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第七百五十一話 交錯

 戦いは終わった。

 大きな戦争だった。

 敵も味方も血を流しすぎるくらいに流し尽くした。

 だれもが生に執着し、執着しきれなかったものから死んでいった。いや、生にしがみついていても、死んでいった。死が数多に咲き乱れ、戦場を彩った。

 紅く、黒く。

「……これで、ガンディアはしばらく戦争を起こすことはないだろうね」

 ハルベルク・レウス=ルシオンは、衣擦れの音を聞きながら、小さくつぶやいた。いわでものことだ。しかし、いまはこの沈黙に耐えられない自分がいた。

 三月も半ばに入った。

 開戦当初、冬一色だった季節は、いまや春色に染まっていた。日差しは暖かく、世界そのものが穏やかさに包まれているのではないかというような日々が続いている。戦争が終わったことが影響しているのは間違いない。

「陛下は、無闇に戦争を起こすお方ではありませんよ」

「わかっているよ」

 リノンクレアの叱責にも似た返事に、ハルベルクは苦笑するしかなかった。

(そんなことは、わかりきっているさ)

 だが、戦争が続いたのは、事実として認めるべきだった。いや、彼女も認識しているはずだ。この一年に満たぬ期間で、ガンディアがどれだけの戦いを引き起こしたのか。思い返せば、頭が痛くなるほどの戦いがあった。

 バルサー要塞を奪還するための戦いが、最初だった。

 バルサー要塞は元々ガンディアのものだった。ログナーとの国境近くに存在する難攻不落の要塞――それがバルサー要塞であり、指導者なきガンディアが存続し続けてこられた最大の要因といえた。その要塞がログナーの手に落ちたのが、五百一年一月のことだ。いまや《白き盾》の団長として知られるクオン=カミヤがログナー軍に協力したため、ガンディア軍は為す術もなかったのだ。

 要塞陥落の半年後の六月、シウスクラウドより王位を継いだレオンガンド・レイ=ガンディアが、初陣として選んだのが、バルサー要塞奪還の戦いだった。

 セツナ=カミヤが流星の如く登場したのも、その戦いだった。

 レオンガンド王の初陣は、見事勝利で終わっただけでなく、セツナ=カミヤの出現によって鮮烈なものとなった。

 それからログナー、ザルワーン、ミオン、クルセルクと、つぎつぎと新たな戦場を求め、戦いを繰り広げていった。まるで闘争に飢えているかのように。血を流さなければ、前に勧めないとでも信仰しているかのように、血を流し続けた。

 大陸小国家群と呼ばれる状態がある。

 ワーグラーン大陸の中央部に蠢くその状態は、大陸に君臨する三大勢力が沈黙を守り続けていることで保たれた、恒常化された戦国乱世だった。

 呼び名の通り、無数の小さな国家が寄り集まってできた状態であるものの、国々の多くは、国土を巡る争いに終始しており、終わることのない小競り合いを何百年の長きに渡って続けてきた。このままでは何百年の先も同じことを繰り返しているのではないかと思われるほど、小国家群と呼ばれる状態に変化が起きることはなかった。

 レオンガンドは、終わりの見えない繰り返される戦いに終止符を討つべく、立ち上がった。

 彼は、小国家群の統一を掲げた。

 ザルワーン戦争の最後、ミレルバス=ライバーンの問いに対して返した言葉が、周辺諸国に広く流布された。レオンガンドの覚悟と決意は、ガンディアの拡大政策にも色濃く反映されていたし、信じるに足るもののように思えた。

 ガンディアは、強い。

 いまなら、なにものにも負けないと信じられるほどだ。

 だが、そんなガンディアにも勝てないものがある。

 それが大陸に君臨する三大勢力だ。

 ヴァシュタリア、神聖ディール王国、ザイオン帝国。

 それらは、ただ一国、一勢力だけで小国家群と同規模の領地を持ち、小国家群を圧倒しうる兵力を有していた。

 それらが数百年に渡って沈黙を保っている理由は不明だ。既に十分な領土を得ていて、大陸を統一することに興味が無いからかもしれないし、他の三大勢力との衝突を恐れているからかもしれない。いずれかが動き出せば、他の二勢力も動き出すのは必然だ。勢力の均衡を保とうとすれば、抜け駆けなど許されない。

 しかし、なんらかの理由で三大勢力のいずれかが小国家群に手を伸ばせば、それですべて水の泡だ。小国家群の歴史は露と消えるだろう。抵抗することも馬鹿馬鹿しいほどの速度で蹂躙され、消滅していく国々の様子が脳裏に浮かぶようだった。

 レオンガンドは、小国家群が三大勢力によって蹂躙され、国々が滅び去るのを良しとしなかった。だから、小国家群の統一という大目標を掲げたのだ。

 三大勢力は、小国家群そのものと同等の領土を持っている。小国家群がひとつに纏まれば、対抗できるということだ。もちろん、三大勢力が同時に攻め寄せてくれば、抵抗のしようもなく滅び去るしかないが、そこはそうならないように立ち回ればいい。

 均衡を構築するのだ。

 小国家群では維持しようのない、四大勢力による均衡。

 それによって、大陸は永遠に近く繁栄するだろう。

(だがそれは、義兄上の夢だ)

 ハルベルクは、前方を睨んだ。闇の向こうに、レオンガンドの姿が浮かび上がっていた。もちろん、彼と妻の寝室にレオンガンドが入ってくるはずもない。ハルベルクの脳裏に浮かんだものが、幻視のように投影されただけだろう。

(わたしの夢ではない)

「無闇に戦争を起こせるほど、ガンディアに余裕が有るわけでもありませんし」

「ああ……知っているよ」

「ザルワーンにしても、クルセルクにしても、戦わなければならなかったんです」

 背中に体温を感じる。

「わかっている」

 剣を取って戦わなければ、飲み込まれていたのは間違いない。

 ザルワーンは、ナーレス=ラグナホルンを拘束した。ナーレスの身命を賭した工作を無為にしないためには、早急に攻めこむよりほかはなかった。クルセルクも同じような理由だ。戦わなければ、皇魔の群れによってガンディアの国土は蹂躙され、滅ぼされていただろう。

 必要な戦いを、必要なだけ起こした――ただそれだけのことだ。

 それだけのことが、どうしてこれほど眩しく感じるのか。

「義兄上は、これからも無用な戦は起こすまい」

 これからも、必要とあれば剣を取り、戦うのだ。

 それがレオンガンドの夢に繋がっているのだから。

 ハルベルクは、肩に置かれたリノンクレアの手に触れると、目を閉じた。

 疲れている。

 疲れが、愚かな考えを生んでいる。

 そう思わなければやっていられなかった。


「よくもまあ勝てるものだ」

 ジゼルコート・ラーズ=ケルンノールは、クルセルク戦争の完全な終結を知らせる文書に目を通して、嘆息するようにつぶやいた。

 王都ガンディオンの中心部、獅子王宮とも呼ばれる区画に彼のために用意された建物がある。かつて、彼が影の王として君臨していた時期に使っていた建物であるそれは、彼が政治手腕を振るうための象徴といってもよかった。当時は王弟の館と呼ばれていたが、いまは領伯の館と呼ばれているようだ。ジゼルコートにしてみれば、呼び名などどうでもいいことだった。問題はその本質である。

 王弟の館は、シウスクラウド王の代理人たるものの館であり、領伯の館は、ケルンノール領伯が王都で過ごすための館なのだ。

 本質が違う。

「レオンガンド・レイ=ガンディア。若き獅子王、独眼の獅子、銀獅子……つぎはどのような異名で呼ばれるかな」

 レオンガンドは、彼の甥に当たる。

 実兄にして偉大なるシウスクラウドの第一子であり、シウスクラウドから様々なものを受け継いだ人物だった。容姿も、若き日のシウスクラウドと似ていなくもない。が、シウスクラウドよりもグレイシアの要素のほうが強いというのは、だれの目にも明らかだ。しかし、その容姿が現在の人気を支える要素でもあるのだから、むしろ喜ぶべきだったのかもしれない。シウスクラウドは、レオンガンドをより厳しくした顔つきだった。実弟であるジゼルコートのほうが、シウスクラウドに似ているだろう。

 レオンガンドの容貌は、単純にいって美しい。子供の頃は天使のようだと持て囃されたものだ。彼は、そのまま成長した。子供の天使が大人になっただけであり、容貌が醜くなるようなこともなかった。

 天使のような美しさは、王としての威厳からかけ離れたものだった。

 だが、ザルワーン戦争で片目を失ってからというもの、レオンガンドの面付きはたくましくなり、威厳が漂うようになっていた。このまま成長を続ければ、いつかはシウスクラウドを超えることがあるかもしれない。

「魔王を退治たのです。勇者とでも呼びましょうか」

 ジゼルコートに提案したのは、女だった。女の騎士が、彼の前で畏まっている。胸元に輝くルシオンの紋章が、いかにも空々しい。

「報告によれば、魔王は倒していないそうだがな」

「しかし、魔王軍を打ち破り、皇魔がガンディアを蹂躙する最悪の未来は避けられました」

「ふむ。確かに、勇者の所業ではあるか……勇者レオンガンドか。似合わんな」

 彼は、面白くもなさそうに笑った。実際、なにひとつ面白いことはなかった。レオンガンドの勝利も、連合軍の勝利も、面白くもなんともない。喜ばしいことではあるのだ。ガンディアが滅びずに済んだ。その一点だけでも喜ばなくてはならない。

 滅びてしまっては、なんの意味もない。

「まあ、よい。勇者殿が王都に凱旋なされるまでに準備をするとしよう。盛大に出迎えねばならん」

 ジゼルコートは椅子から立ち上がって、女騎士を再び見た。彼女の肉体は、筋肉質なものに変わり果ててしまっている。昔のような肉付きとは本質の異なるものだ。が、それも仕方のないことだ。彼女が白聖騎士隊に入ったときから、こうなる運命は決まっていたのだ。

 尚武の国ルシオンで信頼を得るには、肉体を徹底的に鍛え抜かなければならなかった。もっとも、筋肉質の体も悪いものではなかったが。

「そなたもルシオンに戻るのだ。王子夫妻が戻ってこよう。ふたりの陛下によろしく伝えてくれたまえ」

「は……」

 彼女は首肯して、ジゼルコートの前を辞した。

 ジゼルコートは、自分以外だれもいなくなった執務室でひとりごちた。

「さて……王子はどうするつもりなのか」

 虚空に浮かんだ声は、だれに聞かれることもなく漂い、消えた。

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