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第七百二十三話 獅子と魔王(四)

 目の前に立つ男の金色に輝く髪は、獅子の鬣のようだった。

 銀獅子レイオーンを模した甲冑を身につけた王者の姿は、子供の頃に見たシウスクラウドの肖像によく似ていた。若き日のシウスクラウドに瓜二つといってよかったのだ。親子なのだから似ているのは当然だ。だが、容貌だけでなく、漂う気品やなにものにも負けまいという意思の強さまで受け継ぐということなどめずらしいだろう。

 レオンガンド・レイ=ガンディア。

 シウスクラウド・レイ=ガンディアのただひとりの息子であり、第一王位継承者として生を受けた人物だ。生まれたばかりの彼は天使のような赤子として賛美され、将来を有望視された。英傑の誉れ高いレオンガンドと、その利発そうな王位継承者の存在に、ひとびとはガンディアの将来を見た。ガンディアは安定し、三国同盟の中心として栄えるに違いない。たとえ、シウスクラウドの野望が結実せずとも、北からの侵略を防ぎきるに違いない。ガンディアは、これまで通り歴史を紡いでいく。だれもがそう思った。

 王都ガンディオン《市街》の一角にある貧民街でも、シウスクラウドとレオンガンドに対する期待が大きかった。シウスクラウドがガンディアに栄光をもたらせば、貧民街の人々も、この救いようのない日常から抜け出せるかもしれない。国が潤えば、下層民にも手を差し伸べてくれるのではないか。貧民の期待は、日に日に大きくなった。それは、王妃グレイシア・レア=ガンディアが主導した施策が、貧民街の現実に大きな変化をもたらしたからでもある。

 グレイシアは、貧民の救済を訴え、それをある程度現実化してしまった。

 ガンディア随一の貴族アンスリウス家の出身である彼女だが、その血を辿れば貧民街出身の才女マナフレアに辿り着く。マナフレアは、何代も前のアンスリウス家当主に見初められ、正妻として迎えられたという。グレイシアが貧民の救済に熱を入れるのは、ある意味では当然だったのだ。

 英傑王シウスクラウド、王妃グレイシア、そして王子レオンガンド。貧民街は、ガンディア王家がもたらすであろう変革にこそ、救いの道があると信じて疑わなかった。

 エレンも、そのうちのひとりだった。アーリアやウル、レルガ兄弟も、あるいはそうだったのかもしれない。貧民街の王家信仰は、マナフレアのアンスリウス家への輿入れによって始まり、グレイシアの施策によって狂的なものへと変わり始めていた。

 エレンは、病に伏せりがちな父や、父の代わりに働きに出ている母によって、熱心な王家信仰者に育てられた。家の壁に飾られたシウスクラウドの肖像画を見て育ったのだ。肖像画は、母が大枚はたいて手に入れたものだが、記憶の中の色の薄さから、安物を高く売りつけられていたのだろう。

 それでも、偶像を得たエレンの家は、熱狂的な信者たちの会合場所になった。毎日、王家の話で持ちきりだった。昨日はレオンガンド王子がなにを食べたとか、どのようなお召し物をしていただとか、そのような話ばかりだった。もちろん、シウスクラウドやグレイシアの話題も多い。だが、貧民街の人々は、シウスクラウドよりも後継者であるレオンガンドにこそ期待した。

 シウスクラウドは、古今の英雄の風がある。大事を成すのは彼のようなひとだろう。しかし、彼では我々を救えまい。彼の後継者にこそ期待するべきだ。陛下が大事を成したあと、王子が整備をする。それで万事うまく行くのだ――。

 貧民たちは、自分の立場など弁えず、日夜討論を交わした。

 エレンもそのようなものかと思ったし、シウスクラウドを熱烈に信仰し、レオンガンドに期待を込めた。レオンガンドが大成したときこそ、貧民街の日常が終わるものだと信じだ。

 しかし、そんな希望にあふれた日々は、シウスクラウドが病を得たことで闇に閉ざされる。シウスクラウドが病床に伏せると、グレイシアが王宮から出てこなくなった。そして、レオンガンドが暗愚であると噂されるようになった。レオンガンドに国を任せることはできない。そういった声が、王宮の内外から聞かれるようになったのは、それからしばらくしてのことだ。

 やがて、ガンディア全土に暗雲が立ち込め始めた。

 貧民街の人々は、シウスクラウドが再起することを祈った。シウスクラウドが病を克服し、立ち上がれば、ガンディアを覆う暗雲はたちどころに吹き飛ばされるだろう。そうなればグレイシアが姿を見せるようになり、王宮は太陽を取り戻すだろう。

 だれもがそう信じた。

 だが、現実はそう上手くはいかなかった。

 シウスクラウドの体を蝕む病は、日に日に悪化しており、改善の可能性も見受けられないのだという。病ではなく、呪いや魔術なのではないかと噂されることもあったし、それを否定する材料もなかった。病の原因さえ特定できていなかったのだ。

 シウスクラウドの存在に希望を抱いていたガンディアの国民は、絶望するしかなかった。後を継ぐべきレオンガンドが“うつけ”だという噂が、国民の絶望をより深いものにしていった。ガンディアを見離すものも少なくなかった。

 だからといって、貧民街の人々にはどうすることもできない。ガンディオンを離れ、他国に移り住むことができるというのなら、最初からそうしているだろう。

 そして、運命のときがきた。

 エレンは、何人かの子供たちと一緒にさらわれた。その中にアーリアたちもいたのだろうが、別区画の貧民街で生まれ育った彼女たちとは、施設に投げ入れられるまで顔を見合わせることはなかった。

 牢獄のような狭い空間に押し込められたのは、ガンディオン中の貧民街からかき集められた子供ばかりだった。

『君らには、陛下のために実験に協力してもらう。実験に成功すれば、おまえたちもその辛い境遇から抜け出せるのだ。悪いことばかりではないよ』

 研究者の発した言葉は、一言一句忘れていない。

 そして、彼の言うとおりになった。

 境遇は変わった。地獄を経て、なにもかもが変わってしまった。

 レオンガンドたちによって外法機関の研究施設が襲撃されたのは、五年前のことだ。そのとき、生き残っていたのが、エレン、アーリア、イリス、ウル、ヒース、キースの六人であり、六人ともレオンガンドたちによって救出、保護されている。数年ぶりに人間らしい扱いを受けることができたことに感動さえ覚えなかったのは、心が死んでいたからだろう。六人とも、物言わぬ人形のように成り果てていた。

 自分を取り戻せたのは、一月以上経過してからのことだった。自我を取り戻せば、湧き上がるのはガンディア王家への怒りであり、裏切られたという感情だった。王家への熱烈な愛情は激烈な憎悪へと変わった。復讐心が芽生えた。しかし、ただ復讐するだけでは気持ちが収まらない。

 エレンは、生き残った仲間と語らった。しかし、アーリア、ウル、ヒース、キースの四人は、エレンの案には乗らなかった。ガンディアに残るといった。レルガ兄弟は、レオンガンドやナーレス=ラグナホルンのために働くといい、アーリアとウルもレオンガンドに仕えるといった。イリスは激怒して、いまにも飛びかかろうとしたが、エレンが抑えて事なきを得た。

 もっとも、エレンが納得したわけではない。四人に別れを告げ、イリスとともに王宮を抜けだした。

 王宮を抜けだしたあと、真っ先に向かったのは貧民街だ。だが、生まれ育った家にはだれもおらず、話によれば、父も母もとっくに死んでいたということがわかった。病弱だった父はともかく、母まで死なせてしまったのは、支えてあげるべき自分がいなかったからに違いない。王都地下に囚われていた数年が、すべてを奪ったのだ。

 エレンは、ますます王家を恨んだ。

 恨み、憎しみ、怒り、妬み……様々な感情が入り混じって、エレンの中に別の人格を形成していったのかもしれない。それが、魔王という名を騙って現れたのは、彼がクルセルクに辿り着いてからのことだろうが。

 新天地を目指したイリスと別れた後、エレンは異能に目覚めた。いや、とっくに目覚めていたのだが、気づかなかっただけなのかもしれない。皇魔で実験を試みなかった外法機関のせいで、彼の異能が注目されることはなかったのだ。

 皇魔を支配下に置いた彼は、その圧倒的な軍事力で、クルセルクの首都クルセールに迫った。皇魔の力を背景にした脅迫によって、王権の禅譲を迫り、クルセルク王家はそれを承認、エレンは、ユベル・レイ=クルセルクと名乗り、クルセルクの王となった。

(俺は民を無下にしない)

 下層の民には救いの手を差し伸べ、上層の民にも平等に耳を傾けた。国民に犠牲を強いるようなやりかただけは絶対にしないと心に誓った。

 シウスクラウドにはなるまいと、決めたのだ。

(そうだ、俺は、あの男と同じにはならない……そうであっては、ならないんだ)

 だが、現実はどうだ。

 シウスクラウドのような理不尽な存在になっているのではないか。

 ユベルは、レオンガンドが兜を脱ぐのを見つめながら、考える。自分がいましていることは、まさに理不尽極まることではないのか。憎悪のあまり、目を曇らせているのではないか。

 自分が死ねば、皇魔の暴走によって無辜の民が殺されるなど、その極致ではないのか。暴君の狂気としかいいようがないのではないか。

「わたしが死ねば、シウスクラウドの血を継ぐガンディア王家は絶える。それで、すべてを終わらせてくれないか」

 レオンガンドは、その場に膝をつくと、頭を垂れた。まるで神に許しを請うかのような動作に、その場にいる彼の臣下が度肝を抜かれた。

 ユベルも、心底驚いている。

「頼む」

 レオンガンドの長い髪が床に触れる。金色の髪が、天井に吊り下げられた魔晶灯の光を浴びて、きらきらと輝いていた。

「貴様はなにか勘違いしているのではないか? 俺は魔王だぞ。貴様を殺したのち、約束を反故にするかもしれない。二十万の皇魔を用いて、連合軍を殺戮したのち、ガンディアを滅ぼすことだってありうるのだぞ」

 いいながら、虚しさを感じたのは、自分にはもう、そうすることができないとわかりはじめていたからだ。

「……あなたが魔王ならば、そうだろう。しかし、あなたは魔王ではない」

 レオンガンドが平身低頭のまま、顔を上げた。その表情に卑屈さは一切なかった。むしろ、ユベルのほうが圧倒された。気圧されたのだ。

 ユベルは隣を見た。リュスカのまなざしは不安そのものだった。ユベルの心の揺らぎに気づいているのだろう。彼女にはそういうところがあった。ユベルのことをだれよりも理解しているのが、皇魔である彼女だというのは皮肉なのかどうか。

 だから、彼は告げたのだ。

「俺は魔王だよ。もはや、人間には戻れない」

「だが、あなたにならば民を救うことができる。シウスクラウドにはできなかったことだ」

 レオンガンドの瞳の透明さに、ユベルは目を伏せ、それから立ち上がった。彼に背を向ける。

「……軍を、引けというのか」

「軍を引き、皇魔の使役をやめて欲しいのだ。皇魔は人類の敵だ。魔王の支配がいかに強固であろうと、国土に皇魔がいる限り、ひとびとの心に真の安寧はもたらされない」

(そんなことはわかっている)

 皇魔がいる限り、人心に平穏は訪れない。当然の道理だ。真理なのだ。だからこそ、彼は、この戦いが終わり次第魔王軍を解散するつもりでいた。皇魔たちを元の領域に戻すつもりでいたのだ。武装召喚術を得たものだけは管理下に置いておく必要があったが、それは仕方のないことだ。

 いつまでも魔王として君臨するつもりはなかった。最初から、復讐を終わらせるまでの物語にすぎないのだ。ガンディアさえ滅ぼすことができれば、それだけでよかった。それ以外にはなにも必要としていなかった。クルセルクの王位も王権も、復讐のための装飾であり、彼の中で価値あるものではなかった。

 いや、賢君として君臨することは、彼の言う通り、シウスクラウドへのある種の復讐だったのかもしれない。

「そうだ。あなたがよければ、連合軍参加国に協力してやってほしい」

「協力?」

「連合軍参加国の国土からも皇魔を取り除いてやってほしいのだ。いや、どこか一箇所に――」

「なにを寝ぼけたことをいっている。俺が貴様に従う道理はない」

 ユベルは、あまりに都合のいい物言いに肩を竦めた。

「リュスカ。行くぞ」

「はい」

「待て、ユベル」

 レオンガンドが、解せないとでもいいたげに声をかけてきた。

「なんだ?」

「わたしを殺さないのか?」

「貴様に従う道理はないといったはずだ」

 ユベルは、そう告げると、玉座の段差を下っていった。リュスカの不安顔を横目に見て、小さく息を吐く。彼女の心を安んじるのは、民心を安んじるよりも難しい。

「ユベル! なぜだ……なぜ?」

 レオンガンドの叫び声の鋭さに、ユベルは嘆息するしかなかった。それから、大声で返す。

「能く生きよ、獅子王。そして、俺のような化け物を二度と産んでくれるな」

 ユベルの声は、天守一階の広間に響き渡った。

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