第七百十八話 ゼノキス要塞の攻防(四)
喚声が聞こえる。
連合軍が総攻撃を仕掛け、魔王軍にそれに対抗するために気炎を上げた。皇魔が人間と隊伍を組んで前進し、防衛線を強化していく。主に南西から攻め上がろうとするアバード軍に対するものであり、ガンディア軍がアバード軍と合流する動きを見せていることに気づいたからのようだった。ジベル軍先遣隊は、既にアバード軍との合流を果たしており、ガンディア軍が合流すれば、連合軍は一箇所に纏まることになる。
ただ一部隊を除いて。
「行けるか?」
レオンガンド・レイ=ガンディアの問いに、セツナは静かにうなずいた。レオンガンドは、銀獅子の甲冑を身に纏っている。腰に帯びた長剣の鞘には獅子の飾りが施されていた。
セツナが周りを見ると、《獅子の尾》の隊士たちと死神壱号も小さくうなずく。ファリア・ベルファリア=アスラリア、ルウファ・ゼノン=バルガザール、ミリュウ=リバイエン、レム・ワウ=マーロウの四名に加え、レオンガンドとアーリア、それにウルとカイン=ヴィーヴルが、別働隊の一員となっていた。
連合軍盟主みずから敵拠点に乗り込むのだ。
これはレオンガンド自身の望みであり、ナーレス=ラグナホルンの策のひとつでもあった。レオンガンドは、魔王を降すための秘策を抱えているという。
(なんか……嫌だな)
セツナは、レオンガンドの澄み切った目を見るたびに、不安を抱かずにはいられなかった。透明なのだ。雑念がない瞳は、澄んだ湖面のように美しい碧を湛えている。恐れも、不安も一切ない。魔王との対面を目前にしているもののするような目ではない。
まるですべてを諦めているような、そんな目。
(諦めないでくださいよ)
セツナは声を大にして言いたかったが、いえるような状況ではなかったし、セツナがいったところで彼の心に響くことはないだろうという諦観が、セツナの言葉を封じた。
《獅子の尾》率いる別働隊は、連合軍の総攻撃に合わせて、動き出している。連合軍が西側に火力を集中させ、魔王軍の意識をそちらに向けさせたのは、東側の守りを手薄にするためだった。あまりにわかりやすい誘導は、しかし、連合軍の攻撃力の凄まじさもあって効果てきめんだった。
城壁欠落部の守りこそ硬いものの、その前方の戦力は極めて少なくなっている。
(陛下はアーリアが守る。ウルさんはカインがなんとかする。俺たちは、敵を倒すことだけを考えればいい)
胸中で復習したのは、そうでもしなければ、セツナの意識がレオンガンドにとらわれてしまうからだ。レオンガンドは、セツナが唯一主君と仰ぐ人物だ。彼がいないガンディアなど考えたくはないし、彼を失うことなどありえなかった。
だから、不安がある。
レオンガンドの覚悟と決意が、セツナの心を脅かしている。
「行くぞ、みんな」
進路上に展開する魔王軍の小隊は少ない。ほとんどが、南西の総力戦に出払っている。突撃する好機はいましかなかった。
「はい、隊長!」
ルウファが威勢よくうなずいたが、彼も負傷していた。片腕の骨が折れており、包帯で体に固定していた。普通なら戦闘に参加するような状態ではないのだが、武装召喚師ならば戦える上、彼の召喚武装は手で扱う武器ではない。腕の怪我ならば問題がないと、彼は笑ったものだ。
ミリュウもファリアもレムも、傷を負っている。
《獅子の尾》の中(レムは《獅子の尾》の一員ではないが)で怪我らしい怪我をしていないのは、セツナくらいのものだった。それもこれもクオールのおかげだった。そのクオールは死に、セツナが生き残った。
彼に託された願いを忘れてはならない。
要塞に接近すると、皇魔の小隊が道を阻んだ。ギャブレイト、ベスベル、ブラテールによる陸戦部隊にシフが数体混ざっている。全長四メートルはありそうなギャブレイトの巨体は、守護龍や巨鬼に比較するときわめて小さい。オーロラストームが先制攻撃を仕掛けてブラテールを打ち抜き、シルフィードフェザーの風力弾がシフを叩き落とす。ミリュウの磁力刃がベスベル数体を纏めて絡め取り、レムの大鎌がそれらの首を刎ねる。ギャブレイトが金色の鬣を輝かせたが、つぎの瞬間には黒き矛に脳天を貫かれて絶命した。
「さすがだな」
声に振り向くと、カイン=ヴィーヴルの仮面の奥の目が笑っていた。喜んでいる。容赦も呵責もないセツナの戦いを心の底から楽しんでいる。カインとはそういう人間だ。気にしてはならない。
セツナは進路に向き直ると、皇魔の死体を飛び越えて、先に進んだ。別の正体が道を塞いだが、それはセツナだけで対処した。城壁の大穴の目前に到達する。何千もの皇魔が、城壁の穴を塞ぐようにして布陣しており、そう簡単には突破できないように思えた。
「どうすんです? 空中から運ぼうにも、あれじゃあね」
ルウファの指摘するとおり、上空にも皇魔の群れが漂っていた。滞空しているのはシフとウィレドばかりだが、地上のネグルベフ、ベスレアも飛行能力を有しており、その気になればいつでも空中戦に参加することができた。
ルウファにレオンガンドを運ばせるというセツナの中の案は、一瞬にして没になった。
「こうするのさ」
セツナは、黒き矛を担いで前進した。城壁を守る皇魔のうち、最前列の小型皇魔が警戒を露わにする。ブリークの背部の発電器官が光を帯び始めた。彼は、地を蹴った。前に飛ぶ。黒き矛の一閃でブリークたちを切り飛ばした。皇魔の肉体が千切れ飛び、血が視界を染め上げる。空間がねじ曲がる。圧力を感じ、世界が黒く塗り潰されたかと思うと、レスベルの顔が目の前にあった。鬼がぎょっとする。敵陣のまっただ中に空間転移したのだ。短距離の転移に必要な血の量は少ない上、消耗も少ないのだ。セツナは、驚いた鬼の胴を薙ぐと、そのまま周囲の皇魔もでたらめな力で切り裂いた。断末魔や怒号が聞こえる中で、血を認識する。空間が歪んだ。転移。今度は、皇魔の背を視界に捉えていた。城壁の大穴を塞いでいた皇魔たちの背後に転移したのだ。皇魔がこちらの気配に気づくより早く、彼はカオスブリンガーを掲げた。穂先をギャブレイトの背に合わせる。
(発射!)
漆黒の穂先が白く膨張したかと思うと、光の球を形成、光芒となってギャブレイトの背に突き刺さり、貫いた。光は、そのまま前進し、ギャブレイトの前方にいた皇魔をかなりの数巻き込んだようであり、終点で起きた爆発が、皇魔の死体を高く打ち上げた。
(やっぱ、かなわねえな)
わかりきっていたことだが、マリク=マジクの発した光線の威力とは比較にならないほど弱かった。しかし、ひとつだけ、セツナにとっても喜ぶべきことがあった。光線が、最初に発射したときよりも明らかに分厚いのだ。それは、セツナが成長している証といえるはずだった。
(っと、喜んでいる場合じゃねえ)
セツナは、皇魔の敵意がこちらに集中するのを見て、黒き矛を構え直した。セツナは、既に要塞内部に入り込んでいる。皇魔は、セツナの排除を優先するだろう。いや、皇魔だけではない、要塞内に配置された正規軍兵力も、セツナの排除に動くはずだった。正規軍戦力が残っているならの話だが。
「さあ来いよ、早くしないと、俺が魔王陛下を打ちのめすぜ」
セツナが挑発的に告げると、皇魔の群れが一斉に咆哮した。地上、空中問わず、だ。こちらの言葉を理解しているのか、それとも、セツナの存在が許せないだけか。
(どっちかというと後者だな)
人間の言葉を理解する皇魔は、武装召喚術の使い手であることが多い。そして、ゼノキス要塞の防衛線力に武装召喚術の使い手はいなかった。これまでの戦いで死んでしまったと考えていいのかもしれない。となれば、人語を解する皇魔はいないはずだ。皇魔は本来、人間の言葉を覚えようともしないものだという。
上空から滑空突撃してきたシフの群れを飛びのいてかわし、ウィレドの魔法染みた攻撃を矛で打ち払う。ウィレドは悪魔のような外見の皇魔だ。魔法を使ったとしても、不思議ではなかった。地上部隊も動き出している。城壁の大穴付近の半数ほどが、要塞内のセツナを排除するために、持ち場を離れた。セツナの思惑通りだ。
その後方で、《獅子の尾》の面々が思い思いの召喚武装を振るい、血路を開かんとしている。ファリアの雷撃が皇魔を打ちのめし、ミリュウの磁力刃の鞭が小型皇魔を薙ぎ払い、ルウファの翼がシフやウィレドを手玉に取る。レオンガンドに近づくものには、カインとアーリアが容赦しない。レムは“死神”とともに舞い踊り、血の雨を降らせた。
セツナは、半数の皇魔をひとりで引き受けていた。要塞側に後退しながら、接近してくる皇魔から殺していく。遠距離攻撃は的確に回避し、接近してくる皇魔だけを対処した。そうやって、敵集団を城壁から引き離していると、頭上に空隙が生まれた。上空の皇魔も、セツナに狙いを絞ったのだ。ウィレドたちの放つ魔法弾が雨のように降り注ぎ、周囲の地面や建物を破壊していく。その隙を見逃さないルウファではない。彼は、六枚の翼を出現させると、周囲の仲間をもろとも上空を強行突破し、セツナの遥か後方に着地した。セツナが最後尾になったのだ。
「やるじゃないか」
セツナは、追い縋る皇魔の集団に光線を叩き込み、さらに上空の皇魔たちにも光線を発射して牽制すると、先行するルウファたちを追った。