第七百五十三話 王都で
ガンディア王都ガンディオンを凱旋したのは、大陸歴五百二年三月二十五日だ。
クルセルク方面の治安維持とシャルルムへの警戒のため、デイオン=ホークロウ左眼将軍とガンディア方面軍第四、第五軍団は、クルセールでの駐屯が余儀なくされたものの、それ以外の軍団はほとんどすべて、同日中に王都の土を踏んだ。
ガンディオンでは、婚儀に匹敵する数の民衆がガンディア軍の到着を待ち受けており、色とりどりの紙切れが舞い、楽団の奏でる音楽が王都に響き渡った。老若男女の歓声が飛び交い、兵士たちが手を上げて応える。
ザルワーン方面軍、約四千六百名。
ログナー方面軍、約三千五百名。
ガンディア方面軍、約二千三百名。
そこに《大陸召喚師協会》の武装召喚師たちや、傭兵たちまで組み込まれているのだから、その賑やかさ、華やかさはいままでに類を見ないほどだった。
各軍団長は取り立てて派手な装飾が施された軍馬に乗せられ、右眼将軍アスタル=ラナディース、大将軍アルガザード・バロル=バルガザールは軍団長たち以上に目立つように工夫がなされていた。それに引き換え、参謀局の室長、局長の控え目な行進は、この凱旋行進が参謀局の企みであるという一部の声が正解であることを示していた。もっとも、参謀局の言い分としては、裏方である自分たちが目立つ必要はないという至極まっとうなものであるため、納得せざるを得ないのだが。
無論、だれもが凱旋行進で目立つことを嫌がっているわけではない。むしろ、華々しい凱旋こそ、目立つべき場所であると言い切り、美々しく着飾ったものも少なくはなかった。ガンディアの派手好きとはよくいったもので、ログナー軍の質素さに比べてガンディア方面軍の派手さは、観衆も声を上げるほどわかりやすかった。
レオンガンド・レイ=ガンディアは、愛馬に跨り、観衆の前にその姿を晒している。安全性を考えれば、馬車にでも乗っているべきという声もあったが、レオンガンドはその必要はないと切り捨てた。武装した兵士たちに護られたも同然の状態で馬車の中に隠れるなど、臆病にも程がある。それに、レオンガンドを取り巻く防衛網を突破できるようなものがいるのならば、馬車に隠れていようと同じことだ。
レオンガンドは、最強の戦士を護衛につけているも同じだった。
《獅子の牙》、《獅子の爪》、《獅子の尾》の王立親衛隊三隊が、レオンガンドを護るように配置されていたのだ。獅子王の剣たる《獅子の爪》がレオンガンドの前を進み、獅子王の盾たる《獅子の牙》がレオンガンドの周囲を固め、獅子王の意志たる《獅子の尾》がレオンガンドの後方についていた。
銀獅子レイオーンを表す銀甲冑を着込んだレオンガンドへの声援が多いのは当然だったが、それ以上の歓声で迎えられたのが、レオンガンドの後続であるところの《獅子の尾》であり、隊長のセツナ・ラーズ=エンジュールだった。
「セツナ様―!」
「すげーっ、ほんものの黒き矛だー!」
「領伯様―っ、こっち向いてー!」
道沿いを埋め尽くす子供から大人まで、セツナの名を叫び、手を振っていた。老若男女を問わない人気振りは、レオンガンドたちが大々的に行っていた黒き矛のセツナの宣伝が功を奏した、というだけが原因ではあるまい。レオンガンドたちの思惑以上に、実際の活躍が大きく影響していると考えるべきなのだ。
彼の実績は、凄まじいものだ。宣伝するのに誇張する必要がまったくなかった。ただ事実を述べるだけでいいのだ。
(まったく……わたしは幸運だな)
レオンガンドは、背後を振り返って、微笑んだ。
漆黒の鎧を身に纏い、軍馬に跨る少年の手には、黒き矛が握られている。異形の矛は、本物の黒き矛を見たことがない人間にもそれとわかるほどの禍々しさを帯びており、近くで見るものには恐怖を抱かせる。しかし、道沿いの観衆には、禍々しさは伝わっても、恐怖まではわからないだろう。
セツナは、兜は被っていなかった。これも、参謀局発の演出であり、ガンディオンでは知られているセツナには、素顔のままのほうが観衆の受けがいいのではないか、ということだった。セツナを取り巻くふたりの女性は着飾るべきだと引かなったが、参謀局に押し切られる形で、彼は兜なしで凱旋することになった。
セツナといえば黒髪赤目の少年だということはよく知られた話であり、馬上の彼を見れば、だれもが一目瞭然で黒き矛のセツナだと判別できた。初めて素顔を見るものですら、彼がセツナだとわかるのだ。セツナの外見が周知徹底されているのは、レオンガンドたちの宣伝の効果によるところが大きいのだろうが。
セツナは、嬌声や歓声にはにかみながらも手を上げて答えた。馬は、彼が操っているわけではなく、兵に引かれているのだが、行進の速度から考えると、むしろそのほうが都合がいいとさえいえた。
彼を手に入れることができたのは、幸運というほかない。もし彼がログナーに拾われていたら、この国はとっくに終わっていただろう。歴史に、もし、などということはありえないのだが。
セツナの左右後方に隊長補佐ファリア・ベルファリア=アスラリア、副隊長ルウファ・ゼノン=バルガザールが並び、その後ろにミリュウ=リバイエンが続いている。三人とも、美々しく着飾っており、声援を集めていた。特にルウファは、召喚武装シルフィードフェザーを展開することで観衆を沸かせるなどしており、隣のファリアが少し気恥ずかしそうにしていた。
凱旋の行進は、半日かけてじっくりと行われた。
婚儀では実現できなかった《市街》区画の行進を実施し、王都市民にガンディア軍の大勝利を喧伝して回った。
《市街》から《群臣街》へ至り、《王宮》に辿り着いたのは、夕焼けが西の空を紅く染め上げる頃合いだった。
獅子王宮では、ガンディアの王侯貴族から総出の出迎えを受けた。
実の母である太后グレイシア・レイア=ガンディアを筆頭に、叔父である領伯ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール、オーギュスト=サンシアン、エリウス=ログナーらレオンガンドの留守を預かっていた面々に、イスラ・レーウェ=ベレルなども、凱旋の歓喜の輪に加わった。
もちろん、彼の伴侶であるところの王妃ナージュ・レア=ガンディアの姿もあった。
レオンガンドは、母と叔父への挨拶もそこそこに、妻の元へ向かった。
ナージュは幾分か肥えているように見えたが、より美しくなったのは、間違いなさそうだった。肉付きが良くなった美しくなったというわけではない。それとは別次元の話だ。
「無事に帰ってこれたよ。今度は、なにも失わなかった」
ザルワーン戦争では片目を失ってしまった、ということをいったのだが。
「陛下……!」
ナージュは、感極まって泣いてしまった。
数ヶ月ぶりの再会だった。
レオンガンドは、人目も憚らず彼女を抱きしめ、艶やかな黒髪を撫でた。こうまで愛情を表現する相手に対して、どうしようもないまでの愛おしさが湧き上がってくるのは仕方のないことだろう。ここが人前でなければよかったのに、などと不埒なことを思わないではない。
他人の目を意識しなければならない場では、自然、レオンガンドの行動は計算され、演出された。ナージュに対する抱擁ですら、ある種の計算が働いている。その行動によって感動するものが現れるということを見越して、彼は妻を抱きしめたのだ。もちろん、感情を止められなかったというのも十分にあるのだが、自分の感情をも演出に利用した。
レオンガンド・レイ=ガンディアの意識は虚空にある。虚空から、自分というものを見ている。子供の頃から、そういう感覚が常にあった。“うつけ”を演じなければならなかったからだろう。彼が暗愚であるということを他国の人間にまで信用させなければならなかった。そうしなければ、ガンディアを護ることができなかったのだ。演技を続ける内に本当の自分というものを見失ってはならない。客観性が必要だ。客観的に自分を見る力を養えば、道化を演じていても、道化そのものになることはない。
慈悲と威厳に満ちた理想的な獅子王を演じながら、レオンガンドは、この戦いが終わるのはいつなのか、と考えた。
死ぬまで続くのかもしれないし、後継者が現れればそれで終わるのかもしれない。ありえないことだが、死ぬ前に小国家群を統一できたとしても、獅子王を演じ続けなければならないことに変わりはないだろう。
それは少しばかり絶望的だ。