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第七百九十五話 死がふたりを分かつまで

 セツナたちが王宮大広間を抜け出し、《獅子の尾》隊舎に帰り着いたのは、深夜も深夜であり、広間の壁にかけられた時計の針は、午前一時を指し示していた。

 仮面舞踏会が終わったのが午後十時だったことを考えると、それから三時間が経過している。それもこれも、晩餐会後の集まりがとんでもなかったからだ。今宵の晩餐会は、仮面舞踏会の名の通り仮面をつけて舞い踊るのが主題だったこともあり、物足りなさを感じるものが少なくなかったらしい。そういう連中が、セツナたちの周りに集まったものだから、大騒ぎになるのは当然だったのだ。

 集まったのは、《獅子の尾》の面々だけではない。エイン=ラジャールと彼の三人の部下にアレグリア=シーンといった参謀局の面々を始め、ドルカ=フォーム、ニナ=セントール、グラード=クライド、レノ=ギルバースといったログナー方面軍の連中や、ガンディア方面軍の軍団長、ザルワーン方面軍の将校がつぎつぎと集まり、ラクサス・ザナフ=バルガザール、シェリファ・ザン=ユーリーン、リューグ=ローディンに、ミシェル・ザナフ=クロウ、メノウ・ザン=オックスといった親衛隊幹部たちも加わっていたし、右眼将軍アスタル=ラナディースや大将軍アルガザードまでもが酒宴に参加したものだから、王宮大広間はまるで二次会の会場となる始末。大広間を片付けたい王宮の使用人たちも巻き込んでの大騒ぎであり、そこに太后グレイシアまで加わるものだから収集がつかなかった。

 結局、午前零時過ぎまで、天地を引っくり返すような大騒ぎが続き、あまりの騒ぎに大広間に現れたレオンガンドが一喝したことで、事態は収束した。帰り際、レオンガンドが自分も加わりたかったとセツナに囁いたのだが、本心だったのかどうか。

 皆、疲れきっていたが、衣裳部屋で着替えを済ませると、それぞれ自分の部屋に向かった。ミリュウはセツナの部屋に入ろうとしたが、ファリアとマリアに制されて、泣きながら自室に向かっていった。

「ミリュウがいたら、ゆっくり休めないでしょ?」

 ファリアとマリアの気遣いが嬉しかった。

 セツナがようやく自室に辿り着いたころには、午前二時に至ろうとしていた。彼は、重い足を引きずるようにして寝台に到達すると、そのまま倒れこんだ。ふかふかの寝具がセツナを包み込む。

「お疲れでございましたね」

「ああ……もうくたくただよ」

 レムは、当然のようにセツナの部屋に入ってきていたし、彼女がセツナの部屋に入ることは、ファリアもマリアも止めなかった。そのことを知ればミリュウがまた騒ぎ出すかもしれないが、レムとミリュウでファリアたちの反応が異なるのも仕方のないことだ。ミリュウはセツナを寝かさないかもしれないが、レムがセツナを寝かせないことなどありえない。強引にでも眠らせようとするだろう。それがいまの彼女だ。

 以前のレムならば警戒しなければならなかったが、いまの彼女になら、無防備な自分を晒すことができた。安眠を貪ることができた。

「では、わたくしが添い寝してさし上げましょうか?」

「そういうのはいいから。っつーか、余計に眠れねえっての」

「ふふ」

「なにがおかしいんだよ」

 セツナは、ベッドに顔を埋めたまま、手だけで枕を探しながら尋ねた。レムの反応が気になるのは、つい数時間前の出来事が頭の中にあるからだ。空を滑っていた手に枕が触れる。レムが手渡してくれたのだろう。セツナは素直に受け取ると、敷布団に埋めていた顔を横にずらして、彼女の姿を視界に収めた。

 魔晶灯の淡く儚い光が、闇の中、美少女メイドの横顔を照らし出している。最近巷で話題になっているという夜間用の魔晶灯であり、その光の柔らかさは、通常の魔晶灯とは比べ物にならないほどだった。魔晶灯の冷ややかな光は、日中ならともかく、夜中にはきつすぎるものなのだが、この夜間用の魔晶灯は目に優しいと評判であり、世間を賑わせていた。ファリアとミリュウの勧めもあって、《獅子の尾》隊舎の全室に導入され、好評を博している。

 実際、夜間用の魔晶灯が発する光は、通常のものに比べて柔らかいというのは間違いなかった。じっと見ていても目が疲れないというのは、光が優しい証拠だろう。原理は不明だが、特殊な容器が魔晶石の光を和らげているということらしい。

 その光の有り難みは、彼女の横顔を美しく浮かび上がらせてくれていることだけでも十分だった。闇のように黒い髪と、同じくらい黒い瞳の少女。いつものように黒を基調とする衣服を纏う彼女は、こちらを見て微笑んでいた。

「御主人様は、相変わらずうぶでございますね」

「そういうことじゃねえだろ」

「そういうことでございますわ。わたくしと接吻を交わしたこと、覚えておいでですか」

「忘れられるかよ」

「まあ」

「んだよ」

「嬉しい」

 レムは顔を両手で覆い、あまつさえ頬を赤らめていた。本気で赤面しているわけではあるまいが、演技だとしても、自分の意志ひとつで頬を紅潮させることができるのは、相当な技量だといえる。彼女が演技派なのは今に始まったことではないし、驚くことでもないのかもしれないが。

「あのなあ」

「もちろん、存じ上げておりますよ。あのあと、大変だったそうでございますね」

 レムが面白そうにいってきたが、セツナは笑うに笑えなかった。唇に残った口紅のせいで、ファリアとミリュウに釈明しなければならなくなった記憶が、昨日のことのように蘇る。あのときほどレムを恨んだことはないし、自分の不甲斐なさを実感したこともなかったかもしれない。

 しかし、過ぎ去ったことだ。そのことをあげつらって彼女を責め立てる気にもなれない。

 そう思う一方で、数時間前のことは気にかかった。気にかかって仕方がなかった。考えるだけで妙に苛立つのは、どういう理由なのか、自分でもわからない。

「おまえはいったいなんなんだよ」

「御主人様の使い魔にございます」

「使い魔が主の意向を無視して行動するものか」

「やはり、舞踏会のこと、怒っていらっしゃったのでございますね」

「……怒ってねえよ」

「では、そういうことにしておきましょう」

「……」

 セツナは、口論になればレムには敵わないということを思い知って、嘆息した。ベッドに沈んでいた体を起こし、彼女に向き直ってその場に座り込む。レムは、いつも寝台の隣に置いている彼女の椅子に腰掛けていた。彼女は、その椅子に座って、セツナが寝入るまで見守っているといい、眠った後は、自室に戻って眠るのだ。そして、セツナが目覚めた時には、彼女は寝台の隣に控えている。それが使用人レム=マーロウの日課だった。

 セツナは、口を開いた。

「アルベイル=ケルナーがおまえを誘ったらしいな」

 ミリュウやファリアの話によれば、あの男の肌の白さは北方人特有のものらしく、ガンディア固有の姓であるケルナーを名乗っているのは奇妙だ、ということだった。偽名だろう、というのが、ファリアたちの下した結論であり、であれば、アルベイル=ケルナーはなんらかの目的を持って、レムに近づいたのではないかと考えるのが自然だった。

 セツナは、レムのことが気になって仕方がなかった。再蘇生してからのレムは、セツナに忠誠を誓っている。それが自分のすべてであるとでもいうかのように、だ。

「ジゼルコート伯の御友人だそうでございますよ。もう少し、言葉遣いに気をつけたほうがよろしいのでは?」

「だれが聞いているものか」

「わたくしが聞いております」

「おまえなら構わないだろ」

 セツナが口を尖らせると、彼女は当然のように微笑むのだ。

「はい」

 だから、彼女には敵わない。ミリュウになら勝てなくはないし、ファリアとも言い合えるのだが、レムには一切、勝てる気がしなかった。実際、ガンディオンで再会してからというもの、レムにだけは負け続けている。

「……それで、ジゼルコート伯とおまえの接点はなんなんだ?」

「それが気になって夜も眠れない、と。まるで恋する乙女の心理状態のようでございますね」

「あのなあ、俺は真面目に――」

「御主人様がいつだって大真面目なのは御存知ですわ」

 レムが、布団の上に置いたセツナの手の上に、自分の手を重ねてきた。セツナよりも余程小さな手だ。傷ひとつない綺麗な手。手の内には血が流れ、生命の暖かさがある。体温がある。生きているのだ。

「大真面目に、わたくしのことを心配してくださったのでございますね」

 レムの目が、こちらを見つめていた。真っ黒な瞳は、まるで黒いダイヤモンドのようだ。魔晶灯の光を反射して、きらきらと輝いている。いつか吸い込まれ、絶望しか見えなかった目とはまるで違う。生気があり、光がある。

 だからこそ、セツナは彼女のことを心配してしまうのかもしれない。

「ああ……そうだよ」

 セツナが認めると、レムが椅子から腰を浮かせた。と思うと、軽い衝撃がセツナの体に襲いかかる。レムに抱きしめられたのだ。レムの十年前から成長していない華奢な体は、とても軽く、とても細い。少しでも強く抱きしめれば折れてしまうのではないかと思うほどに痩せている。だから抱きしめ返さなかったわけではないのだが。

「なんだよ」

「セツナで良かった。あたしにもう一度時間を与えてくれたのが、あなたで」

 彼女は、演技をかなぐり捨てていた。本当のレム=マーロウが、セツナの胸に顔を埋めて、泣いていた。セツナは、どうすればいいのかわからず、彼女の髪に触れた。闇色の髪は、艶やかな光沢を帯びている。

 髪を撫でながら、告白する。

「本当は、よくわからなかった。今日までずっと悩んでいたんだ。本当にこれでよかったのか。本当に、レムは生き返ってよかったのか。苦しいだけじゃないのか。辛いだけじゃないのか。悲しいだけじゃないのか。死にたくはならないのか。俺なんかに命を縛られて、運命を握られて、魂を支配されて、本当に良かったのかってさ」

「本当に良かったのかどうかなんて、まだわからないよ。これから先も悩んだり、苦しんだりすると思う。だって、人生はまだまだ長いもの。あなたが死ぬまで、あたしの人生も続くから。でも、少なくとも今は、良かったって想ってる。あなたが主だからこそ、あたしはあたしでいられるのよ」

 レムの言葉は、もっともだ。正解なんて、いますぐにわかるものではないだろう。この先、どのような難問が待ち構えているかわかったものではない。そのたびに悩み、苦しみ、傷つき、葛藤するかもしれない。セツナとレムの間で軋轢が生じることだって、あるかもしれない。傷つけ合うことだって、ないとは言い切れない。たとえ命が同期していたとしても、すべてを受け入れることができるとは到底思えない。

 セツナはただの人間であり、身も心も未成熟だ。そしてそれはレムも同じなのだ。

「やっと、あたしの居場所を見つけたから」

 それでも、彼女の言葉には、希望の光があった。絶望の闇は消え失せていて、それが、セツナにとっても救いになった。

「ここで、いいのか? 俺の側で」

「はい」

 顔を上げた少女の泣き顔は、息を止めてしまうほどに可憐だった。

「どうか、これからもわたくしをお側においてくださいませ」

 彼女はそういって、深々と頭を下げてきた。

「死がふたりを分かつまで」


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