第八百四話 風、青く
《蒼き風》は、傭兵集団だ。
長い歴史を誇った傭兵集団《青の塔》を源流に持つ傭兵集団のひとつであり、現在、成功している傭兵団のひとつとして数えられる。《青の塔》を源流とする傭兵団は、名前に色を入れることが多い。《紅き羽》、《黒の団》などがそれに当たる。数多の色彩を帯びた傭兵団が《青の塔》解散後に誕生し、消滅していった。
戦国乱世まっただ中といっても過言ではない昨今、大陸小国家群を渡り歩けば食うに困らないのが傭兵稼業だったが、仕事さえあれば組織を存続させることができるかといえば、そうではない。敗戦を続ければ組織が持たなくなるのは当然のことであり、運悪く強敵とぶつかり、あえなく壊滅するということだってありうる。
そういう意味でも《蒼き風》は、運がいいのかもしれない。
「運がいいっていうか、単純にガンディアが強いだけなんじゃ?」
ルクス=ヴェインは、大あくびを上げながらでもめずらしく書類に目を通しているシグルド=フォリアーを見つめながら、感想を漏らした。シグルドが手に取っては投げ捨てている書類は、《蒼き風》の入団希望者から貰ったものであり、姓名から経歴に至るまで、様々な個人情報が記されている。その書類を一瞥しては放り投げているのだから、シグルドがいかに真面目に仕事をしていないかがわかるというものかもしれない。
もっとも、一目見て不採用とわかるほど酷い書類ばかりなのかもしれないが。
「この数年、おまえはガンディアになにを見てきた」
「えーと……雑魚?」
「そうだ」
「団長、ひとに聞かれたらどうするのですか。もう少し言葉を選んでください」
ジン=クレールが注意したものの、ここは《蒼き風》の宿舎であり、幹部だけが出入りを許されている団長室なのだ。だれが聞いているわけでもない。
王都ガンディオン《市街》の一角に、《蒼き風》の宿舎はあった。以前は、馴染みの宿を借りきっていたのだが、今後のことも考えると、宿を借り切るよりも《蒼き風》の宿舎を持つほうが安上がりなのではないかという話になり、シグルドが大枚をはたいて手に入れたのがこの宿舎だった。広い敷地内にいくつもの建物があり、それぞれに団員たちの部屋があった。個室を持っているのは部隊長以上の幹部のみであり、一般隊員たちは二人以上の相部屋となっていた。そのおかげで部屋は余っているのだが、増員することを考えれば、現状、部屋を余らせておくのは当然のことだ。
そもそも、クルセルク戦争で数多くの団員が戦死した。急遽団員の募集を行ったのも、失った戦力の補充をしなければならないからでもあった。
「けどよお、ガンディア兵が雑魚ばかりだったのは事実だろ?」
「事実ならばなにをいってもいいというわけではありませんよ」
「否定はしないんだな」
「否定のしようがないじゃないですか」
ジンの目が、眼鏡の奥で光った。《蒼き風》副長もまた、入団希望者の書類に目を通している。しかし、彼の場合は、シグルドのように放り投げるのではなく、机の上に几帳面といってもいいほど綺麗に積み上げていた。書類の山は三つあり、ひとつはまだ目を通していない書類で残りは可否だろう。可否のうち、可のほうが極端に少ないのは、それだけ彼の眼鏡にかなう希望者がいないということになるが、彼とシグルドのふるいに掛けられた人物ならば、ルクスも安心してこき使うことができるのだ。
「へっ……おまえを敵に回すのが一番怖い気がするぜ」
シグルドが野性的な笑みを浮かべて、書類のひとつを手元に残した。どうやら、彼の意向に沿う一人目がやっと見つかったらしい。ルクスはそれがどういう人物なのか気になったが、後の楽しみにとっておくことにした。そもそも、長椅子の上から動きたくなかった。少し、疲れている。
「で、話を戻すがよ、その雑魚ばかりの国と契約を続けてきたんだぜ? この一年でここまで国が膨張するなんて、想像ができるか?」
「できるわけないじゃん」
ルクスは、シグルドの問いに苦笑するしかなかった。
一年前のガンディアから、ここまでの膨張を想像できるものなどいるわけがない。当時のガンディアは、小国家群に数多ある弱小国のひとつに過ぎなかった。しかもだ。昨年初頭に先の王であり英傑の誉れ高きシウスクラウドが死去、後を継いだレオンガンドは“うつけ”と謗られ、夢も希望もないといった有り様だった。難攻不落のバルサー要塞がログナーに落とされたのも、ガンディアを覆う絶望感に拍車をかけていた。
ミオン、ルシオンという同盟国こそあったものの、ガンディアという国そのものに未来はないように思われていたし、《蒼き風》も、レオンガンドの初陣の結果次第では、ガンディアを去る予定だった。それも、勝敗がすべてではなく、戦闘の内容によって判断するというものであった。
《蒼き風》の団長と副長は、レオンガンドに組織の将来をかけていいものかどうか、迷っていたということだ。
昨年六月。
バルサー要塞をただの一戦で奪還できたことは、ガンディアを包み込んでいた暗雲に一条の光が差したかのようなものだった。
それもこれも、レオンガンドがひとりの少年を拾ったからだ、とシグルドはいいたいのかもしれない。
「だからさ。運がいいんだよ」
「そうですね。幸運以外のなにものでもない」
「幸運。幸運かあ」
ジンの言葉を反芻するルクスの脳裏に浮かんだのは、彼と初めて逢ったときの光景だ。バルサー要塞奪還戦の目前だった。マルダールに流れていた噂が、《蒼き風》と彼の接点となった。惹きつけられたのは、カミヤという姓だ。クオン=カミヤと同じ姓を持つ少年の存在は、ガンディア軍にクオン=カミヤが参加したという噂が流れるに至ったのだ。
クオン=カミヤは、当時、既に《白き盾》の団長として名を馳せており、ガンディア軍に参加するとすれば、《白き盾》そのものが加わるのではないか。
ルクスたちが興味を持つのは当然だった。
そして、その好奇心が今日まで続く奇妙な関係の始まりになろうとは、考えもしなかった。
「セツナにとっちゃ、不運以外のなにものでもなさそうだ」
「なんでだ?」
「セツナに対する期待が大きすぎるんだよ。陛下や王宮関係者、軍関係者だけじゃない。ガンディア国民の多くが、セツナと黒き矛に期待してる」
救国の英雄の呼び声も高い。実際、セツナはガンディアを救ったといえるだろう。レオンガンドの悪評を払拭し、ガンディアを絶望の底から浮上させたのは、セツナの活躍によるところが大きい。彼がいなければ、ガンディアがここまでの速度で国土を拡大することなど出来るはずがなかったのだ。
「そりゃそうもなるさ」
「セツナ伯こそ、ガンディア躍進の象徴であり、きっかけですからね」
「でも、セツナはまだ子供だよ」
「師匠の目からも見ても、そう感じるのか?」
「子供が目一杯背伸びしている。背伸びして、必死に周りの期待に追いつこうとして、もがいている。もがいて、もがいて、もがき苦しんで、それでも諦めようとしない。一切、手を抜かないんだ」
どれだけ傷めつけても、どれだけ才能を否定し、無力だと言い放っても、彼は、へこたれなかった。何度打ちのめしても、そのたびに立ち上がり、ルクスに挑みかかってくるのだ。体中にあざを作り、歩くことさえ苦痛に感じるような状態になっても、ルクスが諦めるまで、諦めない。だから、いつもルクスのほうから訓練を中止せざるを得なくなる。
毎回、負けた気分になるのだ。
一切、負けていないというのに、だ。
「まったく、馬鹿だよ。あいつ」
「そこが気に入ってるんだろ?」
「まあね」
シグルドの言葉をルクスは否定しなかった。どうしようもなく、気に入っている。気に入っているからこそ、気にかけている。彼には、もっと時間を与えたいのだ。急速な成長など必要はないと言い聞かせたいのだが、彼は聞く耳を持たない。頑固で、一度決めたことを曲げようとはしない。動きが直線的なくせも、ようやく変化の兆しが見え始めた。ようやくだ。
彼の心を折るのは並大抵のことではできないかもしれない。それは、心強いことでもあるのだが。
心が折れないということは、召喚武装の誘惑にも打ち勝てるということだ。
「で、今日の弟子入り志願者はどうした?」
「帰ってもらったよ」
「泣いて帰ったそうじゃないですか」
「あんな根性なし、最初のセツナ以下の以下だよ」
ルクスは長椅子の上に横たわりながら吐き捨てた。御前試合以来、《蒼き風》の宿舎にはルクスへの弟子入り志願者が毎日のように訪れ、《蒼き風》の団員たちを困らせていた。御前試合の優勝者がセツナであり、セツナがルクスを師事しているという話が大袈裟に広まったことが原因だった。
セツナがルクスに剣術を学んでいるという話は、元々、このガンディオンでは有名だったのだが、国内全域に広まるようなものではなかった。しかし、御前試合の結果とともに、セツナが一介の傭兵に弟子入りしているという話が流布されてしまった。
その結果、国中からルクスへの弟子入り希望者がガンディオンを訪れるようになってしまったらしい。ルクスは頭を抱えたが、拡散してしまった情報を収束させることはできない。風化を待つしかないのだが、セツナほどの有名人を弟子に抱えてしまった以上、それも期待できないかもしれなかった。
「実力はそこそこのものだそうですが?」
「最初のセツナよりは格段に強かったけど、あれじゃあ鍛えがいがない」
「つまり、セツナ伯は鍛えがいがあったと」
「そういうことになるね」
ルクスは、天井を見やりながら肯定した。
「実際、鍛えがいはあるんだ」
最初の訓練から、セツナの頑固さにはあきれる思いがしたものだ。そして、その馬鹿馬鹿しいまでの頑固さが気に入った。才能はなかったが、強くなろうとする意思はだれよりも強かった。日々、黒き矛を握っていることで得た動体視力が、彼の身体能力を高めてもいる。鍛えようによっては、超一流の剣士になるかもしれない。
彼を超一流の剣術家に育て上げることができれば、それはそれで面白いことだ。
そんなことを考えたのも今や昔。
セツナは現在、少なくとも一流の剣術家と名乗ってもおかしくはないくらいに成長していた。急成長といってもいい。日々の鍛錬の賜であり、黒き矛との地獄のような戦いをくぐり抜けてきた恩恵といってもいい。
セツナ以外のだれにも真似のできないものだ。
(そこは俺に似ているのかもな)
ルクスもまた、グレイブストーンとともに成長した。父が遺した魔剣グレイブストーンの魅せる世界が、ルクスの標準となった。その世界に追いつくために自身を鍛え抜き、やがて、到達したときには“剣鬼”の二つ名で呼ばれるようになっていた。剣を振るう鬼。鬼のように剣を操るもの。まるでどこぞの“戦鬼”のような二つ名は、彼にさらなる高みを目指せとでもいっているようであり、彼は、より高次を目指して剣を振り続けた。
つまるところ、セツナの師匠にルクスを推薦したシグルドの見る目は正しかったということに帰結するのだが。
(実際、そういうことだな)
シグルドの書類を見る目は真剣そのものだ。
そして、彼の見る目もまた、正しいのだ。