第七百七十二話 御前試合(十二)
一進一退の攻防だった。
バレットの暴風のような太刀筋がセツナを圧倒すれば、全方位、あらゆる角度から繰り出されるセツナの斬撃がバレットを一時的に制圧したりもした。両者譲らず、得点を重ね続けた。
当初、バレットが押しているように思われたのだが、空気が変わったのは、セツナが一点を取ってからだ。その瞬間から、両者の目つきが変わった。試合から実戦になったというべきか。もちろん、試合は試合だ。互いに相手を殺さない戦いをしている。しかし、真剣な眼差しは、実戦といっても間違いはないくらいだった。
互いに命を燃やしているかのように、輝いている。
セツナへの応援一色だった観客の中から、バレットを応援するものが現れ始めたのがいい例だった。皆、ふたりの戦いに見とれ始めている。
「凄いわね……」
ファリアが茫然というと、ミリュウが彼女に体を寄せた。
「惚れ直した?」
「うん……そうね……って、なにいわせてんのよ! ばか!」
「なにも照れることないじゃない。悪いことじゃないでしょ?」
「あのねえ……!」
顔を真赤にするファリアはめずらしいと思いつつ、レムはふたりを鑑賞した。セツナと取り巻くふたりの女性。ファリア・ベルファリア=アスラリアとミリュウ=リバイエン。レムは、ふたりともに、セツナへの惜しみない愛情を感じている。ミリュウの全力全開、場をわきまえない愛情表現に比べれば、ファリアのそれはさりげないものかもしれないが。
絆を感じずにはいられない。
セツナとファリアには深い絆があり、それは、セツナとミリュウの間にもある。
レムとセツナの間には、どうだろう。
絆がないとは思わないし、考えたくもない。実際、レムはセツナに深い繋がりを感じているし、それが命の同期によるものだけではないと信じている。
「惚れ直して当然の戦いぶりじゃないっすかね。俺は、隊長の部下で良かったと心底思いましたよ」
ルウファ・ゼノン=バルガザールのまなざしにも、熱いものがある。彼は男だが、男と男の間にだって、深い絆は生まれるものだ。男女のそれとは色彩の異なるものであり、尊敬や信頼といったものだろう。もちろん、愛がないとはいわない。
「隊長は向上心の塊だなって」
ルウファが熱っぽく語ると、ファリアとミリュウも黙って肯定したようだった。
舞台上、セツナは、彼らに成長ぶりを見せつけている。
「彼が向上心の塊だからさ。俺だって手を抜かないし、師弟関係を解消したりしないんだよ」
ルクスがいった。
「彼は凄いよ。普通の人間なら絶対に逃げ出すような訓練にだって、平然とついてくるんだからね。成長して当然なんだ。成長しなくちゃおかしいくらいのことをやりぬいてきたんだ。あれくらい戦えなきゃ、嘘だよ」
ルクスの言葉が、セツナの人柄というものを端的に表していた。彼は諦めない。彼は絶望しない。彼は歩みを止めない。だからこそ、レムは彼を主として認めたのだろう。
命が同期した時、彼の本質に触れた。一瞬のことだったが、それによって、レムは彼と生きることを選んだのは間違いない。彼の本質が気に入らなければ、ここにいるということはなかっただろう。
「もちろん、彼が俺の高みに至ることができるとしたって、遥か未来の話だけどさ」
「おまえが強すぎるんだよなー」
「事実だから仕方がないね」
ルクスが肯定すると、シグルドの大きな手が彼の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「なんていうか、おまえには謙遜という言葉がないらしいな」
「謙遜して欲しいんですか? 俺なんてまだまだですよーって」
「いや、やめとけ。気持ち悪い」
「でっしょー」
シグルドとジンが、仕方がないとでもいうように笑った。《蒼き風》の団長と副長にとっては、いつものことではあるのだろう。ルクスの言葉にまったく嫌味がないからこそなのかもしれないが。
「ま、可能性が皆無じゃないっていうのがわかってよかった。これからもしごき甲斐がある」
彼はどこか嬉しそうにいった。
主がその師匠に認められるのがこれほどまでに嬉しいことだとは、レムは想いも寄らなかった。ルクスによる訓練を目の当たりにしたということもあるのだろう。
舞台上、制止の声がかかった。
制限時間の六十分が過ぎたようだ。
両者、限界まで戦ったということだ。観客はだれひとり席を立っておらず、最後まで飽きることなく試合を見続けていたようだった。それもそうだろう。ふたりの白熱した戦いを見逃すことなど、だれができるだろうか。
贔屓目たっぷりに、彼女はそんなことを思った。
「バレット=ワイズムーン、七点。セツナ=カミヤ、八点。勝者、セツナ=カミヤ!」
ゼフィル=マルディーンの宣言によって、セツナの勝利が確定すると、練武の間全体が揺れるほどの歓声と拍手が起こった。それはセツナに対してのものだけではなかった。
舞台上では、セツナとバレットが熱い握手を交わしており、その両者に対して、惜しみない拍手が送られたのだ。実力伯仲の熱戦は、観客の心をひとつにしてしまったようだった。
貴賓席では、ナージュが身を乗り出して舞台に見入っており、その隣のレオンガンドも熱中していたようだった。
「お兄ちゃん、つよーい!」
「本当、強くなったわね……」
「感慨もひとしおですな」
「あたしは、怪我さえしなきゃ結果なんてどうでもいいんだけどさ」
「それはわたくしも同じでございますわ」
「まあ競技試合だし、大怪我なんてないと思いますよ」
「そうね……いくら試合とはいえ、領伯に怪我なんてさせられないでしょうし」
「気を使われた結果勝利したなんていうつもりじゃないでしょうね」
「そんなこと、いってないでしょ」
ファリアが怒ると、ミリュウがエリナの影に隠れた。エリナは、舞台上のセツナに見入っている。その目はきらきらと輝き、星のようだった。
「さて、と。控室にでも行きますかね」
ルウファが立ち上がると、ファリアも後に続いた。ミリュウはエリナを盾にしながらファリアを追った。エミルが苦笑して彼女を追いかけ、レムは、そんなセツナの仲間たちを見遣りながら、最後尾を歩いていく。
セツナの関係者はどうしてこうも楽しいひとたちが多いのだろう。
レムが考えるのは、そのようなことだ。
自分の過去の出会いが悪かった、とはいわない。死神部隊の擬似家族も悪いものではなかった。なにより、カナギほど彼女に影響を与えた人物はいなかったし、クレイグに心酔していた時期が幸福だったのは疑いようのない事実だ。過去の出来事は否定しない。過去、抱いていた感情もだ。クレイグこそがすべてであり、カナギを姉として慕った日々を不幸だというのは、大いなる間違いだ。
それはそれ、なのだ。
現状は現状で幸福であり、過去は過去で幸福だった。
いまは、いまの幸せを噛み締められればいいと、彼女は考えている。それを悪いことだというものはいまい。
「六十分、よく戦い続けたもんだ。感心するよ」
言葉とは裏腹に、マリア=スコールの口ぶりは、まったく感心してはいなかった。むしろ、怒っている風ですらある。
「あたしゃ、ただの軍医だから、隊長殿のやり方に文句をいいたくはないけどね。無茶のし過ぎはよくないってことだけは、覚えておいてほしいね」
「ああ、わかってる」
「わかってたら、こんなに体を酷使したりしないもんさ」
彼女の指先が筋肉を揉み解していく中、セツナは、反論の言葉を発することさえやめた。六十分闘いぬいたのだ。競技試合とはいえ、疲労は蓄積し、蓄積した疲労は肉体に不具合をもたらす。筋肉が凝り固まり、血流が悪くなり、体が重くなる。決勝戦は数時間後とはいえ、いまのうちにしっかりほぐしておかないと、まともに戦うこともできなくなるだろう。
相手はあのリューグだ。
「体をいじめ抜けば強くなるなんて、勘違いしないことだね。何事にも限度というものがある。限度を超えれば、壊れるだけさ。どんなに頑丈な人間だってね」
控室には、まだ仲間たちの姿はない。じきに飛び込んでくるだろうが、いまはマリアとふたりきりだった。マリアは大人の女性だ。ミリュウもファリアもセツナからすれば年上で、大人の女性だったが、マリアはふたりとは纏う雰囲気もなにもかもが違って見えた。
包容力が段違いなのだ。ふたりに包容力がないというのではない。そういうことではないのだ。
「隊長殿が壊れたら皆が悲しむんだよ」
「先生も?」
「うん」
マリアが素直にうなずいてきたことには、セツナも驚かざるを得なかった。もちろん、マリアに嫌われているなどとは思ってもいないし、当然、肯定してくれるだろうとは思っていた。
しかし、マリアの返答が予想外過ぎたのだ。
不意に、控室の扉が開かれた。
「やっほー! 元気?」
威勢よく飛び込んできたのは、ミリュウであり、彼女に続いてファリア、エリナ、ルウファ、エミル、レムと怒涛のように入ってくる。
「なんなの、その気の抜けるような挨拶」
「いやだって、セツナも疲れてるだろうし、元気なミリュウちゃんのほうがいいかなーって」
「余計疲れるわよ」
「そ、そうかな……」
ファリアが言い捨てると、ミリュウがめずらしくたじろいだ。疲労困憊のセツナを目の当たりにしたからなのかもしれない。
セツナは、寝台の上でぐったりとしていたのだ。マリアが指圧してくれなければ、もっと駄目になっていたかもしれない。もちろん、バレットとの戦いだけで疲れきったわけではなく、昨日の疲れが残っているというのもある。連戦の疲労は、一日で取りきれるものではない。
「なんていうか、本当、空気読まないね、あんたたち」
「先生、なんで怒ってるの?」
「怒ってないよ」
「あたし、なんか悪いことした?」
ミリュウが尋ねてきたが、セツナには答えようがなかった。セツナにもマリアが怒っている理由がわからなかったからだ。