第七百十六話 ゼノキス要塞の攻防(二)
二月六日正午過ぎ、ガンディア軍はゼノキス要塞に向かって進軍を開始した。
ウェイドリッド砦を出発してから四日が経過している。砦から北に三日程度の距離だったが、リネンダールに出現した巨鬼が、ガンディア軍の進軍路を大きく迂回させるものにした。それでも一日程度しか違わないのだから、強行軍であったことに違いはない。
連合軍には、いち早く魔王を倒さなければなければならない理由があった。
戦争を続けられる時間に限りがあるのだ。補給路を絶たれ、その確保に軍を割けなかったために、前進し、一刻も早く決着をつけなければならなくなってしまった。ウェイドリッド砦出発から四日。携行した兵糧も尽きかけている。今日中にゼノキス要塞を落とせなければ、ひとりひとりの糧食は極端に少なくなるだろうし、落とせたとしても、ゼノキス要塞に備蓄された食糧が少なければ、同じことだ。もし、魔王が予めゼノキス要塞の食糧をクルセールにでも移送していれば、最悪といっていい。ゼノキス要塞からクルセールには一日ほどの距離がある。糧食はさらに減るだろう。そうなると、クルセールの制圧さえ困難になりかねない。
そういうこともあって、全軍には張り切り過ぎないようにというお達しがあった。張り切りすぎて力を使いすぎ、腹をすかせすぎないように、ということだろうが、それでこの戦いに勝てると思っているのだろうか。
(思ってるんだろうな)
セツナは、ナーレス=ラグナホルンの涼やかな横顔を思い出した。戦争前よりも痩せた印象のある軍師は、ゼノキス要塞の攻略に関しては気楽に構えていた。アバード軍と共同で事に当たれば、労せずして要塞を落とすことは可能だろうと踏んでいるようだ。実際、その通りだったとしても不思議ではない。アバード軍には、リョハンの戦女神と四大天侍のひとりがついていたし、ルウファも参加している。獣姫に弓聖もいる。メレドの超人少年も従軍しているが、彼はまだ戦闘に参加できないだろう。
こちらには、マリク=マジクがいる。彼ひとりで凄まじい戦果を上げてくれるだろう。ミリュウには休んでいて欲しいのだが、彼女は戦闘に参加するといって聞かなかった。マリア=スコールによれば、安静にしているべきだというのだが、ミリュウは聞き分けがなかった。
『嫌な予感がするのよ』
戦いの直前、そうつぶやいたミリュウを本陣に押しとどめることはできなかった。
ガンディア軍は、ゼノキス要塞の東部から南部に向かって軍を差し向けた。要塞の出入り口は南側にしかない上、南側の城壁には大きな空隙があった。そこからなら問答無用で要塞に進入することが出来る。要塞に入り込むことさえできれば、あとはどうとでもなる。そのためには、要塞の周囲に配置された皇魔群を撃退し、城壁の隙間付近の皇魔部隊を撃破しなければならない。
ガンディア軍が要塞の南東部に到達した頃、アバード軍が要塞南西部に部隊を展開していた。イシカの軍旗がはためいたかと思うと、弓聖率いる弓兵軍団が一斉に射撃を始めた。イシカの猛攻が要塞南側の皇魔たちの気を引いた。ギャブレイトなどの大型皇魔や、ベスベル、レスベルといった中型皇魔が、弓兵を排除するために動き出す。弓聖たちが接近を恐れて後退すると、皇魔が勢いづいた。イシカの星弓兵団は必死に逃げるが、皇魔が食らいついた。瞬間、皇魔たちの横腹を貫く部隊があった。掲げられるのはアバードの軍旗。獣姫の部隊だ。敵集団が怯んだところにファリア=バルディッシュとカート=タリスマの攻撃が叩きこまれ、皇魔の集団は一瞬にして半壊する。
「さすがだなあ」
マリク=マジクは他人事のように感心すると、みずからもエレメンタルセブンを展開して敵陣への突撃を敢行した。自軍を率先しての単騎突撃は、セツナの得意とするものだったが、今回はマリクに譲る形となった。そして、それが正解だった。マリクは、その圧倒的な火力と制圧力で、迫り来る皇魔を次々と撃破していった。討ち漏らした皇魔は、ドルカの軍団やグラードの軍団が力を合わせて倒していく。《協会》の武装召喚師たちも奮起した。
決戦だった。
ガンディア軍もアバード軍も全力で要塞にぶつかり、クルセルク軍も全力で連合軍を迎え撃った。要塞に迫るアバード軍の一部隊が、魔王軍飛行部隊による上空からの強襲によって壊滅し、ガンディア軍の一部隊も背後を衝かれて壊乱した。両軍ともに死力を尽くした戦いは、ジベル軍先遣隊の到着によって連合軍に大きく傾く。
セツナが援軍の到着を知ったのは、上空から飛来したシフの群れを紫電の光芒が貫く瞬間を目撃したからに他ならない。
「ファリアか!?」
驚嘆とともに振り向くと、オーロラストームを構えた彼女の姿があった。隣には金色の衣を纏うシヴィル=ソードウィンが佇んでおり、彼の背後には数百人から千人程度の兵士が付き従っていた。強行軍だったのだろう。ファリアたちも兵士たちも疲労を隠さなかった。
「セツナ、無事だったのね!」
ファリアが、雷撃を乱れ撃ちながら駆け寄ってくる。雷の矢に射抜かれた皇魔が、ぼとぼとと地に落ち、のたうった。ミリュウが振り回していた剣を元の形状に戻すと、ファリアに駆け寄り、抱きしめた。戦場である。抱擁は一瞬だった。
「無事に決まってるでしょ! 信じてなかったの?」
「そういうことじゃなくて」
「わかってるわよ」
ミリュウは、ファリアに笑い返すと、磁力刀を振り抜いて、迫ってきていたブリークを蹴散らした。飛び散る刃片が皇魔の体に突き刺さり、致命傷を与える。
「なんにしても良かったわ」
「ファリアこそ、無事でよかった。心配してたんだ」
セツナは、ファリアの凛々しい顔が一瞬だけでも緩んだのを見て、内心嬉しくてたまらなかった。ここが戦場でなければ、もっと喜びを表現するのだろうが、残念なことにそれはできなかった。
「死ぬかと思ったけど……」
「冗談にならないわね」
「うん、冗談じゃないもの」
ファリアが真顔だったのは、あの神が片手で発した光波の威力がそれほど凄まじかったということだ。セツナも、その凄まじい破壊の爪痕を目撃している。神の力の強大さには辟易せざるを得ない。
不意に、セツナの背後に気配が生じた。
「わたくしもいますので、お忘れなく」
レム・ワウ=マーロウだ。声がくぐもっているのは、仮面をかぶっているせいだろう。
「あ、ああ」
「残すはゼノキス要塞とクルセールだけ、ね」
「魔王がクルセールを放棄していなければ、でございますね」
「……その可能性もあったわね」
「……ああ」
考えたくもないことだが、魔王がクルセールを放棄して、連合軍が手を出していない地域に逃げている可能性も皆無ではなかった。むしろ、連合軍を疲弊させることが目的ならば、そうするだろう。セツナがすっかり失念していたことではあるが、クルセルクは、連合軍との戦いの前に四国連合を倒し、その領土を手中に収めている。逃げようと思えば、いくらでも逃げられるのだ。
連合軍がクルセルクとの戦いの場をクルセルク本土に限定したのは、クルセルクの首都がクルセールであるからであったし、短期決戦でなければ勝ち目がないと踏んでいたからだ。クルセルクの全土を戦地と認定すれば、長期戦を覚悟しなければならなくなる。そうなれば、戦争は泥沼化し、連合軍の勝ち目は薄くなる。
「魔王がクルセールにいたのは間違いないんだが」
アーリアがそれを確認している。が、その後、別の都市に移動していたとしてもおかしくはなかったし、それは不自然なことではない。むしろ、当然の成り行きといえる。
「魔王ってさ、リュウディースを従えた人間だったよね」
話に割り込んできたのは、マリク=マジクだ。彼のいうように、魔王ユベルはリュウディースと呼ばれる皇魔を常に従えているという。アーリアが目の当たりにしたのだから間違いない。
「あ、ああ」
「だったら、ゼノキス要塞にいるよ」
「本当なの?」
「いま、要塞の天守からこちらを見下ろしていたから、多分、間違いないよ。リュウディースも従っていたしね」
マリク=マジクが事も無げに言うので、セツナもその天守とやらを見遣った。
神の力によって破壊された城壁の隙間から、半壊した天守がよく見えた。もちろん、黒き矛による補助がなければ見ることなどできないし、並の召喚武装ではそこに人影が存在することもわかるまい。
確かに、青い肌の女と、若い男がいた。人間の男に寄り添うような皇魔の存在は、彼が魔王であることを示しているに違いなかった。
魔王ユベル。
彼を降すことさえできれば、この戦いは終わる。