第七百四十九話 ふたりのファリア(前)
ハスカの旧都ハスカランにおいて、ジベルの死神部隊の隊員たちの死体が発見されたという報告がクルセールに届いたのは、討伐軍がリジウルで戦いを繰り広げている二月下旬のことだ。そこから、身元確認のためにジベル軍関係者がハスカランに向かっている。
関係者の照会によって、死神部隊の隊員と思しき死体が、死神弐号カナギ・トゥーレ=ハラン、参号シウル・スレイ=メーベル、肆号ゴーシュ・フォーン=メーベル、伍号リュフ・フィヴス=ヴェント、陸号トーラ・シクセ=ドーラのものであると確認されたのは、討伐軍の帰還後。随分、時間が経っているが、距離を考えればそうもなるだろう。
しかし、クレイグ・ゼム=ミドナスの死体は発見されなかった。死体は全部で六つ発見されたはずであり、クルセールのレオンガンドたちにもそのように報告されていたはずだったが、ジベル軍関係者が送付してきた報告書には、六人目の死体についてはなにも記されていなかった。
「アルジュ王の死を秘匿するつもりらしい」
レオンガンドが、面白くもなさそうに、報告書を机の上に放った。
レオンガンドが足を運ぶことが多いのは、軍議の間か、参謀局の詰め所の二箇所くらいしかなく、いまは後者に来ていた。ナージュがいれば、彼女の元に入り浸る可能性も少なくはないのだが、戦争が終わったとはいえ、クルセルクくんだりまで彼女を呼びつけるわけにもいかなかった。
参謀局の詰め所には、局長であるナーレス=ラグナホルンに室長のふたり、エイン=ラジャールとアレグリア=シーンがいて、ふたりの部下たちは席を外している。また、レオンガンドの側近のうち、ゼフィル=マルディーンとバレット=ワイズムーンも参加していた。
ガンディア軍の上層部は、大演習に向けて会議を重ねている最中だった。三月も半ば。戦争が終わり、将兵の間にもだらけた空気が流れ始めている。そんな空気に多少の緊張を持たせるため、ガンディア軍は大演習なる行事を執り行うつもりだった。ガンディア軍をふたつに分けた上で行われる実戦形式のものであり、勝利側には特別褒賞が出るということもあり、兵士たちには気合が入っているらしい。
「ジベルとしては隠しておきたいところでしょう。まさか、自国の王が死神となって暗殺や諜報活動を行っていただけでなく、連合軍の勝利を台無しにしかねない大事件を引き起こしていたなど、どこにも知られたくはありませんよ」
「それもそうだがな」
まさか、ガンディアに知られているとは思ってもいないのかもしれない。いや、ガンディアが知っていたとしても、連合軍全体に知られるよりは、秘匿しておくほうがましだと判断したのかもしれない。セツナがクレイグの正体を目撃していないとは、さすがのハーマインも思ってはいないだろう。それはいくらなんでも楽観論に過ぎた。
「しかし、これでジベルはガンディアに頭が上がらなくなったわけですな」
「セツナが負傷したことも無駄にはならなかったということか」
「そういうことになります」
もちろん、ジベルがガンディアに遠慮しなければならなくなったことだけが、あの事件の収穫ではない。
セツナの話によれば、クレイグ・ゼム=ミドナスの召喚武装マスクオブディスペアは、カオスブリンガーに吸収されたということであり、黒き矛がますます力をつけたというのだ。それは、セツナがこれまで以上に活躍する可能性が高まったということだ。それが本当ならば、クレイグの暴挙には感謝しなければならない。また、クルセルク戦争が起きずとも、いずれはクレイグがセツナに対してなんらかの行動に出たのは明白だということでもあった。
クレイグの闇黒の仮面は、黒き矛を破壊し、その力を吸収しなければならなかったらしいのだ。レオンガンドには詳しいことはわからないが、ともかくもそういうことらしかった。
要するにセツナは更に強くなったということだけがわかっていればいいのだ。小難しいことは考えなくていい。
「ジベルは今後どうするかな」
「アルジュ王が病死されたということにでもするかもしれませんね。セルジュ殿下が後を継ぐ、と」
ジベルの王位継承権はセルジュ・レウス=ジベルだけが持っている。順当に行けば、セルジュが王位を継ぐことになるだろう。実態として、ハーマイン=セクトルが国政に口を出すということに変わりはないのだろうが。
「セルジュ殿下は、アルジュ王よりは扱いやすそうではある」
セルジュは若く、血気盛んなところがあった。付け入る隙は大いにありそうだ。
「ただ、今回の真相を知れば、ガンディアに敵対心を抱いたとしてもしかたのないことではありますが」
「王が個人の感情を優先する国など、滅びるしかない。セルジュ殿下が、その程度は理解していることを願うよ」
レオンガンドがつぶやくと、だれかが息を呑んだ。
「戦争、終わったわねえ」
ファリア=バルディッシュが、感慨深げにいった。
クルセールは、快晴に包まれていた。
三月半ば。
日差しは柔らかく、温かい。青空にたなびく雲の群れが、美しく輝いていた。真冬に敢行された大戦争が嘘のような穏やかさが、クルセルクの旧都を包み込んでいる。
ファリア・ベルファリア=アスラリアは、こうして祖母とふたりで並んで歩く日が来ようとは、想像もしていなかった。クルセルクで祖母との再会することすら予期せぬものだったのだ。ウェイドリッドでの再会と対話は、彼女にさまざまな感情をもたらしたが、戦争が終われば、胸に落ちる感情も異なるものらしい。
「犠牲も多かったわ」
大ファリアが哀しそうにいった。
連合軍の将兵のみならず、《大陸召喚師協会》に所属する武装召喚師も数多く散った。《大陸召喚師協会》は、リョハンを総本山とする組織だ。リョハンの戦女神たる大ファリアが無関係であるはずがない。彼女にしてみれば自分の子供たちがたくさん死んだようなものなのかもしれない。大ファリアは、武装召喚術の黎明期を開拓した人物でもある。武装召喚師のほとんどが、彼女の血脈を受け継いでいるといっても過言ではなかった。最初はアズマリア=アルテマックスだが、武装召喚術の流布に関わったのは、大ファリアたち四大召喚師なのだ。
「はい……」
ファリアは、相槌を打つよりほかはない。
クルセールの奇妙な町並みは、もはや見慣れたものとなっていた。道行く人々の姿は、どこの都市とも変わらない。変わっているのは、都市の景観だ。皇魔の遺産ともいえる奇妙な建造物、建築物がクルセールの各所に見受けられた。取り壊せという声もあれば、魔王の存在を忘れないために保存しておくべきだという声もある。
それを判断するのは、ガンディア政府になるだろう。
クルセールは、既にガンディアの領地である。
「クオールちゃんとは、話せたの?」
「少しは……」
会話と呼べるものは、本当に少しだけしか交わせなかった。心残りがないといえば嘘になる。クオールは大切な友人であったし、エンジュールでのこともある。もっといろいろと話しておけばよかったと思うことも少なくはない。
「そう。良かったわ」
大ファリアが胸を撫で下ろしたようにいった。
「あの子、思う存分、飛べたかしら」
「……」
ファリアは、いうべき言葉を持たなかった。
クオールが思うまま飛べたかどうかなど、考えたこともなかったからだ。
クオールは翼を持っていた。どこまでも加速する漆黒の翼だ。それは、彼の飛翼であったが、同時に彼の自由を奪う鎖でもあった。彼は、レイヴンズフェザーによって人生を縛られていた。
最期は、思う存分、飛べただろうか。
彼の最期を考えると、胸が痛んだ。
だれもが覚悟を持って戦いに臨んだ結果だということはわかっている。理解していても、痛むものは痛むものだ。