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第七百九十八話 軍師の遺言

「しかし、そうなると、問題になるのがジゼルコート様ですが」

「彼にはクレブールを与えようと考えている」

「ほう……クレブールを」

 ナーレスが目を光らせた。

 クレブールは、ガンディア南端の都市だ。ガンディオンの南西、ルシオン領近くに位置し、ルシオンとの交流によって発展してきた都市でもある。ケルンノールと合わせれば、ガンディア本土の南部一帯がジゼルコートの領地になるということだ。

「ジゼルコート伯がなにを考えているにせよ、伯がわたしの留守を預かってくれたのは疑いようのない事実だ。伯が王宮に入り、国政に携わってくれていたからこそ、我々は魔王との戦いに専心することができたのだ。伯がケルンノールに籠もっていれば、わたし自身が戦地に赴くことはできなかっただろう」

 その場合、あのような形で決着がつくことはなかったと断言できる。

 連合軍は、魔王を討滅するために戦い抜き、実際に討滅しただろう。そして、クルセルク周辺は地獄の様相を呈したに違いない。数十万の皇魔が魔王なき世界で暴れ回り、おびただしい数の人が死んだのだ。ガンディア国民も数えきれないほど死んだだろう。悔やんでも悔やみきれぬ結果になったに違いなく、そういう意味でも、ジゼルコートの存在は大きかった。

「しかし……」

「わかっている。ベノアガルドの間者のことだろう」

「はい」

 間者は、アルベイル=ケルナーと名乗っていた。ケルナーはケルンノール特有の姓であり、最初からケルンノール領伯ジゼルコートに接近するために名乗ったように思えるが、果たして、その考えが正しいのかは疑問が残るところだ。ベノアガルドの人間が、ケルンノール特有の姓について知っているものだろうか。それくらいは調べ上げなければ間諜など務まるものではないのかもしれないが、疑問は膨らむばかりだった。

 疑問は疑念となり、レオンガンドのジゼルコートを見る目は、この一件で大きく変わった。もちろん、評価するべきところは評価していたし、ジゼルコートのガンディアへの忠誠心が揺るぎないは明らかなのだが。

「アルベイル=ケルナーは既にガンディオンにはいないそうだな」

「そのようですな。北へ向かったとのことです」

「目的を果たして、ベノアガルドへの帰国を急いだか」

 あるいは、正体が明らかになるのを嫌って、退散したのか。どちらにせよ、異国の間者を手元に置き、泳がせていたというジゼルコートの行動は看過できないものではあった。間者を泳がせるにしても、事前にレオンガンドには報告しておくべきだったのではないか。

 それでは、間者に気づかれてしまうかもしれない、という意見もわからないではないのだが。

「アルベイル=ケルナーと名乗った間者の目的のひとつは判明しているが、本当にそれだけなのかどうか」

 その目的は、セツナの実態を知るというものだった。それはレム=マーロウに明言したことであり、信用にたるものだ。レムはセツナを貶されたことを怒り、攻撃してしまったらしい。

 レムからの情報は、昨日、セツナから聞き出したことだ。セツナ自身、レムの取った行動には驚きを隠せなかったようだ。

「ベノアガルドが国土拡大の野心を持っていたことにも驚きですが、だとしても、ガンディアの最高戦力の調査に乗り出すのは、気が早すぎですな」

 ベノアガルドは少国家郡北端の国のひとつだ。たとえ野心を以ってガンディアに間者を送り込ませたのだとしても、ベノアガルドの軍勢がガンディアに到達するには周辺国をどうにかせねばならず、一朝一夕にできることではない。最短距離でも、マルディアとシルビナかマルディアとアバードの領土を越えなければ、ガンディア領に到達することはできないのだ。

 気が早過ぎるというゼフィルの評は正しい。

 しかしそれは、ベノアガルドが野心でもってガンディアに間者を放った場合の話だ。アルベイル=ケルナーの言動を見る限り、ベノアガルドの目的がガンディア制圧にあるとは思えないのだ。

「間者はこうもいっていたらしい。世界を救うのは我々だ、とな」

「世界を救うとは、また大きく出ましたな」

「ベノアガルドは騎士の国だ。革命以来、かの国は騎士団によって治められている。騎士団による統治運営は、腐敗しきった王家よりも余程良いものだと聞く」

 ベノアガルドが成立して数百年。国が腐敗するには十分過ぎる時間だ。そして、いつ崩壊してもおかしくはないほどに腐敗が進んでいた結果、騎士団による革命が起き、ベノアガルドは生まれ変わったという。国は、騎士団によって統治された。人々は、騎士団によって救われたといい、実際、ベノアガルドの国情は騎士団の革命以来、上向きになっているという話だった。

「騎士団は、ベノアガルドの人々を救ったように、世界中の人々を救いたいと思っているのかもしれないな」

「だいそれたことです」

「しかし、我々も似たようなものだ」

 レオンガンドは、ナーレスの言葉に笑みを返した。

 レオンガンドたちの目的は、小国家群統一による世界的均衡の構築だ。小国家群そのものをひとつの勢力に纏め上げることで、三大勢力に並び立ち、遥か未来まで続く均衡を作り上げようとしている。そうでもしなければ小国家群など三大勢力の気まぐれで滅び去ってしまうからであり、ガンディアという国も歴史も消え去ってしまうからだ。

「我々は地に足をつけ、行動をしていますよ。少なくとも、世界を救うなどという大言壮語を吐いたことはない」

「小国家群の統一もか?」

「陛下一代で成すといったのでしたなら、笑い飛ばしたくもなりますが、そうではないでしょう?」

「ああ……」

 ミレルバス=ライバーンに対して告げたときのことだ。あのとき、レオンガンドは初めて小国家群の統一を掲げたが、それこそ、今日明日に統一しようということではなかった。ただの決意表明だった。そもそも、三大勢力に並び立つほどの勢力を、レオンガンドの一代で作り上げられるなどだれが思うのか。

「しかし、いま、ガンディアの現状を鑑みるに、陛下一代でも成し遂げられそうな気がしますね」

「ナーレスがそういうと、本当にできてしまいそうだ」

「できますよ。陛下なら」

「わたしひとりでは無理だよ」

「それがわかっているから、できるのです」

 ナーレスが、めずらしく力強い言葉で断言した。見ると、彼の目に強い光が宿っていた。透明な光。透明な目。見ているだけで胸に穴が空くのはなぜだろう。

 虚空を感じている。

「陛下。あなたは長い間、“うつけ”を演じられてきた。二十年近くもの間、自分を押し殺してこられた。国のため、民のため、暗愚を演じ、他を欺き、己をも欺いてこられた。自分は無能で無力な存在だと思い込み、卑下し続けてこられた。それは呪いだ。“うつけ”を演じられなくなったいまでも、陛下を縛り付けておられるのがよくわかる。しかし、その呪縛が、陛下御自身にとって良い方向に働いている」

 ナーレスの声が、戦略会議室に朗々と響き渡る。彼にこれほどの声量があったとは驚きだが、一方で、まるで最後の力を振り絞っているように感じられた。

「あなたは自分の能力を知っておられる。自分がいかなものなのか、だれよりもよく知っておられる。それは稀有な才能といっていい。普通、自分のことほど自分ではわからないもの。自分の能力、自分の得手不得手、自分の限界――これらを知ることこそ、勝利への近道といってもいい。ですが、先にもいったように、己を知るのは極めて難しいこと。空中に己だけを映す鏡を作るようなものだ。だれもが簡単にできることではない」

 ナーレスの命の時間は、短いという。毒が、命を蝕んでいる。ザルワーン戦争終結から半年以上。十分にもったといえるのか、どうか。

 彼は死ぬべきではなかったし、死なせるつもりもなかった。しかし、毒を取り除く術がない以上、レオンガンドにはどうすることもできなかった。ファリアのオーロラストームならなんとかなるのではないか、と考えたりもしたが、彼女は頭を振るだけだった。もはや残された寿命が少ないというのなら、“運命の矢”を射たとしても死ぬだけだ、というのだろう。

 外法も調べさせた。龍府には、外法の研究施設が残っていたのだ。しかし、ナーレスの身から毒を取り除く手段は見つからなかった。

『見つかったとしても、他人に犠牲を強いる術しかなかったでしょう』

 ナーレスはすべてを見通したかのようにいったものだ。

 結局、ナーレスの命の時間ばかりが磨り減っていった。

「しかし、陛下にはそれができている。己の能力を知り、限界を知り、得手不得手を認識しておられる。不得意分野はいうに及ばず、得意な分野であっても、不足分を認識し、他者によって補うことができることもまた、陛下の強味だといっていいでしょう。そしてなにより、己を過信せず、他に全幅の信頼を寄せ、すべてを任せきることができることこそ、陛下の御力」

「ナーレス。君はわたしを褒め殺してどうするつもりだ?」

 レオンガンドが笑いかけると、彼もまた、笑った。透き通るような笑みだった。

「遺言ですよ」

「笑えない冗談はやめてくれ」

「笑って聞き流してくださっても構いませんが、冗談などではありませんよ」

 しかし、彼は微笑みを絶やさない。それがレオンガンドには辛いのだ。胸が締め付けられる。彼には様々なことを教えられてきた。子供の頃から、今日に至るまで、ずっとだ。彼は、レオンガンドにとって師であり続けるのだ。

「後継者は順調に育っています。安心してください。たとえこの身が朽ち果てようとも、わたしの志は参謀局に受け継がれていくでしょう」

 レオンガンドは、いうべき言葉を見失っていた。

 ナーレスは、ガンディアに戻ってきて以来、自分の死後のことばかり考えていた。来たるべき死を認識し、見据え、ガンディアに与える影響を考えぬいていた。軍師ナーレスだけを頼っていてはやっていけないだろうと見抜き、参謀局を設立し、軍師候補者の育成に時間を割いた。

 彼ほどガンディアの将来について考えた人間はいないのではないか。

「なに、もう少しです」

 なにが、とは問えなかった。

 ナーレスの笑顔があまりに透き通っていたからだ。

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