第七百六十二話 御前試合(二)
約二十三年ぶりに開催された宮中御前試合は、ガンディア古来の行事だ。
国中の強者を集めて競技試合を行わせることで、王妃の懐妊を祝福し、生まれてくる子が強く、逞しく成長するように願うものであり、出場するだけで名誉なことだ。特に出場を指名されることはそうあるものではない。また、優勝者には相応の賞品が用意されており、王妃から直々に賜ることができるという。
二十三年前の宮中御前試合は、現在のルシオン王子妃リノンクレア・レーヴェ=ルシオンの生誕を祝うものであった。レオンガンド誕生の際も行われており、そちらは約二十七年前になるらしい。
数十年振りの行事に、王都中が注目を集めている。
開催場所である獅子王宮・練武の間に入ることが出来るのは、もちろん、登殿資格を持つものがほとんどだが、そうではないものも少なくはなかった。招待客である。招待客には、他国の将や重臣、貴族に混じってガンディアに貢献した傭兵連中もいた。
当然、セツナの剣の師匠であるところのルクス=ヴェインも、練武の間の中心に用意された舞台に熱い視線を送っていた。
セツナは、その視線を感じずにはいられない。ルクスだけではない。シグルドやジンもセツナを見ていたし、ミリュウとレムの声援もあった。
「セツナー、怪我だけはしないようにねー!」
「御主人様、頑張ってくださいましー!」
観客席からの声援は、無数にある。セツナを応援するもの、対戦相手を応援するもの。様々な声が練武の間を飛び交っていたが、その中からミリュウとレムの声だけを拾うのは、決して難しいことではなかった。声の帯びている色彩が違う。彼はそんな風に感じ取っている。明らかな違いは、セツナに向けられる感情だろう。ミリュウとレムは、ほかの観客とはセツナに向ける感情が、明瞭なほど異なっていた。
しかし、声援がセツナの緊張感をほぐすということはなかった。対峙する相手が相手だ。競技用の防具を身につけた女性は、よく知った人物だったのだ。ニナ=セントール。ガンディア軍ログナー方面軍第四軍団の副長であり、ザルワーン戦争では長期に渡って戦場をともにした間柄だった。
彼女の直属の上司である軍団長ドルカ=フォームは、観客席にいるらしく、彼女に声援を飛ばしていた。
「ニナちゃーん! 今日こそ雪辱を晴らすのだあ!」
「雪辱ってなんのですか……」
ニナが困ったようにつぶやいた。それから、手にしていた木剣を構える。
「……軍団長の手前、手を抜くことはできませんので、あしからず」
「当たり前だ。ドルカさんの手前じゃなくてもね」
セツナが告げると、彼女は安心したようにうなずき、すぐさま無表情に戻った。彼女の鉄面皮には懐かしい物がある。
「ガンディア王立親衛隊《獅子の尾》隊長にしてエンジュール領伯セツナ=カミヤ対ガンディア軍ログナー方面軍第四軍団副長ニナ=セントール、試合開始!」
ゼフィル=マルディーンの鋭い声が響くと同時に、ニナが突っ込んできた。セツナは抗わず、体をさばいて彼女の突進をかわした。かわしながら、ニナの横殴りの斬撃を木剣の切っ先で受け流し、通り過ぎた彼女が立ち止まって反転する隙に間合いを詰める。振り向き様の足払いを飛んで回避し、空中から木剣を突き下ろす。払われた。着地。右に転がる。ニナの木剣が舞台に叩きつけられている。猛烈な一撃。食らったら怪我をするのは疑いようがない。
間合いが生まれる。
一瞬の攻防に、観衆からため息が漏れた。
「なんだ。やるじゃない」
ミリュウが驚いたようでいて、とてつもなく嬉しそうに声を漏らした。この三日間つきっきりで訓練の相手をしていたレムにしてみれば、あれくらいできて当然だったが、普段、訓練に付き合わないミリュウは驚かざるを得ないのかもしれない。
もちろん、黒き矛を手にしたセツナに比較すれば、物足りないにもほどのある動きだったが、観衆のため息を引き出せるほどには、洗練されている。少なくとも、二流三流の剣士の動きではない。
「凄い成長振りでしょう? なんてったって、あの“剣鬼”が師匠だからね」
ルクス=ヴェインの少し嬉しそうな発言には、レムも嬉しくなった。この三日間、セツナとルクスの訓練を見守ることもあったのだが、訓練中のルクスのセツナに対する発言は、辛辣極まるものであり、セツナが二度と立ち直れなくなるのではないかというほどの罵詈雑言ばかりといってもよかった。
「弟子自慢とは、めずらしいな」
「さっきは期待しないとかなんとかいっていませんでしたか?」
「単純にさ、彼の理想が高過ぎるという話なんだなあ、これが」
「ほう」
「セツナは、一流の戦闘者に育ちつつあるんだ。実際凄いものさ。一年未満であそこまで成長する人間なんて、そういるもんじゃない。いや、いないだろうさ」
話によれば、セツナは生粋の戦闘者ではないということだった。昨年六月、彼は武装召喚術に目覚め(この時点で意味がわからないのだが)、初めて実戦を経験している。それまではただの一般人だったというのだから、身体能力の低さは推して知るべきだ。それが、一流といっても遜色のない動きを魅せている。驚くべきことだ。普通に考えてありうべきことではない。
「彼には戦闘者としての才能はない。それは、間違いない。けれど、才能を凌駕するだけの場数を踏んでいる。通常、決して経験できないだけの数の死線を潜り抜けてきている。それに、黒き矛の補助があるとはいえ、常軌を逸した速度の中での戦いを経験し、脳や体に刻みつけてきている」
ルクスの説明は、実に的確でわかりやすいものだった。セツナのことをよく見ているということもわかる。師匠が弟子を見るのは当然のことかもしれないが、ルクス=ヴェインの人柄から、そこまで熱心に見ているとは思っていなかったのだ。その思い込みも、この三日間で是正されている。ルクスは、セツナにとって良き師匠だった。だからだろう。レムは、ルクスのことが嫌いじゃなかった。
ルクスのセツナ評には、文句のつけようがない。黒き矛を手にしたセツナは、武装召喚師ですら追いつけないほどの速度を持ち、圧倒的といっていい破壊力を誇った。そんな速度や攻撃を経験していれば、成長も速いものなのかもしれない。
「最初から、目は良かったんだ。俺の動きすら理解してはいた。ただ、体が追いつかなかった。最初に見たときのヒョロヒョロ具合、いま思い出しても爆笑モノだよ。ようやく、頭の反応に体がついてくるようになった」
舞台上、セツナはニナ=セントールと一進一退の攻防を続けている。ニナの攻撃を紙一重でかわし、反撃を叩き込む。突きは受け流され、斬撃はかわされた。しかし、それはセツナも同じだ。ニナの攻撃を巧みに回避している。このままでは決着が付きそうにもないが。
「彼は、強くなりたいんだ。だれよりも強く。この俺をも超えようというんだ。この程度で満足しているわけがない。だから期待しない。もっと訓練をつけて、体を鍛えあげないと、彼の理想には到底及ばない。俺に追いつくには、まだまだ時間がかかる。けど」
「けど?」
「普通に考えれば、十分に強いってこと」
胴を狙ったニナの突き木剣の腹で受け、左に流した。そのまま踏み込み、木剣の柄頭を腹に叩き込む。ニナは踏み込みすぎていた。勝機を見たのだろうが、それこそ、セツナの誘いだったようだ。
ニナの体が崩れ落ちて、セツナの勝利が確定する。
「勝者! セツナ=カミヤ!」
ゼフィルが宣言すると、練武の間全体から拍手が起こり、歓声が上がった。
ふと見ると、中でも、貴賓席のナージュが大手を振って喜んでいた。レムは、ナージュがセツナを気に入っているという話を聞いたことがあった。その話が事実だと理解して、彼女は自分のことのように嬉しくなった。
舞台上、セツナが、立ち上がろうとするニナに手を伸ばしていた。ニナは、素直にセツナの手を取り、ゆっくりと立ち上がる。勝者が敗者に手を差し伸べる光景に、美しさを見出した観客が再び拍手喝采を送る。
「演出家だなあ」
ルクスの反応ももっともだと思うのだが。
ミリュウが困ったようにいった。
「演出じゃなくて、素なのよ、あれ」
「だから困るのでございますよね」
「そうなのよ。ああやって増やしていくんだから」
「でも、ニナ様にはドルカ様がいらっしゃいますし」
「まあね。心配はしていないけど」
「……なんの話?」
「いえいえ、こちらのことでございますですわ」
レムは、怪訝なルクスの顔に笑顔で答えた。