第七百五十二話 王都へ
反クルセルク連合軍は、クルセルク戦争終結の十日後、解散が発表された。
連合軍参加国は、それぞれ本来あるべき状態に戻り、国に帰るか、新たに得た領地に軍を向かわせたりした。
戦争が終わったという実感が、連合軍参加国を包み込んだのは、三月も半ばから下旬に至ろうという頃合いだったのは、そういう理由もあった。連合軍が解散され、ようやく戦争状態が終わったといえたのだ。
連合軍の解散は、すなわち敵対関係に戻るということにはならなかった。連合軍の参加によって結ばれた絆は、無数にある。
アバードは、イシカともメレドとも強い結びつきを得た。両国とも、アバード軍と行動をともにしたことが大きく、また、イシカとメレドの溝の深さは、どちらかに出し抜かれることを極端に恐れさせたからだ。イシカがアバードと国交を結べば、メレドもアバードと国交を結んだ。しかし、イシカとメレドが結びつくことはなかった。クルセルク戦争を通しても、両国の敵対関係が変化することはなかったのだ。
それも、当然の結果だ。
アバードは、ガンディアとの関係も強固にした。ガンディアも、アバードからの申し出を拒む道理はなく、友好的な結びつきは、両国の発展に貢献するだろうと結論した。
ガンディアと友好関係を結んだのは、アバードだけではない。メレドやイシカもガンディアとの友好的な関係になろうとしたし、ジベルもそうだった。ガンディアに対して言い知れない感情を持つジベルだったが、クルセルク戦争を経て、ガンディアとの関係を見直さざるをえないと考えたようだった。
クルセルク戦争の最終盤、ジベルの死神部隊が引き起こした事件は、連合軍参加国中に知れ渡ったものであり、ジベルを恥知らずだの、裏切り者だのと罵る声が絶えなかった。死神部隊に攫われたセツナが無事に帰還し、彼がジベルを訴えなかったために事なきを得たものの、ガンディアがもしジベルに対してなんらかの報復措置を考えようものなら、ジベルは滅びを避けられなかったかもしれない。滅びずとも、領土を失うことは覚悟しなければならなかっただろう。
ガンディアは、ジベルのことよりも、クルセルク戦争に集中するべきだと判断しただけのことだ。ジベルは確かに大きな国ではあるが、ガンディアの敵ではない。滅ぼすのは、決して難しいことではないのだ。
ジベルは、戦後、ガンディアがセツナ誘拐事件の報復行動に出てくることを恐れた。だから、ガンディアと友好的な関係を結ぼうとしたのだ。
それに先立って、ジベルはアルジュ・レイ=ジベルの病死を発表している。セルジュ・レウス=ジベルが王位を継承したこと、戴冠式も執り行ったことを公表し、ジベルは新王の最初の仕事としてガンディアとの同盟を選んだ。
ガンディアは、新たな王となったセルジュの初仕事を無碍にもできず、ジベルとの間に同盟関係を結んだ。また、その同盟にはルシオン、レマニフラの両国も名を連ねており、四国同盟として知られることになる。
また、連合軍の解散に伴い、クルセルク戦争に参加したリョハンの武装召喚師たちも帰国の途についた。クオール=イーゼンの召喚武装によって飛来した彼らは、同じ召喚武装の能力によって飛ぶように帰っていった。
そのころになると、アザークの国情も変化しており、再び親ガンディア派が国政を握ったようだった。しかもアザークは、ガンディアを取り巻く状況を知ったのか、強硬手段に出ていた。反ガンディア派の国王、王子を幽閉すると、第二王子が王座についたのだ。第二王子カリス・レウス=アザークは、レオンガンドの婚儀にも参加するほどの親ガンディア派であり、彼が王座についたことは、アザークがガンディアとの関係を修復するという決意の現れでもあった。
反ガンディア派の王と第一王子は、アザークに混乱を招いたとして処刑された。新王カリスは、その強引なやり方でアザーク国民の一部から反発を受けているものの、アザークの将来にとっては最良に近い方策だったのかもしれない。
ガンディアを敵視し続けていても、アザークに未来はない。
ガンディアは、クルセルク方面を左眼将軍デイオン=ホークロウに任せると、国王と本隊は王都への帰還を目指して南下した。
全戦力を帰還させるのは、シャルルムの南征を煽りかねないと判断された。シャルルムの国情は安定しており、いつでも戦力を出せる状況にあるということだった。クルセルク方面の戦力を空にすれば、たちまち奪われるだろう。大量の血を流して手に入れた領土を明け渡すことなどできない。もちろん、ガンディア軍の将兵だけが死んだわけではないが。
クルセルク戦争前、二万近くに及んだガンディア軍の兵力は、終わってみれば一万一千ほどにまで激減していた。八千もの兵士が死んだのだ。戦場で死ぬか、戦いの後、治療の甲斐なく死んだのかはこの際関係無かった。
通常ならば、壊滅状態といってもいいほどに兵を失ってしまったという事実は、あまりに大きい。ザルワーン戦争でもおびただしい血が流れたが、クルセルク戦争とは比較にならない。
その多くがザルワーン方面での戦いが原因だったが、ナーレス=ラグナホルンは責任を問われなかった。むしろ、戦争の早期終結に尽力し、功績を残した英雄のように讃えられた。実際、ナーレス=ラグナホルンの策が的中したことで、犠牲は、最小限に抑えられた。
「大きな最小限もあるものだ」
レオンガンドは、皮肉めいた言葉を吐いて自嘲した。八千人の兵が死んだのだ。遺族への手当や、兵力の回復を考えるだけで頭が痛かった。しかし、ここまでくると、兵士たちの死を痛ましく想っている暇もない。冷酷に、冷静に、計算していくしかないのだ。
「ですが、事実ではありますな」
ゼフィル=マルディーンが自慢の口髭を撫で付けた。
実の兄を失い、家督を継いでからの彼は、鬼のように仕事に精を出していた。なんらかの仕事をしていなければ死ぬ、というような強迫観念に駆られているとでもいうのかもしれない。ともかく、ゼフィルの働きぶりは、ほかの側近たちの動きが鈍く見えるほどであり、それはそれで良い傾向ではないとレオンガンドは思っていた。
ゼフィルにとって、ゼイン=マルディーンは政敵であったが、大切な兄だったのかもしれない。その兄がラインスとともに死んだ。レオンガンド派のだれかが手を下した、ということくらい、彼がわからないはずもない。そして、必要な死だったということも理解し、飲み下している。頭でも心でも理解しているし、納得してもいるのだが、それでもやりきれないものがあるのだ。それを仕事にぶつけている。
頼もしいが、痛ましくもある。
「否定はしないさ。ナーレスの見立てだ。間違いはあるまい」
ガンディアの勝利は、大きく分けて三つの要素で成り立っている。
ひとつは、動員しうる兵力の多さ。
これは、ガンディアが国土防衛のための戦力をほとんど残さず、全戦力を投入できる環境にあるということにほかならない。ログナー戦争でも、ザルワーン戦争でも、クルセルク戦争でも、同じだ。周辺諸国との関係が、ガンディアに全戦力の投入という暴挙を後押ししてくれていた。
ひとつは、黒き矛のセツナ。
一騎当千を体現する少年の存在は、ガンディア軍に多大な影響を与えている。彼の活躍は戦意高揚に繋がるだけでなく、勝利そのものに直結した。局地的な勝利が全体に及ぼす作用というものは決して大きなものではないが、彼の場合、戦局を左右する場面での活躍が多いのだ。ログナー戦争しかり、ザルワーン戦争しかり、クルセルク戦争にしてもそうだった。彼がいなければ負けていた戦争も少なくはなかった。
そして、最後のひとつが、ナーレス=ラグナホルンだ。
ナーレスは、レオンガンドが子供の頃から、ガンディアの将来を背負って立つ人物として期待されていた。戦術立案能力の高さは、先の王シウスクラウドをして驚嘆させ、シウスクラウドのガンディア軍新生の目玉とされたものだ。
アルガザード=バルガザール、バラン=ディアラン、クリストク=スレイクス、デイオン=ホークロウらとともに、シウスクラウドのガンディア軍を盛り立てていく人材だった。
しかし、シウスクラウドが病に倒れたことで状況は一変。バラン=ディアランとクリストク=スレイクスは国を去り、ナーレスはガンディアでその才能を発揮できぬまま、駒としてザルワーンに潜り込んだ。
ナーレスがザルワーンの弱体工作に成功したことにより、ガンディアは、ログナー、ザルワーンと立て続けに降すことができたのだ。
この三つの要素は、どれひとつ欠けることは許されない。いずれかが欠ければ、ガンディア軍は立ち所に弱体化してしまうだろう。弱体化は、小国家群統一の妨げになる。
「まずは兵力の確保……か」
「当分、外征は控えるのがよろしいでしょうな」
「ナーレスにもいわれたよ。わたしもわかっているがね。しかし、攻めてこられれば、対応するよりほかはあるまい?」
「そうあるようなこととは思えませんが」
「戦争の直後で、兵力が減少しているいまなら、ありうるだろう」
バレットのいうように、ガンディアが攻められる可能性は、皆無に等しい。しかし、絶対にないとは言い切れない。シャルルムが食指を伸ばしてくるかもしれないし、ジベルが同盟を破棄して攻め寄せてくることだって、ないとは言い切れない。もちろん、現実的な考えではないが、あらゆる可能性は考慮しておくべきなのだろう。
「ナーレスによくいわれるよ。あらゆる事態を想定しておけば、どのようなことが起きようとも驚くことはなく、冷静に対処できるものだ、とね」
レオンガンドは、ナーレスの口調を真似て、つぶやいた。ゼフィルがくすりと笑ったが、彼はそれだけでよしとした。
レオンガンドたちを乗せた馬車が、ガンディア本土に帰り着いたのは、三月も下旬に入った頃だった。
レオンガンドは、極めて晴れやかな気分で、王都ガンディオンへの凱旋を果たしのだ。