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第八百十三話 シーラ(一)

 クルセルク戦争の終結が宣言され、反クルセルク連合軍が解散したのは、いまから一ヶ月以上前の三月十七日のことだ。

 一月上旬に始まった戦争は、約二ヶ月に渡って続いた、ということになるが、実際のところは一月あまりで決着が付いている。長引いたのは、連合軍に反発し、主権を主張した連中がいたからであり、その討伐のためだけに一月近くかかっていた。討伐軍の戦闘に関しては、特記するほどのこともないほど安定したものであり、連合軍側の死傷者はほとんどでなかったらしい。ガンディアの名軍師ナーレス=ラグナホルン率いる参謀局が戦場を支配し尽くし、反逆者たちになにもさせなかったといい、軍師たちにとっては勉強の場として利用されるだけの戦いだったようだ。

 ともかく、三月半ば、戦いは終わったことが明確になった。

 戦いが終わり、領土の分割交渉も問題なく終わった。本当に大した問題も起きなかったのだ。連合軍といういくつもの国からなる組織が、特にぶつかり合うこともなく解散することができたのだから、驚くべきことだろう。普通なら、利権を巡っていがみ合ったり、なんらかのしこりを残すものだが、そういったことはほとんどなかった。汚点を残したとすれば、ジベルくらいのものであり、他の国々は互いに良好な関係を築くことに成功していた。

 ジベルの汚点も、ガンディアにいいように利用されて終わる程度のもので済んでいる。それもこれもセツナ・ラーズ=エンジュールが生還したからであり、もし彼が影の世界で死神たちに殺されていたら、ジベルは連合軍参加国すべてを敵に回し、瞬く間に攻め滅ぼされていただろう。そういう意味では、ジベルのハーマイン=セクトルはセツナの生還を感謝し、喜ぶべきだったのだが。

 シーラ率いるアバードも、連合軍参加国と良好な関係を結ぶことに成功した。ガンディアと密な関係になれただけでなく、メレド、イシカとも友好関係を築き上げることができたのは、大きな成果といってもいい。死線をともにし、地獄のような戦場を潜り抜けたのだ。国家間に強い絆が結ばれたとしても、不思議ではない。

 もちろん、利害が一致し、打算や計算が働いたうえでの友好関係であり、互いの利害がかけ離れてしまえば崩れ去るようなものではあったのだが、少なくとも、メレドとイシカの軍勢が、自国領に戻るために行動をともにするくらいの関係は結べていた。

 メレドとイシカは、ともにアバードの領土からクルセルク戦争に参加している。メレドはセンティアから、イシカはタウラル要塞から、緒戦の都市への進軍を開始したものだ。両軍が帰国の際、アバード領土を通過することになったのには、そういう経緯がある。

 メレド軍を率いるのは国王サリウス・レイ=メレドだ。美丈夫として知られる彼は、男色家としても有名であり、彼の周囲には常に美しい少年たちがいて、シーラの周りを固める荒々しい侍女団よりも余程花があるとは、侍女たちの自嘲だったが。

 イシカの軍勢を率いるのは、弓聖と謳われる老将サラン=キルクレイドであり、帰路、シーラは彼とよく談笑した。美少年を侍らせたサリウスよりもとっつきやすく感じるのは、ランシード以来、すべての戦場で共闘していることも大きかった。メレド軍とは、サマラ樹林の戦いやゼノキス要塞で共闘しているものの、印象としては薄い。仕方のないことだ。

 シーラはサランのような武人が好きなのであり、花のように美しい少年たちには興味がなかった。自然、サランや彼の部下たちの無骨さにこそ目が行ってしまった。今後のこともあってサリウスにも話しかけ、彼の親衛隊に目をつけられたりもしたのだが、結局は、サランとの軍談に花を咲かせることのほうが多かった。

 三国軍は、クルセールを出発し、アバード領となったランシードからタウラル要塞を目指した。タウラル要塞では、アバードの名士でありタウラル領伯ラーンハイル・ラーウ=タウラルの歓待を受けた。ラーンハイルはタウラル領伯というだけでなく、タウラル要塞の指揮を任された優秀な軍人でもあった。彼は要塞の指揮官である手前、クルセルク戦争に参加できなかったことを後悔しており、シーラたちの凱旋に歓喜してむせび泣いた。

 タウラル要塞から西へ向かうと、ヴァルターに到達する。ヴァルターはアバード北部中央の都市であり、そこから南西に進むことで王都の門が見えてくる。王都は、アバード本土のやや南西部に位置している。

 シーラは、メレドとイシカを見送るため、一度、王都の前を通過している。王都バンドールのさらに南西に向かうと、国境付近の都市シーゼルに辿り着く。シーゼルの真南に進めば、ガンディア領ザルワーン地方の大都市龍府に到達することができるだろう。メレドとイシカの両軍は、シーゼルでシーラたちと別れたあと、龍府を目指すことになる。シーゼルから南西に進むのが、イシカに辿り着く最短距離だったが、そのためにはシルビナ領土を通過しなければならないのだ。最短距離を進むためにシルビナ政府の了解を取り付けるのは、余計に時間がかかるだけだった。その点、ガンディア領土の通過に関しては、ガンディア王レオンガンド直々の許可が降りている。イシカもメレドも安心してザルワーンに入ることができたのだ。

 シーラは、シゼールでサランと別れを惜しみ、近いうちの再会を約束した。メレドとの敵対関係を解消したイシカは、北に領土を伸ばすことを考えている。つまり、シルビナへの侵攻であり、その際はアバードの援軍を期待しているようだった。そればかりはシーラの独断で決められることではないものの、シルビナを攻めることに異存はなかった。

 シルビナは、ガンディアの隣国でありながらクルセルク戦争に参加しなかった数少ない国のひとつだ。攻め滅ぼしたところで、なんの問題もない。

 サリウスとも再会を誓い、別れた。メレドは、イシカよりも遠い。ザルワーンの龍府を経由し、さらにバハンダールまで足を伸ばし、その上で西に進めば、メレド領である。長旅で、サリウス自慢の美少年たちも疲れを見せ始めていた。そのことを気にかけると、サリウスは苦笑した。他国の姫に気にされるようではおしまいだ、とでもいうような反応だった。サリウスにとってはシーラなど不要な存在だったのかもしれない。

 シゼールで両国の軍勢を見送ると、彼女はすぐに軍を引き返し、王都に向かった。王都への帰還は凱旋そのものだ。直面していた魔王の脅威が消え去ったという吉報は、戦勝報告以上に喜ばしいものであり、また、シーラたちの活躍によって領土が拡大したことも、国王以下全国民が喜んでくれるのは疑いようがなかった。実際、タウラルでもヴァルターでもシゼールでも、シーラたちの勝利と凱旋を心の底から喜んでくれる人々ばかりであった。ラーンハイルのように感極まって号泣するものも少なくなく、シーラのほうがもらい泣きしてしまうこともあった。

 タウラルからヴァルター、王都を通過してシゼールへ。シゼールから王都へ、と、まるで国中を凱旋して回っているかのような錯覚を抱いたが、あながち錯覚でもなかったのかもしれない。シーラとしては、戦勝の報せによってアバードの国民に笑顔が戻るのが嬉しくてたまらなかった。魔王軍の存在は、アバード全体に暗い影を落としていたのだ。

 クルセルクはアバードの隣国だった。クルセルクの実態が明らかになり、数万もの皇魔を軍集団として率いているという事実には、恐怖するしかなかったのだ。いつ攻め込んでくるかわからなかったし、攻めこまれれば太刀打ち出来ないのも明らかだった。獣姫率いるアバード軍は精強だ。精強だが、数万の皇魔に立ち向かって、勝利をもぎ取れるどころか、無事に済むとは到底考えられなかった。局地的な勝利を得ることはできるだろう。しかし、全体を見れば大敗を喫するに違いない。人間と皇魔の能力差は圧倒的だ。勝てる見込みはなかった。だからこそ、反クルセルクを掲げる連合軍が結成されると聞いて、真っ先に喜んだのがアバード国民なのだ。アバード一国では立ち向かえない相手であっても、複数の国が手を取り合えば、なんとかなるかもしれない。しかも、連合軍の中心には、ガンディアがいるのだ。ガンディアには、黒き矛がいる。竜殺しセツナの雷名は、アバードですら知らないものがいないほどに広まっていた。

 竜殺しセツナと獣姫シーラが力を合わせれば敵はいない――そのような話がでるほどに、セツナの名は知れ渡り、彼の積み上げてきた戦果も知られていた。

 三月二十八日、シーラ率いるアバード軍は、再び王都の地を踏んだ。

「やっと、帰ってこれたな」

 シーラは、王都の門前に辿り着いたとき、感慨のあまり茫然と立ち尽くしたものだ。それは彼女の侍女団も同じようで、皆、シーラと同じように壮麗なバンドールの城門を眺め、あるいは泣き、あるいは喜び合った。

 開戦当初、五十人いたシーラの戦闘侍女団は、半数近い二十七人にまで激減していた。彼女たちが、二度とこの王都の地を踏むことができなかった同輩を想い、涙を流すのも当然だったし、シーラとともに王都まで帰り着いてきたアバード軍の将兵が感極まるのも、当たり前のこといってもよかった。

 アバードは、連合軍に(シーラとその侍女団を含め)総勢七千三百五十一名を参加させた。そのうち、無事アバードに帰り着いたのは、なんと三千二百九十五名である。半数以上が、クルセルクの地で戦死している。壊滅といっても差し支えのない数字だった。もしあのまま戦闘が続けば(最悪、さらに二十万の皇魔がクルセルク軍の援軍として到来していた可能性があるのだ)、全滅していた可能性もある。

 それだけ過酷な戦場だったということであり、戦い抜き、生き延びることができたものは、生の実感と尊さを身にしみて理解したものだろう。

 シーラ自身、あの戦場を生き延びたということに猛烈な感動を覚えている。

「では、姫様」

「ああ、帰ろう」

 シーラは侍女に促されて、王都バンドールの城門へ向かった。王都バンドールもまた、大陸の都市の例にもれず、強固で分厚い城壁に囲われている。この巨大な城壁こそが皇魔と人間の世界を区別する手段であり、互いに干渉せず、平和に暮らすための数少ない方策だった。しかし、そんな城壁も、魔王に支配された皇魔たちの前では無力に等しく、いかに野生の皇魔が人間を見逃しているのか、よくわかるというものだろう。

 城壁には、アバードの紋章が記された幕が垂れ下がっている。白地にふたつの黒い流れ星という紋章は、建国神話でいうところのアバードの守り神ユラハとタウルである。この双子の守り神が流れ星となって空から落ちてきたのがアバードの始まりといわれており、アバード王家はユラハとタウルの祝福によって護られていると信じられていた。

 シーラの白髪はタウルの血筋であることの証明だといわれており、彼女の弟にして王子であるセイルが黒髪なのはユラハの血も引いているからだという。つまり、アバード王家は双子の守り神の子孫だということだ。

 そんなことを考えながら馬を進めていると、重装の門兵たちがシーラたちの進路を塞いだ。

「止まられませい」

「なんだ?」

 シーラは、最初、門兵たちの目が悪いのではないかと思い、苦笑した。こちらは三千人以上の大所帯であり、獣姫の軍旗にアバードの軍旗を掲げているのだ。シーラたちの凱旋であることは、一目瞭然だったし、いかに門兵といえど、彼女たちを止める権利はなかったはずだ。王都への帰還日時は、シゼールを出発する前に届け出てもいる。門兵たちにも知らされているはずだったのだが。

 鼻の大きな門兵は、シーラに向かって、どこか気の毒そうな表情をしていた。そして、告げてくるのだ。

「シーラ・レーウェ=アバードの王都への進入は認められない、ただちに退去せよ、とのお達しであります」

 門兵の言葉は衝撃的だったが、同時にまったく理解できない代物であり、彼女は驚くよりもむしろ疑問を覚えざるを得なかった。いっていることが荒唐無稽すぎる、とでもいうべきか。理不尽で不可解極まるものだった。

「進入は認められない? 退去せよ? いったい、なにをいっているんだ?」

 シーラは馬上、門兵を睨んだ。門兵は、シーラに対して申し訳無さそうな表情こそしたものの、道を塞いだまま、動こうともしなかった。そして、彼はいうのだ。

「王宮命令であります」

「はあ?」

「どういうことですか? 姫様が王都に入れない? 王宮命令?」

「ですから、王宮命令であります」

「だから、どういうことだよ!」

「王宮命令であります」

 門兵は、王宮命令の一点張りであり、取り付く島もなかった。そのうち、王都への門が閉ざされると、シーラたちは王都に入る方法を失い、その場で立ち往生するしかなかった。

 門兵になにをどういおうと、彼らは同じ言葉を繰り返した、王宮命令だ、と。彼らには、それ以外のことは知らされていないのかもしれないし、知らされていたとしても、シーラたちには答えてはいけないと厳命されているのかもしれない。いずれにせよ、門番としては有能なのは間違いない。情に流されず、王宮命令を順守しているのだから。

 だが、いまはそのことを賞賛する気になどなれすはずもなく。

「いったいどういうことなんだよ……」

 シーラは、ただ、途方に暮れた。

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