第八百十七話 シーラ(五)
「王宮が、クルセルク戦争に至るまでの経緯、アバードの行動をすべて姫様の独断としたようです。クルセルク戦争で死んでいった将兵の責任を、姫様ひとりに負わせようというのでしょう」
ラーンハイル・ラーズ=タウラルが告げたとき、タウラル要塞の軍議の間に集った人々が衝撃を受けるようなことはなかった。
だれもが、そういった王宮の反応を見越していたからだ。
王宮は、シーラの人気が疎ましいのだ。シーラが人気を集めれば集めるほど、世間の同情を集めれば集めるほど、王宮への風当たりは強くなる。自然、セイルの人気は下がり、シーラ女王待望論の熱量は上がっていく。
セイル派に牛耳られた王宮としては、なんとしてでもシーラの人気を下げたいのだが、シーラがなにひとつ過ちを犯していない以上、王宮にはどうすることもできないのが現状だった。シーラは、王宮の命令に従い、王都の帰還を諦め、タウラルに退いただけなのだ。タウラルに人が集まり、一大勢力が築かれていくのも、シーラの意思ではない。彼女としてはやめて欲しいのだが、そんなことをいったところでだれひとりとして聞き入れてくれはしなかった。
皆、シーラの境遇に同情しているのだ。王宮に敵意を抱いているものさえいたし、セイル派貴族を公然と誹謗するもの、リセルグ王の不透明な行動を詰るものもいた。もちろん、国王への直接の批判はほとんどなく、王宮を牛耳る貴族や軍人たちに怒りの矛先は向けられたのだた。
そうなると、王宮が取る行動は絞られてくる。そのひとつが、シーラの罪をでっち上げるというものであり、独断専行程度ならば、予想よりも優しいといってもよかった。
シーラ自身、それほど衝撃を受けなかった。王宮がなんらかの手段を用いてシーラの名誉を貶めようとするだろう、という憶測は、彼女自身にも伝えられていたことだ。王宮がどんな手段を用いてきても動じないように、と、ラーンハイルやウェリスが前もって教えてくれていたのだ。
シーラは当初、王宮もさすがにそこまでしないのではないか、と考えていたのだが、それがいかに楽観的な思考なのか、ラーンハイルの発言によって明らかにされた。シーラの置かれている状況は、想像しているよりも遥かに酷いものだったのだ。
「王宮? セイル殿下派貴族の間違いでしょう」
ガラン=シドールが肩を怒らせて、ラーンハイルを睨んだ。剃髪と太い眉が彼の怒りを殊更強調しているように思えた。
隣に座っていたセレネ=シドールがガランの剣幕に恐れをなす。家名で分かる通り、ガランとセレネは同じ家の生まれである。それどころか実の兄弟であり、穏便なセレネのほうが兄であった。本来ならばシドール家の家督を継ぐ立場にいたのだが、生来病弱だったセレネは家督をガランに譲り、軍とは無関係の道を模索した。やがてセレネは武装召喚術と出会い、召喚師として大成、アバードになくてはならない人物となったのだった。
ガランもまた、アバードになくてはならない人物だ。アバード有数の名門であるシドール家の二男であった彼は、セレネに家督を譲り受けた後、研鑽と修練を積み重ね、自分を鍛えに鍛えぬいた。一廉の武人へと成長した彼は三十三歳の若さで双角将軍に上り詰め、家名だけではないということを知らしめるに至る。以来六年、双牙将軍ザイード=ヘインとともにアバード軍の双璧として君臨している。
「王子殿下派を名乗るものたちが牛耳っているとはいえ、王宮は王宮でございましょう。我々がいまここで王子殿下派を糾弾したところで、なんの意味もない」
「意味がない、ですと?」
ガランがキーン=ウィンドウを睨みつけた。キーンは、ガランのすさまじい形相を目の当たりにしても涼しい顔をしている。アバード南東の都市センティアの顔ともいえるウィンドウ一族の当主である青年は、恐れを知らないのかもしれない。
(いや……)
キーンは、ガランの本質を知っているのだ。厳つい外見やその言動から勘違いされやすいが、ガランほど紳士的かつ温厚な武将はほかにはいないといってもよかった。ガランは常に攻撃的な態度をとっているように見えるが、それは双角将軍という肩書がさせるものだといってよく、その本質はセレネによく似ていた。温和で、常に微笑を湛えているような人物なのだ。しかし、双角将軍となってからの彼は、軍議の場などでは常に怒っているかのように振舞っていた。舐められるわけにはいかない、とでも考えているのか、双角将軍という立場の重さが、彼の人格にさえ影響を及ぼしているのか、どうか。
「王宮を、王子殿下派を糾弾するのは、だれにだってできることです。虚空に向かって吠えていればいいのですから。しかし、それではなんの解決にもならない。王女殿下の窮状を変えることもできなければ、その御心を安んじることもできません」
「わたくしもウィンドウ殿の仰る通りだと思いますが」
と、キーン=ウィンドウの意見に賛成したのは、シドニア傭兵団の団長ラングリード・ザン=シドニアだ。傭兵の分際でありながら、軍幹部が参加するような会議の席に入ることが許されているのは、シドニア傭兵団と彼が、アバードにとって大事な存在だからでもある。シドニア傭兵団は、古の剣豪シドニア=ケルベレンが創設した傭兵集団であり、その歴史は古く、長い。アバードと専属契約を結ぶようになったのは、ラングリードが団長の座についてからのことであるが、それでも十年近い付き合いであり、その長きに渡る交流は、アバードにとってシドニア傭兵団が無くてはならない存在となるほどのものだった。シドニア傭兵団は、半ばアバード軍に所属しているようなものであり、アバード王宮は、彼らに王都への居住権を与えるとともに、ラングリードに騎士の称号を叙勲した。傭兵でありながら騎士を名乗るのは、そういう理由からであり、騎士という肩書が、彼の言動に重みを与えていた。
荒くれ者が多い傭兵とは思えないほど礼節に通じた人物である彼は、アバード王家や貴族たちからも好意をもって迎え入れられており、生粋のアバード軍人からもその勇壮さを褒め称えられる、まさに非の打ち所のない人物だった。
「いまは、王宮を断ずるよりも、この状況を打開する方策を考えるほうが先なのでは?」
「それもわかっている。だが、どうやってシーラ様をお救い申し上げるというのだ」
「王宮と交渉することさえできれば、あるいは……」
「無駄だ。彼らが我々の言葉に耳を貸すとは思えん。そもそも、王宮に我々の声が届かないのは、先ほど明言したばかりではないか」
(王宮を制圧するということは、アバードの実権を握るということだ。結局、俺たちにはなにもできない。できやしないのさ)
申し開こうにも、王宮がシーラの排除を望んでいる以上、まったく意味がない行動となるだろう。いや、むしろ、その申し開きこそ糾弾する機会と捉え、シーラの罪状をより悪化させていくに違いない。アバードを豊かにすることに関しては無能な貴族たちも、他人の足を引っ張ることに関しては驚くほどの有能さを発揮するものだ。
「まず知るべきは、王女殿下がどう考えておいでなのか、でしょう?」
キーン=ウィンドウが、うんざりとしたようにいった。彼としては、この益体もない会議をさっさと終わらせたいのかもしれない。こと戦いに関しては有能な人物ばかりが集まっているのだが、この状況を打開するためには、彼らの本来の力はまるで役に立たないということをキーンは知っているのだ。
「……そうだな。シーラ様のお考えこそ、重要だ」
「それについては異論はありません」
「皆、そういっておられますが?」
最終的にシーラに問いかけてきたのは、ラーンハイルだった。この会議を仕切っているのが彼なのだ。要塞の主であるラーンハイルがシーラに次ぐ地位にいるのは、納得の行くことだ。領伯という肩書も、彼の立場に重みを与えている。双角将軍ですら、彼には敬意を払っていた。ラーンハイルの穏やかな表情の奥に潜む凄まじさを知っているからでもあるだろうが。
シーラは、ラーンハイルに目だけでうなずくと、立ち上がり、軍議の間を見回した。ラーンハイルを筆頭に、ひとかどならぬ人物ばかりが集まっている。双角将軍ガラン、武装召喚師セレネ、センティアの名士キーン、傭兵騎士ラングリード、獣戦団長たちにシーラ派貴族たち。どれもこれも一癖も二癖もあるような顔ばかりだったが、アバードの有名人を集めれば、このような顔ぶれになるだろうというものでもあった。要するにアバードが誇る著名人の集まりでもあったのだ。
「……皆がこの状況を打開するために知恵を絞ってくれるのはありがたく思っている。わたしを慕い、ここタウラルに集ってくれたことにも、感謝しかない。だが、わたしは王宮に対抗する意思はないのだ。わたしはただ、王都に帰りたいだけだ。王都に帰り、元の生活に戻りたい。ただそれだけなのだ」
シーラは、改めて、自分の立場というものを明確にした。
シーラの目的は王都への帰還であり、そのために王宮と争うようなことはしたくなかった。王宮との争いは、内乱へと発展するだろう。内乱を起こすくらいなら王都への帰還は諦め、タウラルで過ごすのもいいとさえ想っていた。たとえタウラルで残りの人生を費やすことになったとしても、内乱によってアバードを破壊してしまうよりはずっとましだ。
彼女がそのようなことをいうと、ガラン将軍は、目をうるませてさえいた。
「シーラ様のお考え、御覚悟、よくわかりました。我々がシーラ様のご意向を無視して先走らずに済んでよかった」
「王女殿下がそう仰られるのでしたら、我々が王宮と対峙するのも愚かなことだ。現状、タウラルに集まっていることさえ、王宮を挑発しているようなものですからね」
「では、ウィンドウ殿はセンティアに?」
「ええ。兵をまとめてセンティアに戻ります。王女殿下、必要とあらば、いつでも声をお掛けください。王女殿下のためとあらば、センティアからタウラルまで一日で走破してみせますよ」
キーン=ウィンドウの言葉は、心強いというほかなかった。センティア・タウラル間を一日で走破するのは、簡単なことではない。強行軍でも二日はかかるような距離だ。それをただの一日で走破してみせるというのだ。並大抵の覚悟ではなかった。そしてキーン=ウィンドウは、一度口にした言葉を無下にするような男ではない。
「確かに挑発しているのも同じか。しかし、シーラ様の身辺を護るには兵も必要」
「我々は残りますよ、ここに」
「わたしも、そのつもりだ」
ラングリードとガランが頷き合った。
そのようにして第一回目の軍議は終わり、軍議の通り、キーン=ウィンドウは、約五百名の兵とともにセンティアに戻っていった。
それでも、タウラルには五千近い兵力が残っている。クルセルク遠征軍三千名に、アバード各地から参集した二千名である。
内乱を起こす兵力としては十分すぎるほどであり、シーラは、悪い予感がせずにはいられなかった。
そして、彼女の予感は的中する。
王宮が、タウラル要塞に集った人々に警告を発したのだ。