第七百六十八話 御前試合(八)
ガンディア伝統の御前試合が開催されることが一部に発表されたのは、四月一日のことだった。
王妃ナージュ・レア=ガンディアの懐妊が公表されたのが、レオンガンドの王都凱旋後である三月二十八日だ。レオンガンド自身、ナージュの懐妊を知ったのは、二十五日のことであり、彼は感激のあまり茫然としたという。
王妃の懐妊という慶事は、国王レオンガンドの感動振りとともに国中に伝えられ、ガンディア国民は大いに沸き立った。国中が祝福気分に包まれ、クルセルク戦争に勝利しながらも多大な犠牲を出したことによる暗い雰囲気が吹き飛ばされたのだ。もちろん、戦死者の亡骸の帰還によって悲しみにくれるものは少なくなく、厭戦気分がガンディアの各地に満ちたのは確かだったが、ナージュ王妃の懐妊報道を喜ばないものはいなかった。
ガンディア人だけではない。ログナーの人々も、ザルワーンの人々も、多くの場合素直に喜び、王家の未来は安泰であると言い合い、後継者の不在というガンディアの不安が解消されるだろうと口々にいった。
さすがに平定直後であるクルセルクの人々は、どういった反応をするべきか考えただろう。表面上は喜んで見せたかもしれない。
国中がそんな幸福感に包まれた時期に、軍部に発表されたのが、御前試合の開催であり、参加希望者の募集開始であった。御前試合には、王宮が用意した参加者以外に、通常参加枠が十人分用意されており、ガンディア軍の各方面軍、各軍団から腕に覚えのある将兵が御前試合への参加を希望した。
王妃の懐妊を祝う御前試合だ。
参加するだけでも途方も無い名誉があり、後世に語り継がれること間違いないだろう。家が続けば、子々孫々に受け継がれる名誉ともなりうる。
ログナー方面軍第四軍団から副長のニナ=セントールが参加希望を出すはめになったのは、ドルカ=フォームの策略によるところが大きく、彼女自身は参加するつもりもなかったようなのだが。
もちろん、ニナが王妃の懐妊を祝福していないわけではない。彼女は、ドルカの副官であろうとしている。彼の側で、彼の片腕として働くことに至上の喜びを見出しているのだ。御前試合に出て、世間に名を売るようなことはしたくないというわけだ。
しかし、ドルカは、彼女に御前試合への参加を求めた。どうやら、優勝すればなんでもいうことを聞いてやる、とでもいったらしい。結果、ニナはやる気になった。審査後の予選でも奮起し、相手を病院送りにしてしまったということだ。
『さすがにやる気を出させすぎましたね』
予選を見ていたドルカの一言に、グラード=クライドは思わず吹き出したものだった。
ログナー方面軍第一軍団からは、軍団長グラード=クライドみずからが参加希望を出した。ログナーの赤騎士、飛翔将軍の大盾たるグラードであっても、王宮からの参加要請は来なかったのだ。王宮が特別枠での出場を要請したのは、王立親衛隊長の三人と国王側近の中でも剣の達人である二名、そして副将軍の合計六名だけであり、そこに彼の名が入る余地はなかった。彼が入るとすれば、飛翔将軍の名こそ刻まれるべきであろう。もっとも、王宮から要請されたとして、あのアスタル=ラナディースが御前試合に出るとは考えにくいことだが。
グラードは、無論、そのことで王宮に不満を抱くことはなかった。むしろ当然だと考えている。もし、自分以外の軍団長が特別枠に入っていたら、不快感を覚えたかもしれないが、軍団長はだれひとりとして特別枠に呼ばれることはなかった。
ガンディア軍の各軍団長も、全員が全員、御前試合への参加を希望したわけではない。当然のことだ。御前試合は、競技形式の試合であり、実戦とは違う。実戦はともかく、競技試合は不得手とするものがいても不思議ではないし、そもそも戦闘が苦手な軍団長もいる。
みずから戦うのではなく、軍団指揮を得意とする軍団長の筆頭といえば、先のログナー方面軍第三軍団長エイン=ラジャールとガンディア方面軍第四軍団長アレグリア=シーンが思い浮かぶ。ふたりは、自分が直接戦うよりも、兵に戦わせることを得意としていた。そしてその采配の巧みさから、参謀局に引き抜かれたことは記憶に新しい。
そういう人物が軍団長になれるのも、ガンディアの素晴らしいところであろう。
腕力だけが力ではない、ということを、上層部がよく理解しているということだ。
(そう。腕力だけがすべてではない)
四月六日の夜。
御前試合の参加者は、王宮区画内に宿舎を用意されており、宿舎には広い食堂があった。食堂には御前試合の一般枠での参加者が集まっていた。勝ち抜いたものも、敗れたものも、皆、豪勢な食事を楽しんでいる。
グラードは、同じログナー方面軍の参加者であるニナ=セントール、彼女の付き添いであり、全力で応援していたドルカ=フォームとともに夕食を取っていた。卓の上に並べられた色とりどりの野菜や肉類が、連戦で疲れ果てた体に眩しい。
「いやあ、ニナちゃんも惜しかったねえ」
「いえ、セツナ様のほうが一枚も二枚も上手でした」
「気を使って謙遜しなくていいのに」
ドルカがいうと、ニナがぎょっと辺りを見回した。ドルカの発言は、確かに危険性をはらんでいたかもしれない。ドルカはにやりと笑うと、前言を撤回してみせた。
「ま、セツナ様が想像以上に強くて驚いたのは確かだけど」
「まさか、ラクサス殿と対等以上に戦われるとはな」
グラードは、驚きを禁じ得なかった。もちろん、セツナの実力は知っている。黒き矛を手にした彼は、ガンディア軍の将兵が束になっても敵わないし、今回の御前試合の出場者全員がぶつかっても、傷一つつけられるかどうか、といったところだ。しかし、それは黒き矛ありきの話だ。黒き矛を手にしていないセツナがどれだけ戦えるのかは、未知数だった。もし、セツナ本来の実力が平均以下であったとしても、なんの問題もない。
武装召喚師は、召喚武装を手にしてこそなのだ。たとえ本人の力量が物足りないとしても、黒き矛を手にし、一騎当千の力を発揮することができるのなら、それで十分だと彼は考えていた。
「グラードさんも強いじゃないっすか。第一回戦はともかく、ジルの姉御をのしちまうなんて」
「あ、姉御……?」
「あ、いや、勝手に呼んでるだけなんですけどね。なんていうか、そういう感じ、しません?」
「……わからんな」
グラードは胸の前で腕を組んだ。実際、彼のいっている言葉の意味がまったくわからなかった。もちろん、ジル=バラムのことを知らないわけではない。どこか冷たい印象を感じるものの、それが決して悪いものにならない、そんな人物。大将軍の副将ということで、将来を嘱望された人物であることは間違いない。
副将は、左右将軍に並ぶ地位にある。
どこか、アスタル=ラナディースと同じ空気を纏う人物であるのは確かだった。
「グラードさんは将軍一筋ですしね」
「そういう君はニナ君一筋だろう」
「な……!?」
グラードが告げると、ニナ=セントールの動きが止まった。
「ええ」
「軍団長!?」
ドルカの即答に、ニナが銀食器を手にしたまま、凍りついた。そのまま卒倒したのではないかと思えるほど、見事な凍結ぶりだった。
「いや、本当、こういうところが可愛いんですよ、彼女」
「それは理解できる」
グラードは、静かにうなずいた。
「第三回戦はリューグ=ローディンでしたね」
ドルカが話を戻したのは、ニナが凍結から回復し、逆に顔を真っ赤にしたまま黙り込んでしまってからだった。ドルカは、そんな彼女に目線さえくれてやらない。無視しているのではない。むしろ逆で、目線を送らないことで、彼女の回復を早めようとしているのだ。いま、彼がニナを見つめれば、彼女は再び意識を失ってしまいかねない。
「ログナー戦争の功績で没落貴族の家督を継いだ男だったな」
ローディン家は、ガンディアの貴族だという話だが、ここ百年の活動歴がまったくない家であり、ログナーでも知るものはいなかった。その名を知ったのは、リューグがローディン家を継ぐことになってからだ。
「前歴は不明。野盗崩れという噂もありますが」
「噂は当てにならんが、あの変幻自在の剣技、只者ではないな」
リューグは、第一回戦でも第二回戦でも、素晴らしい剣捌きを見せていた。
「負けないでくださいよ」
「約束はできん。なにぶん、俺も年だ」
グラードが苦笑すると、ドルカが、めずらしく感情的になった。
「俺達のグラードさんが、そんな老人くさいことを仰らないでください」
「実際、老人だよ」
グラードは、言い返しながら、自分の手を見下ろした。手に刻まれた年輪が、否応なく老いを実感させる。まだまだ若いものには負けるつもりはないし、実際、彼はログナー方面軍で最強であると自負している。だが、それもいつまでも続くわけではない。
「そもそも、この場にいるべきは、若いウェインの役割だったんだ」
グラードは、遠く懐かしい景色を思い浮かべた。ログナーの双璧として、飛翔将軍の双翼として肩を並べた武装召喚師のことを思うと、胸が詰まった。
彼が死んだことで、ログナー戦争は終結に導かれた。
彼の死は決して無駄ではなかった。
少なくとも、ログナー人の流血は、彼の死によって抑えられたのだ。
「ウェイン・ベルセイン=テウロスは死に、グラード=クライドは生き残った。死者を哀悼する気持ちは大事ですが、だからといって、弱気になるのはやめてください」
「……君も、ログナー人だな」
「どうしようもなくね」
ドルカの言葉は、グラードの耳にいつまでも残った。