第七百七十三話 御前試合(十三)
二日に渡って開催され、王侯貴族や軍人文官、王宮関係者に興奮と感動を与えてきた御前試合も、残すところ決勝戦のみとなった。
午前中に行われた第三回戦の結果を受け、第四回戦は、午後三時に行われることが決定され、各所に通達された。また、その第三回戦二試合の結果が王都中に知れ渡るのに時間はかからなかった。
御前試合の会場である練武の間には、ガンディア最大の発行部数を誇る新聞社である獅都新報の記者が何人も観戦しており、試合が終わるたびに速報として《群臣街》、《市街》に流布されていたからだ。当然のことだが、獅都新報の記者は、王宮みずからが招き入れており、潜入取材を行っているわけではない。
御前試合参加者への直接取材は禁止されており、記者が参加者控室に殺到するようなことはなかった。ただし、記者からの質問は、王宮関係者を通じて参加者に伝えられ、参加者はそれらの質問に答える義務があった。
リューグ=ローディンにも、様々な質問が寄せられ、彼は返答を考えることに時間を取られたものだ。試合と試合の間の休憩時間のほとんどは、質問への回答を考えだすことに費やされたのだ。肉体の疲労はともかく、精神の消耗が激しかった。
「なんでこんなに疲れるんでしょうかね」
「それはね、あなたの思考がほかのひとと徹底的にずれているからじゃないかしら」
優しげな口調で現実を叩きつけてくれるのは、シェリファ・ザン=ユーリーンだ。王立親衛隊《獅子の牙》の隊士である彼女は、リュークにとっては同僚であり、同じガンディアの貴族である。しかし、リューグは彼女には頭が上がらなかったし、ほかの《獅子の牙》隊士もシェリファのことを同僚ではなく、上官として遇している。
シェリファは、《獅子の牙》隊長であるラクサス・ザナフ=バルガザールの片腕であり、副隊長の設けられていない《獅子の牙》の実質的な副隊長と見られていた。肩書だけがすべてではない、ということだ。
しかし、肩書こそがこの王宮においては重要だということを身を以て知っているのがリューグだった。名も無きリューグのころは雑に扱われていた彼だったが、ローディンの家名を与えられ、貴族の端くれとなった瞬間から、使用人を始めとする王宮関係者が彼を丁重に扱うようになったのだ。
地獄から天国、というのは言い過ぎにしても、沼地から楽園に移動したような変化を体験している。
「わたしの思考のどこが徹底的にずれているのか、わたしにはわかりかねますな。わたしは、リューグ=ローディンとして相応しい回答を用意した、というだけなのに、それを無残にも破り捨てる鬼畜生が」
「だれが鬼畜生なのかしら」
「ええ、もちろん、わたしの妄想の中の存在ですよ、鬼畜生なんて……ちくしょう」
リューグが机に拳を叩きつけると、シェリファが肩をすくめるのがわかった。彼女の嘆息が聞こえてくる。
「……本当、あなたと接していると、わたしまで自分を見失いそうよ」
「見失って、初めてわかることもあるんじゃないですかね」
「わかりたくもないことでしょうね、たぶん」
「ええ、きっと」
「はあ……」
またしてもため息が聞こえたが、彼は気にしなかった。むしろ、彼女のため息を聞くために会話を続けているのかもしれない、と思わないではない。甘い声だ。耳にするだけでゾクゾクした。
控室には、シェリファ以外にも《獅子の牙》の隊士が集まってきていた。《獅子の牙》は、王立親衛隊というだけあって、貴族の子弟が多い。ガンディアは、他国に比べて出自や血筋と役職の関係性は緩やかであり、平民の出であっても重職につくことはできなくはない。しかし、それは限りなく狭き門をくぐり抜けた、ごく一部の人間だけが辿り着ける領域であり、《獅子の牙》や《獅子の爪》のような重要極まる部隊に入れるものはいない。リューグは特例だったし、隊に見合うよう、貴族にならなければならなかった。
《獅子の尾》の隊長は、どこの馬の骨とも分からない少年だったが、箔付けされ、いかにも装飾が施されて、いまや彼を平民だというものはいなくなっている。
「決勝までもう少しですよ。いまはしっかり休んで、英気を養ってください」
「そうですそうです。せっかくの晴れの舞台なんです。ラクサス様とシェリファさんの敵を、ですね」
《獅子の牙》隊士のうち、紅顔の美少年を地で行くルキ=フォグルーンと、彼の相棒であるところのトーマ=アクシスは、リューグへの激励のつもりでそういってきたのだろうが。
「わたしの敵を討つ、とは了見違いも甚だしい」
ラクサス・ザナフ=バルガザールが、どこからともなく姿を見せて、隊士たちを一喝した。ラクサスの厳しい眼差しに、控室が独特の緊張に包まれる。
「ラクサス様……!」
「ち、違うんですよ……!」
ふたりの言い訳を最後まで聞くラクサスではない。
「わたしは実力で負けたのだ。愚かなことをいうものではない。《獅子の尾》に対抗意識を持つことが悪いことだとはいわんがな……」
ラクサスは、必ずしも良いことだともいわなかった。《獅子の尾》は、《獅子の牙》、《獅子の爪》とともに王立親衛隊の同僚、仲間である。競いあう必要はないと考えているのだろう。
「リューグ。君は自分のためだけに戦いたまえ。《獅子の牙》代表としてではなく、リューグ=ローディンというひとりの男としてな」
「つまり、セツナ伯を倒してしまっても構わないと」
「当然だ。わたしも、倒すつもりでいた」
そういって、ラクサスは肩を竦めてみせた。昨日の試合内容を思い出したからかもしれない。必ずしも内容の良い試合ではなかったことは、リューグも知っている。シェリファでさえ、試合内容に関しては触れないようにしていた。
「が、負けた。彼は君の知る少年ではなくなっているぞ」
「御忠告、痛み入ります。ですが、それは彼の戦いを見ていればわかるというもの。競技試合とはいえ、剣を交える瞬間が楽しみでなりませんな」
リューグの台詞に、ラクサスが目を細めた。ラクサスの目には、リューグはどのように映っているのだろうか。そんなことが気になってしかたがないのは、リューグにとっての主はラクサスだけであり、リューグは、彼にとって優れた忠犬でありたいと常に思っているからだ。
狗は、主のために戦い、死ぬことだけを考えていればいい。
(しかし……)
リューグは、ラクサスの鋭いまなざしを見つめ返しながら、昨夜の出来事を考えて、頭を振った。
決勝戦は間近。
戦いに集中すればいいはずだ。
それがラクサスの望みなのだ。