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第七百二十九話 彼女たち

 戦いは終わった。

 ゼノキス要塞を巡る攻防が終わり、クルセルク戦争が一段落した、ということではない。

 反クルセルク連合軍と魔王率いるクルセルク軍との戦争そのものが終結したといってよかった。

 魔王が軍を引き、皇魔が戦線を離脱したことで、ゼノキス要塞は連合軍の手に落ちた。要塞に翻っていたクルセルク軍旗、魔王軍旗が炎に焼かれ、新たにガンディア、ルシオン、ジベル、アバードといった連合軍参加国の軍旗が掲げられていった。その光景は実に壮観であり、歓喜の声を上げるものも少なくはなかった。

 ゼノキス要塞の守備についていたクルセルクの正規兵は、魔王が消え、皇魔たちが消え失せたことで戦う意味を見失い、連合軍に降伏した。連合軍は、ゼノキス要塞に残っていた人員ともども丁重に保護下に置いた。捕虜ではなく、だ。

 戦いは終わったのだ。クルセルクの支配者が退いた以上、捕虜とする必要はなくなっていた。武器こそ取り上げたものの、兵士たちに反乱を起こす気概も残っていないだろう。

 連合軍は、負傷者の手当や死者の回収を行う一方、クルセルクの首都クルセールの様子を探らせるために兵の派遣を決定している。ゼノキス要塞が落ち、魔王が戦争を放棄したとはいえ、クルセールには魔王を礼賛していたものが残っており、徹底抗戦の意図を秘めているとも限らない。

 もちろん、皇魔を戦力として運用できなくなったいま、クルセルク軍など恐れる必要はなくなっていた。クルセールの防衛戦力程度ならば、ガンディア軍だけで蹴散らすことができるだろう。

「クルセールの守備兵は二千少々。《獅子の尾》だけでも十分ですな」

 ナーレス=ラグナホルンが、事も無げに言い放つと、エイン=ラジャールが便乗する。

「もっといえば、セツナ様だけで十分ですよ」

「では、セツナ様にお任せしますか?」

 アレグリア=シーンまで乗っていくものだから、レオンガンドは肩を竦めざるを得なかった。参謀局の会議とは、いつもこんなものなのだろうか。

「彼に頼りきらないのではなかったのか?」

 もちろん、自戒も込めて、いっている。セツナに頼りきっているのは、レオンガンドも同じだ。しかし、セツナに任せるのと、別の人間に任せるのとでは安心感が違った。セツナには数多の死線を潜り抜けてきたという実績があり、力がある。そこからくる信頼感は、ほかのだれも持ち得ないものだ。いまからセツナと同等の戦功を上げようとすれば、どれほどの敵を討ち、どれほどの国を落とさなければならないのか。

 セツナが積み上げてきた物事以上に積み上げなくてはならなくなる。

 ガンディアの置かれる状況も立場も変わった。弱小国に過ぎなかったガンディアは、いまや強国に名を連ねている。こうなっては、セツナと同等の戦果を上げるだけでは、彼と同じだけの信頼を勝ちうることはできない。

「それに、セツナは不在だ」

 レオンガンドが告げると、ゼノキス要塞の一室は沈黙に包まれた。集まっているのは、参謀局の面々であり、レオンガンドの側近や将軍たちはいない。将軍たちは戦後処理に忙殺され、側近たちは、ついさきほど起きた事件を調べている。

「話を聞く限り、ジベルの仕業以外考えられませんよねえ」

「ハーマイン=セクトルは知らないと言い張っているんですよね?」

 アレグリアがハーマインを呼び捨てたのは、不信感の現れでもあるのだろう。

「どうも、本当に知らないようだ。死神部隊が勝手に動いた、ということだろう」

「自国の部隊なら、行動は把握しておくべきですよね」

「その通りだが、死神部隊が国王直属だということを考えれば、将軍である彼がすべてを把握していないとしても、おかしくはない。我らが大将軍が《獅子の尾》の全容を把握していないようにな」

 もっとも、アルガザードは、ガンディア軍の全容は把握しているし、《獅子の尾》の部隊構成などについては熟知している。もっと人数を増やしたほうがいいのではないか、という彼の提案もいつかは実現しなければならないだろう。

 アルガザードが把握しきれていないのは、《獅子の尾》の任務内容のことだ。《獅子の尾》は、王立親衛隊の中でも特別な立ち位置にある部隊だ。王の盾たる《獅子の牙》と、王の剣たる《獅子の爪》とはわけが違う。ガンディア軍の最強戦力であり、ガンディアの顔でもあるのだ。その扱いには細心の注意を払う必要があった。

「そうはいいますけど、ジベルってハーマイン将軍が運営しているようなものなんでしょう? アルジュ王が一存で外交問題に発展するような行動を取るとは思えませんよ」

「そうだな。それに関しては、ハーマイン将軍も同じ考えのようだ」

 ジベルの国王であるアルジュ・レイ=ジベルは、ハーマインに国政さえも任せきっている。アルジュがみずからの意思で行動を起こすようなことはほとんどなく、あったとしても、ハーマインに確認を取ってから動き出す慎重派なのだ。

 病的なまでの小心者であるアルジュが、そのような大それたことをするはずがない――ハーマインの言葉には、十分な説得力はあった。

 それを信じるか信じないかは別の話だ。

「彼は、ガンディアとジベルが敵対関係になることを極端に恐れている」

「では、死神部隊の独自行動と見るべきですか」

「セツナを殺し、黒き矛を手にすることができれば、ジベルは強くなる。圧倒的にな。アルジュ王がそのような子供じみた発想でガンディアに敵対するとは考え難いが、可能性は皆無ではない。あらゆる可能性を考慮するべきだ」

「あとは、セツナ様を信じて、待つだけですね」

「一応、軍を総動員して探させてはいるが……成果は期待できなさそうだ。マリク=マジクいわく、ゼノキス要塞からクルセルク北側国境に至る範囲にセツナの気配は存在しないらしい」

 四大天侍最大の感知範囲を誇るマリク=マジクに見つからないのならば、ほかのだれにも探し出しようがないのだ。

 また、彼は、こうもいっていた。

『影に沈んだっていうのなら、影の国にでも連れて行かれた可能性が高いよ』

(影の国……か)

 そんなものが実在するのかはわからないが、と彼は付け足した。ニュウ=ディーいわく、召喚武装の能力の比喩だろうとのことだった。

『天才児の言葉は真に受けないほうがいいですよ』

 ニュウ=ディーは疲れ果てたようにいったものだ。実際、疲労困憊だったのだろうが、彼女もセツナの捜索に協力してくれていた。リョハンの戦女神ファリア=バルディッシュの勅命によるものである。

 彼女は、愛する孫娘のために四大天侍を総動員したのだ。

 それでも、セツナの居場所はわからないという。

 しかし、レオンガンドは、不安を抱いたりはしなかった。それこそ、セツナへの冒涜だ。彼ならば、どのような状況であろうと必ず打開し、帰還を果たすだろう。これまでがそうだったのだ。今回だけは不可能などとは考えもしなかった。

 信じている。

 だからこそ、レオンガンドはクレイグの申し出を受け入れ、レムの護衛任務を認証したのだ。セツナを信じていなければできない決断だった。

 クレイグが腹に一物を抱えているのは最初からわかっていたことだ。わかっていて、承認した。そして、それは最終局面まで上手く機能したのだ。レム・ワウ=マーロウという外部因子が《獅子の尾》の結束を固めたのは、レオンガンドの目には明らかな事実だ。《獅子の尾》の面々は認めないかもしれないが。

 できるならば、彼女が敵に回らない結末が良かったのだが、そうはならなかったようだ。

 

「油断したわ」

 ミリュウが、拳を壁に叩きつけた。彼女の声は怒りに震えていた。裏切られたという気持ちと、なぜ信じてしまったのかという自分への失望が、その怒りを暗く激しいものに変質させているようだった。

 怒りが傷口に障るのか、新しく巻いた包帯を紅く染めてしまっていた。

 気持ちは、同じだ。

 ファリアも行き場のない怒りを抱えたまま、じっとしていられない気持ちでいっぱいだった。しかし、動くに動けない。動いたところで役に立てないだろうという厳然たる事実が、自分自身への苛立ちを助長させる。

 動けない理由のひとつは、消耗しすぎたからだ。ファリアの場合は、リネン平原の戦いからすぐさまゼノキス要塞に飛んできたことも大きい。肉体的な疲労は、我慢できた。セツナのためならばいくらでも無視することができる。しかし、精神的な消耗は、どうすることもできなかった。精神が磨り減れば、冷静に考えることすらできなくなる。

 ミリュウが激情家なのは今に始まったことではなにが、普段の彼女ならば、もう少し言動に気をつけただろう。

「最初からわかっていたのに……あの女が敵だって、セツナを監視するために送り込まれたんだって……!」

 ミリュウが毒づいたのは、レム・ワウ=マーロウのことだ。

 彼女は、彼女自身が起こした事件がきっかけとなって、セツナの護衛となった。

 彼女がセツナの寝室に忍び込んだという事実が公になれば、ジベルとガンディアの関係は悪化する可能性がある。悪化とまではいかずとも、ジベルはガンディアに負い目を持つことになる。レムの直属の上司に当たるクレイグ・ゼム=ミドナスは、ガンディア王レオンガンドと取り引きを行った。魔王討伐がなるまでセツナの護衛にレムをつけるというものであり、それによって負い目を解消しようというものだった。

 セツナの身辺警護を固めたかったレオンガンドはそれを飲んだ。もちろん、レオンガンドは、クレイグの申し出の裏に潜む別の目的も把握していただろうが、ジベルとの関係をより良いものにしたかったレオンガンドには、クレイグの申し出を拒絶することはできなかったに違いない。

 クレイグの別の目的とは、十中八九、セツナの監視だ。

 護衛という名目ならば、四六時中付き纏っていても不思議ではないし、むしろ当然だった。レムは公然とセツナを監視する権利を得たのだ、義務といってもいい。護衛とは、護衛対象の状態を常に把握しなければならないものだ。それこそ、監視に近い。

 クレイグがなぜセツナを監視しなければならなかったのか。

 それがわかったのが、今回の事件だ。

 魔王との戦いが終わり、セツナが気を緩める瞬間を待っていたのだ。いや、セツナが油断するのを待つ必要はなかったかもしれない。護衛ならばいつでもあの程度のことはできる。

 クレイグに必要だったのは、魔王という脅威が排除された事実だ。

 おそらく、それがすべてだろう。

 魔王を排除するには、セツナの力が必要不可欠だと判断し、事が終わるまでは行動に移らなかった、ただそれだけのことだ。もし、魔王という脅威が存在しなければ、あるいは、魔王の力がジベル一国でどうとでもなるのならば、もっと早く行動に移っていたかもしれない。

 レムがセツナの寝室を訪れ、問題を大きくしたあの日、セツナを影の中へ引き入れていたのかもしれない。

 遅かれ早かれこういう事態になっていたということだ。

 ファリアは、暗い天井を見遣りながら、ぼんやりとする頭で考えていた。個人的な解釈、個人的な考察がどこまであっているのはかは、わからない。そして、考え抜いたところでどうしようもないことだって、わかっている。

「戻ってきたら、絶対に怒ってやるんだから……!」

 ミリュウは、そんなことを叫んで、枕に顔を埋めた。ミリュウにせよ、ファリアにせよ、いまは休まなければならない。体を休めるには、眠るのが一番だった。睡眠を取り、体力と精神力の回復を図らなければならない。でなければ、マリアに怒られる。

(戻ってきたら……?)

 ファリアは、ミリュウの言葉を胸中で反芻して、疑問を抱いた。戻ってきただれを怒るというのか。ミリュウが怒りをぶつける相手はレム以外には考えられないのだが、彼女が戻ってくることなどありえないように思えた。

 万が一、彼女が生還したとしても、ミリュウの前に姿を見せることはないはずだ。それほど単純な問題ではない。一国の領伯を連れ去ったのだ。大事件といってもいい。外交問題に発展するのは間違いなく、ジベルはいまも釈明に追われていた。

 ジベルは、セツナの捜索に協力することで自分たちがこの事件とは無関係だと証明しようとしているが、連合軍参加国のほとんどはジベルを白い目で見ている。

 レムが無事に生還したとして、ジベルが彼女を放っておくだろうか。彼女だけではない。セツナ誘拐事件に関わった死神部隊も、ただでは済むまい。

 しかし、ミリュウは、彼女がここに戻ってくると思っているようだった。

《獅子の尾》に戻ってきて、セツナの護衛を続けるとでもいうのだろうか。

 ファリアには、ミリュウの思考が読めなかったし、問いただすこともできなかった。疲れているのだ。そのせいで、思考が鈍っているのだろう。

(セツナ……必ず生きて戻ってくるのよ)

 彼女は、心の底から、彼の無事を祈った。

 祈りながら、夢に落ちた。


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