第七百五十七話 死神の去就(三)
「閣下。わたくしに話とは、いったいなんでしょう?」
執務室に通されるなり、レムは、問うた。
「まずは座り給え。時間はあるのだ。ゆっくりと話をしようではないか」
ハーマインが指し示したのは、彼の机の対面に設置された椅子だった。
広い執務室には、彼女以外には、ジベルの将軍にして国政の一切を取り仕切るハーマイン=セクトルひとりだけしかいなかった。これが彼なりの誠意の見せ方だということはわかっている。ほかの人間がいると、話せることも話せなくなってしまうかもしれないからだ。
高級な調度品の数々は、さすがは一国の将軍の執務室というだけのことはあった。見慣れた空間ではあるし、特に目新しい物もない。ハーマインは戦利品を飾るような趣味はなかったし、クルセルク戦争での戦利品など、たいしたものはなかった。略奪や強奪が禁止されていたことも大きい。
「どうした?」
突然尋ねられて、レムは頭の中に疑問符を浮かべた。それから、ハーマインが椅子に座ることを促していたのだと思い出した。
「いえ。遠慮させていただきます。わたくしにはあまり時間はありませんので」
「なぜだ?」
「死神部隊を解隊する手続きをしなければなりません」
レムが涼しい顔で告げると、さすがのハーマインも顔を青ざめさせた。
「なにを馬鹿な」
「閣下こそ、なにを考えて死神部隊を再生させたのです。死神部隊は、その名前だけで他国に悪印象を持たれかねない。ジベルが悪逆非道の道を進むというのなら止めませんが」
とはいったものの、たとえジベルがそのような理由で死神部隊の再構築を始めたのだとしても、彼女は全力で潰そうとしただろう。
死神部隊は、彼女の青春だ。
部隊の存在理由や理念がどうあれ、そこに彼女は自分のすべてを注ぎ込んでいたのは紛れもない事実なのだ。ハーマインの思惑に利用されるなど、言語道断だと彼女は思った。
「死神部隊は、ジベル最強の戦闘集団だ。歴史に汚名を刻んだとはいえ、消し去ることはできない……」
「閣下にできないのであれば、わたくしが消して差し上げますよ」
「……本気なのか」
「ええ。死神部隊は、今日このときをもって歴史から消え去るべきです。ジベルが潔白であるというのなら、なおさら、クレイグ・ゼム=ミドナスのにおいがする組織を残しておくべきではない」
「それは……そうだが……しかし……」
ハーマインの反応は、煮え切らないものだった。彼の思惑とはまったく異なる方向に話が進んでいるからなのかもしれない。彼の思惑がなんであれ、レムは死神部隊の存続を許すつもりはなかったし、死神部隊を潰すためならばあらゆる手段を講じる気でいた。ハーマインが応じないというのならば、外部の人間を利用して、圧力をかけてもらうだけだ。
レムは、必ずしも自分ひとりの力で死神部隊を抹消するということに拘ってはいなかった。死神部隊という存在を消すことができるのならば、それが他者の力であっても利用する覚悟がある。そして、ただひとりを動かせば、ハーマインも黙殺はできなくなるということもわかっている。
「わたくしのことならお気になさらず。死神部隊があろうとなかろうと、わたくしの居場所はここにはありませんから」
「……ガンディアへ行くつもりか」
レムが告げると、ハーマインは苦い顔をした。レムはにこやかに返答する。
「厳密には、エンジュール領伯の元へ、です」
「セツナ伯との間でなにがあったのだ」
「知りたいのなら、わたくしにも教えて下さい」
「なにをだ」
ハーマインの苦虫を噛み潰したような顔は、ジベルの国政さえも任された名将に相応しくないものだった。彼がそこまでレムに拘る理由はわからないではない。レムは、死神部隊というジベルの秘密を握る部隊に属していた。そんな人物を他国に渡すわけにはいかない。さらにいえば、レムの戦闘力の高さを買ってもいるのだろう。死神部隊が壊滅した今、レムがいなくなれば、ジベルの軍事力は極端に低下するのは火を見るより明らかだ。
レムは、クレイグに与えられた死神の仮面こそ失ったものの、力を失ったわけではなかった。仮面を用いずとも“死神”を呼び出すことができるのだ。それは、彼女の魂を拘束する力が、より強大化したからかもしれない。
クレイグよりもセツナのほうが、格上ということだ。
それはなんとなく理解できることだ。
クレイグに支配されていたときと、セツナに支配されているのとでは、心の在りようが違った。
「閣下は、クレイグ・ゼム=ミドナスのことをどこまでご存知なのですか?」
「……おおよそのことは知っている。貴様は、クレイグのなにが知りたい。なにを知れれば、満足なのだ」
「満足することなんてありませんが、知っておくべきことは知っておきたい、ただそれだけです」
「……クレイグ・ゼム=ミドナスは、この国に突如として現れた黒い希望だった。彼が、その召喚武装の力を用いたのは、アルジュ陛下のためだけだった。アルジュ陛下の国造りのために、彼は、死神の力を用いた。死神部隊を作り上げたのも、陛下のためだけだった」
「突如として現れた……正体は知っているのでしょう?」
「だからなんだ? 正体を話せというのか?」
「いえ……知りたくはありません。ただ気になっただけですよ。まるでクレイグ隊長が、それまで存在していなかったかのような口ぶりでしたので」
「……ああ、その通りだ。彼は突如として出現したのだ」
ハーマインが肯定するとは思いも寄らず、レムは目を細めた。彼が嘘を付いているとは考えにくい。本当のことを語っているのは間違いなかった。ただし、それがすべてとはいえないのだが。
「突然現れたものを信用するなど馬鹿げているとでも思ったか。だが、事実だ。そして、信用するに足る理由もあった。信用しなければならなかった。それがわたしがわたし足る所以だからな。疑えば、わたし自身を否定することに繋がる」
ハーマインの言葉で、クレイグの正体がおぼろげながらも掴めてきて、レムは頭を振った。このまま話していれば、正体を知ってしまうかもしれない。クレイグ・ゼム=ミドナスの正体は、知りたくなかった。彼は、記憶の中の隊長のままでいるべきなのだ。大切な想い出の一部として残すには、そうするよりほかなかった。
「それで、クレイグの計画についてご存知ではなかったというのは、本当なのですか?」
「セツナ伯殺害計画について、か。何度もいうが、知らなかったのが本当のところだ。クレイグは秘密主義なところが多かった。肝心なことはなにも話さず、明かさず、内に秘めたまま、行動した。彼の行動は、国に貢献するものしかなかった。黙認せざるを得まい」
「その結果が彼の暴走を招いた、と」
「暴走……そうだな、暴走だ」
ハーマインが冷笑したのは、クレイグの暴走を止められなかった自分を笑いたかったからなのかもしれない。
とはいえ、レムにはわかっている。
セツナを殺害し、黒き矛の力を取り込もうという彼の計画は、成功していれば、やはりジベルのためになったのだ。セツナ曰く、クレイグの闇黒の仮面は、黒き矛の力をそのまま取り込むことで、圧倒的な存在になり得たというのだ。そうなれば、ジベルは安泰だ。周辺諸国を攻め落とし、ガンディア以上の大国になれる可能性もあった。クレイグが行動を起こしたのも、ある意味では当然だったのかもしれない。
だが、失敗した。
死神部隊の死神たちの反発を招いたことが、彼の敗因だ。
クレイグがもっと上手く立ち回っていれば、セツナは死に、黒き矛の破壊も成功していたのかもしれない。
「ほかに知りたいことは?」
「そうですね。これ以上は特にはありませんね」
知りたいことはなくはなかったが、これ以上探れば、クレイグの正体に行き着くのではないか、という恐怖が、彼女の詮索を押し留めた。それに、クレイグとハーマインの関係を知ろうと知るまいと、これからの人生には関係のないことでもある。
過去は、ジベルに置いていくつもりだった。
「では、聞かせてくれ。貴様はなぜ、セツナ伯の元へいくのだ」
「それがわたくしのすべてとなったからです」
「……どういうことだ?」
「わたくしの主が、クレイグ隊長からセツナ伯に変わった、ただそれだけのことですよ。人間、命を救ってくれたものに対して、恩義を感じるのは当然だと想いませんか?」
「恩義のために国を捨てるというのか」
「わたくしを縛るには国という言葉は使わないほうがいいですよ」
レムは、冷ややかな視線をハーマインに注いだ。名将がたじろいだのは、その視線があまりに冷酷だったからかもしれない。少なくとも絶望的な目をしていたからではあるまい。
絶望は、消えて失せてしまった。
「わたくしにとって、この国は、生まれ育った国という以外にはありませんから」
生まれ、育ち、切り捨てられた。
たった十三年の短い人生。
レムは、脳裏に浮かんだ死の風景にも、絶望を感じなくなっていることに気づいて、少しばかり驚いた。驚きながら、ハーマインの前を辞す。彼はもはや引き止めなかった。死神部隊の解散も止めようとはしないだろう。ここまでいったのだ。ハーマインは、頭を抱えながらも、つぎの方策を考えだすはずだ。ジベルをここまで強くした名将なのだ。死神部隊という名に頼らずとも、上手くやっていけるのだ。
過去に縛られていてはいけない。
将軍の執務室を出て、廊下を進む。ジベルの首都ル・ベールの宮殿。死神部隊の一員として過ごした日々が、陽炎のように揺らめいて、消えていく。リュフとともに宮殿内を走り回り、クレイグに叱られたこともあった。カナギとともに侍女たちの部屋に侵入したこともあれば、ゴーシュたちと一緒に宮殿を探索したこともある。
宮殿には、様々な想い出が詰まっているのだ。
しかし、足を止めてはいられない。なにもかも終わったことだ。終わり、過ぎ去ったことなのだ。足を引かれてはならない。
レムの胸の内に渦巻くのは、手早く事を終わらせ、ジベルを出るという想い以外にはなかった。
焦がれるような想いがある。
早く、もう一度、あの声を聞きたい。ずっと、聞いていたい。
『レム』
絶望的な孤独の中、なにもかもを破壊した声は、光明以外のなにものでもなかった。
そして、名を呼ばれたことで、宙に浮いた彼女の魂は、レムという存在に戻ることができた。三度、産声を上げたのだ。
彼の元に赴く最大の理由は彼の声を聞くためだ、などといえば、ハーマインに笑われただろうか。
ふと、そんなことを考えて、彼女は苦笑した。