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第七百六十九話 御前試合(九)

 御前試合の一日目が終わった夜のこと。

 ラクサス・ザナフ=バルガザールは、王宮ではなく、《群臣街》にある実家に帰ってきていた。いつものように執事と使用人たちに迎えられて屋敷に入り、疲れきった体を癒やすため、使用人に体中を指圧させた。それから沐浴し、さっぱりとしたところ、友人からの訪問があった。

 夕食も取らずに応対したのは、訪れたのがミシェル・ザナフ=クロウだったからだ。親衛隊長同士だからという以前に、ラクサスはミシェルを無二の友だと思っていた。ガンディア王家に忠誠を誓う同志であり、レオンガンドのためならば命を捨てることも怖くはないもの同士でもある。

 自然、ふたりきりのときは、腹を割って話し合うことが多かった。どのようなことも包み隠さず話したのだ。王家への忠誠心を語り合っただけではない。世間話もしたし、恋について話しあったりもした。だからこそ、互いに気の置けない間柄になれた、ということだ。

 表面的な付き合いだけでは、そうはなれない。

 ラクサスは、ミシェルを自室に迎え入れると、使用人たちを下がらせ、部屋に近づくことを禁じた。ミシェルの表情が密談を匂わせていた。

「ラクサス。おまえがセツナ伯に負けるとは思わなかったぞ」

 ミシェルが開口一番にいってきたのは、御前試合のことだった。

「どうした、突然」

「どうしたもこうしたもあるまい。おまえとわたしの仲だ。正直に話してくれ」

 ミシェルは、手近にあった椅子に座りながら、そんなことをいってきた。要領を得ない物言いだと思ったが、そういう言い方にならざるを得なかったのかもしれない。

 ラクサスは、レマニフラから届いた南国産のお茶を淹れながら、問い返す。

「なにがいいたい?」

「正直、疑問なのだ」

「わたしがセツナ伯に敗れたことがか?」

「ああ」

 ミシェルは真顔そのものだ。冗談で言っている様子はなかった。

「……まったく、君は素直だな」

 ラクサスは、ミシェルの包み隠さなさに呆れるばかりだった。そして、ここが彼の私室で良かったと安堵した。ここが王宮内であれば、ミシェルの言葉は命取りになる。もちろん、ミシェルがそのような迂闊なことをするはずがないこともわかっている。が、どのようなときでも用心しておくのに越したことはない。特に王立親衛隊は、一部貴族に目の敵にされているのは明白なのだ。

(いや、目の敵にされているのはバルガザール家か)

 ラクサスは、胸中で愚かな考えを訂正した。バルガザール家は、ガンディアにおける武門の家柄であり、代々、騎士や将軍を輩出してきた名門中の名門だ。場合によっては、アンスリウス家よりも重要視されることもある。それほどの家だ。嫉妬を買うのは当然だったが、最近は、バルガザール家の関係者がレオンガンドに重宝されすぎているのが疑問視されていた。大将軍、親衛隊長にして獅騎、そして親衛隊副長にして王宮召喚師。優遇されていると思うのは、当然かもしれない。

 もちろん、くだらぬ嫉妬だ。バルガザール家の人間がレオンガンドに重宝されているのは、結果に過ぎない。アルガザードが大将軍になったのは、長年の功績によるものであったし、ラクサスが獅騎に任命されたのも、そうだ。長きに渡る功績と評価なのだ。ルウファが王宮召喚師の称号を授与されたことに政治力学が働いたのは否定しないが、彼が《獅子の尾》副長に任命されたのは、実力によるものとしか言いようがない。

 ミシェルが《獅子の爪》隊長に選ばれたのも、実力と功績だ。それは疑いようがない。彼の弟への牽制という意味もあったのかもしれないが、それ以上に、レオンガンドは実力者を求めた。身辺を守らせるのだ。力がなければ、意味がない。

「正直なところ、わたしにはおまえがセツナ伯に負けるとは思えないのだ。おまえの剣の腕は、王宮一といってもいい。あのバレット殿さえ舌を巻くほどのものだ。当然、わたしもおまえには敵わなかった。当然だな。だが、おまえはセツナ伯に敗れた。なぜだ?」

 謙遜と賞賛は、彼の人柄を表している。自尊心が高く、だれよりも高邁たろうとする男だったが、一方で、自分のことをだれよりも理解し、他人のこともだれよりもよく見ていた。彼は、客観性の塊のような男だった。

「実力が及ばなかった。ただそれだけのことだ」

「ふむ……政治的な理由ではない、というのだな」

「そんなことを考えていたのか」

 ラクサスが肩を竦めると、ミシェルは、お茶で喉を潤してから、口を開いた。

「ここは王宮だ。どんなことにも政治が関わっている。今朝の食事に出される料理から、使用人たちの服装、掃除の時間帯に至るまで、どのような些細な事にもだ。王妃殿下の御懐妊を祝う御前試合に、政治が関わっていないと考えるほうがどうかしている」

「確かに、君のいう通りだ。実際、御前試合に政治が関わっているのは間違いない。我々への参加要請がその証だ」

「おまえはともかく、わたしへの参加要請はありえないことだな。わたしの剣の腕は、おまえのところのリューグに遠く及ばん」

 彼は、卑下するでもなく言い放ってきた。彼は、自分の弱さを認めるとき、決して卑屈にはならなかった。むしろ、非力を認めて、それを是正しようという心の動きが、彼に自分の弱さを認めさせるようだった。

 だれもが彼のようであれば、ガンディアに弱兵などは生まれなかったのだろうが、現実はそう上手くいくものではない。

「そして親衛隊長三人は、第二回戦までに必ずぶつかるようになっていた」

「セツナ伯の初戦の相手はニナ=セントールか」

「ログナー方面軍の副長だ。実力はあるが、少なくとも、親衛隊長のうちだれが当たっても勝てるような相手ではある」

 ニナ=セントールには悪いが、それがラクサスの評価だった。セツナでも順当に勝てる相手だと最初から見ていたし、彼が勝ち抜いたことは、驚きに値しなかった。

「親衛隊長に勝ち抜かせる算段……か?」

「いや、どうだろうな。親衛隊長よりもセツナ伯の優勝のほうが、国民への反響という意味でも大きいだろう」

 ラクサスがいうと、ミシェルがにやりとした。

「だが、おまえは実力で敗れたのだろう?」

「ああ。それだけは間違いないことだ。わたしは全力で戦い、敗れた。セツナ伯は強くなった。初めてあった時とは比べ物にならないほどだ」

 最初にあったのは、やはり王都だった。王都で起きた皇魔襲撃事件を大破壊の末解決したのがセツナであり、彼とアズマリ=アルテマックスの会話が、ラクサスとセツナの運命を絡ませることになった。そこからログナー戦争に至る経緯に関しても、彼はミシェルに包み隠さず話している。

 もちろん、カイン=ヴィーヴルの正体についは、伏せたまま、だ。

「おまえがそこまでいうのだ。信じよう。くだらぬことを聞いてすまなかったな」

「いや、疑問に感じたことは聞いてくれ。我々の仲は、そのようなことでこわれるようなものではないだろう?」

「ああ、そうだな」

 ミシェルが、照れたように笑った。

 それから、しばらく御前試合の内容について話しあった。話は、リューグ=ローディンの剣技の凄まじさから始まり、バレット=ワイズムーンの相変わらずの強さやジル=バラムの隠された実力にまで話が及んだ。

 気がつけば、深夜になっていた。使用人が心配して扉を叩いたことで、ラクサスたちは我に返り、時計を見て、ふたりで笑いあった。

「いずれにせよ、セツナ伯が優勝するように誘導されているのだとしても、別に問題はないさ」

「それもわかっている。セツナ伯が優勝し、王妃殿下の無事の御出産を願うというのなら、これ以上のものはあるまい」

 ミシェルが当然のように肯定したことで、彼の疑問が、本当に些細な事だったということがわかって、ラクサスは心底安堵した。元より、ミシェルがセツナを嫌っているという話は聞いたことがなかったのだ。どちらかといえば、応援している立場であり、同じ親衛隊長として協調し、協力することを誓ってもいた。

 セツナが優勝することが問題ではないのだ。

 彼にとっての問題は、ラクサスが隠し事をすることだ。

 それがわかって、ラクサスは、ミシェルのことがますます好きになったのだった。



「面白い催しではあります」

 相手は、頭巾を目深に被ったまま、静かにいってきた。彼がいっているのは御前試合のことだ。彼は、立場を偽って、会場に潜入していた。もちろん、彼個人の力などではない。

「が、変わった伝統でもありますな」

 ジゼルコート・ラーズ=ケルンノールは、相手の表情を知ろうとしたが、表情を隠すための頭巾が邪魔をして、彼の望みはそう簡単に叶いそうになかった。ガンディアにおいては叶わない望みなどない彼にも、できないことはあるということだ。いや、このガンディアでも、叶わぬ願いばかりが転がっているのかもしれない。だから彼は夢の残骸を拾い集めている。

 場所は、彼の屋敷だった。王都の群臣街の一等地にある。人目を引くような豪邸ではないにせよ、領伯という身分のものが別邸とするのに相応しいだけの広さはあったし、建物自体の外観も美しいものだった。派手さが足りないというものもいるが、彼は、ガンディア人の派手好みには少々辟易しており、これくらいでちょうどいいと考えていた。

 窓の外を見たところで、横たわるのは漠たる闇だ。この部屋からでは、家の外観など見えるはずもない。派手にしたところで、喜ぶのは自分ではないのだ。

「何百年も前からの伝統です。変わってもいましょう」

 ジゼルコートは、相手の言葉を否定しなかった。尊重することで相手との会話を続け、なんらかの希望を見出そうとした。

「確かに、そうかもしれません。我が国も、何百年も続いた伝統を破壊するのには困難を極めました」

「革命……ですか」

「国を腐敗から救うには、王家に犠牲になって頂くよりほかに道はなかった。結果、おびただしい血が流れましたが、国は、立ち直りました」

 騎士団による革命は、王家への反逆そのものだった。王家は、騎士団の排除に軍を動かした。騎士団は軍と闘いながら、王家を追い詰め、滅ぼすに至ったという。王家が滅びた後、騎士団による統治が始まった。騎士団による統治は、王家による統治とは比較にならないものであり、国は潤い、民は喜んだ。

 革命は、成功した。

「……この国も、血を流している」

 ジゼルコートは、窓の外に目を向けたまま、告げた。

「莫大な量の血を流して、流して、流し尽くして、ここまできています」

「ほう」

「正直、だれもが疲れ始めています」

「これだけ戦争を続けているのです。兵も民も疲れ果てましょう」

 相手は、同情するようにいってきた。ガンディアの実情を思えば、だれであれ同情せざるを得まい。ログナー戦争に始まり、ザルワーン戦争、ミオン戦争、クルセルク戦争と、都合四度もの戦争をたった一年足らずの内に行っているのだ。

「それでも、陛下は戦争を止めないでしょう」

 ジゼルコートは、相手に視線を戻した。魔晶灯の光の下、男は頭巾を脱いでいた。

「領伯殿は、ベノアガルドになにを望んでおられるのです?」

 その男は、ベノアガルドの騎士であり、名をテリウス・ザン=ケイルーンといった。


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