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第七百二十一話 獅子と魔王(二)

 セツナたちの前に現れた男は、皇魔を従えているとはいえ、無防備だった。殺される可能性を考慮していないわけではないのだろうが、こちらの行動を警戒さえしていない。殺されても構わないとでもいっているかのような態度であり、表情だった。傲岸不遜な、それこそ魔王に相応しい顔つきだ。しかし、その超然としたまなざしに揺らぎが生まれ始めていることに、セツナは気づいた。

 苛立ちが彼の瞳の奥に揺れている。

「はじめまして、か」

 レオンガンドがつぶやくと、ユベルは冷ややかに笑った。後ろに控えているリュウディースが、心配そうな顔でユベルを見ていた。そのリュウディースの目には、眼球があった。人間と同じような目を持つ皇魔を見るのは、数多の皇魔と戦ってきたセツナも初めてのことだった。その皇魔だけが特別なのは、階段に並ぶリュウディースを見れば一目瞭然だ。女魔たちの両目は、眼孔であり、赤い光が漏れ出ているだけなのだ。それが、皇魔という生物だった。

「覚えておいでだったか。だが、はじめましてというほかないだろう? 魔王ユベルとしては、初めて遭うのだから」

「しかし、わたしははじめまして、などとはいうまい。それは過去の罪に蓋をする行為だ。だから、あえていおう。久しぶりだな、エレン」

「……!」

 瞬間、ユベルの目つきが変わり、彼の肉体が跳ねた。超人的な動きだった。右に飛び、曲線を描いてレオンガンドに殺到する。だが、その間にはセツナが体を差し込んでいる。視界に銀光が閃く。ユベルの手には短刀があった。セツナは、矛を旋回させると、石突でユベルの体を床に叩きつけた。短刀を払い落とし、直後に飛来した魔法弾を穂先のほうで切り裂く。小さな爆発が起き、白煙が視界を覆った。

「は、さすがに黒き矛には敵わないか。これでも結構鍛えたほうなんだが」

 白煙の向こう側で、ユベルが自嘲気味に笑った。立ち上がったようだが、その場から離れようともしなかった。リュウディースが近寄ることさえ拒んでいるふしがある。

 白煙が薄れると、ユベルがセツナを見つめていた。その眼には狂気が宿っている。

「さあ、殺せ。おまえならば躊躇なく殺せるだろう? 俺はおまえの敵だ。おまえの主の敵だ。敵は殺せるのだろう? 血塗られた黒き矛よ」

 ユベルは、煽るようにいってきたが、セツナは黙殺した。矛を構えたまま、床の短刀がカインによって拾われるのを見ている。

「彼は、わたしの命令がない限り、君を殺すことはない」

 レオンガンドが告げると、ユベルが顔を歪めた。

「なにをいまさら遠慮する必要がある。クルセルクの民の命など、貴様にとっては取るに足らないものだろうに」

「わたしは、救えるものはすべて救いたいのだ。それがたとえ敵国の民であっても、兵であっても、将であっても変わらない。欲張りなのだよ」

 レオンガンドは、平然と言い返した。ユベルの表情の歪みは極致に達する。

「それが本心ならば素晴らしいのだがな。貴様がシウスクラウドの息子だというだけで、信じられなくなるものだ。なあ、ウル?」

「わたしに振らないでくれる? わたしは、陛下に身も心も捧げたのよ。姉様と一緒に」

 ウルが告げると、彼女の隣にアーリアが出現した。いまのいままで姿を隠していたのは、ユベル側の奇襲に対抗するためだったのだろうが、こうなっては隠していても仕方がないと判断したのかもしれない。

「そういうことよ、エレン。わたしたちは、もうあなたの敵なのよ」

「アーリアもいたのか……まったく、理解できないな。なぜ、レオンガンドの側にいる。アーリアもウルも、レルガ兄弟も……! なぜ!」

 この場にいないレルガ兄弟を言及したのは、彼にとっては大切なことだったからかもしれない。外法機関の実験を生き延びたたった六人の被験者。少なからず絆があっただろう。そのうち四人が、外法機関を使っていたガンディアの支配下に入った。

 彼が憤るのも無理はないのかもしれないが。

「おまえたちは、俺達がシウスクラウドのためになにをされたのか忘れたのか? 絶望の淵で、どのような実験を繰り返されてきたのか、覚えていないとでもいうつもりか! 俺たちはあの国では人間なんかじゃなかった。ただの実験動物に過ぎなかったんだ」

 セツナは、レオンガンドの覚悟を聞かされたとき、魔王の正体と外法機関の話も聞かされている。外法機関とは、不治の病に冒され、起き上がることさえままならなくなったシウスクラウドが最後に手に取った鬼札だという。外法と呼ばれる非人道的な方法によって病を克服しようと考えたのだ。

『褒めそやされた英傑も、夢破れ、病と戦い続けていれば、魔道に堕ちるものらしい』

 レオンガンドの寂しげな表情が忘れられなかった。

 もちろん、シウスクラウドの取った行動は、許されることではない。シウスクラウドの病を取り除くための外法は、多大な犠牲を強いた。貧民街から連れ去られた子供や、戦災孤児がその毒牙にかかったらしい。アーリアたちもその一員なのだ。

「実験に失敗すれば廃棄処分されるだけの存在……忘れてなんかないわ」

「はっ、どうだかな。忘れているから、その男と一緒にいられるのだろう? ガンディアの手先として、他国侵略の手伝いができるんだろう! 違うか!」

「忘れられるわけがないでしょう」

「だったら、どうして、その男と一緒にいるんだ!」

 ユベルが怒りに任せて叫んだが、ふたりはなにも答えなかった。

『そういう復讐もある。ただそれだけのことだろう』

 セツナの脳裏に過ぎったレオンガンドの言葉が正解なのかもしれない。だから、なにもいわなかったのではないか。いえば、自分たちの首を絞めることになりかねない。セツナとカインが耳にしたところでなんの影響もないが、ユベルが聞いている。ユベルが、拡散するかもしれない。可能性が、彼女たちの言葉を封じたのだろうか。

「……まあ、いい」

 ユベルは、ゆっくりと息を吐いた。それから、リュウディースの元まで歩いて行く。セツナたちは動かなかった。動いたところで、どうなるものでもない。状況は変わらない。ユベルを殺せないのだから、セツナはレオンガンドを守ることだけに集中していればよかった。

「しかし、どうするというのだ。俺を殺さず、この戦いをどうやって終結させる? この要塞はじきに落ちるだろうが……それですべてが終わるとでも思っているのなら、お門違いもいいところだ」

 彼は、リュウディースの側に辿り着くと、皇魔の細い肩に手を触れた。皇魔がそっと握り返す。まるで長い年月を過ごした夫婦のようなやり取りは、人間と皇魔という種族間の敵対関係を飛び越えたもののように思えた。魔王の皇魔を見る目も、皇魔の魔王に注ぐまなざしも、信頼と愛情に満ちている。その慈しみに満ちた目も、こちらに向いた瞬間、憎悪が剥き出しになるのだが。

「連合軍は確かに強い。黒き矛を始めとする武装召喚師に、超人と呼んでも過言ではない戦士たち。リョハンの戦女神まで召喚するとは思いも寄らなかったが……ともかく、強力極まりない。通常戦力では太刀打ち出来るはずもなければ、皇魔の軍勢ですら、敗北に次ぐ敗北。まったく、魔王軍の強さはどこへいったのやら」

 彼は、嘲笑うように告げた。反省しているようでもある。

「だが、それもこれまでだ。数日以内に、クルセルクに二十万の皇魔が辿り着く。それがどういうことか、この激戦を乗り越えてきた諸君らにはわかるだろう。連合軍といえど、二十万の皇魔を倒しきることはできまい。力尽き、敗れ去るのみだ」

「二十万……」

 セツナはつい反芻してしまった。数の膨大さにただ愕然としてしまう。

「嘘だと思っているのならそれで構わないが、この状況で虚勢をはる理由はなかろう?」

 彼の余裕に満ちた態度からは、虚勢を張っている様子は窺えなかったし、彼の言うとおり、数を偽る理由もなかった。たとえ二十万の援軍があろうとなかろうと、レオンガンドは彼を殺さないのだ。

(それにしたって余裕を持ちすぎている……殺されないと最初からわかっていたのか?)

 ユベルが無防備だったのは、最初からだ。まるで、殺されるわけがないとわかりきっているかのような無防備差で、セツナたちの前に現れた。

 なんらかの防御手段でもあるのかもしれない。

「さて、どうする? 俺を殺さなければ、二十万の皇魔がこの地に満ちる。だが、俺を殺せば、クルセルクに集まりつつある皇魔が、俺の支配を解かれた地で暴れだすだろう。人間に支配されたという記憶が、皇魔たちを人間狩りに駆り立てるかもしれないな」

 彼はそういうと、指を鳴らした。ユベルの背後の空間が歪んだかと思うと、なにもなかったはずの空間に椅子が出現する。異形の髑髏で飾り立てられた玉座は、魔王に相応しい形状ではあったが、天守一階の広間には似つかわしくなかった。すると、床がせり上がり、セツナたちは彼を見上げなければならなくなった。

(どういう仕掛けだ? 魔法か?)

 セツナは周囲を注意深く見回したものの、なんらかの仕掛けがあるようには見えなかった。そうなると、やはりリュウディースたちの魔法によるものなのだろう。前もって用意していたのだとしても、趣味が悪いとしかいいようが無いが。

 こちらを見下すにはちょうど良さそうではあった。

「連合軍を見捨てるか、無辜の民を見捨てるか。ふたつにひとつ。慎重に選び給え。時間はあまりないぞ?」

 魔王は、玉座に腰を下ろすと、髑髏の杖を手にして、髑髏の冠を被ってみせた。

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