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第七百二十七話 マスクオブディスペア

 時を待った。

 闇黒の仮面を手にしたときから、今日、この瞬間に至るまで、待ち続けていた。

 闇黒の仮面は、強大な力を秘めた召喚武装だ。生死の境界を曖昧にし、絶望を“死神”という形で具現する能力。絶望の徒に力を貸し与え、その力を仮面という形にする能力。異世界の武器たる召喚武装は特異な能力を持つものだが、マスクオブディスペアの能力はそういった召喚武装の中でも異彩を放つものだといえる。

 彼がマスクオブディスペアを召喚し、その力を理解したときに把握したのは、この力さえあれば、アルジュ・レイ=ジベルの恐怖を取り払うことも不可能ではないということだ。

 主人格たるアルジュは、極端に小心者であり、常に不安に苛まれていた。それは、自分の立場が不安定なことに起因する。ジベルは、小さな国だ。隣国ザルワーンと比較した場合、動員しうる兵力、資金、資源――国力の差は歴然としており、ザルワーンがログナーを支配下に置いたときから、アルジュはザルワーンの侵略の影に怯え続けなければならなかった。

 いや、彼が本格的にザルワーンを敵として認識したのは、もっと以前、ザルワーンがメリスオールを制圧し、東への進出を胸のうちに秘めていることが明らかになったときかもしれない。ともかく、ザルワーンという強国を隣に抱えている以上、ジベルは常に脅威に晒されているといってもいい状態だったのだ。

 もっとも、彼が生まれたのは、それよりさらに昔のことであることを考えると、すべては、アルジュが繊細で脆弱な心の持ち主であることに起因しているに違いなかった。

 彼は、アルジュを護らなければならない。

 アルジュという人格を護るためだけに、彼は生まれた。

 クレイグ・ゼム=ミドナス。

 彼は誕生とともに、自分がなにをなすべきなのかを理解していた。武装召喚術を習得したのも、それがアルジュを護る一助となるだろうと考えたからだ。独学だったが、召喚武装は彼の呼びかけに応えてくれた。それがマスクオブディスペアであり、武装召喚術の習得は彼にとっては至難の業でもなんでもなかったのだ。

 彼は、闇黒の仮面の力を用い、アルジュを絶望から救おうと考えた。これだけの力があれば、それも不可能ではない。そう考えていたし、実際、彼の思った通りにことは進んだ。彼が独自に組織した死神部隊を用いれば、アルジュの政敵を暗殺することは簡単だった。国内に敵がいなくなれば、アルジュの不安も減る。

 そうやって、アルジュの心を安定させていけばよかった。

 アルジュが自信を持ち、自立したとき、彼は役目を終え、消えて失せるだろう。それでいい。それが、彼の生まれた意味だ。悲しくもなかった。寂しくもなかった。絶望の淵から生まれたのだ。心など持ちあわせてはいない。

 しかし、不測の事態が起きた。

 ガンディアの躍進だ。

 ガンディアは、ログナーを下すと、その勢いに乗じるかのようにザルワーンを平定、近隣国で最大の国土を誇る強国として君臨した。これに度肝を抜かれたのがアルジュだ。ザルワーンの脅威は、ガンディアの脅威に変わったのだ。ガンディアがザルワーンより質が悪いのは、腰が重く、動きの鈍いザルワーンに比べて、行動が迅速で、かつ手段を選ばないからだ。アルジュは、ザルワーン戦争の最中に奪取したスマアダをガンディアに差し出し、恭順しよう、などと言い出したものだから、ハーマイン=セクトル将軍も困惑したものだった。

 アルジュには、ザルワーンという巨竜を倒した獅子ガンディアが、あまりに恐ろしく思えたのだろう。

 もちろん、死神部隊を使って陥れたスマアダを手放すなど、できるわけもなかったが。

 そして、ベレルへの侵攻。これはガンディアが《獅子の尾》という最高戦力をベレルに送り込んできたために、中途半端な結果に終わった。ガンディアの介入さえなければ、ジベルの国土は広がり、軍事力も増し、アルジュの不安の種も減るかと思われたのだが、むしろアルジュの不安は激増した。

 ガンディアと敵対することを恐れた。

 ガンディアには黒き矛がいる。

 黒き矛のセツナ。

 彼は、ガンディアの王宮で、あの少年と黒き矛の戦いを目の当たりにすることになった。そして、それがすべての始まりとなった。

 理解したのだ。

 闇黒の仮面の意味。

 闇黒の仮面がなぜ、彼の稚拙な術式によって召喚されたのか。彼の力となったのか。なにもかも理解して、納得した。

 闇黒の仮面は、このときを待っていたのだ。

 黒き矛と出遭うときを。

 黒き矛を破壊し、その内に秘められた力のすべてを手に入れるときを。

 そして、彼は時を待った。

 クルセルクとの戦いが終わり、魔王の脅威がなくなった直後。

 だれもが安心し、気を抜いた瞬間。

 彼は、ハスカにいた。だが、レム・ワウ=マーロウの見たものはすべて見えていたし、聞いたことはすべて聞こえていた。ゼノキス要塞の戦いが終結し、魔王の脅威が排除されたこともわかった。クルセルクに集いつつある皇魔が後退を始めたというのだ。もう、魔王軍に恐れをなす必要はない。黒き矛の力を頼ることはなくなったのだ。

 時が来た。

 彼は、マスクオブディスペア最大の力を解放した。



 闇の中で、重力を感じていた。

 闇の中の無重力空間を漂うというようなことではなく、暗黒空間の底に落ちていく感覚。少女の腕に抱かれたまま、地獄の底にでも連れて行かれるような、そんな感覚があった。実際、少女に抱かれている。死神壱号。レム・ワウ=マーロウ。その眼は虚ろで、なにを考えているのかわからない。絶望の闇。

(死神なら冥府か)

 冥府も地獄も大差はない、などと思いながら、セツナは手の内に黒き矛があることに安堵した。カオスブリンガーを手にしている限り、なにが起きようとも切り抜けられるだろう。確信は、余裕からくるものではない。カオスブリンガーへの信頼であり、黒き矛の実績だ。数多の死線を潜り抜けてきた矛の力を信じず、なにを信じるというのか。

 やがて、闇の底に到達したらしく、レムの背中から衝突した。衝撃がセツナにまで伝わってきたが、レムは苦悶の声も発さなかった。まるで物言わぬ人形のように成り果てた彼女の様子に不審を覚える。

 レムの様子を窺いながら起き上がり、彼女がやはり無反応であることが奇妙だった。普段の彼女ならばセツナに対して皮肉のひとつやふたつ発するはずであったし、本来のレムならなおさらだ。なにかがおかしい。

 いや、おかしくないはずがなかった。

 セツナは、彼女の影の中に吸い込まれたのだ。

 レムの影。

 死神の影といったほうがいいのかもしれない。

 レムは、自分の影の中から武器を取り出したり、“死神”を出現させたりしていた。影に関する能力を有しているのは間違いない。それがアーリアたちのような異能ではなく、召喚武装と同じような能力だということは、彼女の仮面からも明らかだ。黒獅子の仮面は、召喚武装と同質のものだった。もっとも、レム自身は武装召喚師ではないし、仮面が召喚武装だと認めてもいないのだが。

 セツナが立ち上がると、レムもゆっくりと立ち上がった。その動作がいかにも機械的で、人間味のまったくないものであり、セツナは気になって仕方がなかった。彼女の身になにかが起きているのは間違いない。そして、それがこの空間と関係していることも、間違いなさそうだった。

 全周囲、闇が覆っている。澱んだ闇。呼吸はできていた。水中でも真空でもないのだから当然かもしれない。

「ようやくだ」

 聞き知った声が、響いた。幾重にも反響した。この空間が狭いからではなく、なにか特殊な空間だからだろう。狭さゆえの圧迫感はない。あるのは、違和感であり、異質感だ。重力を帯びた闇が、セツナの全身に絡みついて、神経を逆撫でにする。

「ようやく、あなたと戦うことができる」

 前方に闇よりも黒い物体が出現する。物体は、見ている間に人体の形を成していく。真っ黒な仮面を纏った人物。仮面の形も、小柄な体型も、記憶の中の姿と一致した。黒い仮面に黒ずくめ。死神に相応しい外見。

「いや、あなたを殺すことができる、というべきか」

「クレイグ・ゼム=ミドナス」

 セツナは、黒き矛を構えた。黒き矛の忠告通りだった。敵はいた。しかも、すぐ側まで忍び寄ってきていた。みずからではなく、部下を差し向けてきていたのだ。

 護衛という名の監視。

 それもわかりきったことだ。だれもが、レムの存在を懸念し、疑問視していた。セツナも常に警戒していたし、睡眠不足に陥っていたのもそのためだ。先に眠れば、彼女に寝首をかかれる可能性があった。

「あなたもわかっていたはずだ。わたしがあなたの敵だということは、認識していたはずだ。いつか戦うものだと、理解していたはずだ。だから、レムを警戒していたのでしょう?」

「……あんたかどうかは、最後まで特定できなかったよ」

「黒き矛は、なにも教えてくれなかったか!」

 クレイグが跳ぶ。こちらに向かって、殺到してくる。

「やっぱりそうなんだな!」

 セツナは右に飛んでかわした。左にはレムがいた。レムは、人形のように突っ立ったままだ。

「あんたのそれも、黒き矛と同じか! ランスオブデザイアと!」

 クレイグが着地とともにこちらに向き直った。手に握られているのは、大鎌だ。レムと同じ形状の鎌。クレイグが本来の持ち主なのかもしれない。

(ウェインと同じなのかよ!)

 セツナは、心の中で叫びながら、クレイグの攻撃を矛の切っ先で受け止めた。強烈な一撃だ。一瞬でも気を緩めれば、セツナの命はない。

「ランスオブデザイア? なんだそれは」

「知らないよな、さすがに!」

 矛と鎌で撃ち合うこと数回。

 セツナは、クレイグの力量に舌を巻いた。まるで攻撃が予測できなかった。どこから来るのかわからない斬撃に対応するのは、骨が折れる。全神経を防御に注ぐあまり、攻撃が疎かになる。こちらの攻撃が疎かになれば、自然、クレイグは攻勢に全力を注ぐことができるということだ。敵の攻撃は苛烈になり、こちらは防戦一方になっていく。

 一方的ながらも激しい攻防だった。

 わずか数瞬の間に無限に近い時の流れを感じた。

「知らんな。だが、そんなことは、どうでもいいことだ。黒き矛の力さえ手に入れば、どうでもよくなる。黒き矛の力さえ我がものとなれば、ジベルが小国家群の覇者となる日も近い!」

「させるかよ!」

 セツナは、気合とともに矛を振り抜いた。鋭い斬撃が切り払ったのは澱んだ闇であり、クレイグは、遠く後方に退いていた。

「いい気迫だ。だが、ここはわたしの世界。元よりおまえに勝ち目はないのだよ」

 彼はそういって、大鎌をレムに投げ渡した。レムが大鎌を受け取るとともに、クレイグの周囲に五つの気配が出現する。死神弐号から陸号に至るまでの五人だ。それぞれが異なる仮面を被り、異なる得物を手にしていた。そして、“死神”が具現する。闇に溶けるような黒き異形たち。敵の数は、倍増した。

「数的不利はいつものことさ」

 セツナは、不敵に笑った。


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