表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
733/3726

第七百三十二話 闇を越えて(三)

「なあ、どういうことなんだよ!」

 セツナは、闇黒の仮面を叩き割りながら叫んだ。叫んだところで、だれが答えをくれるわけもない。この暗黒空間に生存者はふたりしかいない。そのうちのひとりも、じきに死ぬ。いや、とっくに死んでいるのか。死んでいて、仮初の命を与えられていただけなのだ。その力の根源が消え失せれば、仮初の命も消える。

 ばらばらに砕け散った闇黒の仮面は、闇の粒子となって黒き矛に吸収されていった。これも、あのときと同じだ。ランスオブデザイアを吸収して、黒き矛はさらなる力を得た。であれば、今回も黒き矛は力を増すということだ。

 力が満ちていくのを感じる。

 膨大な力が体に流れ込んでくる。莫大な情報が、頭の中に叩きこまれていく。刻まれていく。

 クレイグ・ゼム=ミドナスの正体。

 アルジュ・レイ=ジベルが恐怖と絶望の中で生み出したもうひとつの人格。クレイグは、アルジュを恐怖から護るためだけに存在した人格であり、恐怖を克服するために力を求めていた。彼が武装召喚術に思い至ったのは、必然だったのかもしれない。武装召喚術は、習得さえできれば、手軽に自己を強化することができる。自己の強化こそ、恐怖を克服するもっとも簡単な方法だ。

 クレイグは独自に武装召喚術を学び、マスクオブディスペアの召喚に成功しているが、これはマスクオブディスペアの呼びかけによるものであり、彼が天才であるということではなかった。マスクオブディスペアは、依代を探していたのだ。黒き矛を破壊し、その力を得るためには、生身の体が必要だ。

 ランスオブデザイアがウェイン・ベルセイン=テウロスをその依代に選んだように、クレイグは、マスクオブディスペアに選ばれたということだ。

 セツナは、心持ち軽くなった体を引きずって、カナギに近寄った。カナギ・トゥーレ=ハラン。虎の面の死神のことだ。

 彼女の名前を思い出せたのは、クレイグの記憶を垣間見たからだ。クレイグが死神部隊を設立したのも、闇黒の仮面の意思によるものだった。闇黒の仮面は、手駒を欲した。アルジュを主人格とするクレイグでは自由に動き回れない。そのため、彼の意思を代行する存在が必要だったということらしい。

 それが死神部隊の本質だった。死神たちが、闇黒の仮面が選別した死者によって構成されているのは、死んだものの魂でなければ死神たりえなかったからだ。死者の魂を闇黒の仮面の力によって拘束し、従わせていた。

 また、死神たちの仮面は、闇黒の仮面がみずから生み出した代物であり、闇黒の仮面の端末といってもよかった。それらは、闇黒の仮面を破壊した時に消滅したようだ。周囲に見当たらなくなっていた。

 カナギの側で屈みこむと、彼女が反応を示した。彼女の体は、ばっさりと斬られており、一目見て致命傷だということがわかる。助からない。いや、傷を塞いだところで、もう遅い。現世への拘束時間は、終わろうとしている。

「終わった……のね」

 カナギの囁きに対して、セツナは、小さくうなずいた。終わった。なにもかも、終わったはずだ。

「ああ。クレイグは死んだよ」

「そう……良かった……」

 彼女は力なく、しかし、心の底から声を発していた。

「これで、思い残さずに、死んでいけるわ」

「……本当に良かったのか? これで」

「ほかに、方法なんてなかった……。レムもわたしたちも、クレイグの人形に過ぎなかったんでしょう?」

 セツナは、黙っていた。クレイグさえ闇黒の仮面の操り人形だったとは、いえなかった。いえば、きっと哀しみが増幅する。苦しむだけだ。ただでさえ苦しんでいるというのに、これ以上の苦痛を与える必要はない。

 せめて安らかに、とは思うのだが、セツナにはどうすることもできない。

 黒き矛の力は、破壊の力だ。癒やすことなど、できるはずもなかった。

「わたしたちはとっくに死んでいて、いまここにあるのは夢の残滓のようなもの。消えて当然。でも」

「でも?」

「レムには、幸せを掴んで欲しかったわ。あの子の境遇が一番悲惨だったから」

「ああ……」

 セツナの頭の中に、レム=マーロウとクレイグ=ミドナスが出会った夜のことが浮かんだ。マスクオブディスペアの記憶。ほかの死神たちよりも鮮明なのは、レムが、クレイグの手によって生み出された最初の死神だからだろう。

 彼女が、闇黒の仮面の力の実験台といっても過言ではなかった。


 月の夜、男に追われた少女は、凍った地面に足を滑らせて転倒した。後頭部を強く打ち付けて、動かなくなった。男は、少女に駆け寄ると、しばらくしてから去った。少女が死んだのだと判断したらしい。そして、その判断は間違いではなかった。後頭部の傷口から流れでた血が、地面を紅く濡らした。

 マスクオブディスペアは、少女の魂に絶望を見た。絶望こそが、死神に転生する条件だった。絶望した魂を亡骸に拘束し、仮初の生を与える――それが闇黒の仮面の能力であり、死神への転生方法だった。

 少女は死神となり、無意識に“死神”を作り出し、自分を追っていた男を殺した。男の仲間も殺した。自分を売った親も殺そうとしたが、親はみずから命を断っていた。良心の呵責に耐えかねたというのだろうか。

 少女は、ますます絶望を深め、クレイグに依存するようになった。

 少女には、ワウという名が与えられた。

 ワウ。一であり始まりを示す古代言語だという。死神壱号に相応しい名前だった。同じように、カナギは二を示すトゥーレ、シウルは三という意味のスレイ、ゴーシュは四を意味するフォーンを名乗ることになったのだが、それはまた別の話だ。

 いまは、レムのことが重要だった。


「ねえ、セツナ様……あの子のこと、許してあげてね。嫌いにならないであげて」

 カナギの苦しそうな声に、胸が締め付けられる思いがした。カナギは、レムのことだけを考えているようだった。いままさに命が終わろうという瞬間。それなのに、他人のことだけを想うことができるのは、愛の深さ故なのかもしれない。

 セツナとカナギの接点は極めて少ない。しかし、それでも、その最期を看取るというのは辛いものがあった。だからかもしれない。

「許すも許さないもないだろ。レムは、あいつは、隊長命令に従っただけだ。嫌いになる理由なんてないさ」

 セツナは、つとめてやさしい口調でいった。嘘ではない。本心を述べたまでではあるのだが。

「良かった。それなら、あの子の魂も、きっと……」

 カナギが、嬉しそうに目を細めた。そして、そのまま力を失った。マスクオブディスペアの支配が完全に失われたのか、彼女の肉体が死を迎えたのか。どちらにしても遣る瀬なかった。こんな結末は望んでもいない。

 ただ全力で殺しにかかってきて、それを返り討ちにしたのとはわけが違うのだ。

「なんだよ、これ」

 セツナは、カナギの亡骸を見下ろしていた。どこか満足そうな笑みを浮かべている。なにがそんなに満足なのか、セツナにはわからない。彼女がなにを考え、なんのために死んだのかさえ、セツナには想像することしかできない。そして、想像は妄想も同じだ。彼女の気持ちを代弁することもかなわない。

 立ち上がり、周囲を見回す。

 闇の世界に立ち込めるのは血と死のにおいだ。みんな、死んだ。死んでいたものたちも、再び死を得、死者の王として君臨していたジベルの国王も死んだ。誰も彼も死んでしまった。

 セツナを残して。

 勝利の実感も、達成感もない。爽快感など、あろうはずもない。

 あるのは虚しさだけだ。

 なにもかもを失っていくような感覚。

「いったいなんだってんだよ……!」

 セツナは、思い切り叫んだ。喉が張り裂けるほどの大声で叫び、あらん限りの力を解き放った。黒き矛が震えた。まるでセツナの感情に呼応するかのように黒き矛が咆哮する。力が吹き荒れる・マスクオブディスペアを吸収したことによって増幅したカオスブリンガーの力。いままで以上の力は、セツナの意思を嘲笑うかのように暗黒空間を席巻した。

 黒き矛が、まばゆい光を放ったのだ。暗黒空間の闇を吹き払うほどの莫大な光を放ち、なにもかもを白く塗り潰した。

 そして、その眼に痛いばかりの光の中で、セツナは確かに見たのだ。

 レムの亡骸に寄り添う魂の形を。

 膝を抱えて泣く少女の魂を。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ