第七百八十話 銀獅子の牙
「御観覧の皆様方にはご存知のことと思われるが、御前試合は、王妃が国の将来を背負うであろう子を宿したとき、その健康と誕生を祈るための儀式であり、ガンディアが国として形を成したときより続く由緒正しい行事である」
レオンガンド・レイ=ガンディアが練武の間に設けられた舞台に上がり、そのようなことを語りだしたのは、表彰式の真っ只中のことだ。観客は、貴族を始め、登殿資格を持つ武官、文官がほとんどであり、そういう連中がガンディアの行事について詳しく知らないわけはなく、皆、当然のような顔をして聞いていた。
知らないのは、セツナを始めとする《獅子の尾》の一部隊士くらいのものなのかもしれない。ふと、そんなことを考えざるを得なかったのは、観客席最前列に並ぶログナー軍団長たちですら、知っていて当たり前のような表情をしていたからだ。グラード=クライド、ドルカ=フォーム、レノ=ギルバースといった面々である。グラードは神妙な面持ちをしており、ドルカのにやけ顔とは対照的だった。ドルカがにやけているのは、セツナがリューグを下したからかもしれない。彼がそこまでリューグを嫌っているとは、想像もつかなかったものの、グラードの解釈を聞けば、わからないではなかった。
(俺も嫌われていてもおかしくはなかったのかもしれないな)
実際、ザルワーン戦争で長期間行動をともにしていなければ、嫌われ続けていた可能性も高い。
「最初の御前試合には、建国伝説にも登場する銀の獅子レイオーンが立ち会ったとされ、優勝者には銀獅子の牙が贈呈されたという伝説が残っている」
銀獅子の牙は、現在では国宝として王宮に飾られている。話によれば精巧な銀細工であり、レイオーンの伝説に真実味を帯びさせるために作られたものらしい。レイオーンは伝説の中の存在でしかないということだ。
輝かしい建国伝説と現実的な建国史は、ガンディアを語る上でどちらも重要なことだ。
「そこで、今回の優勝者には、銀獅子の牙を模した短刀を贈ることになったのだ」
レオンガンドが、舞台上に展示された短刀を示しながら、いった。可動式の台座の上に、銀作りの鞘と短刀が展示されているのだ。銀獅子の牙を模したという通り、刀身が鋭利な牙のように湾曲し、鬣のような装飾が施されていた。
レオンガンドが短刀を手に取ると、セツナの目の前まで歩いてきた。
「わたしは銀獅子ではないが、ガンディアの代表として、御前試合の主催者として、そなたの優勝を祝福し、栄光を讃えよう」
「ありがたき幸せに存じます」
セツナは最敬礼を以ってレオンガンドに応え、レオンガンドが差し出した短刀を厳かに受け取った。万雷の拍手が練武の間に響き渡り、セツナの勝利を称える歓声が舞台を包み込む。
「よくやったな」
レオンガンドが囁くような声で発した一言が何よりの褒美だと、セツナは思った。笑顔を隠しきれなかったが、そればかりはどうしようもなかった。
御前試合は、表彰式の終了とともに閉会となった。練武の間は、王宮の使用人たちによって大片付けが始まることだろう。明日には訓練施設として機能するようになっているに違いなく、そうでなければならないために、使用人たちは大急ぎで舞台や客席の撤去を始めなければならなかった。練武の間の片付けがわずかでも遅れれば、使用人の監督責任者が叱責されることになる。
セツナは、王宮警護に銀獅子の短刀を《獅子の尾》隊舎に届けるよう頼むと、様々な人々に優勝を祝福されながら練武の間を後にした。舞台上から客席に降りることはできなかった。優勝者が客席に降りるようなことになれば、混乱を招きかねないからだと練武の間の警備を担当する王宮警護に強くいわれ、従わざるを得なかったのだ。
元より、仲間とは控室で落ち合う予定になっていたし、控室は表彰式後もしばらくは利用可能ということだったので、特に問題はなかったのだが。
舞台側まで走ってきたエリナに手を振ることしかできなかったのが、少しばかり心残りだった。もっとも、彼女とも控室で再会することになるのは間違いないのだが。
控室に辿り着くまで、御前試合参加者や関係者たちに遭遇しては優勝を讃えられ、祝福を受けた。皆、一様に笑顔であり、セツナが驚くほど、喜んでくれていた。遺恨などどこにもなく、敗者ですら、セツナの優勝を心から喜んでいる。驚くべきことだが、考えようによってはそうでなくてはならないことでもあった。
御前試合は、優勝を目指して競い合うだけのものではない。王妃の御懐妊を祝福し、無事の出産を祈願するものであり、試合に負けたからといって暗い感情を抱いていてはいけないのだ。御前試合に参加できただけでも喜ぶべきことであり、歴史に刻まれるような栄誉あることだった。
「さすがはガンディアの英雄!」
などとセツナを讃えたのは、ドルカ=フォームくらいしかいなかったが。
「ドルカさん」
「いやあ、爽快痛快でしたよ、最後」
「喜んでもらえて何よりですが」
「まあ、なんです。色々あるんですよ、こっちにも」
「はあ」
ドルカの発言は相変わらず要領を得なかったが、彼のすっきりとした表情を見る限り、その色々とやらも解決したようだった。いったい彼になにがあったのかはわからないし、察することさえできないが、解決したのならそれでよかったのではないかと思うセツナだった。そして、彼の隣のニナ=セントールが安堵の表情を浮かべていることにも、満足する。彼女が安心しているということは、ドルカについて心配する必要もなさそうだった。
ドルカたちと別れると、今度はグラードに遭遇した。グラードからは決勝戦の内容について褒められ、セツナは素直に嬉しく思った。バレット=ワイズムーンや、ラクサス・ザナフ=バルガザールとも会い、ふたりからも決勝戦の戦い方は素晴らしいものだと褒め称えられた。相手の攻撃方法に合わせて自分の戦い方を変えられるのは、大きな強みだというバレットの言葉が嬉しかった。
そういうこともあって控室への到着が遅れたのは、仕方のないことだったが、控室の扉を開けるなり視界に飛び込んできたミリュウの不満そうな顔を見ると、単純に申し訳なく思ってしまうのがセツナだった。
「遅くなって、ごめん」
開口一番、セツナが謝罪すると、ファリアが笑い返してきた。
「謝ることないわよ。ミリュウが勝手にむくれてるだけなんだから」
「むくれてませーんー」
そういうミリュウは、長椅子の上に寝転がり、こちらを見ていた。頬を膨らました顔は、むくれているとしか表現のしようがないのだが、彼女にはそうしている自覚がないのかもしれない。
ファリアがあきれた。
「むくれてるじゃない」
「なにがそんなに気に喰わないのかねえ」
「あれじゃないですか? 隊長がちやほやされていたから」
「ああ、そういえば、貴族のご婦人方にも話しかけられてたね」
「違ーう、関係なーい」
ミリュウは長椅子を占拠したまま、うなるような声を上げてルウファたちを威嚇した。もちろん、なにひとつ怖くはない。むしろ愛らしいくらいなのだが、そんなことを言葉にすれば、彼女の怒りを買ってしまいかねない。
「見てたのかよ」
「遠目にね。セツナは対処に大変そうだったし、わたしたちは控室で待っていようって話になったのよ」
ファリアがエリナに仕草だけで同意を求めると、エリナも仕草だけでうなずき、それからセツナに駆け寄ってきた。セツナは控室の扉を閉めてから、歩み寄ってきたエリナを伴い、部屋の奥に進んだ。全身の筋肉という筋肉が悲鳴を発している。さっさと指圧を受けたいところだったが、仲間たちとの会話も続けたかった。
「そうそう。そのときのミリュウさんの表情たるや」
「鬼の形相でしたね」
「へーエミルまでそういうこというんだ」
「え、えーと……」
エミルが困窮すると、ルウファが彼女とミリュウの間に体を差し込む。
「エミルにまで牙を剥かないでくださいよ」
「ルウファさん……」
颯爽としたルウファの反応にエミルが目を輝かせるのは無理のないことだったのかもしれないし、ミリュウが唖然としたのも当然の反応だったのかもしれない。
「いや、あのさ、いちゃつくのはいいけど、そういうのはふたりきりでやってほしいかな、って」
「あんたがいうことか」
「どういうこと? どういうことよ!」
「少しは自覚したらどうなのかねえ、まったく」
「自覚してないから、セツナに迫られたら逃げ出すのよ、この子」
「こ、この子って……ねえ」
セツナは、子供扱いされて力なくうなだれるミリュウの側に近寄ると、彼女の赤い髪に触れた。ミリュウが顔を上げる。猫のような目が、こちらを見る。なにかを期待するようなまなざし。彼女の思考を読むことは難しい。他人だ。他人の思考を読みきれると考えるほうが、おこがましい。それでも、長い間一緒にいると、ある程度のことはわかってくるものらしい。
「ただいま」
たった一言。
「おかえりなさい!」
それだけで、彼女の顔色が変わった。ファリアやマリアが呆れる中、セツナは、そういうミリュウが可愛らしくてたまらなかった。