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第七百十二話 救い(三)

「え――?」

 ミリュウは、ふと、足を止めた。誰かに呼び止められた気がしたのだが、彼女を呼び止められるものがこの組織にどれだけいるのかと考えなおして、首をかしげた。

 森の傍に築かれた野営地は、南西に位置するリネン平原に起きた異変のことで持ちきりであり、将兵たちの話し声がそこかしこから聞こえていた。

 ガンディア軍は、ゼノキス要塞の目前に迫ろうとしている。ジベル軍がリネン平原の魔王軍を抑えている間にゼノキス要塞に強襲し、制圧、そのままクルセールに向かうというのが軍師の戦略だった。そして、それが上手く行けば、ジベル軍の勝敗は問題にならなくなる。たとえジベル軍が敗北したとしても、魔王さえ落とすことができれば連合軍の勝利となるのだ。

 ガンディア軍は明日にもゼノキス要塞に到達する見込みであり、英気を養うために長めの休息を取っていた。ウェイル川の戦いによる疲労が残っていても不思議ではないし、怪我人も少なくはない。ゼノキス要塞には万全の状態で挑みたいというのが、軍師の考えであり、ガンディア軍全体の意思でもあった。

 そんな折、リネン平原の方角で異変が起きたのだ。夜空を切り裂くような光芒が、リネン平原の方角からゼノキス要塞を通過していき、その直後、リネンダールに聳えていた光の柱が消え去った。リネンダールのセツナの身になにかが起きたのは間違いないのだが、だからといってすぐさま飛んでいけるはずもなく、ミリュウは悶々とした時間を過ごしていた。

 ファリアの無事も気になるが、彼女にはシヴィル=ソードウィンとニュウ=ディーがついている。リョハンの四大天侍がふたりも同行していて、彼女は戦女神の孫娘である。四大天侍が戦女神の孫娘を見捨てる可能性は皆無に近い。彼女ほど安全なものはいないのだ。

 とは、マリク=マジクの言葉だが、信用に値するだろう。

「どうしたの?」

「なんでもないわよ」

 リョハンが誇る天才武装召喚師は、なぜかミリュウに付きまとっており、どうでもいいことばかり話しかけてくるものだから、彼女には心休まる時間がなかった。ガンディア軍が気に入っているのは、普段、彼女に声をかけてくるようなものが少ないからだ。いるとすれば、上層部かレオンガンド王そのひとくらいであり、軍団長以下の人間がミリュウに話しかけてくることなどほとんどなかった。そういう意味では、ドルカ=フォームは例外といえるのかもしれない。

(あれはただの女好きだけど)

 ドルカは、女であればだれでもいいのか、女性将校に手当たり次第声をかけているらしい。もっとも、ドルカは話し相手を欲しているだけのようであり、声をかけられて期待をした女性には不評を買っているようだ。

「なんでもなさそうな顔じゃないよね」

「どんな顔よ」

 憮然としたのは、包帯だらけの顔を揶揄してくるのではないかと想ったからだ。

 地面に叩きつけられた際にできた傷は、マリア=スコールが縫い合わせてくれた。それでも本来ならば動き回ってはいけないような状態だというのだが、安静にしていられるような状況でもなかった。また、夜襲があるかもしれない。黒鎧の一件以来、ガンディア軍野営地の警戒態勢は厳重になった。さすがに怪我人のミリュウを警備に当てようとするものはいなかったが。

「深刻そうな顔」

「……そう」

 自分では自分の表情などわからなかったが、声が沈んでいることには気づいていた。無意識のうちに沈んでいる。気のせいでは済まないなにかがあるのだ。

(なにがあるというのよ)

 心当たりなどあるはずもない。

(なにが……)

 セツナに関することではないと断言できる。

 セツナが負けることなどありえないと信じているし、光の柱が消えたのもセツナが巨鬼を撃破したからに違いないと思っている。

 しかし、だからこそ、彼女は苛立ちを深めていった。

 


「救い?」

 神の腕に抱かれながら、セツナは小さくつぶやいた。

 救い。

 救済。

 済度。

 神の発する言葉の意味を理解すればするほど、怒りが膨れ上がった。大いなる神への畏敬の念も、高次の存在への恐怖も、安堵も、歓喜も、怒りの中に消えていく。

 衝動があった。

《愚かなことを》

 神の声音は、震えもしない。ゆっくりとセツナの体を解放すると、横腹を貫いたカオスブリンガーを静かに抜き放った。傷口からあふれるのは、やはり光だ。そして、瞬く間に復元され、なにごともなかったかのように振る舞われる。

《差し伸べられた救いの手をみずから払いのけるか》

 神は、空中に浮かび上がり、セツナとの距離を取った。大穴の上に滞空したところを見ると、セツナの攻撃を警戒したようにも思えた。

「俺はとっくに救われている」

 セツナは、黒き矛を構えながら、神を睨んだ。金色に輝く目には、慈しみが満ちている。敵意はなく、悪意もない。もちろん、殺意などあるはずがなかった。本当に救済のつもりだったのかもしれない。セツナを救うつもりで行動したのかもしれない。

 邪気のない相手の行動を読むことはできない。

《そうは見えぬが……まあよい。汝には借りがある》

 神は、矛で貫かれたことさえ気にしていないようだった。普通ならば敵対心を抱いてもおかしくないような行動すら、神にとってはどうでもいいのかもしれない。

《汝のおかげで、我は我を取り戻すことができた。あのままでは、我は彼の下僕と成り果てていたやも知れぬ。契約は、神を拘束する唯一の手段故》

 神でさえ、契約には縛られるということなのだろうが。

《我は真に我となるために、この世界への最適化を行うとしよう。さすれば、我が我を見失うことはなくなるであろう》

 それがなにを意味するのか、セツナにはまったくわからなかった。考えようともしなかったところが大きいのかもしれない。セツナは、神に敵意を抱いてしまった。純度の高い敵意は、思考を鈍らせる。

 神は、そんなセツナを笑顔で見下ろしている。セツナは、そんな神が気に食わない。今後のことも考えるといますぐ倒すべきだと思うのだが、黒き矛による攻撃が一切通用しないところを見ている以上、セツナにはどうすることもできなかった。斬撃で腕を切り飛ばすことも、横腹を貫くこともできるのだが、つぎの瞬間には復元しているのだから、意味がない。復元能力に限度があるのならば、力尽きるまで攻撃するのも手だが、神の力が尽きる前にこちらが力尽きる公算のほうが高い。

《魔の杖を持ってしても、傷つけるだけが限界なのだ。受肉し、物質化したとはいえ、神は神。汝らには敵わぬものと知れ》

 まるでこちらの考えを見透かしたかのような発言に、セツナは、険しい顔をした。心が読まれている。読まれているからこそ、反感を覚えるのだ。

《敵わぬと知れば、汝も血を流さずに済むというもの》

「道理だな」

《物分りが良くて助かるぞ、神矢刹那よ》

 神の一言一言が癪に障った。しかし、神には敵わない。道理には従っておくべきだろう。ここで神と戦い、命を落とすよりも、優先するべきことがある。

《ではいずれ、汝の夢の終わりに再び見えようぞ》

 そういうと、神の姿が虚空に溶けて消えた。わずかに残った神の光も、次第に夜の闇に飲まれていく。残るのはリネンダールの大地に穿たれた大穴だけであり、奈落まで通じているかのような大穴は、ザルワーンの五方防護陣の大穴にも匹敵するものだった。そこから出現したものは、比べ物にならない存在だったが。

 竜は戦うことの出来る存在だった。それはつまり、同じ次元の存在だということだ。だが、神は、高次の存在らしく、戦うことすらできなかった。

 契約に縛られ、この地に拘束されていたから、セツナの特攻が通ったのだ。もし、最初からこの世に解き放たれていたらと考えると、空恐ろしい。

 連合軍はまず間違いなく全滅していただろう。

 だが、気になるのはそこではない。

 神が残した言葉だ。

「俺の夢の終わり……?」

 セツナは、つぶやいて、呆然と空を仰いだ。

 雲間に現れた月が、夜空を埋め尽くすかのように輝いていた。

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