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第七百九十二話 仮面舞踏会(九)

 夜の闇が頭上を覆っている。遥か上空、手など届くはずもない距離だ。浮かぶのは星々であり、たゆたうのは闇。穏やかな春の夜に相応しい星空といってもよかった。

 降り注ぐ星明かりと月の光の中、彼は、ひとり、東庭園に佇んでいた。王宮大広間では、晩餐会が催されている時間帯だ。いつもの晩餐会ではなく、皆仮面をつけなければならないという趣向らしいのだが、彼には興味がなかった。

 カイン=ヴィーヴルは、平時には何の役にも立たない存在なのだ。

 彼は、足音に気づいたが、振り返りもせずに頭上を仰いでいた。東庭園に設置された魔晶灯の光が視界に差し込んできていて、星空を満喫することはできていない。

「せっかくの仮面舞踏会ですのに、こんなところでなにをなさっておられるのでしょう?」

 足音の主が声をかけてきたので、彼は、夜空とのにらみ合いをやめた。詮のないことだ。もっとも、彼女との戯れもまた、詮ないことなのかもしれないが、構わないだろう。一夜の夢のようなものだ。

「……警備だ」

「こんなところで?」

「今日、ここで騒ぎがあったからな」

「……さすがはカイン=ヴィーヴル様。“忠犬”の二つ名は伊達ではございませんね」

 相手は、ゆっくりとカインとの距離を詰めてきている。緩やかな足取りは、優雅というよりも辿々しいといったほうが正しい。彼女の足が悪いという話は聞いたことがないが、知らないところで怪我をした可能性はある。少し心配したが、杞憂だった。

「“忠犬”か。悪くない」

「“忠犬”か。悪くない……ですって」

 彼女は、カインの声色を真似たつもりのようだが、似ても似つかない代物だった。

 それから、彼女がカインにもたれかかってきた。立っているのも疲れるのか、それとも、別の意図があるのかはわからない。抗わないのは、抗ったところで無意味だということを知っているからだ。彼女は、カインを支配している。

「……なんだ?」

「うふふ、なんでもございませんわ」

 妙に陽気な口ぶりが気味悪く感じるのは、いつもの彼女らしくないと思ってしまうからかもしれない。カインの知っている彼女は、もっと深く、どこまでも落ちていくような人物だった。

「悪いものでも食べたか……いや、酔っているのか?」

「あら、魔女が酔ってはいけませんこと?」

「めずらしいこともあるものだ」

 そこでようやく、彼は彼女を視界に収めることに成功する。彼女がぐるりと前に回ってきたからだが、ふらつく足取りは、どう考えても酔っ払いのそれであった。彼女が酔った姿など見たことはなかったが、魔晶灯に照らされた肌がわずかに色づいている様は、悪いものではない。身に着けている衣装も、いつもの喪服のような黒衣ではなくなっており、それがまた彼女の色気を増幅させているようだった。丈の長い純白の衣装。魔女に似合わない代物だが、彼女自身には似合っている。

「いや、常に酩酊しているようなものか」

「酷いいいざまですこと」

「君を端的に表している言葉だと思うがな」

「うふふ……わたくしのこと、よくわかってくださっているのね。素敵です」

 彼女は、極上の笑みを浮かべていた。それがいつもの彼女らしくなくて、カインは戸惑いを覚えるしかない。

「なんなんだ……」



「仮面なのに、仮面舞踏会には参加しないのですね」

 ウルがそういってきたのは、しばらく夜風に当たり、多少なりとも彼女の酔いが覚めてからのことだった。東庭園に人気はない。王宮警護の連中も、カイン=ヴィーヴルの周囲は安全だと判断して姿を消している。空気を読んだのかもしれないし、あるいは、ウルに支配された可能性もなくはなかった。彼女の支配には制限があるものの、東庭園周辺に大量に配置されているわけもない。二、三人なら支配し、ふたりの周りから下がらせることも不可能ではないだろう。

「俺の仮面は、仮面であって仮面ではない。あの場にはそぐわん。興を削ぐだけだ」

「木を隠すなら森の中といいますし」

「木を見て森を見ずともいう。俺の仮面を知らないものは、あの場にはいないよ」

「さすが有名人」

 ウルが皮肉っぽくいってきた。実際、皮肉以外のなにものでもないのだろうが、彼は否定しなかった。カイン=ヴィーヴルは、ガンディアでも有数の武装召喚師だという自負もある。

「が、正体を知っているのはほんの一握りだ」

「わたくしもその一握りでございますね」

「素顔を晒せるのは君くらいのものさ」

「ふふ……」

 彼女は長椅子から飛ぶように降りると、こちらを振り返った。純白の衣装が舞い、まるで天使の翼のようだった。

「では、ここで一曲、踊りませんか?」

 彼女が、恭しく礼をすると、細い手を差し出してきた。王宮大広間で奏でられる楽団の旋律は、この東庭園までか細いながらも届いている。踊れないことはなかった。

「片腕では踊れまい」

「いつものように召喚なさってくだされれば、踊ることも難しくはないでしょう?」

「それもそうだな」

 ウルの提案がとてつもなく魅力的なものに思えたのは、結局のところ、カインが彼女に心を許している証明なのだろう。

 カインは、呪文を唱えながら冷静に分析し、苦笑した。苦笑しながら、それも悪いものではないと思ったりした。


「みんな踊ってるなあ」

 ドルカ=フォームは、王宮大広間で繰り広げられる絢爛豪華な光景に胸の高鳴りを抑えられなかった。

 いくら見栄を張ろうとも見どころのない男どもはともかく、着飾った女性たちがそれぞれに舞踏し、自分の美しさを披露しようと必死な様は、その必死さ故に美しく、素敵だった。虚飾であれ、虚栄であれ、みずからを飾ろうともしない人間には魅力も感じないものだ。しかし、この舞踏会場にいる人々はみな、自分を装飾することに全力を注いでいる。当然のことではあるが、着飾ることに力を注ぐ傾向は軍人よりも貴族のほうが強く、中でもガンディア人は顕著だった。

 ガンディア人の派手好きというのは、軍に限ったものではないということなのだろう。国民性の違いを見て取れるのが、数多の国を飲み込み、大国となったガンディアの晩餐会の醍醐味なのかもしれなかった。

「よし、俺達も踊るか」

 ドルカは、言い放つと、傍らのニナ=セントールの手を取った。彼女は、ドルカの言動を予期してもいなかったのか、驚きのあまり後ずさりした。

「え? わたしと、ですか?」

「君以外だれがいるの?」

「え、ですが、その……」

 しどろもどろになる彼女だが、舞踏会に相応しい衣装を身に着けていないわけではなかった。青を基調とし、咲き誇る花を連想させる衣装は、ドルカが彼女のために用意したものであり、舞踏会当日になって彼女に披露したものだった。ニナは軍服で参加するつもりだったらしく、衣装を目の前にして硬直していたものの、ドルカが自前で用意したものだと知ると、なにもかもを諦めたように身につけてくれたのだった。

 鉄面皮のニナ=セントールという異名には相応しくないほど派手な衣装ではあったが、彼女の容貌を引き立てており、似合っているとしか言いようがなかった。彼女に見惚れるものも少なくなく、声をかけてくるものもいたが、ニナはそのたびにいつもの無表情で断ってきている。ドルカも、いつもの鉄面皮で拒絶されるのではないかと思ったりしたのだが、彼女の反応は、まったく異なるものだった。

 ドルカは、同じく青を基調とする礼服を着込んでいる。ニナと同じ青が基本となっているのは、ログナー方面軍の色だからであり、ログナー人としての無意識が、青を選ばせたようだった。普通の礼服よりも派手目なものを選んだのは、衣装を纏ったニナと並び立ったとき、彼女が目立ち過ぎないようにという配慮だった。

 副官であることに自負を持つ彼女がドルカより目立ってしまうのは、彼女の想いを踏み躙ってしまいかねない。

「ニナちゃんは踊りは苦手? やめとく?」

「や、やります! 苦手ですけど!」

 ニナは、何事にも全力でぶつかっていく女性だ。だからこそ気高く、美しいと感じるのだろう。

「ふふ、その意気だ」

 ドルカは、ニナの手を引いて、舞踏会場に向かった。楽団の奏でる旋律はゆったりとしたものであり、舞踏初心者のニナと堪能するにはちょうど良かった。


「セツナ様とファリアさん、素敵だったなあ」

 セリカ=ゲインが、宮廷料理に舌鼓を打ちながら、しみじみといった。彼女は舞踏会場を眺めながら食事を堪能することが一番、らしい。

「室長は踊らないんですか!」

 いつものように元気いっぱいの声を発したのは、シーナ=サンダーラだ。彼女は野菜の盛り合わせを確保している。彼女もまた、食い気が優っているようだ。

「どうせならわたしと……」

 すると、マリノ=アクアがいまにも消え入りそうな声でいってきた。彼女は、その大人しさに比例するかのように小食だったが、お酒だけはたらふく飲んでいるようだった。

「いやいやいやいや、ここはわたしでしょ!」

「いえ、わたしですよー」

「わたしが最初に申し込んだのに……」

「三人と同時には踊れないよ」

 エイン=ラジャールは、口々に喚き立てる部下たちに苦笑するしかなかった。

 セリカ、シーナ、マリノの三人は、ログナー方面軍第三軍団時代からの部下であり、エインが参謀局に移るにあたって引き抜いてきたのだ。彼女たちは部隊長として前線に立つよりも、情報を整理したり、戦術を考案したりと、エインと一緒になって仕事ができる現状のほうが楽しいらしい。彼女たちが楽しそうに仕事をする様を見ている限り、引き抜いたことは正解だったのだろう。もっとも、彼女たちは部隊長としても優秀だったため、後任の第三軍団長には悪いことをしてしまったともいえるのだが。

「では、わたしとはどうだ? 参謀局第一室長殿」

 エインのみならず三人の部下が息を呑んだのは、薔薇色の衣装を身に纏ったアスタル=ラナディースが声をかけてきたからだった。

「もちろん、喜んで」

 エインは、右眼将軍直々の誘いに応じると、硬直したままの部下たちを放置して、舞踏会場に向かった。

 アスタルと踊るのは、ログナー時代の晩餐会以来だった。


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