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第七百五十八話 震える世界(真)

 闇を見た。

 深い深い闇の淵、絶望だけが横たわる世界があった。

 蔓延するのは血のにおいで、跋扈するのは死者の群れだ。

 怨嗟がうなりをあげ、憤怒が渦を巻く。

 希望などあるはずもなかった。

 それがその闇の世界の現実なのだ。

 だが、その絶望的な闇の中で、抗うものがいた。

 破壊的なまでに禍々しい矛を手にした人物。

 少年。

 闇に溶けるような黒髪に紅い目の――。


 はっと目を開いて、ニーウェ・ラアム=アルスールは、視界に飛び込んできた天蓋の見慣れた図形に安堵を覚えた。全身から吹き出した汗が、敷き布を濡らしてしまっているのだが、それは気にすることではあるまい。なにをしたって汗はかくものだ。

(あれは……俺なのか)

 夢の記憶が残っている。

 普段なら夢の内容など目が覚めれば忘れてしまうはずだ。しかし、なにかが引っかかると、覚醒しても忘れ得ないということがある。今回もそれだろう。だが、引っかかったのは、夢に見た光景の異質さよりも、闇の中に佇む少年のことだ。

 姿形は、鏡を見るように自分そっくりだった。多少、顔つきが違っていたが、大差はなさそうだった。

 間違いなく、自分そのものだった。

 寝台から抜けだした彼は、机の上の魔晶灯の光を灯した。淡くも冷ややかな光が、彼の寝室から夜の闇を吹き払う。広い部屋だ。一般的な感覚でいえば、個人の寝室とは考えられないほどの広さらしいのだが、生まれも育ちも一般とは異なる彼には、その感覚こそがわからなかった。むしろ、闘爵という立場を考えれば、狭いといったほうが正しいし、闘爵には似つかわしくない部屋だと怒られることもあった。もっと高貴な部屋に住むべきだと怒るのは、彼の姉にして騎爵であるニーナ・ラアム=エンシエルくらいのものだが。

 しかし、いまのところ結婚する予定もない。これ以上広い部屋に住むのは、使い勝手が悪くなるだけではないか、などと思わないではなかった。ニーナの忠告は聞き入れなければならないと思いつつも、だ。

 彼には彼の考えがある。

「アラク・ウルクラウム・ウェステル……」

 ニーウェが口にしたのは、武装召喚術の呪文だった。

 武装召喚術は、三つの呪文から成り立っている。

 解霊句、武形句、聖約句の三つの呪文は、武装召喚術を行使する上で必須のものだが、解霊句を除くふたつは、召喚対象によって異なる文字列となる。要するに解霊句だけは共通の呪文であり、武装召喚師が一番最初に覚えなければならない呪文だった。もちろん、解霊句だけ唱えることが出来たところで、武装召喚術が行使できるわけではない。

 解霊句は、古代言語の羅列を音にすることで術者の内なる力を呼び起こし、世界に干渉するための呪文であり、基礎中の基礎ともいえた。

 つぎに武形句が必要となる。召喚武装の形状や能力を特定するための呪文であり、これによって呼び出される召喚武装が決定づけられる。詳細に設定すればするほど呪文は長くなり、詠唱も長くなる。また、強力な召喚武装の呪文も長くなりがちだった。だが、呪文通りの召喚武装が呼び出せるとは限らないのが、武装召喚術の怖いところだ。召喚武装は、異世界に存在する武器や防具を呼び出すものだ。呪文で設定したところで、望み通りのものが召喚できる可能性のほうが少ないといってよかった。もっとも、まったく同じものでなくとも、成功さえすれば、呪文に近似した武器防具が呼び出されるため、なんの心配もいらないといえばいらないのだが。

 最後は、聖約句である。

 召喚武装と召喚者の契約を確認する呪文であり、これがなければ召喚は果たされない。

「武装召喚」

 呪文の末尾は、決まってこの一言だ。

 武装召喚の一言によって呪文は世界に影響を与え、異世界の扉を開く。やがて呪文によって特定された武器防具が、術者の元に転送されてくるのだ。

 爆発的な光とともに、彼の手の内に重量が生じる。握り締めると、凍てついた硬質感に驚くよりも早く、自我が肥大するかのような感覚に苛まれ、召喚の成功を認識する。召喚武装とは、そういうものだ。手にした人間に多大な力を与える。それが副作用だというのだから、脅威的としか言い様がない。

「あれは本当に俺なのか?」

 彼は、両手に握った召喚武装を見下ろした。まったく同じ形状、同じ色彩を帯びた深黒の短刀。柄の先端から切っ先まで黒で統一された短刀であり、ところどころに装飾こそあるものの、それが黒の中に浮いていなかった。

 彼は、エッジオブサーストと名付けた。深黒の双刀と呼ぶこともある。

 絶大な力を秘めた召喚武装は、稀代の武装召喚師であるイェルカイム=カーラヴィーアにさえ羨ましがられるほどのものだった。

 深黒の双刀から、反応があった。召喚武装は意思を持つ。ときに、こうして召喚者に意見を伝えてくることもあるのだが、深黒の双刀はそれが顕著だった。

 彼の相談相手になってくれた。

 彼は、エッジオブサーストを手に入れたからこそ、闘爵になれたのだと信じていた。彼が深黒の双刀に入れ込むのは、それ相応の理由があるということだ。

「もうひとりの俺……?」

 エッジオブサーストはそういっていた。

 そして、いずれ倒さなければならない相手だとも、告げてきた。倒すべき敵。滅ぼすべき相手。それが、夢に見たもうひとりのニーウェなのだというのだが。

 そんなものがこの世に実在するとは思えず、彼は、呆然とした。



 ベノアガルドは、大陸小国家群最北部の国のひとつだ。アルマドールの西に隣接した国であり、以前の国土は、弱小国だった時代のガンディアと同等か、それ以下の面積しかなかった。当然、国力もその程度であり、とても強国にはなりえないものだった。周辺諸国はそう見ていたし、ベノアガルドの国民も政府も、その事実を認識し、認識した上で改善しようともしなかった。

 平穏無事でありさえすればいい。

 小国家群は、五百年近く続いている“常態”なのだ。

“常態”は、なにものかが乱さなければ恒久的に続くはずだ。“常態”が続けば、平穏は続く。小国家は、益体もない小競り合いだけを続け、一喜一憂だけをしていればいい。ベノアガルドの政府も国民も、多くはそのようにしか考えていなかったようだった。

 そして、そのような考えでも、国は上手く回っていた。

 いや、ゆっくりと腐敗が進み、次第に壊死していく国の有り様が、上手く回っていたといえるのなら、の話だが。

 実際は、ベノアガルドは死に瀕していた。

 長い歴史を誇る国だ。

 夢にまで見た統一国家が崩壊し、無数の国と地域に分かたれた五百年前の大分断。ベノアガルドは、その直後に誕生したといわれている。つまり、五百年近い歴史が紡がれているということになる。

 最初の百年は、小国家群の黎明期といってもよく、ベノアガルドも積極的に国土の拡大を目指していた。いい時代だったのかもしれない。まさに群雄割拠の戦国乱世であり、いまの世とは比べ物にならないほど、英雄や豪傑が頻出し、無数の国が生まれ、無数の国が倒れた。そんな中、ベノアガルドは生き延び、ある程度の国土を確保することに成功する。

 それから数百年、歴史は流れた。

 ベノアガルド樹立の際に掲げられた高潔な理想は、過去の栄光と虚飾によって塗り替えられ、政治は腐敗し、王侯貴族は、酒食に耽り、華美を競い合うようになった。国民は悪政と貧困に喘ぎ、救いを求めたが、求めた先がヴァシュタリアではどうしようもなかった。ヴァシュタリアは、他の三大勢力同様、小国家群への干渉を極端に嫌っていた。振りかかる火の粉は全力で消し滅ぼすが、みずからが火の粉になろうとはしなかったのだ――。

「そんなとき、国民の声に耳を傾けたのが、我らが騎士団というわけだ」

「騎士団万歳! 神卓騎士団に栄光あれ!」

「まだはえーよ、話はこれからだっての」

 酔客の大声が飛び交うのが、酒場の酒場たる所以だ。

 彼は、酔っ払い共の声の大きさに顔をしかめたものの、不快感はなかった。彼らのような民を窮状から救い上げるために立ち上がったのが、自分たちなのだ。彼らの浮かれようを怒る気にはなれなかった。むしろ喜ぶべきだと考える。自分たちが立ち上がらなければ、彼らはいまごろこの王都の何処かで野垂れ死んでいたかもしれない。それほどまでに酷い有様だったのだ。

 よく他国に攻め滅ぼされなかったものだと感心することもあるが、周辺諸国もそういう状況にはなかった、というだけのことだろう。ベノアガルドを取り囲む国は、どこもかしこも問題を抱えている。だからこそ、付け入る隙も生まれたのだが。

 シヴュラ・ザン=スオールは、杯に注がれた果実酒を飲み干すと、亭主に料金を手渡して店を出た。外套を着込み、頭巾を目深に被った彼を気に留めるものはいたが、正体を探ろうとするものはいなかった。この街では、騒ぎを恐れる。

 騎士団の鎮圧は、容赦がないからだ。

 酒場を出ると、そこは首都ベノアの市街東大通りだ。大通りというだけあって人気は多い。が、だれも彼と目を合わせようともしなかったし、正体を知るものもいない。彼が外套を着こみ、頭巾で顔を隠すのは、そうでもしなければ息苦しくて敵わないからだ。

 この首都ベノアで十三騎士を知らないものはいないのだ。

「探しましたよ、シヴュラさん」

 不意の呼び声に、彼は振り返って憮然とした。

「……相変わらず迂闊だな」

「はい?」

 彼に声をかけてきたのは若い男だった。青年といっていい。金髪に碧眼。秀麗な容貌は血筋のなせる技だろう。彼の血筋は、騎士団の中でもっとも高貴だった。が、落ちぶれた今となっては、その高貴な血筋が彼の立場を護ることはない。彼の立場を護るのは彼の実力であり、十三騎士という肩書であろう。そしてそれは、血筋ではなく、実力で勝ち取ったものだ。

 ハルベルト・ザン=ベノアガルド。

 ベノアガルド王国最後の王アルベルト・レイ=ベノアガルドの実子であり、第一王位継承者であった彼を知らぬものはいない。シヴュラを真似て着込んだ外套も、頭巾を被っていなければ、なんの意味も持たないのだ。彼の容貌ほど目立つものはなかった。

 市民が遠巻きにふたりを囲んでいるのがその証左だ。

「このような場所で名を出すものではない」

「……あ」

「……まったく、これでは先が思いやられる」

「うう……で、でもでも、だれにも聞かれていませんでしたって」

 彼は反論してきたが、聞かれなかったからといって彼自身が注目を浴びているという事実に代わりはなかった。ふたりを遠巻きに取り囲んでいるものの多くが、ハルベルトの名を口にし、その容貌を褒めそやしている。

「結果良ければ全て良し、ということなどない。結果がすべてなのは事実だが、結果だけに目を留めるのは、己の目を曇らせることにほかならない」

「はい。勉強になります」

「……わたしは卿の教師ではないのだがな」

 肩を竦めると、ハルベルトは、困ったような顔をした。彼自身、お守りを必要とするような年齢でも立場でもない。彼も立派な騎士なのだ。

「それで、なぜわたしを探していた?」

「団長閣下による招集ですよ。神卓の間に集まるように、とのことです」

「そういうことか」

 彼が納得したのは、神卓の間への招集は、国にとって極めて重要な会議を行うという意味だからだ。

「しかし、なぜ卿なのだ?」

「シヴュラさんといえば、わたくしだからではないでしょうか」

「……どういうことだそれは」

 シヴュラは嘆息すると、青年騎士が肩を竦めるのを見て、頭を振った。騎士団が彼の面倒を自分に押し付けているのは薄々わかっていたことだが。

「行こう。注目を浴びすぎだ」

「は、はい!……?」

 ベノアガルドの国土は、この半年で膨張した。それこそ、ガンディアに追いつくほどの勢いだった。この勢いを維持しなければ、ガンディアに飲まれる可能性が高い。国も民も疲弊し始めているが、足を止めるわけにはいかない。ガンディアは、クルセルクを平定し、その領土の一部を得たという。ジベルと同盟を結んだだけでなく、周辺諸国との関係も良好だという。

 議題は、外征に関するものに違いなかった。

 シヴュラは、市民の輪を掻き分けると、ベノア城を目指した。

 三月の終わり、ベノアにも春は訪れている。

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