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第七百九十七話 政務再開

「凱旋に御前試合に仮面舞踏会……どれもこれも無事に終わった。これでようやく政務に集中できるというものだ」

 レオンガンド・レイ=ガンディアは、獅子王宮の戦略会議室でひとりごちた。机の上に山積みになった文書や資料と、所狭しと広げられた地図を見比べながら、作業量の途方もなさに軽く目眩を覚える。やる気がないわけではない。むしろ、俄然、やる気になっていた。しかし、仕事の物量を目の当たりにすれば、口を開けて呆然とせざるを得ない。ナージュの懐妊報告以来、停滞していた国内の政治がようやく動き出すのだ。休んでいた分を取り戻さなければならず、レオンガンドが忙しくなるのは当然だった。

 休んでいたとはいえ、政府のすべての機能が停止していたわけでもなければ、レオンガンドが政に携わっていなかったわけではない。そもそも、御前試合も舞踏会も政治に関連することだ。

 四月九日。

 御前試合と舞踏会が終わってから二日が経過している。にも関わらず、ごく一部のものがまだ酔いから覚めていないらしいというのだがら、あの夜の酒宴がどれほどのものだったのか想像できるというものだ。

「それにしても、あの夜のことはいまでも思い出すぞ」

 レオンガンドが口惜しげにつぶやくと、ゼフィルが資料を捲りながら髭を撫でた。

「あの夜?」

「舞踏会のあとのことだ」

「ああ、セツナ伯の酒宴のことですな」

 酒宴は、舞踏会が閉幕したあと、セツナを中心にして開かれたという。もちろん、セツナが主催したというわけではない。セツナと言葉を交わすために集まったものたちが、勝手に飲み食いを始めたのがきっかけとなったようだ。ガンディア軍の各軍団長や親衛隊の面々、将軍や文官、貴族を巻き込んでの酒宴は、太后グレイシアが参戦したことで本格化し、王宮の厨房もセツナの宴のために機能し、給仕や使用人たちも彼らのために片付けの手を止めたという。

 セツナはクルセルク戦争の殊勲者であり、ガンディアの英雄であり、御前試合の優勝者であり、仮面舞踏会の主賓だったのだ。宴の中心となるのは必然だろう。

「セツナは、わたしが想像していたよりもずっと人望があるじゃないか」

「そのようですな。あの夜、晩餐会に招待されていた軍関係者のほとんどが、セツナ伯の酒宴に参加したということですし」

「まあ、セツナの人望だけとはいわないが……だとしても、彼がこの国の中心にいることは間違いないわけだ」

「はい。それを否定するものはおりますまい」

「でしょうな。セツナ伯はお強くなられた。少なくとも、わたくし如きでは太刀打ち出来ないほどには」

 といったのはバレット=ワイズムーンだ。戦略会議室に集った面々のうち、彼の実力を知っているものは皆口を閉ざした。バレットは、剣の達人だ。ガンディアでも最高峰の剣術家であり、貴族、軍人にかかわらず彼に教えを請うものは少なくない。彼の弟子を総称して、ワイズムーン流派と呼ぶこともあるほどだ。彼は、レオンガンドの側近としてではなく、剣の匠として尊敬を集めている。

 その彼がセツナと剣を交え、敗れ去ったのが御前試合の準決勝だった。得点差による敗北であったものの、彼がセツナに負けたのは事実であり、彼の弟子たちは酷く落胆したようだった。もっとも、バレットは落胆するどころか、セツナの勝利を褒め称えるだけなのだが。

(まあ、よい)

 レオンガンドは、バレットの腕前なら、セツナに負けることはないと思っていた。カオスブリンガーを手にしたセツナには勝てるはずもないが、手にした得物が木剣ならば、バレットが勝つ可能性のほうが遥かに高い。身体能力、戦闘経験、戦闘技術――どれをとってもバレットのほうが上なのは、一流程度には戦えるレオンガンドからしてみれば一目瞭然だった。

 バレットが負けたのは、政治的理由なのではないかと訝ったが、レオンガンドは彼に問い質したりはしなかった。問い質したところで、彼は黙秘を貫いただろう。

「御前試合の優勝も相まって、セツナの声望は高まる一方だ。彼の多大な軍功に対しての褒賞も考えねばならん」

「そういえば、クルセルク戦争の褒賞に関して、まだなにも決まってなかったんですね」

「うむ。極めて難しい問題だ。彼はなにも欲さないからな」

 レオンガンドは厳しい表情になった。セツナはザルワーン戦争後、領伯になっている。これ以上の褒賞はないといっても過言ではない。セツナが軍部の人間ではない以上、将軍位を与えるわけにもいかない。将軍が親衛隊を率いるというのもおかしな話だったし、彼に将軍が務まるかというと、それはまた別の話だ。無論、将軍位を与えられたとしてもなんら恥じることのない功績を上げているのは間違いないし、たとえば彼のためだけに左右将軍に並ぶ将軍位を創設したとしても、不満は少ないだろう。

 セツナの評価は、本人のあずかり知らぬところで膨張し続けている。セツナ自身、納得のいかない戦果であったとしても、他人で見れば十分過ぎるほどのものであったりすることが多いからだ。そして、彼は軍人からの人気もある。もっとも苛烈な戦場を戦い抜き、数多の敵を屠る彼は、ある意味では将兵の手柄を奪い去る存在なのだが、一方で味方の被害を最小限に抑えているからだ。彼がその圧倒的な力で敵を蹴散らせば、味方は、わずかな損害で勝利を得ることができる。手柄よりもなによりも勝利が大事であり、生還こそが兵士たちの望みだ。その戦場で手柄を得られなかったとしても、生きて帰ることができれば、つぎの戦場に望みをつなぐことができる。だが、戦死すれば、つぎはないのだ。

「竜殺しに続いて、魔屠まほふりと呼ばれているとか」

「一万以上の皇魔を撃ち倒したのだ。そうも呼ばれよう」

 魔屠り、などという呼称が生まれた原因が、彼の実績そのものなのだから、笑うしかない。誇張でもなんでもなく、セツナは、クルセルク戦争を通して一万以上の皇魔を倒している。ただのひとりで五桁に及ぶ皇魔を撃破するなど、通常では考えられないことだ。いや、それが人間であっても同じことだし、一騎当千はともかく、一騎当万など聞いたこともなかった。セツナをして万魔不当の豪傑と呼ぶものもいる。

 彼のやることなすことが規格外なのはわかりきっていたことだが、それにしても凄まじいといわざるを得ない。毎回毎回、レオンガンドの想像を遥かに上回る戦果を上げ、ガンディア軍に大いに貢献している。

「エンジュール以外の領地を与えられてはいかがでしょう?」

「ほかに良い案はない……か」

 彼のために新たな称号、勲章を創設し、授与するという案も脳裏を過ぎったが、最終的にはそのナーレスの提案を取る以外にはなかった。エンジュールは小さな領地だ。領伯とはいえ、彼の功績に対して報い切れているとは言い難いものがあったのも、事実だ。しかし、さまざまな事情が、レオンガンドに渋らせていた。が、クルセルクに新たな領土を得たいまとなっては、渋っている必要もない。

「スレイン、ケリウス、セツナが治めるに相応しい領地の候補を上げておけ。どこを領地とするかは本人に選ばせよう」

 レオンガンドの頭の中にも候補地がいくつか浮かんでいたが、彼よりも側近たちに選出させるほうが間違いが起きないだろうと考えていた。国内の事情については、レオンガンドよりも側近たちのほうが詳しかったし、特にスレイン=ストールとケリウス=マグナートは、ゼフィル、バレットよりもガンディアの実情を理解している。ふたりに任せておけば間違いない。

「なるほど。自分で選ぶことこそ、最大の褒美だということですな」

「セツナが喜んでくれるかはわからんがな」

「セツナ伯ならば、どのような褒賞でも喜んでくれるでしょう」

「……そうだな」

 レオンガンドは、ナーレスの言いようがおかしくて、少し笑ってしまった。セツナ評は的を射ている。確かにセツナならばどんな褒賞であっても喜んでくれるだろう。たとえばレオンガンドが賞状を与えるだけで歓喜してくれるかもしれない。しかし、世間はそれでは納得しない。レオンガンドがセツナへの褒賞で頭を悩ませるのは、セツナ以外の人々が納得するだけのものを用意しなければならないからだ。

 その点、新たな領地ならば、だれも文句はいうまい。彼はもはや押しも押されぬ領伯であり、領地がひとつ増えたところで、否定的な反応をするものはいないだろう。


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