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第八百二十九話 龍府のシーラ(後)

 泰霊殿は、天輪宮の中枢を成す建物である。

 その天輪宮は、龍府の中心に聳える巨大で壮麗な建築物群のことであり、古都の象徴として広く知られている。ザルワーンがひとつの国であり、五竜氏族の支配下にあったころから観光都市として有名であり、隣国のアバードからも観光に訪れる人間が絶えなかったという。もっとも、ミレルバス政権末期となると、アバードとザルワーンの関係が悪化したことによる国境の封鎖などもあり、アバード人が龍府旅行を楽しむことはできなくなっていたのだが。

 ザルワーンの大半がガンディアによって平定されたことで、龍府は観光都市として復活を遂げた。ガンディアは、龍府の観光地化を推進しているらしく、他国からの観光客の受け入れを盛大に行っていた。アバードで龍府旅行が流行り始めたのも、ガンディア政府の思惑通りだったのかもしれない。

 そして、アバードとガンディアの政府同士が急速に接近し始めたのも、その頃だ。アバードは、ガンディアの急成長に恐怖した。ザルワーンでさえ強敵であり、畏怖の対象だったというのに、そのザルワーンを飲みこみ、さらに膨張する勢いを見せているガンディアは、それ以上に凶悪な存在と映ったのは当然の帰結だ。

 アバードは、ガンディアとは友好関係を築こうとした。その際、ザルワーンとの友好関係を維持し損ねた経験を踏まえ、下手に出ることにした。レオンガンド王とナージュ姫の婚儀にシーラを送り込んだのも、そのひとつだ。ただ、王みずから出向かないところに、アバードのアバードたる所以があるのかもしれない。

 王者を気取っているのだ。

 だからザルワーンとの関係がこじれた、ということをアバードの王宮は考えもしなかったのかもしれない。あるいは、わかっていても、譲れない何かがあるのかもしれない。

 アバードが大勢力を誇ったのはいまは昔の話だ。シーラが生まれるよりずっと前、百年、二百年の昔の話であり、そのころの気分を未だに持っているというのが、シーラにはおかしくてたまらなかった。

 シーラには、現実が見えていた。レオンガンドの婚儀に列席者として参加したことが、彼女の目に現実を見せつけたといってもいいのかもしれない。ガンディアは、まさに日の出の勢いで領土を拡大したが、それがただの勢いだけのものではなく、地力によるものだということが明らかになった。そして、ザルワーンを支配下に加えたガンディアが、周辺諸国に対しても多大な影響力を持ち、アバード如きでは太刀打ち出来ない存在となってしまったことも知った。

 知ることができてよかった、と彼女は想う。

 ガンディアという国の実力を知り、アバードの置かれている状況を認識することができたのは、シーラが国の代表としえレオンガンドの婚儀に参加したからだ。それに関しては、王宮の判断に感謝するよりほかはない。

 シーラたちがガンディアを頼ることにしたのも、そういった経験が大きい。ラーンハイルは、シーラの報告などからガンディアを頼るように進言したに違いないのだ。

 クルセルク戦争開戦直前、シーラはタウラル要塞で軍備を整えていた。ラーンハイルにガンディアの実情を話したのは、そのころのことであり、ラーンハイルは興味深そうにシーラの話を聞いていたものだった。

 ガンディアは強い。アバード程度では、どれだけ血を流そうとも勝てる相手ではない。友好を結ぶべきであり、その関係を維持していくことにこそ、アバードの生きる道はある。シーラの考えに、ラーンハイルは一も二もなくうなずいたことを覚えている。

 そのガンディアの強さを支えているのが、現在の龍府領伯であり、彼女がただいま探しまわっている人物だった。

 彼にはもう一度逢って、しっかりと感謝しなければならないのだ。

 だから彼女は、泰霊殿の荘厳な回廊を歩き回り、各部屋の扉を叩いては、中にだれかいないものかと探していた。今朝通された部屋にはいなかった。セツナどころか彼の部下たちもいなかったのだ。シーラは途方に暮れかけたが、そんなことで頭を抱えている場合ではないと自分を奮い立たせ、セツナ探しを始めた。

 セツナは領伯だ。領伯とは、ラーンハイルがそうであるように、常に忙しく動き回っているという印象がある。領内の様々な話に耳を傾け、適切に処理しなければならないのだから、忙しくないはずがなかった。それでもシーラのためだけに数時間もの時間を割いてくれたのだから、彼女としては感に堪えないものがある。

 込み上げくる想いは、一体何なのだろう。

 ただの感謝ではない。もっと熱く、深いものだ。

 伝えたい。

 伝えなければならない。

 いますぐに伝えなければ、きっと後悔する。

 なぜか、そんな焦燥に駆られた。駆られるまま、駆けた。駆け回って、ようやく見つけたときには、夕刻を回っていた。彼は、泰霊殿の屋上にいた。天輪宮の中で唯一、泰霊殿の屋上にだけは人が出入りすることのできる空間があった。屋上から落下を防止するためか、四方を壁に囲われた空間。壁には覗き穴があり、龍府を一望することはできるようだった。

 紅く燃え上がる空の下、彼は、床に転がって空を仰いでいた。そのすぐ側にレム=マーロウが座っている。ジベルの死神がなぜセツナの従者を続けているのかは、わからない。しかし、彼女がセツナを慕い、彼に忠誠を誓っているということはなんとはなしに理解できる。セツナを瀕死に追いやる原因を作った彼女のことは許せないが、かといってセツナが受け入れていて、彼の部下も平然としているところを見る限り、拘っていることも馬鹿馬鹿しくなる。

「やーっと、見つけた」

 シーラは、大きく息を吐きながら、セツナに歩み寄った。レムがこちらを一瞥した。牽制するように告げてくる。

「御主人様はただいま瞑想中にございます」

「瞑想?」

 シーラが反芻すると、レムは笑みを浮かべてうなずいた。シーラは苦笑した。

「そんながらか?」

「がらじゃねーけど、シーラにいわれたくはねえよ」

 セツナが仰向けに寝転がったまま、いってきた。不満気な口調に悪意はない。

 シーラは、セツナの側まで近寄ると、そのまま腰を下ろした。床は、少しひんやりとしていた。隣を見下ろす。漆黒の髪と紅い目の少年がいる。その紅い目に紅い空が映り込んでいるようだった。遠くを見る目。セツナらしくはない。

「で、なにしてたんだ?」

「空を見てた」

 セツナがぼそりとつぶやくと、レムがくすりと笑った。シーラは憮然とした。懸命に探し回っていた自分がばかみたいに思えたからだ。

「……暇なのか?」

「暇かもな」

「領伯なのに?」

「領伯で親衛隊長なのにな」

「変な話だ」

「政務に関しては司政官に任せてるからな。エンジュールも、龍府も」

 セツナは言い切って、上体を起こした。そして、こちらを向く。目が合った。シーラは無意識に視線を逸らしてしまって、自分の行動の意味不明さに愕然とする。

「そういえば、ゴードンさんの弟さんに匿ってもらってたんだってな」

「……うん」

 シーラは小さくうなずいた。スコット=フェネックが、エンジュールの司政官ゴードン=フェネックの弟だということを知ったときには驚きを禁じ得なかったものだ。しかし、納得の行くこともある。ラーンハイルがなぜ、スコット=フェネックにシーラたちを託そうと思ったのか、ということだ。スコットの兄がセツナと繋がりのある人物なら、十分に説明がついた。

「偶然にしても、よく出来た話だな」

「本当、縁があるというか、なんというか」

「ラーンハイル伯の友人だったんだっけ」

「そうらしい」

 シーラの脳裏には、ラーンハイルの境遇のために泣くスコット=フェネックの姿が浮かんだ。

 スコットがラーンハイルと知り合ったのは、二十年以上も前の話らしい。シーラやレナが生まれる前、まだラーンハイルが自由に動き回れたころ、彼は何度か龍府を訪れ、そのときにスコットと親交を結んだようだ。単純に気が合ったらしい。気が合ったから友人となり、その関係を深くしていったという。

「ラーンハイル伯は、スコットさんからゴードンさんに連絡をとってもらうつもりだったのかもな。ゴードンさんを通せば、俺に繋がることも難しいことじゃない」

「容易でもないだろ?」

「どうかな」

 セツナは、そういったまま、黙りこんだ。わからないことは、わからないのだ。適当な返答でシーラを困らせたくはなかったのかもしれない。

「なんにせよ、シーラは俺と繋がることができたんだ。それでいいさ」

「いいのか?」

「ん?」

「甘えてしまって、さ」

「いいだろ。なにが問題なんだ?」

「ん……セツナは、俺になにも要求してこなかっただろ」

「困っているひとを助けるんだ。代価なんて求めるかよ」

 セツナの断言は頼もしく、心強い事この上ないのだが、だからといって素直に受け止められるものでもなかった。彼にも立場というものがある。彼の言動は、その立場を顧みないものだ。

「でも、代価を必要とすることだってある。場合によっては、外交問題にも発展しかねないことだぜ?」

「ま、状況によってはそうなるかもな」

「アバードとガンディアの関係がこじれれば、迷惑を被るのはセツナ自身だろ」

「そうかもな」

 龍府は、ガンディアとアバードの国境に近い都市だ。アバードとガンディアの間で戦争でも起きようものなら、真っ先に戦場になる可能性が高い。セツナの領地は龍府だけではない。龍府と五龍湖を含めた一帯が、彼の領地だった。その広大な領地が戦火に曝される可能性は、決して低くはなかった。内地にあるエンジュールとはわけが違うのだ。

 もちろん、迷惑というのは、それだけのことではない。

「ガンディアでの立場も悪くなるんじゃないのか?」

 アバードとの関係がこじれた原因がセツナの判断にあるとされた場合、いかにガンディアの英雄であろうと、追及され、糾弾されるのではないか。もちろん、セツナが押しも押されぬ立場にあるということはわかっている。セツナがガンディア国民から支持されているということは、龍府での領伯人気からもうかがえるものだ。しかし、だからといって、なにもかもが受け入れられるというわけでもあるまい。

 シーラは、自分の存在が彼の立場を悪くするのではないか、ということが気にかかって仕方がなかった。だからこそ、代価を要求して欲しかった。シーラを匿うことが正当な取引に基づくものならば、批判の声も小さくなるものだ。

「だいじょうぶ」

 セツナがシーラを見つめながら、いってきた。いつの間にか、彼の目を見ていた。夕日よりも余程紅い瞳。炎のように赤く、血のように紅い目。魅入るとは、まさにこのことかもしれない。

 シーラは、セツナの目を見つめながら、顔が熱くなるのを感じた。だが、目をそらすことができなかった。

「いざとなったら、陛下が俺を庇ってくださるさだろうし。もっとも、そうならないように動くつもりではあるんだけど」

 セツナがなにを考えているのかはわからないが、少なくともシーラが心配するようなことはなさそうだった。

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