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第七百九十六話 死がふたりを分かつまで(後)

「それで、アルベイル=ケルナーとレムの間になにがあったんだ?」

 セツナが話を戻すと、レムがにっこりと意地悪く微笑んだ。

「気になりますか?」

 相変わらず、《獅子の尾》隊舎のセツナの寝室だ。仕事用の隊長室とは異なり、ただ寝て過ごすためだけの空間といっても差し支えのない部屋だった。飾り気もなければ、本や雑貨があるわけでもない。質の良いベッドと、簡素な机、いくつかの椅子があり、隊服などが収納された衣装棚が置かれているだけだ。本当になにもないといっても過言ではなかった。

 セツナは、隊舎にいても、自室に篭もるということがなかった。隊長室にいることすら稀だ。広間で仲間たちと戯れているか、食堂で料理長を相手に和食とはなんたるかを説いているか、庭でニーウェと駆け回ったりしているか――とにかく、セツナは自分の部屋にいるよりも、隊舎の別の部屋、別の空間にいることのほうが多かった。それに、外征ともなれば隊舎そのものを空けることになり、自室を飾り立てたりする時間が勿体無いと思ったりもしていた。

 そんな寝室にあって、セツナはいま、レムとふたりきりだった。セツナはベッドの上に座っていたが、レムも、ベッドの上にちょこんと座り込んでいる。少し前まで椅子に座っていたはずなのだが、いつの間にかベッドの上にまで移動してきていた。従者のくせに厚かましい、などという気にもなれないのは、自分が主だという感覚がないからだ。

「ああ」

「あら、素直でございますね」

「こんなことで無駄な時間を費やしたくはないだけだ」

「それはそうでございますね。では、どこからお話いたしましょうか」

「最初からだ」

 セツナが告げると、彼女は両手で自分の顔を挟んだ。どこか気恥ずかしそうな表情を浮かべる。

「まあ、そこまで気になさってくださるのですか。嬉しゅうございます」

「そんなのはいいから」

「では、最初から、でございますね」

 セツナの一言に笑顔になった彼女は、あっさりと話し始めた。

「わたくしがアルベイル=ケルナー様と出遭ったのは、そう、御前試合の決勝戦のことでございました」

「なんだ、今日のことか」

「はい。以前からの知り合いならばもう少し面白かったのかもしれませんが」

「だったらジベルの暗躍で終わりだろ」

「そうでございますね。本当に、終わりでございます」

 レムの言葉が思いの外、重かった。今の時期にジベルがガンディアで暗躍などすれば、ジベルという国そのものが終わるかもしれない。ジベルはクルセルク戦争で貢献し、ハスカの一部を得たものの、失ったものもまた、大きかった。死神部隊を始め、重要な戦力をごっそりと失っただけでなく、国としての信頼や評価も失ってしまっている。それもこれも先の国王アルジュ・レイ=ジベルの暴走の結果なのだから、下につくものとしてはやっていられないだろう。もっとも、クレイグ・ザム=ミドナスの正体がアルジュ王だったということを知っているものは極めて少ない。だから、アルジュの死を隠蔽することができたのだろうが。

 ジベルは、アルジュの死を病死と発表した。そして、アルジュの子であり王位継承権を持つセルジュが王座についた。将軍ハーマイン=セクトルによる治世に変化はなく、むしろ将軍の権限が強化されたという話をレムの口から聞いている。セルジュはまだ若く、後見人でもあるハーマインがさらなる権力を得るというのは、ありえない話ではなかった。

 ハーマインがジベルを運営するというのなら、安心してもいいのではないか。

 その点に関しては、レオンガンドやナーレスの意見を信用すればいいだろう。ハーマインは国益を優先する人物だ。国益のためならば、ガンディアとの友好関係を壊そうとはしないだろうし、ガンディア内部で暗躍し、ガンディアに不利益をもたらそうなどとはすまい。もっとも、それはつまりジベルの国益となるのならば、ガンディアさえも敵に回しかねないということだが。

 少なくともいまは、ジベルがガンディアに敵対する予兆さえない。それは、アザークを始めとする周辺諸国にもいえることだが。

「アルベイル様が席をお立ちになられたのは、決勝戦の決着間際でございました。御主人様が優勢のまま推移し、勝利を目前に控えた状況。リューグ様を応援なさっておられる方が面白くないと席を立つのならばわからなくはなかったのですが」

「そうじゃなかった、と」

「はい。なにか奇妙なものを感じましたので、後をつけさせていただいたのです」

「直感か?」

「はい。女の勘でございます」

 レムは、にこやかにいってきた。実際そのとおりなのかもしれない。御前試合の場では、アルベイル=ケルナーは頭巾を目深に被り、表情も見えなかったという。レムのいうように、アルベイル=ケルナーがリューグの応援者で、試合展開が面白くないから席を立ったという可能性もなくはなかったのだ。しかし、彼女にはそうは見えなかった。やはり直感としか考えられない。

「追いかけてみますと、アルベイル様が東庭園で待ち受けておられましたので、少し驚きましてございます」

「尾行に気づかれたのか」

「はい。その時点で、アルベイル様がただものではないということは明らかになっていたのですが」

「もっとただものではなかった、と」

「その通りでございます。アルベイル様は、わたくしの“死神”による攻撃を生身で退けてみせたのでございます」

「はあ?」

 セツナは、レムの言葉に素っ頓狂な声を上げた。レムには、“死神”と呼ばれる実像を伴った幻影のようなものを使役する力がある。かつては闇黒の仮面の眷属たる黒獅子の仮面を要した能力だったが、セツナの使い魔となったいまでは、彼女の意思ひとつで具現することができるらしい。“死神”の形状も能力も、死神壱号のころとは変わっていて、攻撃力そのものも大きく向上しているとのことだった。

 その“死神”の攻撃を生身で退けるなど、常識外れもいいところだった。

「本当のことでございます」

「おまえの“死神”を素手で? そんなこと、ありえるのか?」

「通常、考えられることではありませんが……実際にこの目で見たことでございますので、否定のしようもございません」

 レムにしても、否定したいことだったのかもしれない。しかし、自分の目で見た事実を否定するほど愚かなことはないのだ。彼女は言外にそういっている。

「……わかった。アルベイル=ケルナーは常人ではないってことだな」

「はい」

「で、なんで“死神”をけしかけたんだ? 尾行がバレたからって襲いかかったわけじゃないだろ?」

「アルベイル様が御主人様を侮辱されたからでございます」

 即答したレムの表情にちょっとした怒りが浮かんでいたのが、不思議だった。

「俺を侮辱?」

「はい。御主人様のことを知りもしないで、御前試合の内容だけを見て、虚構の英雄などと仰られるものですから、つい頭に血が上ってしまって……」

「御前試合の内容だけを見れば、そうも思うさ」

 もちろん、相応の実力がなければ、あの試合内容でも十二分に満足させることができるだろうし、ガンディアの英雄としての片鱗は見せることができたとは思うのだが。しかし、世間のセツナ像から大きくかけ離れた実力なのは、間違いない。

「ですが、御主人様の本当の御力は、競技試合などでわかるものではございません。実戦でなければ、黒き矛は使えないのですから」

「そりゃあそうだけどさ」

 そして、黒き矛の力なしで、黒き矛とともに勝ち得た評価を覆すような戦いを魅せつけることなど不可能だ。それは、セツナの実力が低いからでもあったが、黒き矛が偉大すぎるからでもあった。セツナの剣の師匠にして“剣鬼”と謳われるルクス=ヴェインでさえ、黒き矛のセツナの戦い方は真似できないといっている。

 常人には、足を踏み込むことのできない領域なのだ。

「ですから、わたくしは手を出してしまったのですが……よくないことですよね」

「まあな」

「お仕置きが必要です」

 ぐいと顔を近づけてきたレムの表情は、なぜか嬉々としたものであり、セツナの背に悪寒が走った。

「なにをいってるんだ」

「さあ、どうぞ」

「さあどうぞじゃねえ。話はまだ終わってねえだろ」

「では、話が終わったら、ということですね」

「なんで嬉しそうなんだよ」

 あまつさえ目を輝かせる彼女の姿に、セツナはついていけなかった。

 結局、アルベイル=ケルナーがなにものなのかまではわからなかった。王宮警護管理官アヴリル=サンシアンによれば、アルベイル=ケルナーとは偽名であり、ジゼルコート・ラーズ=ケルンノールが友人として御前試合に招き、晩餐会にも招待したという。ジゼルコートが彼の正体を知っているとは言い難いものの、知っていてもおかしくはない。

 アルベイル=ケルナーは北方人であるが、少なくともヴァシュタリアの人間ではない。小国家群の人間であり、セツナの実態を探るためにガンディアに潜り込んだ、という。その話だけを信じるならば、ジゼルコートは利用されただけという可能性が高いだろう。

 そして。

「救済?」

「はい。人も皇魔も救う、と仰られておられました」

「それがアルベイルの国の目的だとして、なんで俺を探ろうとしたんだろうな?」

「さあ……そればかりは、わたくしにも」

 レムが困ったように首を傾げた。

 アルベイル=ケルナーの所属国が気になったものの、北方の国のいずれかであるということしかわからない以上、どうすることもできない。

「一応、陛下に報告しておくが、いいな?」

「はい。御主人様のなさりたいようになされませ」

「ああ、そうするよ」

「では、お仕置きを」

「しねえよ」

「残念です」

「なんでなんだ」

 セツナは、レムの感覚にはついていけないのだと改めて理解しながら、嘆息した。

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