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第八百十五話 シーラ(三)

 大陸歴五百二年四月一日、シーラたちは、再びタウラル要塞に到達し、ラーンハイル・ラーズ=タウラルの出迎えを受けた。クルセルクからの凱旋時とは異なり、質素な出迎えだった。タウラルにも王都での騒動が伝わっていたからだ。王都がシーラの受け入れを拒絶したということは、王宮そのものが彼女の存在を拒絶しているも同然であり、そんな彼女を引き受けるということは王宮への反逆と受け取られても仕方のないことだ。

 故に、シーラは、たとえラーンハイルが彼女の受け入れを拒否したとしても、タウラル要塞の強固な城門を固く閉ざしたとしても、彼を恨まないことに決めていた。シーラに手を差し伸べたレナが異常なのだ。普通ならば、いまのシーラには関わるべきではないし、ましてや手を差し伸べ、父の領地に連れて行こうなどとはすまい。

 それだけに、シーラは、道中、レナへの感謝を何度となく述べた。そのたびにレナは微笑み、当然のことをしたまで、というのだ。シーラには、その言葉ほど嬉しい物はなかったし、彼女の心からの言葉には、救われる想いがした。

 アバード王都バンドールからタウラル要塞まで、ほぼ直線距離を移動して、三日かかった。その三日間、レナはシーラのことばかりを案じてくれていた。移動中も休憩中も、眠る時も、常に傍らにいて、シーラが孤独を感じないようにしてくれたのだ。レナがいてくれたからこそ、シーラはタウラルへの道中、なにかしらの不安も感じずに済んだのかもしれない。

 タウラル領に入ると、タウラル領伯の私兵千人がシーラたちの護衛についた。シーラたちは三千人を越す大所帯であり、その殆どが戦闘要員であったのだが、何分、クルセルクからずっと移動しているといっても過言ではなく、皆、疲れていた。千人でも護衛についてくれれば、心強いものだ。

 アバード国内にも皇魔は存在する。皇魔の巣がどこかにあり、勢力圏を形成しているのだ。それがタウラル領の何処かかもしれず、一直線にタウラル要塞を目指すシーラたちが、知らず知らずのうちに皇魔の勢力圏に足を踏み入れる可能性も皆無ではなかった。皇魔との戦闘ともなれば、疲れきったシーラたちでは思うように戦うことはできないだろう。多くの犠牲を覚悟しなければならなくなる。そういう意味でも、ラーンハイルの私兵が護衛についてくれたことには感謝した。

 同時に、ラーンハイルの意図が読め取れもした。

 ラーンハイルは、シーラを受け入れるつもりだったのだ。でなければ、私兵を派遣し、シーラたちと合流させようとはしないだろう。

 果たして、ラーンハイル・ラーズ=タウラルは、シーラを出迎え、タウラル要塞に受け入れた。タウラル要塞は、アバード領土最硬の拠点だ。未だかつてタウラル要塞が落ちたことはなかったし、アバードがタウラル要塞を手に入れるために払った犠牲も数えきれないという。

 シーラたち三千人超は、難攻不落の要塞に入って、ようやく落ち着きを取り戻したといってよかった。要塞は巨大だ。三千人の将兵を受け入れるには十分の広さがあり、また、兵量の備蓄も十分にあるという。もしタウラルの兵量が尽きたとしても、ランシードから取り寄せればいい。

 タウラルの南にはセンティアという都市もあるのだが、センティアは王宮の影響下にあると見るべきだった。その点、ランシードはつい先日までクルセルクの支配地であり、連合軍の支配下にあった都市だ。アバード政府の手が伸びているとは考えにくい。そして、ランシードさえ抑えておけば、兵量を手に入れることは難しくなくなる。ランシードからガンディアと取引すればいいからだ。もっとも、アバード政府がガンディア政府にランシード――つまり、シーラたちとの取引を禁じるようなことがあれば、その目論見もすべてご破算になるが。

 そもそも、タウラル要塞の備蓄を使い切るほど長く滞在するつもりはなかった。誤解があれば誤解をとき、理由があれば解決し、シーラはすぐにでも王都に帰還するつもりだったからだ。

 シーラは、侍女団とともにタウラル要塞の中心部に案内された。要塞の中心に聳える天守は、王族が来訪したときには、王族の仮宿となる。

「なにやら王都は大変なようですね」

「ああ。大変だったよ。まさか入ることさえできなくなるなんてな」

 ラーンハイルのひとの良さそうな容貌には、レナの面影がある。もちろん、それは逆で、レナにラーンハイルの面影があるというべきなのだろうが。

「父上、姫様はお疲れの様子です。お話は、明日にでも」

「ああ、そのようだ。そうしたほうがよい」

「いや、気遣いはありがたいが、俺としては王都でなにが起きているか知るほうが先決だ。タウラルについたら話してくれる約束だったよな?」

「……しかし」

 レナは、シーラの顔を見て、険しい表情になった。顔色でも悪かったのだろう。それが、彼女に余計な気を使わせている。しかし、彼女はこちらのまなざしから覚悟の程を知ったのか、根負けしたのか、嘆息とともに言葉を続けた。

「わかりました。わたくしが知りうる限りのことをお話します。姫様にはお辛いことと想いますが」

「なにも知らないこの状況よりはましだ」

 シーラはいったが、レナは、その意見を肯定も否定もしなかった。

 やがて、天守の三階、個室に案内された。そこがタウラル要塞滞在中、シーラの私室となるらしい。侍女たちによってシーラの私物が運び込まれ、殺風景だった部屋が余計に殺風景になっていく。シーラが行軍中に持ち運んでいるものなど、武器防具や戦術書といったものばかりであり、女性らしい小物や着替えなど一切なかった。しかし、要塞の天守の一室には相応しい光景だ。

 シーラは、侍女たちが部屋を出て行ったあと、レナ、ラーンハイルのふたりと向き合った。人払いをしたつもりはなかったが、侍女たちが気を使ったのだろう。侍女たちが聞いてはいけないような話ではないに違いないのだが、必要な情報の取捨選択はシーラに任せる、ということだ。

「王宮はいま、大きく揺れています」

 レナが語りだした。

「姫様は御自身の人気について、御存知ですか?」

「人気? いや……気にしたことはないが」

「姫様は、以前からアバードの国民、軍人、貴族問わず、多くの人々に支持され、凄まじい人気を誇っておられました。それは、姫様がみずから戦場に立ち、アバードのために血と汗を流しておられるということを、皆がよく知っているからです。国民のひとりひとりに至るまで、姫様の活躍の裏に隠された苦労を知らないものはいません」

「王子殿下も、姫様のご活躍を喜ばれ、クルセルク戦争での論功行賞の順位にもご満足されているというお話です」

「セイル殿下が……」

 シーラは、ラーンハイルの発言に素直に嬉しくなった。

 セイル・レウス=アバードは、シーラの十四歳も歳の離れた弟であり、アバードで唯一の王位継承権保持者だ。だから、シーラは彼に対して敬意を払い、常に態度を改めた。弟でありながら、次期国王であるのだ。彼が生まれた時からそれは決まっていたことだ。いや、彼が生まれ、彼女が王位継承権を放棄したときそうなった、というほうが正しい。

 シーラはセイルとよく言葉を交わした。セイルがシーラを慕ってくれているのは、彼の言動のはしばしから理解できたし、そんなセイルだから、王位継承権を放棄して本当に良かったと想っていた。セイルには、明君になる可能性が高い。彼は幼いながらも常に周囲の声に耳を傾け、理があればそれに従い、非があればそれを否定した。ただ、シーラに対しては、彼女の戦果について聞きたがった。彼女が経験してきた戦いの数々について、知りたがったのだ。

 セイルは生まれつき体が弱い。幸い、病弱ではなく、病にかかることはなかったのだが、八歳になっても訓練を始められる様子がなかった。

 彼が、戦場でつぎつぎと武功を立てるシーラに憧憬を持つのは、ある意味では、必然だったのかもしれない。

 シーラは、そんな実弟のためにも武功を重ねることに執着した。ただ、戦闘が好きで戦っているのではなかった。戦い抜くことで、セイルに話してあげられることが増えた。

 王都への帰還をが待ち遠しかったひとつは、セイルへの土産話が山ほどあったからだ。クルセルク戦争を物語れば、彼はきっと、目を輝かせて喜ぶだろう。彼はまだ幼いが、そういった話から色々と吸収し、明君として成長するに違いなかった。

「はい。王子殿下も、姫様のご活躍を大層喜ばれておられます。王子殿下だけではありません。国王陛下も、王家の皆様方も、将軍以下、アバード軍の皆様も、姫様の獅子奮迅の御活躍を我が子とのように喜ばれておられました」

「……いまのところ、姫様の凱旋になんの障害もないように聞こえるが」

「それが、王宮にとっては問題なのです」

「俺の人気が?」

「はい。姫様の人気は、クルセルク戦争の終結をもっていよいよ高まりました。シーラ様が御自身の御活躍によってクルセルク本土の半分を獲得したことは、アバードの歴史に名を刻むほどの快挙でございましょう。国王陛下も、その報せを受けてからというもの、姫様を讃えるための詩を作るべきだと張り切っておられました。わたくしが王宮に呼ばれたのも、それが理由でした」

「なるほど……」

 レナ=タウラルは、シーラとともに成長した女性だが、シーラとはまったく別の道を歩んでいた。彼女は詩学に通じ、長じて詩人として開花していった。詩学に傾倒するあまり、タウラル領に詩人の学校を作るほどであり、彼女は詩人学校の学長を務めてもいた。彼女の行動力はシーラの影響だとラーンハイルが頭を抱えていたものだが、詩人学校が軌道に乗り、タウラル中に様々な歌声が響き始めたころには、ラーンハイルも色々と諦めたようだった。

 レナの詩人学校の分校が王都に誕生したのはつい昨年のことであり、彼女はタウラルの詩人学校を国内有数の詩人たちに任せると、自分は分校で教鞭を振るっていた。彼女に詩学を学ぶ貴族も多いようだ。武術や軍学を学ぶよりも詩学を学ぶほうが優雅であり、いかにも貴族めいている。詩人学校に人気が出るのもわからないではなかった。

「国王陛下直々の御命令により、わたくしは姫様のクルセルク戦争での御活躍を讃える詩の作成に励んでいたのです。ですから、王宮の状況が急変したこともわかったのです。たとえば、王子殿下が、姫様こそ王位に着くべきだと仰られ、周囲を困らせ始めているということも、国王陛下から直接聞いたのです」

「王子殿下が?」

「はい。それが、王子殿下派の焦燥を招いたのでしょう。王子殿下派は元来、姫様の国民的人気、国家的人気を危ぶんでいました。姫様を擁立しようとする人間が現れ、行動を起こせば、その勢いはアバード全土を覆い、王子殿下の立場もなくなってしまうのではないか……と。王子殿下の存在そのものが、姫様の人気の陰に隠れてしまっているのですから、そう思うのも無理はなかったのでしょう」

「馬鹿げてる」

 シーラは吐き捨てるようにいった。

「俺は王位継承権を捨てたんだぞ。八年も前にな」

 彼女は、セイルが誕生してすぐに王位継承権を放棄した。王位を継ぐのは男児であるべきだ、というのは常識だった。父と母が子宝に恵まれず、王子が生まれる可能性があまりにも少ないから、仕方なく、彼女は王子となり、王位を継ぐ覚悟を決めていた。そのままセイルが生まれなければ、彼女はアバード初の女王となっただろう。女王となり、王として振る舞っただろう。しかし、セイルが生まれた以上、王位継承権を保持する理由はない。いや、むしろ放棄したほうが良いと、彼女は判断した。彼女が王位継承権を保持していれば、シーラ派とセイル派で無駄な争いを生むに違いなかった。

 王位継承を廻る諍いは、内乱に発展する可能性が高い。内乱は国力の低下を招き、国力の低下は、国家の存亡に直結する。そうやって滅びた国は、小国家群に数多あった。歴史から学んだことを実践することで、彼女はアバードの未来を守ろうとした。

 もちろん、彼女の王位継承権放棄を止めようとするものも少なくはなかった。幼いころからシーラの側に仕えていたものたちは、彼女が王位に着くことで栄達を得ることができたからだ。シーラを傀儡として国家を運営することさえ妄想していたものも、いるかもしれない。中には、シーラこそ王位を継ぐべきだと本心で想っていたものもいたかもしれないが、シーラは、そういった声に耳をかさなかった。

 シーラ派など、消えてなくなるべきなのだ。

「だからこそ、再燃しているのです」

「は?」

「姫様の王位継承権を復活させ、姫様が女王の座につくことこそアバードのためだと考えているひとたちが、クルセルク戦争の活躍を聞いて息を吹き返した、ということかな?」

「はい。しかもそれは王宮の中だけではありません。いえ、むしろ、王宮の外のほうが、その声は大きいようです」

「なにをいってるんだよ? 俺は……」

「国民が、姫様を熱望しているのです。姫様こそ、アバードの次期国王に相応しいと」

「冗談じゃねえ。次期国王は、王子殿下だ。それでいいだろ」

「わたくしも、そう想います。しかし、そう考えているのはむしろ少数派のようで」

 レナが目を伏せて、いった。それは、シーラの人気の凄まじさを示す言葉だったが、彼女は嬉しくもなんともなかった。そんな人気など欲しくもなんともない。そもそも、人気を欲して戦っているためではないのだ。国のために、国の将来のために、国王陛下のために、王子殿下のために、戦っている。戦い抜ている。

「王宮は現在、王子殿下派のものとなっています。シーラ派と目される方々は王宮への立ち入りを禁じられ、王都からも追い出される始末。わたくしが王都からの退去を迫られたのも、シーラ派と見なされたからでしょう」

「おまえは、国王陛下に呼ばれていたんじゃないのかよ」

「王子殿下派の行動は、国王陛下に沈黙を強いました。わたくしが王都を出ることになる二日ほど前から、国王陛下にお目通りすることもかなわなくなったのでございます」

「国王陛下さえも王子殿下派の影響下にあると?」

 とは聞いたものの、それはあまりに荒唐無稽な話のように思えた。リセルグ・レイ=アバードは公明正大な王だ。少々、流されやすいところもあるが、芯のしっかりした人物であり、シーラとセイルに平等に愛情を注いできた。シーラが王位継承権を放棄するきっかけとなったのは、リセルグの言動によるところが大きい。リセルグは、王位継承権の有無、順位で愛情の多寡が決まるわけではないと常々いっていた。たとえシーラに王位継承権がなかろうとも、その愛情は不変であると。シーラはリセルグを信じ、王位継承権を捨てた。八年前のことだ。それ以来、シーラとリセルグの関係は変わっていない。変わったこともある。父と息子から、父と娘の関係になったことであり、これはある意味では喜ぶべきことだろう。正常化したのだから。

 そんな父が、セイル派の声だけに耳を傾けるだろうか。疑問が生じた。

「そこがよくわらかないのです。国王陛下が、王子殿下派に遠慮する必要があるのでしょうか?」

「そんな必要があるのなら、最初からあなたに姫様の詩の作成を依頼したりなどしないでしょう」

 ラーンハイルの言葉がすべてだった。

「その通りだな」

 リセルグがセイル派に気遣うひとなら、最初からレナを王宮に呼び、シーラの活躍を詩にさせようなどとはしないだろう。

「つまり、国王陛下さえも操ることのできる立場のものが動いている、と?」

「そんな立場の人間なんているかよ」

 国王とは、国の頂点に立つ人間のことだ。

 リセルグ以上の立場の人間など、少なくともこの国には存在しない。

(本当に……?)

 本当に、リセルグを意のままに操れる人間はいないのか。

 シーラは、頭の中に浮かんだ考えの恐ろしさに頭を振って、すべての考えを意識の闇に葬り去った。

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