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第八百二十三話 シーラ(十一)

 シーラが龍府での生活を始めた翌日、彼女は、胸を騒がせるような話を聞いた。

 龍府がセツナの領地になったというのだ。

 セツナとは、あのセツナのことだ。

 黒き矛のセツナ。竜殺し。魔屠り。一騎当千。万魔不当――彼を呼び表す言葉はいくつもあれど、どれもが彼の本質を言い当てているとは言い難い。彼女自身、彼の本質を理解しているわけではないのだからなんともいえないのだが、きっと違う。そんな気がする。気がするだけなのだが、直感は、こういうときあてになった。

 それはそれとして、セツナが龍府の領伯になったという話が本当なのかどうか、シーラは是が非でも知っておかなければならなかった。龍府はガンディア政府の直轄地であり続けるものだと考えていたし、シーラだけでなく、だれもがそう思い込むはずだ。龍府は、ザルワーン地方最大の都市であり、最大の軍事拠点なのだ。そのような都市をひとりの人間に支配させるものだろうか。

(陛下なら……するかもしれない)

 シーラは、レオンガンドの聡明かつ英雄然とした顔立ちを思い出して、前言を撤回した。レオンガンドは、将兵を評価することに躊躇のない人物だった。どこの馬の骨とも分からないセツナが数ヶ月足らずで領伯の座に上り詰めたのも、レオンガンドという国王あってこそのものであり、並の王ならば、セツナの昇進はあって騎士止まりだろう。セツナは一般人だ。なんの後ろ盾もなければ、貴族の血縁でもない。そんな人間が領伯となることなど夢のまた夢であり、彼がガンディアで国民的人気を博しているのは、その成り上がり方が物語として出来過ぎていることもあるのだろう。また、セツナの成り上がりを賞賛するということは、レオンガンドの果断を賞賛するということにも繋がる。だれも悪い気分がしないのも、物語としては心地いい。ガンディア国民がセツナに夢中になるのも、当然なのかもしれない。

 もっとも、その大前提として、セツナの活躍がある。

 常軌を逸した、といっていいような戦功を積み上げてきたからこそ、彼の通常では考えられない出世物語に対して非難の声や否定的な意見が少ないのだ。そして、そういう少数の否定的な意見は、圧倒的多数を誇る肯定派の声によって塗りつぶされ、掻き消える。

 セツナはこれまでガンディアに多大な功績を残してきている。クルセルク戦争での功績は、その最たるものといっていい。万魔不当などという新しい言葉ができるほどの活躍は、さすがの軍師ナーレスも想像だにしないものだったはずであり、だれもが度肝を抜かれた。

 その万魔不当の戦いぶりは、シーラ自身目の当たりにし、彼女がセツナに焦がれるようになった最大の原因といってよかった。彼に命を救われたのは、そのときで二度目だった。一度目は獅子王宮で。二度目は、ランシードで。

 

 セツナが、クルセルク戦争の功績によって龍府の領伯となったのは、どうやら本当のことらしかった。

 しかも十日ほど前にガンディオンにて発表されたらしく、シーラの耳に届くのは遅すぎるくらいだった。龍府の住民のだれもがその話をしていた。

 ザルワーン人にしてみれば、祖国に終焉を突きつけた人物がこの古都の主となるのだ。さぞや複雑な心境だろうと思いきや、シーラの耳に入ってくるのは好意的な意見ばかりだった。旧態然としたザルワーンに終止符を打ってくれたセツナに感謝する声もあれば、セツナが領伯となったことで龍府がますます発展するだろうということに興奮する声もあった。セツナに対して否定的な意見はまったくといっていいほど聞かなかった。

「そりゃあ、姫様がセツナ様を慕っているからさ」

 侍女が笑ったものだ。

「そういうものなのか?」

「好意的に見ている人間のことなんて、どんな話だって好意的に聞こえるものだよ」

「なるほど……」

 シーラは、侍女の言葉に感銘を覚えたりしながら、セツナのことを考えた。セツナがこの都の主となったというのなら、なんらかの接点を持つこともできるのかもしれない。接点を持ったからといってなにをするわけでもない。

 ただ、逢いたいと想ってしまった。

 それだけのことだ。

 だが、それだけのことが、胸を熱くした。

 しかし、セツナのことを考えながら、身の振り方も考えなければならなかった。いくらスコット=フェネックが命を賭してでもシーラたちを匿うと宣言したとはいえ、いつまでも彼の厚意に甘えているわけにはいかない。シーラ・レーウェ=アバードという人間ならば、すぐにでも新たな生き方を探さなけれならないのだ。

 シーラは、自分という人間に疲労を覚えないではなかったが、アバードを出て、マルウェールを経、龍府に辿り着いたことで、ようやく様々なことを受け入れられるようになっていた。王家の人間であることを辞めるということも、自分のこれまでの人生を否定するということも、シーラ・レーウェ=アバードという名を捨てるということも、少しずつ受け入れている。それもこれも、多くの犠牲を払ったからだ。

 ラーンハイル・ラーズ=タウラル、レナ=タウラル、セレネ=シドール、二十二名の侍女たち、そしてそれに付き従ったものたち。数多の人命が、シーラのために費やされた。ガラン=シドール、キーン=ウィンドウ、ラングリード・ザン=シドニアたちもまた、シーラのために王宮との対決に赴いた。

 だれもかれもがシーラのためを想って行動した。

『勝手なことと存じ上げますが、姫様におかれましては、どうか、末永く生き延びてください。生きて、幸せを掴んでください』

 脳裏に浮かんだラーンハイルの言葉が、シーラの行動原理となっていた。

 とはいえ、アバードの情勢がわかるまでは動くに動けないのも事実だった。ラーンハイルからの忠告を無視することもできない。少なくとも、アバードがシーラの死を公表するまでは、旅館に身を潜めておかなければならない。

 しかし、日がな一日、部屋に籠もっているのも性に合わなかった。シーラは、侍女とともにスコット=フェネックに申し出て、旅館の手伝いをすることにした。シーラの考えをもっとも喜んだのは、ウェリス=クイードだ。彼女は、旅館での手伝いによってシーラが女性らしい振る舞いに慣れていくことを期待したのだ。

 シーラ自身、思うところもあった。新しい人生を歩むには、シーラ・レーウェ=アバードの否定から始まらなければならない。それにはまず、男みたいな立ち居振る舞いから矯正しなければならないのではないか。この八年で変わらなかったことを変えようとするのは、相当苦労するに違いないのだが、やるだけの価値はある。シーラはそう思い、スコットに打診した。

 スコットは困惑したが、シーラたちが頼み込むと、断りきれなかったようだった。スコットの旅館は広いのだが、人手不足ではない。が、観光客が増大している昨今、人手は多ければ多いほどよかった。特にシーラや侍女たちは美女揃いの上、皆、並外れた膂力の持ち主ばかりだ。給仕として働くことも、力仕事を行うこともできた。

 そうして、シーラは、侍女たちとともに旅館で働くことになった。

 シーラが、ウェリスの要請もあって給仕として旅館を走り回っているころ、龍府に領伯一行が向かっているという情報が飛び込んできた。領伯とはつまりセツナであり、セツナ率いる《獅子の尾》の一行が、セツナの新たな領地となったばかりのこの都にやってくるというのだ。領伯としての最初の仕事、ということだろう。

 シーラはその話を聞いて以来、妙にそわそわした。心ここにあらずといった状態だったらしく、ウェリスを始め、侍女たちに注意されたりからかわれた。龍府について以来、皆、よく笑った。笑って、じゃれ合った。そうでもしなければやりきれないのだ。

 皆、空元気だった。

 疲れきっているのだ。

 体はともかく、心が消耗しきっている。

(セツナに逢おう)

 シーラが決意したのは、空疎に笑う侍女たちの姿があまりに痛々しかったからであり、彼女たちを救いたかったからであり、シーラ自身、救われたかったからだ。

 セツナたちが龍府に入ったのは、五月一日。

 シーラたちが龍府の宿に到着してから三日後のことだ。

 翌二日、龍府の領伯に就任したセツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドのお披露目があった。龍府全体で、新たな領伯、新たな龍府の主の誕生を祝福し、セツナの偉大なる功績を讃えるお祭りが開かれた。

 セツナは、ガンディアの英雄なのだ。まだまだ若いが、彼の功績は古の英雄さえ及ばぬものかもしれず、古都の主に相応しいといってもいいのだろう。だから、龍府の住人も彼を受け入れることができるのかもしれない。

 シーラたちも、夜を徹して行われたお祭り騒ぎの中にいて、飾り立てられた馬車に乗って龍府を巡行するセツナを一目見るために走り回ったものだった。

 結局、シーラが見ることができたのは、天輪宮に戻るセツナの後頭部だけだったのだが。

 その夜、シーラが眠れなかったのは、それが原因なのかもしれない。セツナの後頭部を目撃しただけで、胸が高鳴った。そして、考えた。彼に逢うにはどうすればいいのか、考えに考え抜いた。が、いい案は思い浮かばなかった。

 

「それで、実力行使に出たわけか……」

 セツナが呆れたようにこちらを見た。そのどこか幼さを感じさせる表情こそ、セツナのセツナたる所以だとシーラは想った。

「ま、そういうことだ」

 シーラは、笑ってみせて、長話を終わらせることにした。もちろん、想っていること、感じたことのすべてを話したわけではない。シーラがここに至った理由をかいつまんで話しただけのことだ。セツナへの想いなどはすべて伏せた。当たり前のことだ。セツナとふたりきりならまだしも、ここにはセツナ以外に多くの人間がいた。しかもこの場にいるほとんどの女が、セツナに特別な好意を抱いているのは火を見るより明らかだった。

(ふたりきりなら……)

 どうしていただろう。

 セツナにすべてを打ち明けて、救いを求めただろうか。

 セツナに泣いて縋っただろうか。

 縋り付いて、慰めを求めただろうか。

(いや……)

 そんなことはしないだろう。

 シーラ・レーウェ=アバードであることを辞めないかぎり、彼女の言動は制限された。

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