第七百七十話 御前試合(十)
四月七日、空が晴れ渡り、まばゆい春の日差しが王都を照らしたその日、御前試合の第三回戦が、獅子王宮練武の間にて行われた。
第一回戦、第二回戦の結果は、昨日中に公表され、王都中、その話題で持ちきりだった。だれが優勝するのかと話題にするものもいれば、セツナが優勝するに決まっていると言い放つもの、リューグ=ローディンに期待する声、グラード=クライドの勝利を願うログナー人など、様々な声が《市街》を震わせた。
御前試合の勝敗を対象とする賭けもそこかしこで行われており、都市警備隊による摘発が相次いだ。王都では、基本的に賭け事は禁止だったのだ。
都市警備隊だけでなく、王宮警護も活躍している。
御前試合の様子を一目見たいと考える人間は決して少なくなく、なんとしてでも王宮区画に忍び込もうとするものが相次いだ。王宮警護の警備網は、様々な事件の結果、凄まじいまでに繊細かつ厳重なものになっており、侵入者は立ち所に捕らえられた。
本来ならば、王宮区画への侵入など重罪中の重罪であり、即刻処刑されるようなものだったが、王妃の懐妊を祝う時期ということもあり、処刑は見送られ、投獄に留められた。王宮への侵入者の多くは、王家への悪意ではなく、好意が高じた故の行動であると認められたことも大きいだろう。王妃をともに祝福したい一心で、練武の間への侵入を試みてしまったのだ。同情の余地はある。
そんな一般人には入ることのできない空間に平然と出入りしている少女もいるのだが。
エリナ=カローヌは、御前試合第三回戦にも観戦に訪れていた。今回は、《獅子の尾》隊長補佐の計らいではなく、セツナが領伯の権限を使っている。もちろん、与えられた権利を行使しただけであり、だれもセツナの行動を怪しんだりはしなかった。
会場の練武の間は、昨日とまったく同じように設置物が置かれている。中心に試合用の舞台があり、その周囲に広めの空間があって、空間を包囲するように数百の椅子が並べられている。
貴賓席は、高所に用意されていた。試合がよく見えるようにという配慮であろう。また、貴賓席の人々が容易に襲われないようにするためでもあるのかもしれない。もっとも、ガンディア軍人がひしめくこの状況下で、国王夫妻や王族関係者を狙おうとするのは、よほど腕に自身があるものか愚か者だけだろう。
もちろん、警護は万全だ。カイン=ヴィーヴルが召喚武装を手に貴賓席の側に待機している上、国王夫妻の近くには、アーリアという人物が控えているらしい。レムの目には映らないが、見えないのが普通であるという。そんな人物に守られた国王を暗殺することなど不可能に近い。
御前試合の進行役は、昨日に続いて、ゼフィル=マルディーンが担当した。国王側近であり、マルディーン家の当主である、口髭の特徴的な紳士然とした男は、ガンディアの国色である赤を基調とした礼装を身に纏い、昨日よりも幾分、派手になっているように見えた。彼が舞台上に現れたとき、観客のほとんどが呆気に取られていた。
「ゼフィルさん、楽しくなってきたのかもね」
ファリアが笑いながらいうと、ミリュウが首を傾げた。
「あのひと、そんなひとだっけ」
「さあ?」
「知られざる本性が明らかになってきたということでは?」
「そうかもしれませんね」
ゼフィル=マルディーンも、セツナと浅からぬ関係であるという。王宮での生活に不慣れなセツナに様々な手配をしてくれたのがゼフィルであるといい、領伯任命後も世話をしてくれたという。
セツナは、様々なひとの助けによって、成り立っている。当然のことだ。例外などひとりとしていない。だれの助けもなく生きているものがいたとしても、それはただの思い込みに過ぎない。
ひとはひとりでは生きていけない。
レムがそうであるように、だ。
「御前試合の進行は、本日もこのゼフィル=マルディーンが努めさせていただきます!」
ゼフィルの大音声が、練武の間に反響したのは、観客が驚きのあまり静まり返ったからだ。歓声が沸き起こったのはしばらくしてからだったが、彼は気に止めてもいなかった。
「本日も、御前試合の名の通り、レオンガンド陛下、ナージュ妃殿下の御前での開催でございます。昨日の第一回戦、第二回戦も全試合堪能されており、本日の取り組みも楽しみにされておられるとのこと。第三回戦へと勝ち進んだ皆様には、陛下、妃殿下の期待を超える戦いを見せていただきたいもの」
ゼフィルの舌は滑らかだ。御前試合開催当初の辿々しい進行ぶりが嘘のようであり、昨日は、御前試合の舞台に緊張していたらしいということがうかがえた。一日、観客の視線に晒されたことで慣れてしまったようだ。
「それでは、御前試合第三回戦第一試合を始めましょう。東は、グラード=クライド!」
ゼフィルが高らかに告げると、舞台近くに控えていたグラード=クライドが席を立ち、舞台に上がる。彼が舞台上で木剣を受け取ると、拍手と歓声が巻き起こった。
「西は、リューグ=ローディン!」
つぎに、リューグ=ローディンも、同様に舞台へと上り、木剣を受け取った。彼に対しても歓声と拍手があった。世間的には無名の剣士であったリューグは、昨日の活躍で熱狂的な応援者を獲得したらしく、嬌声が上がってもいた。グラードに比べると、若く、見た目が良いというのもあるだろう。グラードの容姿も醜いわけではないのだが、若い女性が心をときめかせるようなものではない。むしろ、若い軍人たちの胸を熱くするのが、グラードという人物だった。
ふたりの対峙に、練武の間に集った数百人の観客が固唾を呑んだ。両者ともに、第一回戦、第二回戦でその実力を見せつけている。どちらが勝ってもおかしくはないという雰囲気があり、勝敗の行方はまったく見えなかった。
「リューグ=ローディンかな」
昨日に続いて観客席の最前列に座ったルクス=ヴェインが、だれとはなしにつぶやいた。
「軍団長殿に勝ってほしいものだがな」
「難しいっしょ」
「だなあ」
傭兵団の会話は、聞いているだけでためになった。試合内容に関しては、対戦者の身分、立場など無視した容赦のない批評を行うのが、《蒼き風》幹部たちのいいところだった。もっとも、口汚く罵るようなことはまったくなかった。全体的に戦闘の水準が高いことが、傭兵たちには嬉しいらしい。
「ま、せめて一撃でも浴びせられれば、可能性はあるんだが」
シグルド=フォリアーの言い方では、グラード=クライドでは、リューグ=ローディンを捉えられないとでもいうかのようであり、実際、そのとおりになった。
第三回戦、つまり準決勝第一試合は、リューグ=ローディンの勝利で終わった。
終始、リューグがグラードを圧倒していたた。リューグの剣技の冴えは、レムが見ても素晴らしいものとしか言いようがなく、賞賛の言葉しか浮かばなかった。
解説者として有能なルクス=ヴェインから言わせても非の打ち所のない戦いぶりであり、対戦相手が気の毒だという話だった。舞台上を変幻自在に舞い踊るかのような戦いには、競技試合を見たこともないものの心をも奪うものかもしれない。それほどに華麗であり、強烈な印象を残すものだった。
グラードは、シグルド=フォリアーにも引けを取らない剛力の持ち主だという。シグルドの発言通り、リューグに一撃さえ叩きこむことができれば、転倒させ、勝利点を奪えたようだが。
グラードの木剣は、リューグを捉えることはできず、リューグが得点を重ねて勝利した。
グラードが弱いわけではないのは昨日の試合でも明らかなのだ。
リューグとぶつかってしまったことが不運だったとしか言いようがなく、つまりはリューグが御前試合に参加したことで彼の運命は決まっていた、ということになるだろう。
「リューグ=ローディンみたいなのが参加してるってわかってたなら、俺も参加してよかったかもね」
ルクスが、少しばかり残念そうにつぶやいた。根っからの戦闘者であるらしい彼は、リューグとの戦闘ならば楽しめたとでも考えているのかもしれない。レムにしてみれば、彼が出場を辞退してよかったと考えている。当然、セツナのことを考えて、だ。セツナがいかに成長したとはいえ、ルクスに敵うわけがなかった。実戦形式の試合ではなく、得点を競う競技試合であったとしても、勝ち目はまったく見えない。セツナを贔屓しているという自覚のあるレムですら、そう認識してしまうほどに、力量の差は圧倒的だった。
そんな人物がら見て、戦ってもいいと思えるのが、リューグ=ローディンという男らしい。もし、セツナが決勝に進出した場合、勝ち目があるのかどうか。
レムは胸に手を当てて、不安を押し殺した。
「優勝が決まってしまうのではなかったのですか?」
「それでも、観客を楽しませる戦いにはなったと思うよ」
「観客のことを考えるとは、ルクスらしくない」
「そもそも、観客が白けると思ったから、参加を見送っただけだよ」
ルクスが口を尖らせると、ジン=クレールが笑った。
不意に歓声が起こる。
見ると、舞台上、リューグとグラードが握手を交わしていた。
ふたりの握手によって、試合は清々しいものになった。
やがてふたりが舞台を降り、舞台側に第三回戦第二試合の出場者であるセツナ=カミヤとバレット=ワイズムーンが姿を見せる。
「御前試合第三回戦、第二試合! バレット=ワイズムーン、西より登場です!」
ゼフィルが同僚を舞台上に招く。バレットは、舞台に上がると木剣を受け取り、軽く振るった。
「そして、東からはセツナ=カミヤ!」
バレットに続いて、セツナが舞台上に上がった。歓声の厚さから、セツナへの期待の高さがうかがえる。もちろん、バレットを応援する声もあるのだが、セツナを応援する声に比べると、少なくなってしまうのは仕方のないことだ。
セツナは、度重なる戦争に勝利をもたらしてきた。
ガンディアにとって英雄的存在となっていたのだ。