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第七百五十六話 死神の去就(二)

 ジベルの混乱が急速に収束したのは、王位を継ぐべきセルジュ・レウス=ジベルの国民的人気の高さとハーマイン=セクトル将軍の人望の厚さによるものが大きいようだった。突如として病死した(と発表された)アルジュ・レイ=ジベルの不人気っぷりは、彼の臆病な性格故のものであり、アルジュへの信頼のなさがハーマインへの期待と信頼に繋がっているのだから不思議なものだ。もちろん、ハーマインの人気は、彼の手腕によるところが大きい。

 小心者のアルジュは、軍事のみならず、国政までも将軍に任せきりだった。これでは国民の人気を得られないのも当然だったが、アルジュにしてみれば国民の人気のために自分の弱さを晒すなど、耐えられないものだったのかもしれない。彼は隠れ続けた。隠れたまま、いつの間にか死んでいた。

 病死が公表されると、ジベルは多少の混乱の中で喪に服した。

 喪が開ければ、セルジュが王位を継ぐことになるだろう。それまで、王の座は空白のままだが、ジベルに至ってはそのことで問題となるようなことは少なかった。

 アルジュ亡き後も、いままで通りハーマインが国政を仕切っているからだ。

 ハーマイン=セクトルに任せておけばなんの心配もない。ジベル国民は、アルジュ王よりもハーマイン将軍の政治手腕こそ信頼し、彼が戦死しなかっただけで万々歳だという声も聞かれた。

 クルセルク戦争におけるジベル軍の戦死者は、決して少なくはない。連合軍に参加した八千名のうち、生還したのは五千名ほどであった。特に《青き角》の約二千名がリネン平原で消滅したのが大きい。消滅である。死体を確認することはできないし、亡骸を遺族に届けることもできなかった。もっとも、それは他の兵士にもいえることだが。

 三千人近い将兵が戦死したのだ。ジベル軍は大打撃を受けたといってもよかった。兵力の回復には時間がかかる。徴兵すればすぐに埋まるというものではないし、埋まったとして、新兵を使い物になるように育成するのも簡単な話ではない。

 領土拡大のための外征も、当分は行うことはできないだろう。

 しかし、必ずしも悪いことばかりではない。

 クルセルクは、ジベルの北に隣接していた国だ。クルセルクが周辺諸国に食指を伸ばせば、ジベルが侵略対象として選ばれる可能性は高かった。ガンディアという大国よりも、アバードかジベル、シャルルム辺りと考えるのが普通だろう。魔王の目的がガンディア制圧だということは、戦前、だれにもわからなかったのだ。周辺諸国は、クルセルクの行動を注意深く見守っていた。見守り、備えていた。

 ジベルも、クルセルクが南進しないことを祈りつつ、北の防備を厳重にしていたものだ。そういう経緯がある。クルセルクが滅亡し、連合軍参加国の領土になったことは、ジベルにとっても喜ばしいことだった。これで、北に対する警戒を解くことができる。

 さらにジベル国民にとって喜ぶべきことは、隣の大国ガンディアと同盟を結んだことだ。ジベル政府にとっては歓迎しにくいことかもしれなかったが、ガンディアとの争いなど望んでもいない国民にとって、ガンディアと友好的な関係を結ぶことができたのは朗報としかいいようがなかったのだ。

 彼女は、そんなようなことを墓前に報告していた。

 三月の末のことだ。

 日差しは穏やかで、空が抜けるように青かった。

 ジベルの首都ル・ベールの片隅に、その集団墓地はある。クルセルク戦争が終わり、ジベル軍が帰国すると、帰国することのできた将兵の亡骸の多くがこの集団墓地に埋葬された。異国の地で埋葬するしかなかったものたちも少なくはない。埋葬すらできなかったのが、《青き角》の約二千人だが、そればかりはどうすることもできない。だれが悪いわけでもない。理不尽な力を恨み、嘆くしかないのだ。

 彼女は、その集団墓地のさらに片隅にいた。小さな墓碑には、彼女にとって大切なひとたちの名前が刻まれていた。カナギ=ハラン、シウル=メーベル、ゴーシュ=メーベル、リュフ=ヴェント、トーラ=ドーラ。死神の名が外されているのは、死神部隊の隊長に就任した彼女がそう望んだからだ。彼女自身、死神の名を捨てた。いまはただのレム=マーロウと名乗っている。そのうち、家名も捨てるかもしれない。不要なものになるからだ。

 墓碑にクレイグ・ゼム=ミドナスの名は刻まれていなかった。クレイグの死体は発見されなかった。どこかで生き延びているのかもしれないと噂された。ジベル政府は、クレイグ・ゼム=ミドナスをセツナ・ラーズ=エンジュール伯誘拐事件の首謀者として公表、彼が死神部隊を私的に利用し、セツナ伯の暗殺を図ったものとして断罪した。

 ジベル政府は、セツナ伯誘拐事件には一切関わっていないことを強調。潔白を示すためか、クレイグ・ゼム=ミドナスを除籍するとともに、その首に懸賞金をかけた。クレイグ・ゼム=ミドナスと判別できる状態であれば生きていようと死んでいようと構わない、というジベル政府の布告は、クレイグとの徹底的な決別を表明したものだった。

「おかしな話よね。クレイグ隊長が生きているのなら、彼とあたしが生きて戻ってくることなどありえないというのに」

 レムには、ジベル政府のやることなすことがおかしく思えてならなかった。

 祖国への想いがとうに失われてしまっているからなのかもしれないし、生まれ変わったせいなのかもしれない。どちらにしても、レムにとってジベルはもはや色褪せた過去でしかない。

 そんな色褪せた夢の跡にあって、墓標に刻まれた名前だけが、現実味を帯びている。

 十年前に既に死んでいたものたちが、仮初にも生き、再び死んだ証としての墓石。そこには確かに現実があったのだ。奇妙で歪な現実が存在していたのだ。

 クレイグだけが死んだことを認められないまま、宙に浮いた状態で放置されている。クレイグの死を秘匿する理由はなんとなくわかるのだが、理解しようとは思わなかった。理解すれば、自分たちの十年を否定することになりかねない。

「カナギ。昔からずっと見てくれていたよね。あたしの大好きなお姉ちゃん」

 カナギ=ハラン。死神部隊の中でもっとも優れた暗殺技能の持ち主であり、レムにとって初めての死神仲間だった。彼女との想い出が一番多いのは当然だったし、死神部隊中、ふたりだけの女ということもあって、男どもとは一線を画すものがあった。

「おしゃべりなゴーシュに、気遣い名人のシウル兄。嫌いじゃなかったよ」

 シウル=メーベル、ゴーシュ=メーベルは、兄弟で死神に選ばれていた。なにか喋っていないと死んでしまうのではないかというくらい喋るのが好きなゴーシュは、死神部隊の賑やかしだった。暗躍部隊に似つかわしくなかったが、部隊が仲良くなれたのは、彼のおかげもあるだろう。そんな彼を支えていたのがシウルだった。部隊でもっとも年嵩だったシウルは、部隊の纏め役でもあった。

「子供っぽいリュフに、おとなしいトーラ。よく遊んでくれたよね」

 リュフ=ヴェントは、レムよりは年上であるはずなのに、レムよりも余程子供染みたところがあった。その子供っぽさがレムの波長にあっていたのかもしれない。トーラともども、一緒になって走り回ったものだ。

 トーラ=ドーラは、リュフのような子供ではない。山のような大男であったのだが、子煩悩という言葉が彼ほど似合う人物もいなかった。トーラは、リュフとレムを子守と称して一緒に遊ぶことを日課としていた。

 十年前、レムはまだ子供だったのだ。

 十年たっても、体は子供のままだった。不思議だとは思わなかった。そういう人間もいるのかもしれないし、いたとしてもおかしいことではないと思えた。ゴーシュやトーラが老けないのは不思議だったが、気にするようなことでもなかった。

 仮初の命。

 肉体という檻に拘束された魂。

「真実を知ればもっと絶望するものかと思っていたけど、絶望の先にはなにもないのよね」

 絶望は、ただ、絶望なのだ。

 そこに深い浅いの違いはない。

 一度死んで絶望して、仮初に蘇らされたとしても、その絶望は晴れなかった。

 絶望を抱いたまま、この十年を歩いてきた。

 死神として。

「隊長、こちらにおられましたか!」

 若い男の溌剌とした呼び声が聞こえたが、彼女はきょとんとした。どう考えても自分に投げかけられているのだが、いまいちしっくりこない。

「隊長……?」

 振り返ると、黒装束の青年がひとり、肩で息をしていた。

「はい、レム隊長を探しておりました!」

(ああ、あたしのことか)

 ようやく、腑に落ちる。

 レムは、戦後まもなく死神部隊の隊長に任命されたのだ。レムには拒否権があった。レムが拒絶すれば、ハーマインも強気にはでられない。レムの立場はいま、ジベルにおいて無敵といってもよかった。彼女にはジベルに従う道理がないのだ。すぐさま軍を辞めても問題はなかった。もちろん、軍は問題にするだろうが、レムには強力極まる後ろ盾がある。ハーマインや若きセルジュ王ではどうすることもできまい。

 それでも、彼女は死神部隊長を拝命した。数日くらいなら、隊長を演じるのも悪くはない。死神部隊の設立に関わった当事者として、けじめをつける必要もあった。

「なにかあったの?」

「将軍閣下直々にお話があるとのことで、我ら新生死神部隊、総出で探しておりました!」

 青年隊士のいった新生死神部隊とは、レム=マーロウを隊長とする部隊の通称だ。クレイグの死神部隊と区別するため、特に新生とつけている。隊員数三百人規模の部隊であり、根本理念からクレイグの死神部隊とは異なっていた。

 死神部隊の名を受け継いだまったく別の部隊だと考えればいい。

「そう……将軍がね。わかったわ。すぐに出頭します」

「閣下は、執務室で待っておられます!」

「ありがとう」

 レムが微笑むと、青年隊士は顔を赤らめたのち、慌てて墓地を後にした。

 そのときには、レムは、墓碑を振り返っている。

「じゃあ、行くわね」

 本来の死神部隊は、彼女たちの亡骸とともにここに眠ったのだ。

 新生死神部隊は、レムをジベルに留めておくための施策のようだったが、無駄な努力だった。

 彼女を縛り付けることは、なにものにもできない。

 レムの魂は、とっくに拘束されているからだ。

「つぎに会いに来るのは、ずっと先のことになりそうだけど……心配しないでね。あたしは、だいじょうぶだから」

 レムは、死神部隊に別れを告げて、ハーマインの執務室に向かった。

 日は高く、空は青い。

 春はこれからだ。

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