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第七百四十三話 クルセール模様

 クルセールでの日々が続いている。

 ガンディア軍とジベル軍からなる討伐軍がクルセールを出発してからというもの、クルセールに残されたものたちは、暇を持て余し気味だった。これならば討伐軍に参加すれば良かったと嘆く声もあれば、討伐軍に参加して戦功を荒稼ぎしたかったというものもいた。リジウルの反逆者は、クルセルクの正規軍であり、人間だ。魔王軍の皇魔ではないのだ。皇魔を相手にするよりは余程楽に戦える相手だ、というのも間違いではあるまい。

 そんな兵卒たちの声を耳にしながら、ドルカ=フォームは、むしろ戦わずに済んだ喜びに表情を緩めていた。

 ガンディア軍ログナー方面軍第四軍団長である彼は、副官のニナ=セントールとともにクルセール王城の東広場にきていた。直属の将軍である右眼将軍アスタル=ラナディースに報告を行った帰りであり、彼はそのまま城下に向かう予定だった。しかし、気が変わって、足を東広場に向けた。

 東広場では、ルシオン軍が訓練を行っているという話だったのだ。ルシオン軍は精強で知られている。弱兵のガンディアがログナーに負け越さなかったのは、ルシオンという強兵率いる国と同盟を結んでいたからだというのは、必ずしも風聞ではない。

 ルシオンは、尚武の国といわれている。ガンディア、ミオン、ルシオンの三国同盟が健在だった頃、その武威は同盟随一といわれ、ザルワーンも南征の暁にはルシオン軍を無傷で取り込み、ログナー軍とともに国土拡大の原動力にしたいと考えていた節がある。そのザルワーンの野望は潰え、ルシオン軍は、いまやガンディア軍の尖兵と成り果てているが。

 快晴の空の下、女たちの気合が響いている。

「いい趣味だな」

 ドルカは、ルシオンが誇る女性騎士たちの合同訓練を眺めながら、ルシオンの王子を羨ましく思ったりした。白聖騎士隊は、女性騎士だけで構成された部隊だ。なぜ女性騎士だけなのかというと、ハルベルク王子が妃であるリノンクレアのために作った部隊だからであり、王子妃の親衛隊という側面も持っているからだ。そして、その王子妃が隊長を務めている。

 不意に足の爪先に痛みが走った。

「いてっ」

 横を見ると、ニナ=セントールの面白くもなさそうな表情が、可愛らしかった。

「鼻の下を伸ばしていると、ただの変質者だと思われますよ。軍団長」

「やけに辛辣だなあ」

「軍団長も、鍛えてもらったらどうですか」

 彼女は冗談でいったのだろうが。

「それも悪くないけれど、どうせならニナちゃんに鍛えてもらいたいな」

「わたしに、ですか?」

 ニナが驚いたようだった。

「ニナちゃんなら、俺の癖も知っているだろうし」

 少しでも強くなるには、悪い癖を叩き直してくれるような人間にこそ教授してもらいたいものであり、それにはニナのような上官に対しても容赦のない人物が適任だった。それに、ニナが教官として訓練を手伝ってくれるならば、熱の入れようも違ってくるというものだ。

「時間もあるし……どこか場所を借りようか」

「本当にするんですか?」

「いやかい?」

「そんなことあるわけないじゃないですか」

 ニナが慌てて訂正するのを横目に見遣りながら、ドルカは、彼女を副官にしてよかったと心底思った。


 クルセルク戦争は、終結の目処がつき、彼の出番は終わった。

 まだ戦場は残っていたが、招集されなかったことから、彼の力は不要だと判断されたようだった。リジウルに残った戦力などたかが知れている。連合軍の一部戦力でも十分に打ちのめすことができるだろう。クルセルク全土が連合軍に平定されるのは、時間の問題だった。

 全土が平定されれば、戦功に応じた領土の分割が行われ、首脳陣の間で激論が交わされることになるだろう。領土を巡る交渉は、場合によっては、つぎの戦いの火種になりかねないほど重要なものだ。もっとも連合軍の盟主国であるガンディアの意向に対して、意見を述べられるような国が存在するかどうかは疑問の残るところだ。

 ガンディアは、連合軍の勝利にもっとも貢献した国でもある。もっとも血を流し、もっとも敵を倒したのが、ガンディアなのだ。だれも、レオンガンドの意向を無視することはできまい。ガンディアは、もっとも多くの土地を得るに違いなかった。

 ガンディアは、ますます巨大になる。ガンディアの敵も増えるだろう。戦いは終わらない。小国家群がひとつになるまで、火種が消えることはないのだ。彼の出番は必ず来る。

 細い指先が視界に飛び込んできて、彼は眉根を寄せた。仮面の上を女の手が這っている。まるで彼を弄ぶかのように。嘲笑うかのように。綺麗に切られた爪の先が眼球に突き刺さりそうになって、彼は苦い顔をした。表情を変化させるだけでは相手に伝わらないのが、仮面生活の難点だ。逆をいえば、どのような表情をしていても気にする必要が無いという利点もある。

「なにをしている」

「あなたこそ、なにをしているのかしら」

 腹の上に体重を感じた。彼女が彼の腹に座ったらしい。行儀の悪いことだ――などといえば、礼儀作法を教わるような環境ではなかった、と彼女は言い返してくるに決まっている。だから、彼は彼女のなすままにさせていた。

「見ればわかるだろう。休んでいる」

「見ても、仮面の男が横たわっているようにしか見えないわ」

「そうか」

「死体安置所かなにかなのかと疑ったわよ」

 彼女が冗談をいうのは、機嫌がいい証だ。クルセールが落ちて以来、彼女の上機嫌ぶりは留まるところを知らなかった。ここのところ毎日ちょっかいをかけられている。

「あなたの回復力って異常なんじゃなかったっけ」

「否定はしない」

「もう治ってるんでしょ?」

「……ああ」

 肯定して上体を起こすと、彼女が小さく悲鳴を上げた。腹の上に座っていたのだ。見ると、彼の股の間に背中から転倒していた。あられもない格好で倒れているのは、黒髪に灰色の目の魔女だ。ウル。

「魔女も型なしだな」

「なにがよ!」

 奮然と言い返してくると、ウルは素早く起き上がった。そして、彼の仮面を引き剥がした。強引に引っ張られると痛みがあったが、彼は気にしなかった。

「なにをする」

「せっかくふたりきりなのに、仮面なんて無粋で仕方ないわ」

「そういうものか」

「そういうものよ」

 それ以上、なにもいえなかった。

 口を封じられたからだ。


 日差しは穏やかで、気候も過ごしやすくなりつつある。

 二月も半ばを過ぎ、春が近づいてきていた。

 大陸には、四季がある。

「じきに春がくるなあ」

 額の汗を拭いながら、シーラは、空を游ぐ雲を見ていた。戦いは終わった。少なくとも、シーラの戦場はなくなった。アバード軍は、討伐軍には不参加だった。参加するつもりでいたのだが、戦力が過剰になるといわれて、引き下がらざるを得なかった。北への備えも必要だった。シャルルムは狡猾で貪欲だ。クルセールの防備が手薄になれば、戦力を差し向けてくる可能性も皆無ではない。

 クルセール城西側広場に彼女はいる。侍女たちと訓練で汗を流していたのだ。日がな一日、王城に籠もったり、クルセールを散策しているのも悪くはないが、それでは体がなまってしまう。毎日程度に体を動かさなければ、戦士失格といっていいだろう。召喚武装のみに頼っていては、一流の戦士にはなれない。

「姫様の春はまだですかねえ」

「……あのなあ」

 シーラは、侍女の一言に半眼になった。姫を姫とも思っていないような発言が多いのは、侍女団と彼女の関係が良好である証だったが。

「セツナ様には会われないのですか? クルセールに来ているはずですが」

「ん……ああ、そうだな」

 数日前、セツナたちがゼノキス要塞からクルセールに来たことは知っているし、すぐにでも顔を見に行きたかったのは事実だ。だが、彼の部屋に辿り着くと、扉に手を触れるだけで動けなくなった。扉を開き、一歩踏み込むだけでいいのに、それができなかったのだ。

 逢えば、自分がどうにかなりそうな気がした。

 ゼノキス要塞の天守で彼を発見したとき、シーラの中でなにかが動いた。そのときのセツナは、瀕死の重傷だった。心臓が止まるかと思った。処置が間に合わなければ、死んでしまうかもしれない。気が気でなかったのは、彼がガンディアの要人だからだけではないだろう。

 もっと別の感情が、心の奥底に息づきはじめている。

 その感情に従うことはできない。

 シーラは、アバードの王女である。

 王位継承権こそ放棄したものの、王女であるという事実に変わりはない。ウェリスのいうように、いずれ政略結婚することになるのだ。

 恋をしては、いけない。

 レオンガンド王とナージュ姫の婚儀の前後は浮かれていたが、冷静になって考えて見れば、道理としてはそういう結論になる。

 それでも、彼の元気な顔を見たいという欲求はある。だが、欲求に素直になれるほど子供でもないのだ。

「……見舞いには、いったほうがいいかな」

「当たり前じゃないですか。この戦いの殊勲者ですよ。姫様が見舞わずして、だれがいくんですか」

「そりゃあだれだっていくだろうよ」

 クルセールに滞在中の連合軍首脳陣の中で、彼と対面を果たしていないのはシーラくらいのものかもしれない。セツナが《獅子の尾》とともにクルセールに到着したときは、それは大騒ぎになったものだ。彼が意識を取り戻していたことは、それよりも前にわかってはいた。しかし、現実に無事な姿を見せるとなると話は別だ。将軍から一兵卒に至るまで、彼の快気を祝福した。

 セツナは、連合軍の勝利にもっとも貢献したひとりだ。

 そんな彼の病室を見舞わないのは、アバードの姫としてもひとりの人間としても良くないことだ。

(なにも起きねえって)

 自分に言い聞かせるように胸中でつぶやいて、彼女は立ち上がった。

 吹き抜けた風が、汗だくの肌に寒かった。

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