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第七百八十九話 仮面舞踏会(六)

「ところで、レムが会場に連れて行かれるのを見たんだけど、どういうことなの?」

 ファリアが話を切り出したのは、少し落ち着いてからだった。

 テラスに用意された椅子に座り、夜風に当たりながら、踊り疲れた体を癒やす。汗に夜の風が冷たくて、火照った体に心地良かった。冷えきった果実酒が喉を潤してもくれる。今夜はいくらでも飲めそうだった。それくらい、気分が高揚している。

(魔法にでもかかったみたいね)

 胸中でつぶやいて、苦笑する。本当に魔法にかかったのかもしれない。しかも、驚くほど単純で、馬鹿馬鹿しいほどにわかりやすい魔法に。

 マリアが、ファリアに果実酒入りの器を手渡しながら口を開いた。

「ああ、あの子、踊りに誘われたんだよ」

「レムが?」

「レム自身、かなり驚いてたみたいよー」

 ミリュウは、セツナの隣に自分の椅子を移動させている最中だった。ようやく自分が甘えられる機会が巡ってきた、とでもいわんばかりの勢いがあった。ファリアがそんな彼女の行動を可愛らしく思えるのは、精神的に余裕があるからなのかもしれない。もちろん、普段、特別に疎ましく思ったことはないのだが。

「そりゃそうだろう」

 セツナがミリュウの反応の適当さにあきれた。手拭いで汗を拭ってから、机の上の料理に手を伸ばす。踊り過ぎてお腹が空いているのだろう。ファリアも同じ状況だった。空腹のあまり、お腹が鳴りそうだった。

 レムが踊りに誘われるなど、想像できる話ではなかった。彼女に魅力がないからではない。彼女は、極めて魅力的な少女だ。美少女といってもいい。彼女が微笑めば、だれであれ魅了されてしまうのではないかというほど可憐であり、多くの人間に領伯の従者にしておくのが勿体無いと思わせるだけのものがあった。

 その領伯の従者、使用人という彼女の立場こそ、彼女が踊りに誘われる可能性を限りなく低くしていた。ファリアがミリュウにいったことでもある。セツナを取り巻く女たちに声をかけられるのは、セツナの立場や権力を気にしないような勇敢な人間か愚かな人間であり、王宮主催の晩餐会に呼ばれるような人間に、そのような人物はいないはずだった。

「で、相手は?」

「アルベイル=ケルナーっていうらしいよ」

「だれだよ?」

 セツナが不機嫌なのは、傍目に見て明らかだった。不機嫌そうなのではなく、不機嫌なのだ。ファリアがほかの男に誘われても同じように不機嫌になってくれるのだろうか。そんな事を考えて、バカバカしさのあまり、自分が嫌になった。きっと、同じような態度をとってくれるだろう。彼のことだ。

「なんでも、ジゼルコート伯の御友人だとか」

 ミリュウが、セツナの胸元に顔をうずめながらいった。セツナは、いつものように彼女のなすままにされている。セツナもミリュウに感謝しているのかもしれなかった。ミリュウがファリアの背を押したことは、彼にも伝えてあった。彼の手が、ミリュウの髪を撫でた。不機嫌そうな表情が一点、慈しみに満ちたものに変わる。

「へえ……そんなひとがなんでまたレムに」

 ジゼルコート伯とは、ジゼルコート・ラーズ=ケルンノールのことだ。ケルンノールの領伯であり、ガンディア最高峰の権力者といっても過言ではない。先の王シウスクラウドの実弟であり、つまり、レオンガンドの叔父に当たる人物でもある。かつて影の王として君臨していた時期があり、その影響力はいまも健在だという。

 影の王といわれただけのことはあり、その政治手腕は凄まじい。レオンガンドがクルセルク戦争に集中することができたのは、国内政治をジゼルコートに一任することができたからだ。ジゼルコートが王宮に入るのを拒み続けていれば、連合軍とクルセルクの戦争はもう少し先延ばしになったかも知れず、そうなれば戦争の経過も違ったものになっていたかもしれない。

 そんな高名な人物の友人だ。心配する必要はないと思うのだが。

「そういう趣味なんじゃない? あの子、黙ってたら可愛いし、気をつけないと取られちゃうわよ」

「取られるって、まるで俺の持ち物みたいにいうなよ」

 セツナは口を尖らせたが、本心ではどう思っているのかは、わからない。持ち物とは思っていなくても、特別な感情があるのは間違いなさそうだ。いや、それで普通なのだ。レムは、四六時中セツナに付きまとい、世話を焼いて回っている。それが嫌だったら、実力行使してでも拒絶するのがセツナであり、受け入れているということは、好意に近い感情を抱いているのではないか。

「取られるなんてこと、あるとは思えないわ」

「ま、そうだね。レムのことだ。誘いを断ると、御主人様の名に傷がつくとでも思ったんだろうさ」

「わかってるわよー。ただの冗談じゃない。だから怒らないで、ね?」

 ミリュウが、セツナの唇に人差し指を這わせながらいった。彼女が上目遣いで甘えるさまは、とてつもなく蠱惑的だ。ファリアにはとても真似のできない代物であり、彼女は、呆れるよりもむしろ感心した。そういうことが平然とできるのが、ミリュウの強味だ。どんなに鈍い男でも、彼女の愛情に気づかざるをえまい。そして、気づいたが最後、虜になってしまうのだ。

 ミリュウもまた、魅力に満ちた女性だった。

「怒ってねえよ」

「怒ってる」

「怒ってねえって」

「怒ってるよー」

 ミリュウが体の半分をセツナの上に移動させている。ファリアは、いつもならそういうことができる彼女を羨ましく思うのだが、今日は、むしろ微笑ましく思えてならなかった。魔法にかかっている。魔法の効力が切れない限り、彼女の言動はすべて許すことができるかもしれない。魔法はあまりに強く、あまりに甘美だ。このまま魔法にかかり続けていたいと思うほどだが、そうもいくまい。

 午前零時には消えるような魔法だ。

「まるで恋人同士みたいだね」

「えっ……!?」

 ミリュウが、マリアを一瞥した。顔だけじゃなく、首筋まで真っ赤になったかと思うと、そのまま凍りつく。マリアの発言が彼女の思考停止を招いたらしい。

「さすがマリア先生だな」

 セツナが感心したのは、ミリュウの扱い方を心得ているという意味だろうが。

 セツナは、硬直したままの彼女の慈しみながらも、大広間に視線を注がざるをえないようだった。


 大広間には、未だ多数の参加者が集まっていた。だれもが仮面をつけている。仮面だけでなく、全身、奇抜な仮装を施すものもいるが、そういった人物は極めて稀で、ほとんどの参加者が目元だけを隠す仮面をつけている。そのほうが会話しやすりからだ、という話を聞いたことがあるが、実際、そのとおりなのだろう。口元まで覆う仮面の人物の会話は、聞き取りにくかった。

 現在、宮廷楽団が奏でているのは、舞踏曲ではない。穏やかな調べは、一時の休息を促すものであり、それは、領伯と彼の相手を務めた女性が長い間踊っていたことを察した楽団による計らいといっていいだろう。あのまま舞踏曲を続ければ、ふたりが休むことなく踊り続けたのは明白だ。それくらい、ふたりは舞踏に夢中だった。いや、舞踏にではない。ふたりの世界に夢中だったのだ。

 セツナとファリア。

 ふたりが舞い踊る光景が脳裏に焼き付いているのは、単純に羨ましかったからかもしれない。

 ファリアは、セツナを取り巻く女たちの中で、もっとも彼と付き合いの長い人物であり、もっともセツナが信を置く人物でもある。そう認識しているのは、ミリュウがいったからではない。彼がファリアを特別視しているのは彼女に対する言動を見ていれば嫌でも気づくことだ。だからといって他の女性陣を無下にしているわけではないのが、セツナのセツナたる所以だろう。

 些細な変化に過ぎないし、彼のミリュウへの態度を見れば分かる通り、彼は、自分に好意を抱く人物に対して極めて開放的だ。拒絶するということがなく、だからこそ、ミリュウの言動は過激になり、留まるところを知らないのだろうが。

「まさか、誘いを受けていただけるとはね」

 アルベイル=ケルナーと名乗る人物の言葉は、軽い。そこに真はなく、虚偽と欺瞞によって塗り固められた存在なのだということが、よくわかった。蒼白の礼服に目元だけを覆う群青の仮面。やや長めの髪は黒く、仮面の奥に潜む瞳の色は茶褐色だ。肌の白さが際立っていた。見るものが見れば、彼が北方人だということがわかるのではないかと思うほどだ。

「それがわたくしの務めだと思ったからでございます」

 まさか彼のほうから接触してくるとは思わなかったのだが、接触してきたのなら、その誘いに乗るしかなかった。彼の思惑を知る絶好の機会だった。これを逃せば、こういう機会は、二度と訪れないかもしれない。

「ほう。では、一晩中、話し相手になって下さいますか?」

「それはご遠慮願います。わたくしは御主人様の護衛も務めておりますので」

「なるほど。それなら仕方がないな」

 やがて、アルベイルが足を止め、彼女も足を止めた。舞踏会場に辿り着いたのだ。周囲の視線が突き刺さる。好奇の視線だ。下卑たものもあれば、単純に興味津々といったものもある。そういった視線が注いでくるのは、大広間にいるほとんどの人間が、レムの立場を認識しているからだ。レムは、セツナの従者であり、彼に身も心も捧げている。そんな人物が、主を放って、見知らぬ男と踊ろうというのだ。だれであれ興味を抱くのは当然のことかもしれない。

「では、一曲、踊りましょう」

 アルベイルの言葉に合わせるように、楽団の奏でる音色が変わった。

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