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第七十九話 走狗

 セツナが馬車の荷台から降りると、頭上には眩いばかりの青で埋めつくされていた。この間の豪雨が嘘のような快晴には目を疑いたくなるほどだが、濡れたような青さは、むしろ雨が上がったばかりの空に似ていた。吹き抜ける風は穏やかに木々の枝葉を揺らし、爽やかな朝の音色を奏でていく。

 朝。

 昨夜の戦闘から六時間程しか経っていない。馬は夜通し走り続けており、疲労はそろそろ限界に近づいているのではないかと思われた。無論、それはセツナの勝手な憶測だ。素人考えと言ってもいい。荷台の中からも後ろからは馬の姿は見えないし、彼に馬の気持ちなどわかるはずもなかった。そうである以上、勝手な判断は慎むべきなのだろうが。

 ゆっくりと伸びをする。窮屈な馬車の中で縮こまっていたのだ。体中の筋肉を解さなければならない――のだが、少し動かしただけでセツナの筋肉という筋肉は悲鳴を上げてそれどころではなかった。昨夜の暴走めいた戦闘行動が響いている。

 きっと、カイライの森の中を走り回ったのだろう。森に潜む皇魔のことごとくを打ち倒すために、全身の筋肉がばらばらになりそうなくらいには。でなければ説明がつかない。もっとも、黒き矛の力に説明がつくとは到底思えなかったが。理不尽な暴力としか考えられない。

 セツナにしてみれば、だ。

 有能な武装召喚師になら理解できるのかもしれない。

(ここは……?)

 馬車が停車したのは、リャーマ鉱山と思しき山の麓だった。鉱山町の跡地と言ってもいい。皇魔の群れとの戦闘の爪痕がいまもなお痛々しく残っており、建物の残骸や瓦礫が撤去されることなく放置されていた。街の再興計画でもあったのならばともかく、採掘され尽くした鉱山にはもはや何の旨みもなく、大量の費用を投じてまで鉱山町を作り直す必要性は皆無だと判断されたのだろう。

 さすがに血痕などは残っていない様子だった。雨によって押し流されたのか、人力で洗浄されたのかはわからないが。

 鉱山町跡地の奥まったところに掘っ立て小屋のような小さな建物があった。それが件の監視所なのは火を見るより明らかだった。遠すぎて、中の様子など伺えない。が、監視所に派遣された人数は少なそうに思えた。あの建物に十人以上も寝泊まりできそうにない。

 食べ物はどうしているのだろう。そんなくだらないことを考える。自給自足なのか、それとも、別の街から運ばれてくるのか。

 セツナは頭を振った。今考えることではない。

 廃墟の向こう側に高々と聳える山が見えている。リャーマ鉱山。その峻険さはセツナの拙い想像を遥かに越えており、青空に突き刺さる山の頂は霧がかっていてよく見えないくらいだった。山越えなど、到底無理な話だったのだ。リャーマ鉱山のことを詳しく知っていれば、そんな馬鹿な考えには辿り着かなかったのだが。ガンディアが集めた情報だけではわからないこともあるということだろう。

 山肌を染め上げる陽光の眩しさは、闇になれた目にはあまりに痛かった。

 その山肌の各所には魔晶石採掘用の坑道の出入口らしき穴が穿たれており、坑道へ至る通路(鉱床というらしい)が無数に伸びていた。その通路に敷かれているのは、採掘した魔晶石を運搬するためのトロッコのレールだろうか。長い間風雨に曝されてきたそれらは、もはや使い物にもならないのかもしれない。

「さて、どうする?」

 という問いかけは、紛れも無くラクサス=バルガザールの声によるものだった。セツナが驚き、背後を振り向くと、ラクサスはごく自然にそこに立っていた。最初からずっとそこに居たかのように。

「ラ、ラ、ラク、ラクサ――レックスさん!?」

 セツナは、吃驚のあまり本当の名前を口に出しそうになった。周囲にリューグの姿はない。とはいえ、彼は耳聰く、油断はできないのだ。彼は冷や汗を浮かべた。リューグはラクサスの支配下にあるとはいえ、本性を明らかにするのはまずいだろう。口の軽い彼のことだ。思わず口を滑らせないとも限らない。

 レックス=バルガスという彼の偽名を忘れてはならない。

 ラクサスの視線が妙に痛いのはきっと気のせいではなかった。

「何を驚くことがあるんだ?」

「寝ていたんじゃ……」

「起きていたよ。君と彼の話し声を聞きながら眠るなんて真似は、とてもじゃないが出来そうにない」

 皮肉たっぷりな言い回しに、セツナは恐縮するしかなかった。ラクサスにそのつもりがあろうがなかろうが関係ない。あんな狭い空間で話し込んでいれば、耳障りなのは当然だろう。眠りを妨げるのは、小声であっても同じことだ。むしろ小さな雑音の方こそ気になるものかもしれない。

「す、すみません!」

「いや、気にしなくていい。十分に休んだ。君の方こそ休まなくていいのか? 相当無理をしているように見えるが」

「そ、そんなことないですよ」

 セツナは、ラクサスに気を遣われることに少し息苦しさを覚えた。誰かに優しくされることに慣れていないからかもしれない。そのくせ、ひとに傷つけられることを極度に恐れている。そういう自分が嫌いだった。

「ほ、ほら!」

 セツナは、わざとらしく元気に振舞ったものの、全身の痛みは表情を強ばらせるだけだった。

「そんな引きつった顔では、無理をしていると強調していることにほかならないぞ、少年」

 揶揄するようにいってきたのは、ランカインだ。彼は、極めて軽装であり、武装と呼べるようなものはなにひとつ身に付けていなかった。彼の場合は、いざとなれば召喚すればいいのだが。

 セツナとラクサスは違う。ふたりとも、簡素ながらも鎧を身に纏っていた。何枚もの鉄のプレートを組み合わせたような鎧ではあるが、重量は思った以上に軽く、セツナが身に付けるにはこれ以上ないくらい適したものだった。最低限の防御力を有し、尚且つ戦闘行動に支障をきたさない程度の重量。バルサー平原での戦いのときに着用したものより見た目は悪いが、ずっと軽く、実用的だと思われた。

 彼にとっては、だ。

 セツナには最低限の防御力があればよかった。いまのところ、それだけで十分だった。致命傷を負ったのは、ランカインの炎に焼かれたあのときだけ。あれは防具の質がどうこうという問題でもなかったが。すべてを焼き尽くすような猛火の前では、鉄の板などなんの役にも立たない。肉が焼かれれば、人は死ぬ。

 実際、彼は死にかけた。

 死の淵から生還できたのは、ファリア=ベルファリアのおかげだった。彼女がいなければ、セツナの命数は尽き、こんなところで武装について考えてなどいられなかったに違いない。死んでいるのがだから、思考できるはずもない。

「う、うるさいな」

 セツナは、ランカインを睨んだ。もちろん、ランカインは気にもせずに続けてきたが。

「バルガス殿の仰せの通り、君は休んでいたまえ。ここは俺とリューグで事足りる」

「へ? 俺もっすか? 聞いてないですけんども」

 いつの間に馬車の後部に回ってきたのか、リューグが素っ頓狂な声を上げた。朝の静寂を打ち砕くような大声だったが、ランカインが表情ひとつ変えないところを見ると、さして問題もないのだろう。

 早朝。監視所の連中は寝入っている頃合なのかもしれない。それとも、この騒ぎを聞きつけられようとも構わないのか。どちらにせよ、ランカインの考えなどわかるはずもなく、セツナは、彼の思惑一つに翻弄されるリューグに同情した。

「今決めた。あれに見える監視所を俺とおまえで制圧する」

「え、ええー! そんなのって……!」

 リューグが大仰に身を逸らせる。反応だけは大げさだったものの、リューグの声音が至って冷静なのが、セツナにも理解できた。部外者だから、なのかもしれない。自分が当事者ならば、リューグの声を元に彼の精神状態を分析することなどできなかったはずだ。

 ランカインは、そんなリューグの反応を予期していたのか、ことさら冷ややかな視線を彼に投げかけていた。リューグの軽躁さにはランカインもうんざりしているのかもしれない。

「やれるだろう。俺とおまえならな」

「そりゃあまあ、旦那となら、なんとでもなるでしょうけれども――」

「そういうわけだ。君はバルガス殿と休んでいるがいい」

 ランカインが、まだなにか言いたそうな顔をしていたリューグをまるで黙殺するようにしてこちらに話を振ってきたのは、きっと彼との会話が面倒だからに違いなかった。彼にも苦手なものがあるのだ。

 セツナは、ランカインの意外な表情を見れたような気がして、内心ほくそ笑んでいた。もっとも、リューグの存在が面倒なのは彼とて変わらないのだが、笑わずにはいられない。無論、彼に言葉を返す際には表情に出すような真似はしなかった。顔に出したところで彼の不興を買うことはないだろうし、不興を買ったところで特に問題という問題はないのだが。

「それなら、そうさせてもらう」

「わたしにも出番はないのか」

 ラクサスが、なぜか少しだけ残念そうな表情を浮かべた。腰に帯びた剣でも振り回したいのだろうか。これまでの印象では血の気が多いようにはとても思えないのだが、本当のところは分からない。ラクサスなりの軽口なのかもしれないし、本音を覗かせたのかもしれない。

 ランカインが、わずかに驚いたかのように表情を崩した。それも一瞬で消える。セツナと同様に、ラクサスの口から出る言葉とは思えなかったのだろうか。ただ、彼の声音は冷ややかだ。鈍い輝きを湛える鉄の刃のようだった。

「あなた様に置かれましては、我らが悪事を働かぬよう監視して頂くのが御役目かと」

 慇懃無礼とはこのことかもしれない――そんなことを考えながら、セツナは、ふたりの表情を見比べていた。どちらもセツナより長身だが、ランカインのほうがラクサスよりも上背があった。多少、ランカインを見下ろすようになるのは仕方がないだろう。

 どちらも顔つきから感情は読み取れない。

「君らが悪事を働こうと思えば、わたしなどどうとでもなるだろう? わたしでは君ひとり抑えられまい。魔獣を連れ歩いているようなものだな」

「その魔獣には首輪さえついていませんな」

「まったく……」

 ランカインの台詞に、ラクサスが苦い顔をした。彼にも思うところがあるのだろう。もっとも、その想いを口にすることはできないに違いない。彼の立場に関わることだ。主君への意見が即ち立場を危うくするものではないにせよ、発言に気を付けようとするのは当然だろう。特にセツナやランカインといった立ち位置のわからない人間の前では、極力口にすべきことではない。

 立ち位置。

 セツナは考える。自分は今、ガンディアにおいてどのような立ち位置にいるのだろう、と。レオンガンド王の申し出を受け、彼に仕えることにはなった。

 では、立ち位置は?

 レオンガンド王直属の武装召喚師、ということになるのだろうか。

「ですがご安心を。我らは魔獣に非ず。主の意のままに爪牙を振るう走狗に過ぎません」

「尻尾は振らないようだが」

「あなた様がわたしの主ではないだけですよ。リューグなら振ってくれるかもしれませんがね」

「見えますか? 俺の尻尾、ほらほら」

 ランカインに振られたからか、リューグがラクサスに向かってそんなことをいった。まるで主人を前に興奮する犬のような素振りをしながら、だ。

 セツナは、リューグにはついていけないと思った。

 それはラクサスも同感だったのかもしれない。彼は、数秒ほど虚空に視線を泳がせると

思い出したようにランカインへと視線を戻した。

「……君に任せる」

「お任せあれ」

「あれ? 俺の話聞いてました? 尻尾、見えませんか? ほれほれ~」

 黙殺されたことさえわからないのか、リューグがこれみよがしに尻を振った。これにはランカインもラクサスも呆れ果てたらしかったが、セツナにはリューグの姿とご主人様に戯れる子犬の姿が重なって見えて、苦笑せざるを得なかった。その瞬間、リューグの言動が愛嬌に思えてしまうのだから、人間とはおかしな生き物だ。

 ラクサスが嘆息するように告げた。

「わかったわかった。さっさと行け」

「お任せくださいませ、ご主人様!」

 言うが早いか、リューグは、監視所に向かって飛び出していった。そのあとを追うようにランカインが続く。ランカインの手にも余るような存在が、ラクサスの忠実な狗となりうるのだろうか。

 疑問は、ラクサスの声にかき消される。

「あれは、なんだ?」

「俺に聞かれても……」

 セツナは、ラクサスの憮然とした表情を認めて、笑いを隠しきれなかった。対応から見るに、ラクサスにとっても初めて遭遇するようなタイプの人間だったのかもしれない。少なくともセツナより多彩な人間と触れ合っているであろうラクサスでさえそうなのだ。人との接触を極力避けてきたセツナに理解できるはずもなかった。もっとも、理解したいとも想わないのだが。

 監視所らしい小屋へと向かうふたりの背中を、目だけで追いかける。ラクサスに追い立てられて飛び出していったリューグが、ランカインを先導しているのはどうにも滑稽で、笑いをこらえるも大変だった。

 その苦しさの中でセツナが考えるのは、ランカインはどのようにしてあの小屋を制圧するというのだろう、ということだ。

 武装召喚術を行使するのだろうか。彼の召喚武装ならば、あの程度の小屋など容易く制圧できるだろう。消し炭にしてしまうことも可能に違いない。だが、悠然たる足取りでリューグを追う男には小さな変化も見受けられなかった。呪文を紡いでいる風でもなければ、詠唱が聞こえてくるわけでもない。彼のような男が、この状況でこっそりと術式を編むなどとは考えにくく(そんな可愛げのある男ではない)、故にランカインが術を使うつもりのないことがわかる。

 ランカインは、足を早めない。

 リューグは既に小屋の前に辿り着いており、ランカインの到着を今か今かと待ち構えていた。

「どうする? 見ているか?」

「はい」

 ラクサスの問いに即答すると、セツナは、成り行きを見守った。


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