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第七百五十五話 死神の去就(一)

 大きな戦いが終わった。

 幾多の敵が死に、数多の味方が死んだ。

 むせ返るような死の濃度は、戦いの苛烈さと無慈悲さを示すようであり、しかし、それこそが戦いの本質なのだということを忘れさせないために必要なものなのだとも、彼女は考えている。

 シーラ・レーウェ=アバードは、二ヶ月ぶりにアバードの地を踏みしめて、感慨の中にあった。懐かしさがこみ上げてくる。

 彼女の戦いは、アバードから始まった。

 アバード北東のタウラル要塞を拠点として、軍を発したのだ。サラン=キルクレイド率いるイシカの軍勢とともにランシードを攻め立てたのも、二ヶ月以上前のことだった。もうそんなに前になるのかと思う反面、まだ二ヶ月程度しか経っていないのかとも思う。時の流れの速さと遅さ。矛盾した感覚の中で、彼女は、王都を目指していた。

 ウィレアら侍女団と親衛隊、アバード軍(牙獣戦団、翼獣戦団、爪獣戦団)とともに、だ。

 凱旋だった。

 勝利の栄光を引き連れて、シーラたちがアバードの王都バンドールに帰り着いたのは、三月下旬もまっただ中だった。クルセールからバンドールまでは、決して遠いとは言い切れない。少なくとも、ガンディオンやルシオンの都よりは遥かに近い。ともすれば、連合軍参加国の中では首都に一番近いのではないか。

 シーラは、帰国を急がなかった。

 連合軍として戦いをともにしたものたちとの別れを惜しんだ。特にガンディアのセツナといられる時間を増やしたかったが、それは叶わぬ願いとなった。ガンディア軍は、連合軍の解散発表後、すぐに帰国の途についたからだ。

 帰国直前のセツナと言葉を交わす機会があり、それだけが彼女の慰めとなった。そして、セツナにアバードを案内できる日が来ることを待ち望んだ。

 それくらいの夢ならば見てもいいはずだ。

 恋ではない。

 夢だ。

 目が覚めれば泡と消えるような儚い夢だ。

「姫様、そろそろ……」

 馬車の中で考え込んでいると、ウィレアから話しかけられて、彼女は現実に戻った。

「ああ、うん」

 馬車が止まっていた。王都バンドールが目前に迫ったということだ。シーラは美々しく着飾り、軍馬に跨がらなければならない。

 獣姫の凱旋なのだ。

 華々しいものにしなければならなかった。

(セツナに見て欲しかったな)

 凱旋用に新調された獣姫の鎧は、シーラの肉体美を際立たせるものだということだった。馬上、さぞや映えることだろう。

 着飾っているのは、彼女だけではない。彼女とともに戦場を潜り抜け、生還した侍女団も艶やかといってもいいような鎧兜を身に纏っていた。

 王都バンドールは、もう目の前だ。

「胸を張って、帰ろう」

 シーラは、自分に言い聞かせるようにいって、気を引き締め直した。

 神ならざる彼女には、これからみずからの身に起こる出来事など、想像もできなかったのだ。



「はあーっ……やっぱり、なんだかんだいっても、落ち着くのは我が家よねえ」

「落ち着くのは否定はしないけど、ここが我が家なの?」

 大きく伸びをしたミリュウに対して、ファリアがあきれるように尋ねた。

 ガンディア王都ガンディオン《群臣街》にある《獅子の尾》隊舎の広間に、彼女たちはいる。広間の調度品は、隊士たちの趣味や主張が現れたものばかりであり、どこか混沌としており、そんな空間こそ落ち着くというのがいかにもミリュウらしかった。セツナも、隊舎が落ち着くという意見を否定するつもりはなかったし、実際、気楽なものなのだが。

 隊舎でくつろぐのは、ほぼ三ヶ月ぶりといってもよかった。一月頭にミオン征討があり、そのままクルセルク戦争に突入している。それから二ヶ月近く、クルセルク本土で過ごしたことになる。戦争が終わってもすぐに帰ってこられるわけでもなく、ようやく王都に凱旋できたのは、四月も見え始める頃合いだった。

 春の日差しは穏やかで、冬の寒さから解放されたのは嬉しいという以外にはないのだが。

「だって、あたしには我が家なんてないもの」

 ミリュウは、だらしなく長椅子に寝転がっていて、ファリアはその対面の席に腰を落ち着けている。ルウファとエミルの姿がないのは、ふたりで食堂に向かったからだ。隊舎の厨房を預けているゲイン=リジュールになにか作ってもらうつもりらしい。

 ゲインは、セツナたちが隊舎を開けている間も、隊舎の番をしてくれていたようだ。軍医はともかく、調理人を戦場に連れて行くことはない。ゲイン自身は、戦場調理人というのも悪くはないかもしれない、などといっているのだが。

「なかったっけ」

「……リバイエン家の屋敷は龍府にあるけど、あたしはもう家とは関わりがないし。父は行方不明。お母様はもういないし……兄弟は兄弟なりに頑張ってるみたいだけどさ」

「会ったりしないの?」

「会ったら……どうなるかわからないし」

 彼女は、深く息を吐いた。

 ミリュウは、家族を憎んでさえいる、という。

 彼女の人生を思えば、当然のことだ。十年前、それまで幸せに満ちていた生活を奪われ、地獄のような世界に投げ入れられた。周りはすべて敵で、殺さなければ自分が殺されるような地獄で、彼女は、ザルワーンそのものを憎み、恨んだ。中でも父であり、魔龍窟総帥であったオリアンへの憎しみがもっとも強く、殺意さえ抱いていたが、結局、殺せなかった。その結果、彼女は自分というものを再認識したようだが、だからといってザルワーンへの憎悪を消し去ることはできないのかもしれない。

「あ、でも、待って」

「なによ」

「ここは別荘だわ。我が家はエンジュールにあるべきなのよ」

「なにを言い出すのかと思ったら……」

「あはは、そりゃあいい」

 ファリアが頭を抱え、マリアが腹を抱えて笑った。クルセルク戦争の後半、軍医の仕事に忙殺されていたマリア=スコールは、幾分、痩せたように見えた。痩せたからといってその豊満な胸が小さくなるようなことはなかったようだ。普段から白系の衣服を着ているのは、軍医としての性なのかもしれないが、胸を強調しているのは趣味に違いない。

 目が行くのは、胸を強調した衣服を着ている上、セツナの隣に座っているからであり、不可抗力としか言いようがなかった。

「でも、今回も一位だったんだろ? うちの旦那は。領地が増えたりするんじゃないのかい?」

 マリアは、めずらしく甘ったるい声を発しながら、セツナに寄りかかってきた。マリアがセツナに甘えてくるのは、必ずしも初めてのことではないにせよ、極めてめずらしい事象だった。セツナがどぎまぎしたのは、そのせいもあるだろう。ミリュウの甘えには、耐性ができはじめているというのも大きい。ミリュウが長椅子から跳ね起きて、素っ頓狂な声を上げた。

「旦那!? いくら先生でも、セツナのことを旦那と呼ぶのは許せないわよ!」

「許さないのはそこなんだ」

「ああん、いいじゃないか。あたしだって、たまには甘えたいのさ」

 マリアは、そう言い返しながら、まるでミリュウがいつもしていることを真似ているかのように、セツナの顔を弄んだ。細長い指が頬を撫でていく。セツナは、マリアのいつもと異なる様子に彼女の心労を思った。

「先生、大分疲れてます?」

「うん、ぐったりよ」

 あっさりと肯定して、彼女はセツナにしなだれかかってきた。セツナは避けもせずに受け止めると、マリアがそのまま膝を枕にし始めるのを見届けた。隊舎に帰ってきたことで、疲れが出たのだろう。

「戦争が終わっても忙しそうでしたもんね」

「ま、先生が頼られるのは仕方ないわ。腕がいいものね」

 ミリュウがさっきまでの剣幕とは打って変わった調子でいった。

「あたし程度の腕の軍医ならいくらでもいると思うけどねえ……人手不足とは思えないし」

 ふて寝でもしているかのようなマリアの様子にセツナは微笑むと、その髪を撫でた。マリアの目がこちらを見た。頬が赤らんでいるようだった。酔っている可能性も少なくはない。

「優しいねえ、うちの旦那は」

「だから!」

「あー、はいはい。うちの御主人様ってことにしておくよ」

「先生がいうとなんかいかがわしいからやめて!」

「どういうことだい!」

 今度はマリアが跳ね起きた。が、疲労困憊だったのだろう。すぐにセツナの膝の上に戻ってきた。すると、広間の扉が開いて、ルウファとエミルがカートを押しながら部屋に入ってきた。ふたりの足元を黒い毛玉がついて回っている。ニーウェだ。

「まあまあ、落ち着いてくださいよ、みなさん」

「ルウファ! ちょっとこの痴女にいってやってよ!」

「だれが痴女だ」

「痴れ者が!」

「あのねえ……」

 ミリュウの暴走にマリアも手がつけられないといった様子だった。

「ミリュウのいえることじゃないわよねえ」

 ファリアが囁くようにいってくる。

「ははは……」

 セツナは、想像もし得なかった賑やかさの中で、心の底から安らぎを感じていた。《獅子の尾》の仲間がいて、自分がいる。このことの幸福さは、いかんともしがたいものがある。そして、生きているからこそ幸福を享受できるのだと思えば、様々な物事に感謝せざるを得ない。

 生きているから、幸せなのだ。

 そう思ったときに脳裏に浮かぶのは、レムのことだ。黒き矛の力によって再び仮初の生を得た彼女は、幸せになることができるのだろうか。彼女は、生きている。だが、死んでもいるのだ。死にながら生きている。生きながら死んでいる。いずれにせよ、普通の状態ではない。

 そんな彼女を見守ることができるのは、彼女の生命の源泉である自分だけなのかもしれない。それは傲慢な考えなのだとしても、セツナには、責任がある。

 彼女に生を与えたのは、紛れも無くセツナだ。

 黒き矛の思惑が働いたのだとしても、カナギたちの声に耳を傾け、再生を願ったのはセツナ自身なのだ。それを黒き矛が叶えた。

 おそらくは、そういうことだろう。

 カナギとの約束もある。

 レムを見守ってほしいという彼女の願いは聞き届けなければならない。それが、カナギとゴーシュの犠牲によって、生を拾ったものの務めだろう。

 だから、セツナはレムを待っていた。

 レムは、いま、ジベルにいる。

 ジベルでやるべきことをやり終えた後、ここにくるはずだった。

 既にレオンガンドの許しも得ている。という以前に、レオンガンドは、連合軍解散時、レムをガンディアで引き取るつもりだったらしい。しかし、ハーマイン=セクトルがそれを拒んだ。いかにガンディアのほうが立場が上とはいえ、なにもかも唯々諾々と従うつもりはない。ハーマインの態度は、ジベルの今後の立場を表明するものだった。

 もっとも、ハーマイン個人の思惑と、レム個人の感情は別のものだ。

 彼女の行動を止めることは、なにものにもできない。


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