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第八百二十五話 シーラ(十三)

「わたくしを慕い、今日までついてきてくれたものたちに、どうか御慈悲をお与えください」

 シーラの要求とは、それだった。

 自分のことではなく、自分に付き従い、ガンディアくんだりまでやってきて、旅館の給仕や雑用をやらされている侍女たちのことなのだ。自分はどうでもいいという想いが、その言動に強く現れている。痛々しいまでの自己犠牲の精神、とでもいうべきか。

 彼女は、これ以上、自分のためにだれかが犠牲になるのが堪えられないのだ。たとえ侍女たちが望んでシーラに付き従い、旅館での日々を楽しく送っているのだとしても、彼女には素直に受け止められまい。

 セツナは、彼女の覚悟の眩しさに目を細めると、椅子から立ち上がり、彼女の眼前で屈みこんだ。彼女の肩に手を置く。小さく震えていた。やはり、彼女としても苦痛を伴う行動だったのかもしれないし、別の理由で震えていたのかもしれない。いずれにせよ、セツナが触れたことで、彼女の震えが止まったのは間違いない。

「シーラ、顔を上げてくれ」

「駄目です。セツナ様が力になってくださると明言されるまでは動けません」

 シーラが強い口調で言い切った。セツナは鼻白んだが、確かに彼女の言動のほうが一理あった。まずはこちらの態度を示すべきなのだ。

「……力になるに決まってるだろ」

 セツナが告げると、シーラはようやく顔を上げた。視線が交差する。彼女の目は潤んでいた。彼女が発した声も、揺れていた。

「ありがとうございます……!」

 感極まるシーラの様子に、セツナは気恥ずかしくなった。自分に一体何ができるというのか、見当もつかない。だが、頼られた以上、その期待には応えなくてはならない。

「もちろん、俺にできる範囲でだけどさ」

「セツナ様……なんとお礼を申し上げたらいいのか……」

「礼をいうのは後だ。俺にできることなんて、たかが知れてるかもしれないんだぜ」

 セツナはわざと笑い返して、ゆっくりと立ち上がった。シーラに手を差し伸べ、彼女も立ち上がせる。シーラは、セツナの手を取るべきか少し迷った後、こちらの手を掴んだ。強く握ってくる。

「しかし……」

「ま、セツナはガンディアで並ぶもののいない権力者なんだし、任せておけば安心よね」

「そ、そうね……」

 ミリュウの発言に対して、ファリアが戸惑い気味に肯定する。彼女がなにに戸惑っているのかは、わからない。そんな二人に対して、わけがわからないのがレムのつぶやいた言葉だった。

「また、ひとり……」

「レム?」

「いえ、こちらのことでございます。それで、シーラ様が御主人様にお望みになられることは、なんなのでございましょう? 事と次第によっては、御主人様ではどうすることもできないかもしれませんが」

 レムの質問は、的確だった。セツナがシーラに聞くべきこと、いうべきことが簡潔にまとめられている。さすがはセツナの従者というべきなのかもしれない。

「セツナ様にできないようなことを望んだりはいたしませんよ。ただ、わたくしどもが生きていける場所が欲しいのでございます」

「住居ってことか?」

「それと……仕事、でしょうか」

 シーラが控えめな口調でいった。跪いてからずっとそんな口調だったが、彼女らしくなくて、むず痒さを感じずにはいられない。もっとも、彼女の容姿にはよく似合っている。シーラは王女に相応しい気品と優雅さを兼ね備えた美女だ。この口調でずっと通していれば、おしとやかな姫君として知られたことだろうが。

「なるほどな。旅館じゃ辛いか」

「皆、楽しんでいるように見せていますが、それは見せかけだけのこと。わたくしもウェリスを除く侍女たちも、その本分は戦にあります。刀槍を用いる戦場こそが、わたくしどもの生きるべき場所。旅館での日々も悪くはなかったのですが……」

「そういうことか」

 セツナは、シーラの説明に得心した。獣姫とその侍女団は、獅子王宮での戦いでも、クルセルク戦争でも大いに活躍していた。並の戦士よりも余程力量を持っているのが、彼女と侍女たちだった。歴戦の勇士ですら霞むほど、というのは言い過ぎではない。彼女たち自身が歴戦の猛者なのだ。そして、ハートオブビーストを携える獣姫は、一線級の戦力といっていい。

「それなら、俺にいい考えがある」

「いい考え?」

「実現できるかはまだわからないけど、まあ、任せてくれ」

「はい……セツナ様の思し召すままに」

 シーラがようやく笑顔を見せた。野性的な笑みが持ち味の彼女らしくない典雅な微笑みだったが、まったく悪いものではなかった。むしろ、いつもの彼女とは百八十度違う笑みには、胸を射抜かれかねなかった。ただでさえ美女である。余計に魅力的に映った。

 セツナがしばらく彼女の微笑に見惚れたのも、仕方のないことだ。

「で、おふたりは、いつまで手を握り合ってるのかなー?」

 ミリュウの怒気を込めた声が、セツナの意識を現実に引き戻した。

「本当よね……」

「まあ、黒と白で中々お似合いでございますですよ」

「こ、これはだな……!」

「なにいってんだよ、まったく」

 セツナは皆の反応に呆れたが、シーラは慌てて手を離した。見ると、顔が紅潮している。皆に茶化されたからだろう、変に意識してしまったに違いない。

 そんなシーラの様子がミリュウは気に食わないようなのだが、あまり強くもいえず、頬を膨らませるだけだった。その風船のように膨らむ顔も愛らしいものだ。


「さて……あとは俺の案が実るかどうかだな」

 セツナが自分の頭の中に思い浮かべたことが上手くいくかは、不透明な部分が多すぎた。まず、ガンディア政府の意向を探らなければならない。ガンディアがこれからアバードとどう付き合っていくのか。それを知らなければ、迂闊なことはできなかった。アバードとは友好関係を結んだが、しかし、その友好関係がシーラの独断によるものだとされた上、シーラそのひとが亡き者にされたとあっては、ガンディアも態度を変えるかもしれない。あるいは、セイル派率いるアバードと新たに友好関係を結ぶ可能性もある。後者の場合、シーラの扱いについては慎重にならなければならない。アバードにとってシーラの生存ほど厄介なものはないのだ。シーラ派が息を吹き返す原因になりかねない。シーラには、死んだままでいて欲しいのがアバードの立場というものだろう。よって、シーラが生きていることを匂わせるような行動は取るべきではない。ガンディア政府に対しても、だ。

 いずれにせよ、ガンディアの内情に精通した人物と接触する必要がある。セツナはガンディアの中枢に深く関われる立場にある。が、その立場を利用したことはほとんどなかった。政治に興味を持てないからだ。政争に時間を注ぐくらいなら、自分を鍛え、黒き矛の制御力を高めていくほうがはるかにましであり、国のためになるということを彼は知っている。

 故に政治には関わらず、携わらなかった。故に、シーラ派のようにセツナを擁立する派閥が誕生することもなければ、政争によってセツナの立場が危ぶまれるようなこともなかった。命そのものが危うくなったことは否定しようがないが。

 ともかく、ガンディアの方針を理解している人物に話を聞かなければならない。セツナの脳裏に浮かんだのは、レオンガンドであり、ナーレスであり、エインだ。三人のうち、いずれかに会わなければならないのだが、そのためにはガンディオンまで下向する必要がありそうだった。遠い道のりになる。

 移動に時間がかかるのは、馬での移動が主流なこの世界では仕方のないことだ。

(車でもあればな)

 などと思っても、どうしようもない。

 セツナはそういったことを説明した後、シーラに提案した。

「それまでシーラはここにいればいいんじゃないか」

「いいのですか?」

「ああ。侍女たちも連れてくればいい。とはいえ、天輪宮の出入りは面倒だからな……レムを同行させるか」

「わたくしがでございますか?」

「俺の代理人だ。不満か?」

「不満など、滅相もございませぬ」

 レムが満面の笑みを浮かべた。いつもの天使のような笑顔だ。つい引き込まれそうになるし、抗いがたい魅力がある。ずるいものだ。

「よろしい。天輪宮でも泰霊殿だけは余人は入れない。そのわりに空き室ばかりだし、どこでも使えばいいんじゃないか」

 セツナがいうと、ファリアがあきれたようだった。

「適当ねえ。いいのかしら」

「いいんじゃない? 使わない部屋なんて無意味だもの」

「そりゃそうだけど、あなたはいいのかしら?」

「あたし? どうして?」

「ううん、なんでもないわ」

「ああ、あたしが龍府の出身だから、天輪宮に特別な思いを抱いてるんじゃないかってこと? 気にしなくていいわよ。いい思い出なんてないし」

「そっか。それならいいんだけど……ちょっと、なに?」

「なんでもなーい」

「なんなのよ、もう……」

 ファリアがため息混じりにつぶやいたのは、ミリュウが突然彼女に抱きついたからだ。きっと、ファリアが気を使ってくれたことが彼女には嬉しかったのだ。ふたりの姉妹のような仲の良さには、ときどきはっとする。そして、彼女たちがいてくれてよかったと心の底から想うのだ。

「それでは、さっそく皆を連れてきます。スコットさんにもお礼を言わないといけませんね」

 いろいろなものから解放されたからなのか、彼女の表情は、どこか晴れ晴れとしていた。まだ問題は山積みにせよ、少なくとも、住居問題は解決し、セツナの協力を取り付けることに成功した。シーラの心に多少なりとも余裕が生まれたのだろう。

 セツナは、その一助となることができて、ほっとしたものだった。


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