったからだ。
「あ、セツナ様……」
「セツナ様―、いくら命の恩人だからって、女性の部屋にはいる時は……」
「ちゃんと声をかけたし、開けてくれたのは彼女だ」
クロナの発言に対して、セツナは怒るでもなく、ただ肩を竦めてウェリスを示した。
「はい、セツナ様は入っていいのかどうか、ちゃんと聞いてくださいましたよ。皆さんが話に夢中になっていただけでしょう?」
ウェリスの言葉には、シーラたちも顔を見合わせて、黙らざるを得なかった。