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第七百八十四話 仮面舞踏会(一)

 ガンディア王都ガンディオン。

 強固な城壁が三重の同心円を描くこの大都市の中心部は、王侯貴族のみが住まう領域であり、王宮区画とも王宮とも呼ばれていた。宮殿そのものを指す場合は、獅子王宮と呼称することが多い。ガンディアは獅子の国だ。銀の獅子レイオーンによる建国伝説に則り、国の象徴が銀獅子になったことが大いに影響している。

 その獅子王宮の大広間では、今宵、晩餐会が開かれることになっていた。

「それにしても、この国って本当に晩餐会好きよね」

 ミリュウがあきれるようにいったのは、衣装選びの最中だった。ファリアも、衣装選びに没頭しながらも、その意見には同意する。

「ことあるごとに晩餐会だものね」

 とはいえ、それが王侯貴族というものなのかもしれない。もちろん、王宮大広間を使うほどの晩餐会が開かれることは稀だろうが。

「今回は御前試合のことだけじゃなくて、クルセルク戦争の祝賀も兼ねているそうですよ」

 エミルが衣装箪笥を開き、中を覗き込んで歓声を上げた。小洒落たものから派手なものまで色とりどり、千差万別の衣装が所狭しと収納されているのだ。これほどまで女心をくすぐるものは、そうあるものではない。

「そういえば、凱旋後すぐには行わなかったわね」

「王妃殿下の御懐妊が明らかになったんだもの。それどころじゃなかったのよ」

 彼女たちがいるのは、《獅子の尾》の隊舎内の一郭、女性陣のために用意された衣裳部屋の中だった。長身のマリア=スコールの全身が入るほど大きな鏡がいくつも用意されており、自分の姿を見ながら衣装を選ぶには最適の場所となっている。無数の衣装箪笥に衣装棚、そこに収納されるだけの衣装の数々は、もちろん、隊の経費で賄われている。

 王立親衛隊は、今回のように社交の場にでることも仕事であったりするのだ。衣装くらい隊の費用で賄えばいい、というのは隊長の意思でもあった。そんなことで隊士に負担を強いたくないというセツナの意図は、ファリアたちを感激させている。

 衣裳部屋は男子禁制。何度も着替えなければならないこともあって、皆、下着姿で動き回っていた。ただひとり、マリア=スコールを除いて。

「先生は選ばないの?」

 ミリュウが、衣裳部屋の片隅でなにやら黄昏れているマリアに声をかけた。

「あたしに似合うのなんてないだろ」

「なんでも似合いそうな気がするけどなあ。背、高いし」

「でかいっていいたいんだろ」

 マリアが自嘲気味に言い返した。確かに、マリアは身長が高いというよりは、全体的に大きいといったほうが正しいのかもしれない。しかし、ミリュウがそんなことを思うはずもなく、

「いってないでしょお。あたしね、衣装選びには自信があるんだ。先生のも選んであげる!」

「自分で選んでおいて、いかがわしいだなんていうつもじゃないだろうね」

「いうわけないでしょー。さあさあ、早くこっちにきてよ!」

「あー、はいはい。こういうところは可愛いんだけどねえ」

「なにかいった?」

「なにもいってないよ」

 マリアが、屈託なく笑った。ミリュウがマリアから衣服を脱がせながら、本当に楽しそうにつぶやく。

「先生には何色が似合うかしらねー」

 ミリュウとマリアのやり取りを見ていると、なんだか仲のいい姉妹が戯れているように思えてならなかった。ミリュウは、一度気を許した相手にはとことん甘えるのかもしれない。

「なんだかすごく楽しそうですね」

「ミリュウって、本当によくわからないわ」

 子供、なのだろう。

 精神的に未成熟な子供なのだ。そのくせ、大人より大人びた容貌に肢体を誇るくせに、精神面には極めて幼稚なところがある。それが、魔龍窟が彼女に残した爪痕なのかもしれないし、元々の性格なのかもしれない。どちらにしても、そこを魅力的と思えるかどうかが、彼女を好きになれるかどうかの分岐点なのだろう。

 ファリアは、碧い、胸元の大きく開いた衣装を手に取りながら、ミリュウとマリアが騒ぐ様子に小さく笑った。


「隣では女性陣が着替え中ですぜ、旦那」

 壁に耳を当てて、らしくない下卑た声を発するルウファに、セツナは呆れてものもいえなかった。が、黙っていれば、彼の言動が過激化しかねない。仕方なしに口を開く。

「それがどうしたんだよ。って、旦那ってなんなんだ」

「うへへ、こういうときこそ、男の魂が輝くときではないですかい?」

 もはやルウファ・ゼノン=バルガザールではなくなってしまったそれを見ることもやめて、セツナは、衣装選びを再開した。男の衣裳部屋は、女の衣裳部屋に比べてこじんまりとしている。《獅子の尾》は男の数が少ないこともあり、手狭に感じるくらいの部屋を衣裳部屋としたのだ。

 むしろ、女の衣裳部屋は、男の衣裳部屋と同じ広さの部屋を三室使っているというべきなのだが。

 隊舎改装の際、広い部屋が欲しくなったルウファによって、三室の壁をぶち抜かれていた。だだっ広い部屋が出来上がったものの、まともに使われることはなかった。その部屋を女の衣裳部屋としたのは、クルセルクからの凱旋後であり、それまでは放置されていたといってもよかった。

「ルウファってさ、ときどき本当にバルガザール家の人間なのかと疑いたくなるよね」

「うっ……それをいわれると」

「はあ……こんなのが副長で、この隊は上手くやっていけるのだろうか」

「ひどい! こんなのって、酷い!」

 ルウファがもの凄まじい勢いで詰め寄ってきたので、セツナはたじろがざるを得なかった。もちろん、本心でいったのではない。ただの冗談だ。彼がここまで全力で反応するとは思いも寄らなかったのだ。

「俺がこうなったのにはわけがあるんですよ!」

「いやまあ、そうだろうけどさ」

「人格を形成する上で貴重で重要な思春期を武装召喚術に捧げたんです。荒みもしましょう!」

「荒んでるとは思わないけど。でも、武装召喚術に捧げたのは、自分の意志だろ?」

「はい。もちろん、後悔なんてしていませんよ。隊長に出会えたのも、エミルと知り合えたのも、あのとき、師匠に弟子入りを志願したおかげですし」

 エミルに出会えたことが彼にどれほどの好影響を与えたのか、セツナにはわからない。セツナがファリアと出会えたことを感謝しているようなものかもしれないし、もっと深く、大きいものなのかもしれない。少なくともセツナとファリア以上に、ルウファとエミルの関係は深い。夫婦のように仲睦まじいふたりだ。結婚も考えているらしい。

「そういえば、ルウファの師匠ってどんなひとなんだ?」

 ふと気になったことを問いかけると、ルウファの表情が一変した。血の気が引き、目に見えて顔が青くなった。一瞬にして嫌な記憶が蘇ったとでもいうような変化だった。

「あー……その話は、また、いずれ」

「話したくないのか? 話せないのか?」

「話すと……その、なんていいますか、出てくるんじゃないか、とか」

「どんなひとなんだ」

 セツナは、ルウファの師匠がとんでもないものに思えてきた。

「噂をすればなんとやら、っていうじゃないですか。あれを地で行くひとなんですよね。だから、名前も出したくないっていうか」

「逢いたくないのか?」

「いやあ、会いたいのは会いたいですよ。師匠には感謝していますし。でも、もう少し落ち着いてからのほうがいいかなー」

 彼は、左腕を見下ろしていた。クルセルク戦争で骨折した左腕は、ほとんど治りかけているといった状態だったが、包帯を外すことはまだ出来ないらしい。それを見せたくない、というふうに受け取れるのだが。

「怪我を見せると怒られるとか?」

「厳しいひとですから」

 それで、彼の師匠に関する話は打ち切られた。セツナもそれ以上突っ込むことはできなかった。それ以上話を続ければ、ルウファの体調まで悪くなりそうな気配があったからだ。

 晩餐会まで数時間。

 万全の状態で挑むべきだった。

「わたくしは、この格好のままでよろしいのでしょうか?」

 不意に尋ねてきたのは、レムだ。彼女は決勝が終わってからしばらく姿を消していたのだが、どうやら王宮内をさまよっていたらしい。王宮区画は複雑な迷宮のようなものだ。セツナでさえ迷うことが多々ある。日の浅い彼女が迷うのは仕方がなかった。

「レムも着替えたほうがいいんじゃないか?」

「わたくしは、御主人様の使用人でございます。使用人ごときが出しゃばるのはどうかと……」

「世間は、そうは見てくれないぜ」

 レム=マーロウがジベルの死神部隊に所属していたという過去を消すことができない以上、彼女がただの使用人として認められるはずもなかった。セツナに近づいているのも、いずれセツナの寝首をかくためだと噂しているものもいれば、セツナに籠絡されたのだというものもいるらしい。世間は数多の噂があり、根も葉もないものから、本質に触れそうなものまである。そして、根も葉もない噂ほど信じられ、流布される。

 レムが使用人を名乗り、どれだけ使用人の役割に徹しようとも、世間も、セツナもそうは見ないのだ。

「そうでございますか……」

 がっくりと項垂れる彼女の背後の鏡に写る半裸の自分を見出して、セツナは、はたと気づいた。個々は男の衣裳部屋であり、女人禁制であるはずだった。

「って、なんでここにいるんだよ」

「はい?」

「女の衣裳部屋は隣だ!」

「ですから、御主人様のご意向を伺うのが先決かと」

「だったら衣裳部屋に入る前に聞いておけよ!」

 叫んで、セツナは彼女を部屋の外に放り出した。彼女も抗わなかったが、部屋の外に連れ出されるとき、妙に楽しげだったのが気になった。なにが楽しいのか、セツナにはわからない。

 他人のことはわからないものだが、レムのことほどわからないものはなかった。

 最終的には、彼女が楽しんでいるのならなんでもいいか、と結論付けるのだが。

「この勢いだと、エンジュールの温泉の中までついてきそうですね、彼女」

 ルウファの一言に、セツナは、彼の顔を見て、茫然とした。昨年末から年始にかけてのエンジュール滞在時はなんともなかったことだが、いまの彼女ならば温泉に押しかけてきてもおかしくない危うさがある。ガンディオンでの再会以来、レムがセツナの側を離れたことはほとんどなかった。朝も昼も夜も、つきっきりといっていいほどで、そのことが原因でミリュウが彼女に食って掛かることもあったほどだ。

「よくいっておかないとな……」

「俺は大歓迎ですよ」

 ルウファの笑顔は、爽やかなものだったが。

「エミルにもよくいっておくよ。旦那の手綱はしっかり握っておけってな」

「は、ははは……冗談ですよね?」

「本気だよ」

「ひ、ひどい」

 セツナは、力なく崩れ落ちる副長を見遣りながら、どういえばレムが従ってくれるものかと思案した。以前とは違い、いまの彼女の行動にはまったくといっていいほど悪意がない。ほとんどすべてが善意であり、それはセツナ以外の人間に対しても同様のことだった。セツナに関係する人物に対して、悪意を以って接するということがなくなっていたのだ。

 まるで生まれ変わったかのように、だ。

 実際、再蘇生の影響である可能性は疑いようがない。再蘇生に伴うセツナの命との同期が、レム=マーロウの性格や人格になんらかの影響を及ぼしていると見るべきなのだろう。もちろん、いまの彼女こそが本来のレム=マーロウだという可能性も皆無ではない。任務としてセツナの護衛につき、使用人を演じていたころと、みずから好んで使用人に扮しているのとでは、言動が異なるのは当然だろう。

 悪意がない分、対処が難しいのは、ミリュウも同じだ。彼女のセツナに対する行動は、ほとんどすべてが善意から来るものだった。積極的な触れ合いも、愛情表現も、良かれと思ってやっているのだ。だから、どうすることもできない。

 それが彼女の幸福ならば、止める気にもなれないのだ。

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