表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
820/3726

第八百十九話 シーラ(七)


 センティアのキーン=ウィンドウが、五百名の兵を連れて再びタウラル要塞を訪れたのは、四月十五日の午後のことだった。

 その日、アバード王国領タウラル地方の空は鉛色の雲に覆われており、いまにも雨が降り出しそうな気配があった。風の勢いも強く、嵐になるのではないかと心配する声もあり、良からぬことが起こる前触れではないかと囁くものもいた。

 タウラル要塞は、アバードでももっとも堅牢な城壁に囲まれている。嵐で倒壊するような可能性は万に一つもなく、要塞内の建物の強固さも城壁に匹敵するものであるため、要塞そのものに及ぼす影響は小さいだろう。もっとも、それはタウラル要塞を始めとする軍事施設に対してのみいえることであり、タウラル地方全体が被害を免れられるということではない。

 シーラは、嵐が起きないことを祈りながら、キーン=ウィンドウと彼の兵団を迎え入れた。本心でいえば迎え入れたくなどはない。タウラル要塞は、いまやアバードを二分する勢力の一大拠点と成り果てている。その勢力の首魁は、シーラ・レーウェ=アバードであり、彼女を祭り上げるものたちが集っているのだ。

 シーラとしては、セイル王子派が掌握した王宮をこれ以上刺激したくなかった。これまでも王宮の要求を突っぱね、出頭命令を無視しているのだ。刺激し過ぎるほどに刺激している。王宮がシーラを反乱分子と認定するのも時間の問題ではないかと思えたし、実際、そういう不穏な空気がアバード全域を包み込んでいることも、彼女は肌で感じていた。

 要塞の天守にじっと籠もってもいられず、毎日のように訓練場に出ては、兵士や侍女たちと剣を交え、汗を流した。体を動かしている間は、無でいられた。その瞬間だけは、シーラの運命を絡めとるしがらみから解放されることができたのだ。しかし、訓練の時間など、永遠に続くわけではない。疲れ切ってぶっ倒れるということさえ、彼女には許されなかった。

 ある程度汗をかくと、ラーンハイル・ラーズ=タウラルや彼の娘のレナに呼ばれ、訓練を中止せざるを得なかったのだ。

 日夜、アバードの情勢は動いている。

 キーン=ウィンドウが兵を連れてくるという報告をきいたのも、訓練の最中だった。報告に現れたのはラーンハイルであり、彼は、シーラの茫然とした表情から、彼女の思考を読み取ったようだった。

「大丈夫ですよ、姫様。姫様の御命は、わたくしどもが必ずお守りいたします」

「そういうことじゃねえよ」

「いえ。わたくしにとっては、そういうことです」

「……ラーンハイル」

「はい?」

「なにを考えているんだ?」

 良からぬことを企んでいる、という風には思えない。むしろ、シーラのためにとんでもないことをしでかしそうな気がして、彼女は気が気でなかった。自分のために周りの人間が不幸になることこそ、シーラにとっての不幸にほかならない。

 シーラが出頭命令に応じようとしたのは、それもある。自分一人が罪を負えば、彼女の元に集った人々は無罪放免になるのではないか。

 甘い考えだった。

 アバードを二分する勢力による争いは、いわば権力闘争なのだ。王宮を掌握する連中にしてみれば敵対勢力の根絶こそ望むところであり、そのためならば血を流すことも厭わないだろう。

「姫様の身を案じているだけにございます」

 ラーンハイルに二心がないのは、明らかだった。彼は、中央での権力闘争に疲れ果て、タウラルに隠棲したような人物なのだ。領伯という身分にありながら王宮とは一定の距離を取り続ける彼が、己の野心のためにシーラを利用するとは考えにくい。彼に野心があるのならば、シーラがもっと幼いころから手を打っていたはずだ。しかし、彼は、シーラにレナを引き合わせた以外、なにもしなかった。

 ただ、シーラとレナを見守り続けていたのだ。

「そうか……」

 シーラはそれ以上の追及を避けた。ラーンハイルの考えを探るよりも、キーン=ウィンドウを出迎えるほうが先決だった。


 キーン=ウィンドウは、センティアの名士だ。センティアでもっとも力を持った地主であり、センティアの大半の土地が、ウィンドウ一族の持ち物だった。センティアがアバードの領土となったのも、ウィンドウ一族がアバード王家に忠誠を誓い、センティアの土地の一部を献上したことに端を発する。以来、アバード王家はウィンドウ一族を厚遇しており、王宮での発言力も並の貴族より遥かに高かった。さすがにタウラル領伯や双角将軍と並ぶほどとはいえないものの、無視できるものでもない。そんな彼がなぜシーラを応援し、セイル派を敵視しているのかは、シーラにはわからないことだった。

 それはほかの軍人、貴族にもいえることだ。クルセルク戦争に従軍し、あの苛烈な戦いをともに生き抜いた獣戦団の将兵がシーラに従属するのは、わからないではない。王都入りを拒絶されたとき、その場にいたのが彼らであり、シーラに同情し、ここまでついてきたのも彼らだった。しかし、キーン=ウィンドウを始め、タウラルに参集したものたちはそうではなかった。みずからの意思で、この要塞に駆けつけ、好き好んで王宮との対立を深めている。シーラには理解できないことだったが、かといって彼らの想いを踏みにじることもできない。

「アバード軍がヴァルターに集結中という話を聞いて、馳せ参じた次第です」

 シーラの前で兜を脱ぐと、キーン=ウィンドウは秀麗な顔をことさら厳しいものにしていた。要塞に辿り着いたとき、彼は軍装だった。まるで道中、戦闘がある可能性を考慮したかのような物々しさは、彼の発言内容から理解できる。

「双牙将軍がヴァルターに入ったという話だそうだな」

 双牙将軍は、双角将軍と並んでアバード軍最高の将軍位であり、双角将軍とともにアバードの双璧を成している。現在、双牙将軍の地位にあるのはザイード=ヘインというシビッツ家の当主を務める初老の軍人である。彼は、ガラン=シドールと折り合いが悪く、事あるごとに意見をぶつけあってきた。そして、ふたりの意見の対立は、アバード軍そのものを二分するものになることが多く、ガラン=シドールがシーラ派であることを明確にした現在、ザイード=ヘインがセイル派の旗を翻すことになんの疑問も持ち得なかった。たとえザイードがシーラに対して常々同情的であるのだとしても、ガランへの敵対心を覆すことはできないのだ。

「王宮は、もはや我慢ならなくなったということでしょう」

「だが、俺たちがヴァルターの軍勢と事を構える必要はないぞ」

 シーラが告げると、キーンは涼やかな目でうなずいた。

「わかっております。万一のときのための備えと思召しあれ」

「……感謝する」

 キーンの発言が彼の思惑を隠蔽するための虚構であることは、シーラにはわかっていた。わかっていたが、追及はしなかった。追及したところで、彼らの想いを止めることはできないのだ。

 シーラは、いまにも嵐が訪れそうな空の下、薄明るい絶望を感じずにはいられなかった。


 タウラル要塞に集った戦力は、六千に及ぼうとしていた。

 アバード軍の兵力のおよそ半数が、シーラ派に属したということになる。その半数というのは、クルセルク戦争で散っていった将兵たちを除いての数であり、もし彼らが生きていれば、シーラ派の将兵は、アバード軍の大半を占めることになっただろう。

(だからなんだよ)

 翌十六日、シーラは、タウラル要塞の訓練場で合同訓練を行うシーラ派の将兵たちを見やりながら、自分の声望について考えた。シーラ・レーウェ=アバードという個人の元に、これだけの兵士、将士が集まってきている。普通に考えれば嬉しいことだろう。喜ばしいことだといえるのだろう。しかし、現状、彼らの参集に対して諸手を上げて喜ぶことなど、できるはずもなかった。

 彼らの集結が、王宮の態度を硬化させ、事態の悪化を招いたのではないか。

「彼らは、姫様のために戦うつもりなのでしょうな」

「はっ……俺のために事態をさらに悪化させるわけか」

「王宮は姫様を反逆者に認定するでしょう。いえ、すでに反逆者の烙印が押されているかもしれません」

「……それはわかってる」

 王宮への出頭に応じなかった時点で、そうなることは覚悟していた。覚悟しなければならないことだ。なんの覚悟もなくタウラルに留まるなどありえない。そして、状況は悪化し、王宮は軍を起こした。ヴァルターに兵を集め、タウラルに攻撃する構えを見せている。それもこれも、シーラが原因だ。シーラが招いた事態といっていい。

 ただし、シーラが王宮に出頭したからといって、こうならなかったとはいいきれない。シーラが王宮に出頭し、なんらかの処分を受けた後もシーラ派を名乗るものたちがタウラルに籠もり続けていた場合、王宮は平然とタウラルに軍を差し向けただろう。王宮を掌握しているセイル派には、シーラ派根絶の機会をみすみす逃す必要はない。シーラにしたようになんらかの罪を被せ、攻め滅ぼすだろう。それがわかっているから、シーラは自分の行動を責めたりはしなかった。

「でも、内乱を起こすのは別の話だ。俺にそんな意図はねえよ」

「はい。ですが、ここまで高まった彼らを止めることは、姫様にも不可能です。姫様のために、姫様の復権のためにと、彼らは日々、王宮への反発を強めてきました。王宮が軍を起こし、ヴァルターに戦力を結集している以上、彼らをなだめるのは逆効果でしょうね」

「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」

 このままでは、ヴァルターに集ったアバード正規軍とタウラルに集まったシーラ軍が激突し、両軍の間で多大な血が流れるだろう。どちらも手を抜くようなことはすまい。それも理解できる。シーラ派は、己の尊厳をかけて全力でアバード正規軍にぶつかるだろうし、アバード正規軍もまた、反乱軍の鎮圧に全力を挙げるのだ。

 両軍が全力で激突する以上、勝敗は見えない。シーラ派にはシドニア傭兵団がついているが、アバード正規軍には宮廷術師団がついているのだ。セレネ=シドールが設立に奔走した宮廷術師団は、セレネが団長の座を弟子に譲ってからというもの、セイル派との繋がりが深くなり、その結果、クルセルク戦争への参加が見送られていた。アバードでも最高峰の戦闘集団だというのにだ。それを思えば、セイル派がそのころから暗躍していた可能性も出てくる。クルセルク戦争が連合軍の勝利で終わるにせよ、敗北で終わるにせよ、セイル派にとって都合がよくなるのだ。

「彼らには戦わせましょう」

「は?」

「彼らは、自分たちのことしか考えていない愚か者ばかりです。姫様の身を案じ、同情しているのは事実でしょうが、姫様の意思を理解しているものはほんの一握りです。そのほんの一握りの理解者が発言力を有していない以上、彼らには好きにやらせるよりほかはありません」

「それはそうだけどよ……」

「彼らはヴァルターの軍勢と戦い、負けるでしょう。それでいいのです。負けて死ねば、愚か者は消えていなくなる。アバードから禍根を絶やすことができる」

「つまり、王宮に勝たせるということか?」

 シーラが問うと、彼は静かにうなずいた。

「彼らは姫様のためといいながら自分のために戦いを起こそうとする連中です。そんな彼らのために姫様が心を痛める必要はない。姫様も、御自身のことだけをお考えなされませ」

「だが、王宮は、俺がいる限りタウラルが滅びようとも攻撃の手を緩めないだろ」

「ええ。ですが、ご心配には及びません。わたくしには姫様をお救いする手段がありますので」

「俺を救う手段……」

 ラーンハイルの穏やかな表情の奥に潜む強烈な意思に、シーラは、感動するよりもむしろ胸騒ぎを覚えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ