第七百十九話 魔王の座
見ると、大盾を構えた兵士たちが進路を塞いでいた。
が、ファリアたちが一蹴し、ルウファがその中を突っ切って行く。非戦闘員であるレオンガンドとウルは、ルウファの翼に運ばれているようだった。つまり、残り四枚の翼が、彼を飛翔させているようだ。それでも、二枚一対のときよりも速い。皇魔の群れの追撃を捌きながらではとても追いつけそうになかったが、問題にはならない。セツナはむしろ、ここで皇魔を食い止めておくべきなのかもしれない。
そんなことを考えていると、セツナの前方にファリアとミリュウが待っていた。ファリアはオーロラストームを水平に構え、ミリュウは名も無き太刀を手にぶら下げるように立っている。ふたりは、ルウファを離れ、セツナを待ち構えていたようだった。
「なにしてんだよ?」
「セツナこそ、なにしてんだか」
通り過ぎる瞬間に問いかけると、ミリュウがくすりと笑った。彼女が腕を振ると、磁力刀の刀身が無数に分かれ、飛び散った。後方で皇魔が悲鳴を上げる。
「親衛隊長ともあろう方が陛下の側にいないわけにはいかないでしょう?」
ファリアの冷ややかな声が、セツナの耳に痛かった。
「ここはあたしたちが食い止めるわ」
「ルウファもすぐにこっちに来てくれるから、心配無用よ」
「心配はしないさ。《獅子の尾》の隊長補佐に新入り隊士だものな」
仲間には、全幅の信頼を置いている。
ファリアの実力はよく知っている。ミリュウがセツナなど比べようもない武装召喚師だということも、敵として対峙した時には知れていたことだ。ルウファも有能だ。翼を増やすなどという隠し技まで持っていたのだ。彼らに任せておけば、なんの心配もない。
「愛しい隊長殿に信頼されるなんて、幸せよ」
「陛下のことはお願いしましたよ、隊長」
「ああ、任せておけ」
隊長らしく強気にうなずくと、セツナは脇目も振らず駈け出した。怪物の咆哮が轟く中、振り返ることはしない。それは、ファリアとミリュウの実力を疑うということにほかならない。信じたのならば、最後まで信じ抜くべきだ。
そして、皇魔の怒号が断末魔に変わった時、セツナは小さく笑みを浮かべた。
「さて、隊長殿はいってしまわれたわけだけど」
ミリュウの太刀が鞭ののようにしなりながら、ブリークの群れを薙ぎ払う。奇怪な姿の小型皇魔が奇妙な音を立てて怒りを表すが、彼女は当然の如く黙殺した。
「結構な数よね」
ミリュウがいった通り、ファリアたちは千体近い皇魔と対峙していた。ブリーク、グレスベルといった小型皇魔から、レスベル、ウィレドといった中型皇魔、ギャブレイトのような大型まで選り取り見取りといってよかった。それでも、当初よりは減っている。セツナとファリアたちの挟撃によって、百体以上の皇魔が死んだはずだ。
「でも、隊長なら問題なく片付ける数よ」
ファリアは、敵陣に雷撃を打ち込んで牽制すると、すぐさまオーロラストームに働きかけた。オーロラストームが電光を帯び、翼を形成していた無数の結晶体が分離し、彼女の周囲に舞い踊る。彼女はそれらをクリスタルビットと命名した。
オーロラストーム・クリスタルビットである。
ルウファがシルフィードフェザーの能力開放状態にシルフィードフェザー・オーバードライブと名づけていたが、それと同じようなものだ。名は力になる。ミリュウも早く召喚武装に命名するべきだったが、いまはそれどころではない。
「そっか。そうよね。あたしたちも気張りますか」
「隊長の負担を少しでも減らすためにね」
「愛しいセツナの笑顔のために、よ!」
ミリュウの一薙ぎが皇魔の接近を阻むが、遠距離攻撃を防ぐことはできない。その結果、レスベルの光線やウィレドの魔法弾がファリアたちに迫ってくるのだが、それらはクリスタルビットが対応した。射線を塞ぎ、すべての攻撃を防ぎきる。
「あー、はいはい」
「ちょっと、なによ!」
「……まあ、そういうのも悪くないわね」
ファリアは、ミリュウの怒り顔を見て、笑った。笑いながら、セツナのことを想った。想いだけならば、彼女に負けるはずがなかった。
「オリアス=リヴァイアが死体で見つかったそうだ。下手人はおそらく、彼が従えていた黒い戦士だろう。武装召喚師か? まあなんでもいいか」
彼は、リュスカに語りかけていた。ゼノキス要塞の天守は、彼女の好きな花など一切存在しておらず、彼女にとっては居心地の悪い空間に違いない。ここはクルセールではないのだ。魔王のお膝元ではない。魔王と寵姫の望みを叶える場所ではなかった。
オリアス=リヴァイアの亡骸が見つかったのは、ついさっきのことのようだ。彼がオリアスの姿を見たのは、昨夜が最後だった。半壊した要塞の現状を見極めるために外に出たときのことだ。それから彼の姿は見なかった。
今朝になっても現れず、とうとうクルセルクを見限ったのかと思ったものだ。オリアスには、彼に付き従い続ける理由などなかったはずだ。彼とオリアスは強固な絆で結ばれているわけでもなければ、互いに必要ななにかがあるわけでもなかった。彼はオリアスの能力を買い、オリアスは彼の権力を買った。ただそれだけの間柄なのだ。オリアスがこの期に及んでクルセルクを離反したとしても、責めることはできなかった。
しかし、オリアスは彼を裏切ったのではなかった。ただ、死んでいたのだ。死ねば、あのようなものであってもただの亡骸に過ぎない。朝議に出られないのも当然だった。
「彼は結局、なにをなすためにわたしに従属し、この魔王の国に訪れたのだろうな? 皇魔に武装召喚術を教え、魔王軍総司令官となった彼は、なんのためにわたしの下僕を演じていたのだろう。いまや彼は物言わぬ死体と成り果てた。彼と言葉を交わすことは叶わなくなった。残念なことだ。無念なことだ」
もう少し、オリアスと話し合うべきだったのかもしれない。
彼は、自分のことは話したものの、オリアスからなにかを語られるようなことはなかった。結局、オリアスを心服させることなどできなかったのだ。魔王といえど、所詮はその程度の男に過ぎない。彼は、自嘲とともに眼下を見下ろした。
要塞内部で戦闘が起きている。それも、こちらが劣勢だった。正規軍も皇魔の軍勢も、敵軍にいいようにやられている。連合軍の主力が集っているのだ。鬼哭衆、魔天衆、覇獄衆が潰れたいま、対抗することなどできるはずがなかった。
「だが、仕方があるまい。彼には彼の夢があり、その夢が道半ばで終わったのだとしても、側近の裏切りによって幕を閉じたのだとしても、わたしには関係のないことだ。わたしは、ユベル。魔王ユベルなのだからな」
彼は、ゆっくりと立ち上がった。リュスカに付き従ってこの場にいたリュウディースたちが、警戒を露わにしていた。敵が、天守に辿り着いたのかもしれない。リュスカが侍女たちに口早に命令する。皇魔の言葉だ。彼には聞き取れなかった。が、理解は出来る。迎撃に出向けと命じたのだ。
「やめておけ。殺されるのがおちだ」
「ユベル?」
「殺されるとわかっていて、差し向ける必要がどこにある。彼女らは、君にとって大切なものたちなのだろう?」
「でも……」
「君がいる限り、俺が殺されることはない。俺が殺されないかぎり、魔王の敗北はありえない」
彼は、リュスカの髪を撫でながら、子供に言い聞かせるような柔らかな口調でいった。魔法で形成したリュスカの眼が揺れる。紅い目。皇魔の目。しかし、彼が彼女に嫌悪感を抱いたことは一度もなかった。ほかの皇魔とは違うなにかが、彼女にはあるのだ。だから彼は彼女を側に置こうとした。彼女も側を離れなかった。それで、彼は満たされた。
それだけでよかったのかもしれない。
ふと、彼は想った。想ってしまった。
だから彼女を抱き締めたのだろう。そして、離したときには、彼女に背を向けていた。
「行こう。敵が待っている」
彼女との小さな想い出の残る天守の最上階を汚したくはなかった。