第七百九十四話 疑念
「なぜ、そう思われる」
レオンガンドは、ジゼルコートの顔を見て、問いかけた。
叔父であり、ケルンノール領伯という立場の男は、極めて冷静な表情をしていた。いつものことだ。彼は、どんなときでも取り乱さなかった。ナージュの懐妊が明らかになったときですら、喜びを表情に出すということがなかったのだ。昔からそうだったこともあり、レオンガンドは彼が表情を変えないことになんら不審を覚えなかったものの、中には彼の不信を疑うものがいたのも事実だった。もっとも、ジゼルコートがナージュの妊娠を喜んでいるのは、彼の言動からも明らかだった。
ジゼルコートはナージュの懐妊を祝うためにケルンノール産の馬と、東方から取り寄せた品々を王宮にもたらし、ひとびとを驚かせている。特に東方から取り寄せたという色とりどりの衣服は、ナージュを喜ばせ、彼女は毎日のようにそれらの衣服に袖を通したものだった。そういうナージュの姿こそ、レオンガンドの心を癒やしてくれるものであり、レオンガンドはジゼルコートに何度となく感謝した。ジゼルコートにしてみれば当然のことをしたまでであり、別段、感謝されるほどのことではないとでもいいたげだったが、
「これは異なことを仰られる。陛下がわたくしを疑うのは、至極当然でございましょう」
「ふむ……」
「アルベイル=ケルナーのことでございます」
ジゼルコートは、こちらの考えを読みきっていた。アルベイル=ケルナーは、ジゼルコートの友人ということで、御前試合を観戦し、王宮晩餐会に参加していた人物だ。彼は御前試合の直後、レム=マーロウと衝突しており、それ以前から注目していた王宮警護の監視を強化させた。
アルベイル=ケルナーには疑わしい点があった。まず、その名だ。ケルナー姓は、ケルンノールによく見られる家名だが、ガンディア国内のどこを探してもアルベイル=ケルナーなる人物は存在せず、偽名である可能性が高かった。王宮警護は、その点から彼を監視下に置いたのだが、そうすると、彼はレム=マーロウと衝突した。
レム=マーロウは、セツナの従者であり、彼に絶対の忠誠を誓っている。セツナにとって不利益になるような行動を取る娘ではない。つまり、彼女がアルベイル=ケルナーと衝突したということは、衝突しても構わない相手だと認識したということだ。
仮面舞踏会では、衝突したはずのレム=マーロウを相手に踊ったアルベイル=ケルナーだったが、そのことで疑いが晴れるわけもない。ますます、正体を探る必要に迫られた。
そして、彼を友人としているジゼルコートまで疑わなければならなくなった。信頼の置ける叔父を監視下に置くなどしたくないことではあったが、必要に迫られれば、親族であろうと切り捨てるのがレオンガンドのやり方だ。ジゼルコートも監視対象に含めた。
そういう状況下で、彼がみずからその問題の人物に触れてきたのだ。レオンガンドは、彼が釈明してくれるものかと期待した。そして、期待以上の答えが返ってきた。
「彼はベノアガルドの諜者です」
「ほう」
ジゼルコートがもたらした意外な情報に、レオンガンドは、目を細めた。ベノアガルドといえば、大陸小国家群北端に位置する国のひとつだ。革命によってベノアガルド王家を打倒した騎士団が治める国であり、騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースは、北の騎士王の異名で知られている。これまで騎士団が他国に干渉したという話は聞いたことがなかったものの、アルベイル=ケルナーが北方人だというのは大方間違いないところであり、彼がベノアガルドの諜者だという話は、あながちありえない話ではなかった。
「では、問うが、伯は、そのベノアガルドの諜者を、なぜ手元に置いている?」
「ベノアガルドの真意を探るために必要なことだと考えたまでのことです。他意はありませんよ」
筋は通っているように思えた。
だから、レオンガンドは質問を変えた。ジゼルコートを疑うのは心苦しいが、仕方のないことだ。
「……伯は彼とどうやって知りあったのだ? ベノアガルドの諜者とガンディアの領伯に接点などあるものなのか?」
「わたくしが彼と知り合ったのは、四月頭のこと。彼がマイラムで騒動を起こしたとき、わたくしの手のものが執り成したことがございまして」
「それが縁となって知り合ったのか」
「はい。彼が正体を明かしてくれるまで時間はかかりませんでしたよ」
「伯を信用したのかね」
「はたまた、わたくしを利用するため、正体を明かしたのかもしれません」
正体を明かすことでジゼルコートを巻き込んだ、ということだ。そうすれば、アルベイルの正体が外部に漏れた場合、ジゼルコートにも害が及ぶことになる。ジゼルコートは、彼を匿わざるを得なくなる。ジゼルコートの憶測を信じればそういうことになるし、その可能性も捨てきれないが。
「それで、伯は、ベノアガルドが彼をガンディアに寄越した真意を探るため、游がせていた、ということか」
「その通りでございます。陛下に話を通していなかったのは、彼の信頼を得るため。真に信頼を勝ち取らねば、彼の真意を知ることはできませんからな」
「なるほど。よく理解できた。伯が話してくれてよかった。無駄に人員を割く手間が省けた」
「しかしながら、ベノアガルドの真意については、よくわかっておりません。なにやらエンジュール伯のことを知りたがっていたのは間違いないのですが、それがなにを示しているのかまでは」
「セツナのことを探っていた……か」
「エンジュール伯は、ガンディアの英雄。北の国にとっても放ってはおけない存在なのやもしれません」
「だろうな……」
特にクルセルク戦争での戦果は、筆舌を尽くしがたいものであり、周辺諸国に衝撃を与えるには十分過ぎる威力を伴っている。黒き矛のセツナが一騎当千の実力を持っていることはよく知られた話であり、これまでの戦争で、何度となく実践してきたことだ。感覚が麻痺し、驚くべきことではなくなってしまっている。しかし、一万以上の皇魔をたった一人で倒したとなれば話は別だ。その話を聞けばだれだって驚嘆し、腰を抜かすだろう。ガンディアの誇張といい、喧伝しているだけだというだろう。しかし、セツナの戦果を伝えるのは、ガンディアだけではない。連合軍参加国の多くが、セツナが一万以上の皇魔を殺戮したということを事実といい、賞賛している。
ベノアガルドがセツナに興味を抱いたとしてもなんら不思議ではなかったし、セツナの排除に動いていたとしても、おかしくはなかった。
「セツナの身辺警護の状況は?」
レオンガンドがアヴリルを一瞥すると、彼女は即答してきた。
「暗殺未遂事件以来、変わっておりません」
「強化しておけ」
「御意」
アヴリルの即答ぶりはいつ見ても清々しいものだ。彼女は決して自分の意見を挟んではこなかった。レオンガンドの意思こそが最上のものであると理解しているのだ。彼女を王宮警護の管轄官にしたのは、間違いではなかったということだ。
「さて、ジゼルコート伯。話を続けよう。アルベイル=ケルナーはレム=マーロウと衝突したのだが、それについてはなにかいっていなかったか?」
「世間話をしていたら、つい戦闘になってしまった、ということですが」
「……理解できんな」
「わたくしにもわかりかねますな」
ジゼルコートの嘆息を聞きながら、レオンガンドはアヴリルに視線を送った。彼女は目だけでうなずく。こちらの意図を理解したのだ。
ジゼルコートの監視を強める必要が生じた。
「では、わたくしはこれにて。アルベイル=ケルナーについてまたなにかわかれば、お知らせに上がります」
「ああ、頼む。では、ゆっくりと休まれよ」
「陛下も、しっかりとお休みになられませ。今宵は皆様はしゃぎすぎでした」
「仕方があるまい。年に一度もない慶事だ」
「もちろん、わかっておりますよ」
ジゼルコートは微笑すると、深々とお辞儀をした。礼儀に適った挙措動作は、さすがは王族の一員というべきだろう。ガンディアのすべての貴族は、ケルンノール伯に礼法を習うべし、といわれるだけのことはあった。優雅で、気品に満ちている。
しかし、作戦室を出て行くジゼルコートの背中を見遣るレオンガンドの目には、疑念が宿っていた。