第七百三十九話 生き方と死に様と
「クルセールは落ち、クルセルクは連合軍に降伏した……か」
わかっていたことではあったが、感傷がないわけではなかった。
数年間、拠点とした都市だ。クルセルクの中枢であり、魔王府と呼んでいた時期もあったほど気に入っていた場所でもある。人界と魔界が奇妙に融合した町並みは、ある種の混沌を求めていた当時の彼には、この上なく素敵なものに見えた。その混沌とした都市も、彼が魔王軍を解散したことによって人間のみの町並みと変わるだろう。もっとも、皇魔たちの巣や皇魔が作り上げた建造物が綺麗さっぱり消え去るわけではない。魔都は、魔都のまましばらく異彩を放ち続けるだろうが、そればかりは彼の手でどうにかできるわけもなかった。皇魔がいなくなっただけでもありがたいと思ってくれなければ困る。
「抵抗もしなかったのは良い判断だ。抵抗すれば、連合軍は容赦なくクルセールを攻め滅ぼしただろう。クルセールにはクルセルク王家の本来の血筋が残っている。亡国の王家の血筋など禍根以外のなにものでもない。が、禍根を絶やすには、それなりの理由が必要だ。無条件降伏となれば、王家の血を絶やすこともできないだろう」
だれとはなしに話している。話し相手がいないわけではないが、彼女はクルセルクが置かれている状況になど興味もないのだ。山道を歩きながら、彼の言葉を完全に聞き流していた。以前はこうではなかったと思う反面、これが本来の彼女なのかもしれないと考えなおしたりもした。そして、そういう彼女にこそ魅力を感じ始めている自分がいる。新鮮な驚きがあった。だれかを好きになるということがこれほどまでに輝かしいものだとは、思いも寄らなかったのだ。
魔王を演じていた頃とはなにもかもが違った。
クルセルク北東の山岳地帯の風景さえも、光り輝いているように見えた。
「まあ、クルセルク王家に恩義もなにもないが……俺のせいで滅びたのなら、後味が悪いからな」
決意と覚悟をもって、王位の禅譲を迫った。が、クルセルク王家に恨みがあったわけでも、クルセルク人が憎いわけでもなかった。だれが悪いわけでもない。ただ、彼の異能が発覚したのが、クルセルク領土だったというだけの話だ。そして、クルセルクは領土の広さゆえの暢気さに支配された国であったのも大きい。皇魔の軍勢を従えて首都を訪れただけで、クルセルク軍は震え上がり、彼の前に頭を垂れた。許しを請うものもいた。命乞いの必死さは、醜くも美しくさえあった。
もちろん、彼は、許した。命を救い、手を差し伸べさえした。彼は、クルセルクで殺戮を行うために皇魔を率いたわけではない。
復讐のため。
ただそれだけしかなかった。
それ以外考えている余裕が無いから、見落としていることも多かったようだ。
(たとえば、リュスカだ)
彼女を支配していないという事実を思い知ったのは、つい先日のことだ。彼女が告白してくれなければ、彼は永遠に勘違いしたままだっただろう。リュスカの行動は、支配された皇魔のそれであり、彼が勘違いしてもおかしくはなかったものの、もっと早く気づいていてもいいことだ。だが、気づく時機としてはこれ以上ないほどのものだった。
あの瞬間だったからこそ、受ける衝撃が最大だったに違いない。
「あとは、連合軍がどうとでもするだろう。なに……不幸にはならないさ。少なくとも、クルセルク王家が統治を続けるよりはましな将来が待っているはずだ」
軍備を整えることさえおろそかだったクルセルク王家では、どのみち領土を守り通すこともできなかっただろう。ジベルやアバード辺りに食い散らされていたに違いない。だからといって自分の行動を正当化するつもりはこれっぽっちもないのだが。
「ユベル、さっきからつまらないことばかり」
「……ああ、そうだな。確かに俗世のことはつまらないな」
彼は苦笑して、それから、彼女の半眼に見惚れた。
人間と皇魔は分かり合えない。
皇魔は、人類の天敵だからだ。
人類は、皇魔を大陸を苛む病と見ていて、皇魔は、人類を滅ぼすべき敵と認識している。
五百年、互いに憎しみ合ってきた。
両者の溝は、埋めようがないほどに深く、広い。
だが、それでも、例外はあるのかもしれない。
「君の話を聞かせてくれ」
彼は、リュウディースに追いつくと、彼女を華奢な体を抱きすくめた。
「君の国の話を」
リュウディースの女王は、少女のように頬を紅潮させると、小さくうなずいた。
魔王は、新たな人生を歩き始めていた。
クルセール。
クルセルクの首都は、魔都と呼ばれ、知られている。魔王府と呼ばれていた時期もあるようだが、あまり一般化しなかったところを見ると、魔王自身、あまり気に入った呼称ではなかったのかもしれない。
クルセールは、クルセルク本土北端に位置している。隣国シャルルムとの国境にほど近いが、それは戦国乱世の長い歴史が生んだ地理であり、クルセルクという国が望んだものではない。クルセルクは元々、他の小国家がそうであるように小さな国だった。いや、国とさえ呼べなかったかもしれない。クルセールを中心とした狭い範囲を治めていた地方領主が始まりだったといい、周囲四方の土地を切り取って、クルセルクの原型となる国が作られた。そのころはクルセールが領土のほぼ中心にあったといわれており、後に、領土の北側をシャルルムに食われてしまった、というのが本当のところらしい。シャルルムは常にクルセールへの侵攻を企んでいたというが、クルセルクも北への警戒を年々強めていったこともあり、クルセールが北からの攻撃に曝されるようなことはなかった。
南に一日ほどの距離にゼノキス要塞があり、この要塞こそ、クルセルクが国土拡大の橋頭堡として活用した軍事拠点であった。ゼノキス要塞を基点に西のランシード、南のリネンダールを攻め落とし、国土を拡大していったという歴史がある。
ガンディアは、王都ガンディオンがその役割を果たしているのだから、歴史というものは面白い。
それはそれとして、魔王府、魔都と呼ばれる原因について考えなければならない。いや、考える必要はなかった、クルセールを目の当たりにすれば、一目瞭然なのだ。だれもがなるほどと納得するだろう。
クルセールは、人智の及ばぬ魔境と化していたのだ。立ち並ぶ建物こそ人間の作った代物ば多いのだが、そこかしこに皇魔の巣と思しき建造物が存在感を放っており、空を渡る巨大な橋や上空に浮かぶ巨石群などの異様な光景は、魔都と呼ぶに相応しかった。しかし、クルセールの住人には見慣れた光景なのだろう。そういった建造物を平然と利用している姿が散見された。もっとも、連合軍統治下にあっては、外出を慎むものも少なくはないのだが。
そんな魔境都市クルセールが連合軍の支配下に入ったのは、二月九日のことだ。戦闘は一切起きなかった。それ以前に、クルセールは門を開放しており、連合軍の到着を待ち受けていたというべき状態にあった。ゼノキス要塞が陥落したという情報が、クルセールの戦意を喪失させたのは間違いなかった。
魔王の失踪も影響しているだろうし、皇魔の軍勢が跡形もなく消え失せた事実もまた、連合軍との戦争を続行する気力を奪っただろう。そもそも、魔王以外、連合軍と戦うことに意義を見出していたものがいたかどうか。
ともかく、クルセールは連合軍の管轄下に入り、魔王城には獅子王レオンガンド・レイ=ガンディアを始めとする連合軍首脳陣が入城、クルセルクの平定に向けて動き出した。
「クルセルク全土の平定にはそれほど時間はかからないでしょう」
ナーレス=ラグナホルンは、魔王城の一室でレオンガンドと対峙していた。参謀局の面々と打ち合わせをしている最中、レオンガンドが訪れたのだ。
「各地の守備についていた魔王軍が消えてしまったのです。防衛戦力は、クルセルクの正規軍のみ。その正規軍は、クルセルク政府の停戦命令に従わないわけにはいきませんからね」
「懸念があるとすれば、バラン=ディアランのような人物が生き残っていた場合か」
「そうなりますが……気にするほどのものでもないでしょう。たとえ、バラン=ディアランのような気骨ある人物が生き残っていて、連合軍の支配を受け入れられないとしても、いまさらどうすることもできません、クルセルクは、連合軍に降伏し、全土を捧げたのですから」
戦争を継続して被害を拡大するよりも、戦争を終結させ、これ以上の流血を防いだのは、魔王不在のクルセルク政府の決断によるところが大きい。魔王は、軍を引き上げるだけでなく、王としての最後の仕事を果たすべきだったのだが、あの状況下で魔王にそれを望むのは酷だというレオンガンドの発言もある。仕方のないことだ。
いずれにせよ、クルセルクとの本格的な戦いは終了したとみてよかった。
(……クルセルク平定までは保つか)
ナーレスの命の時間のことだ。
日に日に、自分の命が削られていくのを実感している。なにをしていても、死の気配を感じるのだ。命がすり減り、死が近づいてきている。それを止めることも、遠ざけることもできない。この仕事を辞め、安静にしておけば、少しは長生きできるのかもしれない。しかし、そんなことが許されるような状況にはなかった、
そして、そのようにして生き延びることになんの魅力も感じない自分がいる。
成すべきことも成さず、やるべきこともやらぬ人生に、いったいなんの意味があるのか。
ただ生きながらえることに、どのような意義があるというのか。
命を急速に削っていたとしても、いま、こうして会議を重ねることのほうが、遥かに生の実感があり、充実した人生を送っていると感じるのだ。
ミリュウとの約束は守れないかもしれないが。
少なくとも、光明は見えた。
エイン=ラジャールとアレグリア=シーン。参謀局室長のふたりは、ナーレスが想像した以上の軍師としての才能を発揮し、各軍の勝利に貢献していた。ふたりが力を合わせれば、近い将来、必ず死ぬであろうナーレスの穴を埋めることは難しいことではない。ガンディア人であるアレグリアがガンディア軍を辞める理由はなく、ログナー人であるエインもまた、セツナがいる限り、ガンディア軍を辞めることはないだろう。その点でも安心して、後を任せることができそうだった。
残された時間をふたりの育成に費やすことができれば最高なのだが、そういってもいられまい。クルセルク戦争が連合軍の勝利で終わったことで、小国家群に激震が走るだろう。道半ばで死ぬ可能性も、考慮しておかなければならない。
「あとは……セツナ様が無事に意識を取り戻してくれれば、万々歳ですね」
エインの発言には、だれも異を唱えなかった。
レオンガンドたちは、セツナが意識を失った状態のまま、ゼノキス要塞を飛び出してきている。クルセルク戦争を早期に終わらせる必要があったし、要塞の備蓄兵糧では、連合軍を保たせることはできない。その点、クルセールさえ落とせば、いくらでも兵糧を手に入れる方法は生まれる。クルセールの備蓄兵糧を消費している間に、補給線を確保するという方法もある。ともかく、ゼノキス要塞に籠もっているわけにはいかなかったのだ。
皆、セツナのことが気がかりだった。
セツナは、ガンディアの要なのだ。
要を失えば、どうなるものかわかったものではない。
ナーレスも、死んでも死にきれなくなるだろう。