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第七百八十五話 仮面舞踏会(二)

 ガンディア恒例の王宮晩餐会は、四月七日午後八時、王宮大広間で催された。

 主賓は、御前試合優勝者であるセツナ=カミヤと、王妃ナージュ・レア=ガンディアの二名であり、セツナの優勝とナージュの御懐妊を祝福する宴というのが、この晩餐会の趣旨であった。しかし、ただの晩餐会では面白みがないというナージュの意見によって、晩餐会の参加者には仮面の着用が義務付けられた。

 いわゆる仮面舞踏会なのだ。

 仮面は、晩餐会場を現実から切り離す装置であり、仮面を身に着けている限り身分の上下はなく、役職のしがらみもない。だれもが名も無き個人として、大広間の広大な空間に解き放たれることになるのだ。

 大広間は、舞踏会場ともなっており、宮廷楽団が奏でる音楽に合わせて踊ることができるようになっていた。踊るための空間が広めに取られていることから、今回の晩餐会の主題が仮面舞踏会であることは明らかだった。踊るのが苦手なものであっても、仮面を身に着けた以上は、踊らざるを得なくなっている。

 もちろん、豪勢な料理も数多く用意されており、食事だけでも十分満足できる内容となっている。料理は、大広間だけでなくその周辺の部屋にも並べられていて、使用人や給仕が状況の確認や料理の追加のために歩き回っていた。

「いつもの晩餐会に仮面がついただけね」

 ミリュウの素直な評価には、ファリアも笑みをこぼすしかなかった。

「まあ、そうだけど、仮面ひとつで変わるものよ」

「うーん、仮面をつけたってさ、立場が変わるわけないし」

「そうねえ……王妃殿下が仮面をつけておられても、踊りの相手に誘えるわけがないわね」

「そんなことで不敬罪になったりしないとは思うけどさ」

 ミリュウがくすりと笑った。無礼講だといっているのに、王妃を踊りに誘ったために処刑されるなど、笑い話にもならないくらいひどい話だ。レオンガンドがそのような真似をするとは考えられないし、するはずもないのだが。それでも、ナージュを踊りに誘う勇気を持った人物はいまい。

 ファリアは、結局、碧の衣装に袖を通した。開きすぎていた胸元は、下に身につけた衣装によって、対処した。祝賀の場で、あまり不埒な格好はしたくなかったのだ。髪飾りや装飾品も控え目で、眼鏡はしていない。祖母より受け継いだ青みがかった髪を活かすには、青を基調とした衣装がいいだろうと考えてのことだが、鏡を見る限り、似合っていた。うぬぼれかもしれない。そのうえで、目元だけを覆う仮面をつけている。青い翅の蝶の仮面は、衣装に合っている。

 ミリュウは、赤よりも白が多めの衣装を身に纏っていた。白地に赤が良く映えており、彼女の髪の色も相まって、あざやかな印象を与えている。露出はほとんどない。首元さえ見えないほどの隠しっぷりであり、ミリュウの印象からは程遠い衣装だといっても言い過ぎではないだろう。豊かな胸や肉感的な体型さえも、衣装の中に隠されてしまっていた。彼女も目元だけを覆う仮面だが、意匠が異なり、紅い竜を模したものだった。

 仮面は、用意された何種類もの中から選ばせてもらったものだ。ファリアは脳裏に描いた衣装との整合性を考えた上で青い蝶を選び、ミリュウは、紅い竜が気に入ったから選び、そこから衣装を考えたということだ。

 ふたりは、大広間の片隅、窓際に佇んでいる。《獅子の尾》から参加したのがふたりだけ、ということではない。エミルもマリアも参加していたし、セツナもルウファも会場に来ている。当然、レムもだ。しかし、セツナは忙しく、彼と晩餐会を過ごすのは、簡単なことではなさそうだった。御前試合の優勝者であるセツナは、この晩餐会の主賓のひとりなのだ。挨拶回りだけで疲れきってしまうのではないかと勝手に心配してしまうほどだ。

 もっとも、セツナにはレムがついている。倒れそうになったら、彼女が止めてくれるだろう。レムは、セツナよりもセツナの身を案じてくれているようなのだ。疲れ果ててもなお訓練の続行を願うセツナに、強引に休憩を取らせる彼女を見る限り、心配は無用といえた。

 セツナは、白い礼服を身につけていた。遠目から見てもだれがセツナなのかはっきりとわかるほどの真っ白さは、彼らしくないといえば、彼らしくなかった。いつもなら黒で決めるところに違いないのだが、ナージュ王妃の御懐妊を祝うため、あえて正反対の白を選んだということらしい。

 一年前に比べると、全身が増量しているように見える。筋肉が増大しているのだ。でなければ、御前試合を勝ち抜くことなどできないのは明白だが、それにしても驚くべき変わりようだった。初めて出逢ったときの彼と比べると、別人といっていいほどだ。

 彼の仮面は、刀剣を模したもののようだ。目元を覆う黒い仮面であり、セツナの仮面だけは、王宮が選んだものであり、セツナに選択権はなかった。しかし、白の礼服に合わないということはなかった。

 彼に付き従うレムは、白に黒が混じった衣装である。白と黒の比率が、普段の使用人仕様の衣服と逆転している、というべきかもしれない。白が九割を占めた衣装を身に纏う彼女の姿は、ファリアから見ても可憐といわざるをえなかった。実年齢はともかく。外見としては十三歳の少女なのだ。可憐という言葉が似つかわしいのは当然といえるのかもしれない。漆黒の髪に銀の髪飾りが映え、セツナとお揃いの黒い仮面も似合っていなくはない。主と従者というよりは、恋人か夫婦のように見えるのは、決して気のせいではないだろう。

(気のせいにしておいて欲しいけど)

 果実酒を口に含んで、ファリアは頭を振った。余計なことばかり考えてしまうのは、待っている身だからだ。挨拶回りに忙殺される彼を待つだけなのは、正直、辛いものだ。レムのようについてまわることができれば、どれほど気楽なのか。しかし、ファリアにその資格はあるまい。セツナは、御前試合の優勝者としてここにいるのだ。《獅子の尾》隊長として、ではない。

 もっとも、レムは、資格の有無など関係なく、セツナに付き従っていた。四六時中、片時もセツナの側を離れないのがレムだ。彼女が、セツナの挨拶回りに付き従っていても、なんの不自然さもなかった。むしろ、だれもが当然のことのように受け入れてしまっている。

 それが少しばかり羨ましい。

 ふと、視界に映った光景に注意が向く。ある美女を中心に人集りができていたからだ。美女は長身で、それに見合うだけの肢体と容姿を誇っており、男たちが踊りの相手を名乗り上げ、競い合うのも当然のように思えた。マリア=スコールである。

「それにしても、もてもてね、先生」

「美人だし、胸も大きいし、男が放っておくわけないわよねえ」

 ミリュウがどことなく誇らしげにいったのは、マリアが《獅子の尾》専属の軍医だから、というだけではない。マリアの衣装を選んだのがミリュウ自身だからだ。白を基調とした衣装は、かなり大胆で、際どいとさえいっていい代物だったが、大柄なマリアが身につけると、不思議なほどに似合い、自然に見えた。つまり、衣装の持つ際どさを感じさせなくなってしまうほどの迫力が、マリアの体にはあるということだろう。胸の大きさを強調するようでいて、決してそれだけに頼っているわけではないのだ。さすがはミリュウといったところで、羽飾りの綺麗な帽子と翼の仮面もよく合っていた。

「顔は半分隠れてるけどね」

「口元だけで色っぽいよ、先生」

「そうね」

 ファリアは、ミリュウの意見を否定しなかった。ミリュウは、マリアのことも好きなのだろう。普段、いかがわしいだのなんだのいうのは、好きだからに違いない。好きだからじゃれているだけなのだ。そんな彼女が、空になった器をもてあそびながら、ぽつりといった。

「あたしたち、魅力ないのかな」

 予想だにしなかった彼女の言葉に吹き出しかける。そんなことを気にするなど、想像すらできなかったのだ。

「単純に、声をかけにくいのよ」

「どうして?」

「だって、あなたの場合、セツナ以外眼中にないでしょ?」

「そうだけどさ」

「声をかけても素気なく振られるのがわかっているから、最初から相手にしていないだけよ」

 王宮主催の晩餐会に招かれるほどの人物ならば、ミリュウ=リバイエンがどういった人間なのかくらい知っているはずだ。むしろ、その程度、知っていなければならないだろう。彼女の出自はともかくとして、現在の彼女は、ガンディア王立親衛隊《獅子の尾》の大切な隊士なのだ。《獅子の牙》や《獅子の爪》はともかく、《獅子の尾》の隊員数は極めて少ない上、だれもが一線級の活躍をしているのだ。知らないでは、済まされない。

 そして、ミリュウ=リバイエンという人物について少しでも知っていれば、手出しのしようがないということも明らかだ。彼女は、セツナ・ラーズ=エンジュールに夢中であり、人目も憚らず彼に腕を絡めたり、抱きつくような人物だ。彼女に声をかけても無視されるだろうし、場合によっては、セツナに睨まれるかもしれない。セツナはエンジュール領伯である以上に、いまやガンディアの英雄だ。彼を敵に回すようなことは、だれだってしたくはあるまい。

 その点、マリアは、セツナとは一定の距離をおいている上、セツナに対して特別な感情を抱いているとは思われていないこともあり、ミリュウよりも遥かに声をかけやすいのだろう。あるいは、単純に、マリア=スコールと認識されていない可能性もある。彼女は長身という特徴こそあるものの、それ以外は至って普通だ。ファリアとミリュウのように髪色で判別できるわけもない。

「ファリアもよね」

「そうねえ」

「セツナ以外、見ていないでしょ」

「……うん」

 その言葉も、否定できなかった。

 ファリアの目は、大広間を歩き回るセツナだけを追いかけていた。セツナは、休む暇もなく歩きまわっている。彼が挨拶する相手は、国王夫妻を始めとするガンディアの有力貴族の当主や夫人たちであり、大将軍や副将といったガンディア軍の関係者だ。参謀局の室長や軍団長にも挨拶がてら言葉を交している。

 セツナがときに笑顔を交えている会話の内容が気になって仕方がなかった。ドルカ=フォームとニナ=セントールのふたりに挨拶したときなど、こちらを見て、笑ったのだ。これで気にするな、というほうが無理だった。

「セツナも大変よねえ」

「そりゃあそうよ。忙しくて当然なのよ。彼はエンジュールの領伯で、ガンディアの英雄なんだから」

「そして、御前試合の優勝者……かあ」

「まったく、いろいろありすぎよね」

「でも、セツナが楽しそうなら、それもいいかなー」

「そうね。セツナが幸せなら、問題はないわね」

 ファリアは、ミリュウの言葉にうなずきながら、セツナとレムがなにか話し合っているのを見て、ようやく挨拶回りが終わったのだと理解した。セツナは、肩の荷が下りたように、安らいだ表情を浮かべていた。レムが彼の方を揉もうとしたが、セツナに断られ、彼女のほうが肩を落とす。そんなふたりのやり取りを遠目に見ているだけで、少しばかり幸せで、けれど、この埋めようのない距離感を認識することは、辛くもあった。

 隊長補佐と隊長の距離感でも、ファリアとセツナの距離感でもない。

 英雄とその一仲間の距離感。

 埋めようのない隔たり。

 永遠に等しい空白を感じる。

 もちろん、そんなことはない、気のせいだ、と言い切れないことはない。隊舎に戻れば、王宮から一歩外に出れば、いつもの距離に戻れるだろう。それは疑いようのない事実だ。いつものように隊長と隊長補佐に戻れるし、その気になれば、ただのセツナとただのファリアになることだってできるだろう。そして、その距離感をセツナ自身が嫌っていないのも、間違いないという自負がある。むしろ、この距離感こそ嫌っているのではないか。

「終わったのかしら、挨拶」

「そうみたい」

「セツナー! こっちよー!」

「子供みたいにはしゃがないの」

「だってえ……」

 ファリアがミリュウを叱ったのは、その子供染みた態度が仮面舞踏会には相応しくなかったからであり、隊の品位を下げたくはなかったからだ。隊の品位は、隊長の評判に繋がる。もっとも、そんなことを心配する必要がないことも理解しているのだが。

 セツナは英雄だ。ミリュウが少しはしゃいだくらいで、彼の評判が下がるようなことはない。

 そのとき、ファリアは、愕然とした。

「あ……」

「ほら、大人ぶってるから、セツナを横取りされちゃうわよ」

 ミリュウが、自分の行動が正しかったとでもいうかのようにいってきたのは、いつの間にか、セツナが複数の女性に囲まれていたからだ。貴族の令嬢もいるだろうし、軍属の女性もいるようだった。彼女たちは、セツナを踊りの相手に誘うため、彼が自由になる瞬間を待っていたらしい。レムと戯れだしたことで自由時間を得たのだと認識した女性たちは、我先にとセツナに殺到し、取り囲んだのだ。

 王宮主催の仮面舞踏会だ。踊りを誘われたなら、断るに断れまい。いまごろ、セツナを取り囲んだ女性陣は、だれが選ばれるのかそわそわしていることだろうが。

 ファリアは、気が気でなかった。自分がなぜそこまで動揺しているのか、まったく理解できなかったが、とにかく嫌だった。なにもかもが嫌だ。この埋めようのない距離感も、距離感を嘆いている自分も、距離感を気にしてもしないセツナも、のほほんと女性陣に囲まれているセツナも、遠くから見ているしかない自分も、なにもかも。

「取られていいの?」

 ミリュウが、心を抉るような問いかけを発してきたことに、ファリアは、心底恨んだ。睨めつけるが、彼女は素知らぬ顔だ。彼女も、平静ではいられないはずなのに、と思うのだが、反面、ミリュウはこういうとき、なんとも思っていないのかもしれない、とも考える。いや、どうだろう。嫉妬深い彼女のことだ。内心では怒り狂っているのではないか。

 そんなことを思っているうちに、女性のひとりがセツナの手を取り、大広間の舞踏会場に連れ出そうとした。レムがやんわりと制して事なきを得たが、彼女の防御も時期に効力を失うだろう。

「……良くない」

「で、どうするの?」

「どうする……って」

「黙ってみていたら、取られるわよ。セツナ、押しに弱いから」

「知ってるわよ、それくらい!」

 知っているもなにも、セツナを押しに押している好例とでもいうべき人物が目の前にいる。ミリュウが毎日のようにセツナに抱きつき、甘える様子を見てきているのだ。セツナが押しに弱いという事実を知らないはずがなかった。知っているが、だからどうだというのだ。押しに弱いということは、軟弱だということではないのか。軟弱な男になど興味はない。男は、強くあるべきだ。時代錯誤な考えが脳裏を席巻する。混乱している。自分でもなにを考えているのかわからない。

 それもこれも、セツナのせいだ。

「でも、だって……」

「んもう、焦れったいなあ」

 ミリュウは、果実酒の入った器を卓に置くと、ファリアの手を取った。ファリアは、彼女がなにを考えているのかわからず、きょとんとした。きょとんとしたまま、彼女によって強引に大広間の中心に向かって放り出された。

「さっさと行く! そして、セツナを独占するの! いいわね!」

「は、はい!」

 ミリュウの声に背中を押されたファリアは、放り出された勢いで、セツナに向かっていった。無数の視線が自分に突き刺さるのを自覚するたびに冷静さを取り戻していく。茹で上がった頭が急激に冷却され、自分がなにをしようとしているのか認識して、全身が熱を帯びる。きっと、顔も肌も真っ赤になっている。それでも、足を止められない。ミリュウがくれた唯一の好機。逃すことはできないし、いまさら足を止めてどうなるものでもない。

(もう、どうにでもなれ、よ!)

 ファリアは、セツナを取り囲む女性たちを押しのけ、さらにセツナの手に触れている女性の手もやんわりと跳ね除けて、彼の目を見た。

 黒い仮面の奥で、赤い目が驚愕に見開かれていた。

「セツナ様、今宵はわたくしと踊っていただけませんか?」

 ファリアは、彼の目に魅入られる自分を認識しながら、告げた。

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