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第八百二十六話 ラーンハイル・ラーズ=タウラル

 タウラルは、アバード北東部一帯のことであり、タウラル要塞を中心とする地域のことだ。ラーンハイル・ラーズ=タウラルは、一般に名領伯として知られているらしい。彼が領伯の座について以来、タウラルの治安は良くなり、経済的にも潤うようになったという。ラーンハイルの娘であるレナ=タウラルは詩学の才を発揮し、詩人のための学校を建設、タウラル領内を詩歌と芸術で彩ったことで有名だ。レナ=タウラルの詩人学校は王都バンドールにも分校が作られ、多くの貴族の子女が、レナ=タウラルを師と仰いでいたという。

 また、タウラルは、シーラ派の根拠地としても有名だった。領伯であるラーンハイル・ラーズ=タウラル自身が、シーラ至上主義者と目されるほどの人物であり、タウラル要塞にはシーラ・レーウェ=アバードの肖像画が無数に飾られ、彼女の英雄的な戦いを綴った詩が、彼の娘の手によって作成され、領内に流布されていた。

 シーラ派がタウラル要塞を拠点とするのも、当然の帰結だったということだ。

 もっとも、シーラ派の貴族や軍人がタウラルに集った最大の要因は、彼らの擁する人物がタウラルに匿われていたからであり、ラーンハイルがシーラを匿ったという情報が、アバード国内に広まったからだ。そんなことでもなければ、アバード中のシーラ派が集うことなど、ありえない。

 その日、空は晴れ渡っていた。タウラル地方のみが天候に恵まれているわけではなく、アバードの広範に渡って快晴らしかった。雲一つない空の下、広々とした大地が横たわっている。タウラル要塞の城壁が遥か遠方に聳え、そこに至るまでの街道の整備具合には眼を見張るものがあった。王都並の整備具合であり、ごみひとつ落ちていないのだ。ラーンハイルが名領伯といわれるだけのことはある、ということだ。

 やがて、要塞の城壁が目前に近づく。

「ちっ……」

 ロウファ・ザン=セイヴァスは、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートの舌打ちを聞いて、眉根を寄せた。

「大層な出迎えだぜ、まったく」

 彼が吐き捨てたのは、タウラル要塞に近づいた騎士団を出迎えたのが武装した集団などではなく、タウラル領伯の家臣団だったからだ。これでは交戦する可能性など万に一つもない。戦うためだけにアバードを訪れたベインには、それが不満でたまらないのだ。

 だが、戦闘など起こらないほうが遥かにましだと、ロウファは思っている。

 シド・ザン=ルーファウスを指揮官とする騎士団の一団は、アバード政府の要請により、領伯との交渉のためにタウラルに出向いたのだ。


「アバードの国内情勢は、落ち着きを取り戻しつつある。シーラ様を処刑したことが功を奏したようだ。いや、それ以前にシーラ派が壊滅状態に陥ったことも大きいか。ともかく、これでアバードはようやく正常化する。セイル様が成人なさるころには、アバード国内はセイル派一色に染まっていることでしょう」

「伯の思惑通り、といったところですか?」

 シド・ザン=ルーファウスが、相手の穏やかな横顔を見つめながら、尋ねた。ラーンハイル・ラーズ=タウラルである。シーラ派最後にして最大の大物といっていい人物は、シド率いる騎士団を快く迎え入れ、シド、ロウファ、ベインの三人と対面した。彼は、護衛ひとりつけていなかった。ロウファたちが手荒な真似などしないと見抜いているのか、殺されたとしても構わないと思っているのか。

 両方かもしれない。

 ラーンハイルの表情には、諦観に似たなにかがあった。

「思惑? わたくしはただ、背中を押しただけですよ。思惑などというほどのものではありません。ただ……」

「ただ?」

「ただ、ガラン=シドールにせよ、キーン=ウィンドウにせよ、ラングリード・ザン=シドニアにせよ、シーラ派と名乗るものどもは、皆滅びればいいと想ったまでのこと。シーラ派など、このアバードには不要の存在にほかなりません」

「シーラ姫を敬愛する方の言葉とも思えませんが」

「……わたくしを愚弄する気ですか?」

 ラーンハイル・ラーズ=タウラルの目が一瞬、底冷えするような冷徹さを帯びた。一瞬だけだ。つぎの瞬間には消えてなくなるほど儚いものだったが、だが、その刹那、彼の目には狂気さえあった。

 ロウファは、ラーンハイルという男の本質を垣間見た気がした。

「わたくしと彼らシーラ派を一緒にしてもらっては困る。彼らは姫様のことを第一に考えるといいながら、その実、自分のことしか考えていない愚か者ばかり。利己的な野心家の集団に過ぎないのだ。シーラ様のためといいながら、シーラ様の御心を理解しようともしていなかった。タウラルの軍議のたびに痛感したものです。ああ、彼らは、シーラ様を政治の道具としてしか見ていないのだ、と」

 ラーンハイルの独白は続く。

「姫様は、王宮との対峙など微塵も望んでおられなかった。王都に帰り、王宮での生活に戻ることだけを願っておられた。それが叶わぬ願いだと知っていても、王宮を、セイル派を恨みがましくいうこともなければ、むしろシーラ派のほうこそ疎ましく思っておられた。なぜかはわかりますか?」

「シーラ派の軍人どもが戦争を起こそうとしていたから、ですか」

「ええ。彼らの存在が、姫様と王宮の対立を深刻化させました。たとえ姫様がおひとりでタウラルにこもられたとしても王宮は追及をやめなかったでしょうが、その場合は、内乱に発展するようなことはなかったはず」

 確かに彼のいうとおりなのだろう。王宮としても、内乱を起こしたくなどなかったのだ。内乱は、他国に付け入る隙を生む。それだけでなく、国力を疲弊させる最たるものだ。国力の疲弊は、アバードの存続を危ぶみかねない。特に、南の隣国たるガンディアが、その隙を見逃すとは思えない。友好的な顔をしながら、破壊的な手を打ってくるのがガンディアという国だということを知らないわけがない。

「ですから、姫様も、タウラルがシーラ派の根拠地になることを憂い、嘆いておられた。このままでは、王宮が自分を許すことなどないだろう、と」

 ラーンハイルは、姫様と口にするたび、痛ましげな表情をした。それだけで、シーラ・レーウェ=アバードが彼にとっていかに大切な人物なのかがわかるというものであり、彼がなぜシーラ派を蔑み、憎んでさえいるのも理解できた。彼はシーラをただ崇め、敬っているだけなのだ。派閥に依り、彼女の力を利用しようとする連中とは、立場が違う。憎悪が生まれるのも、当然だったのかもしれない。

「姫様は、この国のことだけを想い、戦い抜いてこられた。自分の身を削り、命を削り、魂を削って、アバードに尽くしてこられた。それなのに、シーラ派と名乗るものどもは、姫様の御心を省みもしない。考えるの自分のことだけ。セイル派を駆逐し、シーラ派の天下を得ることしか考えていない。姫様が、あまりに御可哀想だ」

「だから、伯は王宮と手を組んだ……と」

 シドがつぶやくよういにった。

 クルセルク戦争後の女王待望論の再燃は、シーラ派の活動を活発化させるとともにシーラ派貴族の増長を招いた。シーラ・レーウェ=アバードこそがアバードの将来を背負うべき人物だと吹聴し、世間を煽った。元々シーラに同情的だった国民もまた、シーラ派を応援し、女王待望論は熱を帯びた。王宮は、困惑した。なにより困ったのは、セイル・レウス=アバードが、女王待望論を支持していたからだ。セイル王子は、まだ幼く、物事の判断も正しくできない年齢といっていい。獅子奮迅の活躍を見せるシーラに熱狂し、彼女を英雄視する世間の評判に興奮するのも仕方のないことだった。なによりセイルは、シーラを神のように崇めている節がある。このままではセイルが王位継承権を返上しようとするのではないか。セイルがそうしなくとも、シーラ派の人間がセイルを唆すのではないか。

 王宮は焦った。焦り、行動を起こした。シーラを排除する以外に、事態を収拾する方法はない。短絡的な思考は、混乱をより深めただけだった。

 そんな折、王宮にある提案がもたらされた。

 シーラ派を一網打尽にするというその策をもたらした人物こそ、ラーンハイル・ラーズ=タウラルだったのだ。

 王宮は彼の策に乗り、シーラ派も彼の思惑通りに動いた。エンドウィッジの戦いは、彼が計画立案し、実行に移したようなものだったのだ。

「姫様を自由にするには、シーラ派を根絶する以外にはない。シーラ派が根絶されない限り、アバードがセイル派によって統一されることはないのですからね」

「そして、シーラ派はほぼ根絶された、と」

 エンドウィッジの戦いによって、シーラ派に属する主だった軍人はほとんどが死んだ。双角将軍ガラン=シドール、センティアのキーン=ウィンドウ、シドニア傭兵団のラングリーズ・ザン=シドニア、そして、シーラ・レーウェ=アバード。これらの死によって、シーラ派の勢いは激減した。セイル派に鞍替えするものまで現れる始末であり、シーラ派の隆盛によって混乱を極めた政情は、瞬く間に落ち着きを取り戻し始めていた。

「あとはわたくしが死ねば、シーラ派はアバードから消えてなくなるでしょう」

 彼は、どこか嬉しそうにいった。シーラ派という響きを持つ集団が余程嫌だったのかもしれない。

 ラーンハイルは、シーラ派の首魁として処刑されることになっていた。それを取り決めたのは、王宮ではない。王宮は、有能な領伯であるラーンハイルを失いたくはなかった。だから今日に至るまで処刑を先延ばしにし、ラーンハイルの気持ちが変わるのを待っていのだが、彼の心が揺れ動くことはなかった。むしろ、王宮に処刑を促させるため、配下の兵士たちに武装させ、王都に向けて出陣する構えさえ見せたのだ。

 王宮は、ラーンハイルに国家反逆罪を適用せざるを得なくなった。かといって、タウラルに兵を差し向けたくはない。そこで、王宮はベノアガルドの騎士団にタウラルへの出陣を要請、騎士団は王宮の意向に従い、ここまで来たのだ。

 戦闘など起きるはずもない。

 ラーンハイルは当初から処刑されるつもりだったのだから、抵抗する理由はなかった。

「これでアバードは安定する。少なくとも、王子殿下が王位を継承する頃には、アバードはセイル派一色に染まっていることでしょう。娘の死も無駄にはならない」

 ラーンハイルは、遠い目をして、いった。

 彼はシーラが生き延びることを望み、そのためにシーラ派の壊滅を画策、実行に移した。彼の策によってシーラ派はほとんど壊滅状態に陥り、最後の大物である彼が死ねば、シーラ派はアバードから消滅するだろう。

 彼の言う通りにだ。

 王宮が彼を惜しむのもわからなくはなかった。ラーンハイルほど将来を見通せる人物はそういるものではない。

(だが……)

 ロウファは、彼の志のために哀れに想った。

 彼もまた、人間である。

 か弱く、不完全な存在にすぎない。

 未来のすべてを見通せるわけではないのだ。

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