第七百二十二話 獅子と魔王(三)
「いったはずだ。わたしは欲深いのだ、と」
レオンガンドが、セツナの前に進み出た。セツナが彼の前に出ようとすると、手で制された。実際、彼を守るためだけならば彼の前に出る必要はないのだが、やはり前にいるのと横にいるのとでは安全性は大きく異なるだろう。ユベルの目的が目的だ。そして、レオンガンドはなにかしらの覚悟をしている。
「連合軍も無辜の民も見捨てるつもりはない」
「……欲深いにも程が有る。ログナー、ザルワーン、ベレル――いまやガンディアは大国となり、その国の王も“うつけ”などではないと思っていたのだがな」
「いつまでも“うつけ”ではいられないさ」
「だが、賢君にもなれなかったようだな」
ユベルは、玉座に腰掛けたまま足を組むと、レオンガンドを見下ろして嘲笑った。セツナは怒りを感じたが、黙ったまま、動かなかった。矛を握る手に力を込めるだけだ。
レオンガンドの志を無下にすることはできない。
それは、他の三人も同じようだ。アーリア、ウルはもちろんのこと、カイン=ヴィーヴルも押し黙っていた。レオンガンドを慕っているから、とはいい切れないが、少なくとも彼に忠誠を誓う三人だ。思うところがあるのだろう。
「英邁な王にならずとも、三国程度ならば収められるということだ。いやむしろ、愚王でさえなければ、なんとでもなる。優秀な家臣がいるのだ。彼らに任せておけばいい」
「なるほどな。確かにそのとおりだ。そして、賢い判断だ。わからないこと、できないことを有能な部下に任せるというのは、合理的で、賢明だ。ただの“うつけ”ではないということか。しかし、この状況を覆すことはできまい?」
「どうかな」
「……いや、そうか。君を使えば、俺を封殺できるかもしれないのか」
ユベルは、ウルを見ていった。ウルは、カインの背後に隠れるような位置に立っているが、玉座からは見えるのだろう。玉座は、せり上がった床の上にある。高所。魔王はこちらを見下ろしているのだ。
「だが、ウルの支配が俺に及ばなければ、どうするつもりだ。連合軍も無関係な人々も救う、などという我儘をいっていられなくなるぞ」
「ウルの異能を使うつもりもないよ。効かなければ意味がない。そして、支配者に支配の能力が及ぶとは考えにくい」
「ほう。では、どうするというのだ?」
魔王の目が、鈍く光った。
「降伏するか? 魔王に頭を垂れ、許しを請うつもりか?」
セツナは、自分の心音を聞いた。心音が聞こえるほどの静寂が横たわっており、緊張してもいた。右を仰ぐ。レオンガンドの横顔。涼やかな風貌は、彼が主君と仰ぐに相応しい人物のそれだ。風格、威厳、容姿、魔王に何一つ負けていない。
レオンガンドは、魔王を見つめ、口を開いた。
「……済まなかった」
「なに?」
「我が父シウスクラウドが妄執に囚われていたことに気づけず、外法機関の跳梁を許してしまったのは、わたしの不徳の致すところだ。わたしがもっと早く、父の狂気に気づいていれば、外法機関の存在に気づいていれば、そなたのような被害者が生まれることはなかった。異能が出現することもなかった。魔王となることもなかったのだ」
レオンガンドの発言に、アーリアとウルが反応する。ふたりの視線がレオンガンドに注がれるのがセツナにもわかったが、だからといってなにができるわけでもない。彼女たちも当事者だ。外法機関という非人道的な組織によって人生を滅茶苦茶にされた被害者。レオンガンドに助けだされ、その異能を利用されている。
同情は、彼女たちの敵意を買うかもしれない。しかし、セツナはふたりの心情を察した。察して、なにもできない自分にも気づく。このような状況でセツナの出る幕はない。
「そなたが魔王となったはガンディア王家への復讐のためであろう? シウスクラウドの血を引くものを根絶やしにするためであろう」
「……違うな。ガンディアをこの地上から消し去るためだ。国も、民も、すべて」
魔王の言葉に淀みはない。だが、その表情からは余裕が消えているように見えた。
「なぜだ。民には罪はなかろう」
「あるさ。国も民も俺たちを見離した。同罪だ」
「すべての責は、ガンディアの王位正統後継者たる我にある。わたし、レオンガンド・レイ=ガンディアが、すべての責任を背負うのだ。それで、許してくれないだろうか」
「なにを……いっている。俺は、ガンディアを滅ぼすものだ。そのために魔王になった。魔王となり、国を得、軍を構築した。貴様の国を滅ぼす、ただそれだけのために」
「外法機関を作ったのは、我が父シウスクラウドにほかならない。その罪は、子であるわたしが引き受けよう。止められなかったわたしにも罪がある。しかし、無関係のものにまで罪を被せるのはお門違いだ。それとも、魔王は、無実のものも殺すというのか? 力なきものを復讐の名の元に殺戮するというのか?」
「魔王だぞ! 俺は!」
魔王が玉座から立ち上がった。髑髏の杖を掲げ、レオンガンドに向ける。威厳に満ちた魔王の姿は、しかし、空虚なものに見えた。ただ魔王らしく振舞っているようにしか思えない。実がない、というべきかもしれない。
(陛下とは、違う)
セツナは、レオンガンドの横顔と魔王の顔を見比べながら、想った。
「ならばなぜ、クルセルクに善政を敷いている」
「……っ」
「魔王の治世は素晴らしいものだそうではないか。先のクルセルク王家よりも余程上手く国を運営していると聞く。皇魔さえいなければ、地上の楽園のような住み心地だといっているぞ。ガンディアへの意趣返しではないのか? 国王の復活のため、民に犠牲を強いたガンディアとは違うというためではないのか。シウスクラウドと同じにはならないと」
レオンガンドの声音は、どこまで凛々しく、気高い。
「だが、我が国を滅ぼし、民を殺戮すれば、同じことだ。我が父と同じ呪われた道を歩むことになる。民に罪はないのだ。そなたに我が父と同じ道を歩む覚悟があるのか?」
「ふざけるな……俺は、俺は……シウスクラウドとは違う!」
「魔王よ。魔王ユベルよ。そなたの怒りはよくわかる。理不尽な力に人生を破壊されたのだ。王のみならず国を恨み、民を憎むのも理解できないではない。だが、罪を問うべき人間は死んでしまったのだ。外法機関設立に関わった人間も、すべて、死んだ」
「まだ、残っているだろう……」
ユベルの揺れる瞳は、レオンガンドを睨み据えている。残っているというのは、シウスクラウドの血縁が、ということかもしれない。シウスクラウドにはふたりの子がいる。レオンガンドとリノンクレアだ。隣国に嫁いだリノンクレアも許せないというのかもしれない。
「だから、わたしの命で許して欲しいというのだ。わたしひとりの命で、すべてを終わりにしてくれないか?」
「……は、ははは……ははははは。貴様は、どこまで綺麗事をいうんだ」
ユベルが、再び玉座に座った。
「おまえの言葉は綺麗事ばかりじゃないか。欲深いだと? ただ、自分の手を汚したくないだけじゃないか。自分の手を汚したくないから、綺麗なままでいたいから、そんな言葉を吐くんだろう」
ユベルは、子供のような口調で、レオンガンドを罵った。
「わたしの手はとっくに汚れきっているよ」
レオンガンドは、玉座に向かって歩き出した。セツナやカインの制止を無視した行動は、彼の決意と覚悟の現れにほかならない。だが、セツナはレオンガンドを死なせるつもりはなかった。
『なんとしても陛下をお守りください。たとえそのために魔王を殺す以外の道がなかったとしても、構いません。陛下さえ生きていてくだされば、立て直しようはいくらでもある』
ナーレスの言葉が、セツナの脳裏に過ぎった。ユベルの殺害は最終手段だ。ユベルを殺せば、彼の支配下にある皇魔が暴走することになるかもしれない。だが、レオンガンドを失うよりは、いい。
(そのときには、二十万の皇魔を殺し尽くせばいい)
黒き矛ならばできるかもしれない。
「セツナ」
「わかっている」
カインの耳打ちに小さく返事を浮かべる。カインは、要塞突入前から全武装状態だ。籠手も尻尾付きの甲冑も召喚し、装着している。カインにアーリアがいれば、あらゆる状況にも対応できるだろう。
セツナは、段差を上がっていくレオンガンドの背中を見上げながら、階段に並んだ皇魔が動かないことを確認した。十数のリュウディースたちは、魔王の命令でもない限り動かないようだった。であれば、問題は玉座の隣に立つリュウディースだ。レオンガンドは、みずからの意思で、その皇魔に近づいていっている。
「わたしは、この手で父を殺したのだ。外法によって醜悪な化け物と変わり果てたシウスクラウドの命を終わらせた。わたしは父殺しの業を背負ったのだよ」
レオンガンドの告白に、ユベルが衝撃を受けたようだった。表情は、見えない。
「そなたがわたしを殺してくれれば、その業も払われるかもしれんな」
レオンガンドは、疲れているのかもしれない。
セツナはふと、そんなことを想った。