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第七百十一話 救い(二)

「その様子では、暗殺は失敗したようだな」

 オリアス=リヴァイアは、クルード=ファブルネイアを従えて、ゼノキス要塞の地下に向かった。地下には彼の施設がある。魔王軍総司令としての職務を放棄する形にはなるが、こうなってしまった以上は仕方がないだろう。動かせる駒の数があまりにも少なすぎた。

「レオンガンドに近づくこともできなかったか」

 クルードは無反応だったが、気にもしなかった。彼は、度重なる生と死の反復の中で自我を見失い、生きているのか死んでいるのかさえ不確かな存在と成り果てていた。彼を現実に繋ぎ止めるのは、彼の身に纏わせた召喚武装の鎧であり、その漆黒の甲冑だけが彼とオリアスの関係を成立させている。

 言葉も発さなければ、足音も立てなかった。金属の靴でありながら石造りの通路を進んでも物音ひとつしないのは、彼の技量の高さ故にほかならない。クルードは、魔龍窟を生き抜いた武装召喚師のひとりだ。その実力は推して知るべきだ。

 通路を曲がり、階段を降りる。

 移動中、要塞の修復作業に向かう兵士たちの声が飛び交っていた。いまから朝まで作業したとしても、要塞を元の状態に戻すことはできないだろう。城壁も建物群も綺麗さっぱり消滅しているのだ。召喚武装を用いて城壁の隙間を埋め合わせることくらいは出来るだろうが、それも大した意味はない。連合軍が押し寄せてくるのだ。となれば、その程度の防壁など簡単に破壊されてしまうだろう。

「なにもかも手遅れだ。戦神は我が手を離れ、弟子たちも討たれた。メリオル率いる鬼哭衆ならばと思ったが、あの状況ではな」

 戦神の介入が、敵のみならず、味方にまで甚大な被害をもたらしている。メリオル自身があの光に巻き込まれていれば、それで終わりだ。軍隊化した皇魔の強みは、指揮系統が明確なときにこそ活かされるのだ。逆をいえば、指揮官が倒れたとき、魔王軍の戦闘力は激減する。

 それは皇魔を軍隊として運用する上では避けては通れぬ道だったのだろう。強力無比な化け物どもを命令通りに動かすのは、簡単なことではない。魔王の影響下にあってもなお暴れ回る怪物ばかりだったらしいのだ。そんな連中を調練の末に軍隊化したのが、ユベルという男の手腕であり、実力だ。オリアスが魔王軍総司令となってから魔王軍の規模は膨れ上がったものの、それは、ユベルの基本構想が元となっているからでもあった。

 ユベルの能力と調教技術がなければ、膨張した魔王軍がなんの問題もなく機能することなどなかっただろう。

「メリオルが死ねば、鬼哭衆は崩壊する。リュウフブスは新たな王の選定までは動けなくなり、リュディースは女王の元に向かう」

 リュウディースが女王の元に集うのは、悪いことではない。現在の女王は、魔王の寵姫でもあるリュスカなのだ。魔王の元に数千のリュウディースが参集するということになる。

 リュウフブスが王であるメリオルを失ったことで動けなくるのは、仕方のないことだ。魔王にも種族の掟を改竄するほどの力はない。ウィレドの大君おおきみが動かなかったように、王なきリュウフブスは動かないのだ。

「だが、彼は負けないだろう」

 階段を降り、さらに通路を進む。地下には、クルセルク軍が使っていた牢獄があったのだが、オリアスの命によって皇魔の訓練施設に作り変えられていた。鉄格子や壁を取り払い、だだっ広いひとつの空間となっている。各所に破壊の爪痕が刻まれており、派手な戦闘が繰り広げられた様子が思い浮かぶようだった。

 彼が皇魔に武装召喚術を仕込んだのが、この訓練施設なのだ。

 皇魔による魔龍窟の再現は、メリオル、ベルク、ハ・イスル・ギという三体の才能を見出させ、また数多くの皇魔を一流の武装召喚師へと成長させた。人間ならば十年かかる修行をたった一月で終えてしまったのには苦笑を禁じ得なかったが。リュウフブス、リュウディース、ウィレド、レスベル、ベスベル――人型の皇魔は、人間と同程度かそれ以上の知性と頭脳を持つということが判明したということだ。一方、人類が今日まで歴史を積み上げることができたのは、そんな皇魔たちが人類の殲滅のために協調したり、協力関係を結ばなかったことが大きいのかもしれなかった。皇魔は、いがみ合っている。レスベルやベスベルですらそうだ。その点、人間は違う。皇魔のこととなれば、憎み合った敵国同士ですら手を組み、人民の安全を守ろうとする。連合軍がいい例だ。連合軍に参加しているイシカとメレドは、連合軍結成の直前まで敵対関係にあり、一触即発の状態にあったのだ。しかし、魔王ユベルと皇魔の軍勢を排除するためならば互いに矛を収め、連合軍に参加した。皇魔ならば考えられないことだ。

 魔王軍がひとつに纏まっているのは、魔王ユベルの力によるものでしかない。

 そのひとつに纏まった軍勢も、人間の強固な結束の前に潰えてしまった。

 武装召喚術を会得した皇魔も、リョハンの戦女神や四大天侍、ガンディアの武装召喚師部隊には敵わなかったということだ。もちろん、それらだけではない。

 敵戦力を見誤ったのだ。

 訓練施設を通り抜けると、広めの部屋に辿り着く。教壇とその前に並べられた机は、皇魔たちを一流の武装召喚師として育て上げるために使われたものだ。人外異形の化け物たちが、おとなしくオリアスの講義に耳を傾ける様は、滑稽でしかなかった。

 教壇に上がり、教卓の内側で屈みこむ。服の袖に隠していた鍵を取り出し、教卓の下に備え付けられた扉の鍵を開く。特製の保管庫は、ちょっとやそっとの外圧では破壊できない代物だ。黒き矛ならば簡単に破壊できるだろうが、その場合、中のものも無事では済むまい。

 保管庫から取り出したのは、数十枚の紙片だ。紙片には古代神聖文字が羅列されている。古代文字がわからないものには、同じような文字列が並んでいるとしか認識できないだろう。それこそ、武装召喚術の呪文であり、術式と呼ばれる代物だった。

 彼の教え子である皇魔が教練の中で構築した呪文がほとんどだ。中には、オリアスが与えたものもあるが、多くはない。魔龍窟のときとは違って、弟子の自主性に任せていた。

 魔龍窟は、すべて彼の管理下に置いておく必要があったからであり、皇魔を管理し、支配するのは彼の役割ではないからだ。

 オリアスは、一枚一枚素早く読み上げると、つぎつぎと術式を書き換え、強制的に送還していった。召喚武装は凶悪だ。そんなものが武装召喚師以外の手に渡ることは、恥でしかない。

「メリオルも戦死したようだ」

 スターゲイザーが送還に応じたということは、そういうことだろう。さすがに、本来の契約者が使用中に術式を書き換えることはできない。

 オリアスは、紙片を丸めると、クルードに手渡した。クルードは紙片を掴むと、なんらかの力で圧縮し、粉々にしてしまった。これで皇魔の武装召喚術を再現することはできなくなった。

 多少、安堵を覚える。

 ふと、クルードの手を見ると、赤黒いものが付着していた。血が凝固しているようだ。

「一応、戦いはしたのだな」

 オリアスは、クルードの律儀さに苦笑した。彼はガンディア軍本陣に辿り着くことはできないまでも、ガンディア軍の兵と戦闘し、それなりの戦果を上げたようだ。しかし、返り血の少なさは、彼の戦いの短さを示してもいる。おそらく、暗殺が不可能と知って、すぐに離脱したのだろう。判断としては、悪くはない。

「さて、上に戻ろう。鬼哭衆が敗れ去った事実を報告せねばな」

 クルードの横を擦り抜ける。

 衝撃があった。全身が痙攣する。激痛。腹だ。見下ろす。さっき見たクルードの黒い手が、オリアスの腹を貫いていた。オリアスの血液が、クルードの手甲を赤く染める。常人ならば即死するような痛みの中で、彼は、死ねない自分と殺せない相手を嘲笑った。

「なんの……つもりだ」

「ミ……リュウ」

「はっ……ははっ、それか。それだけか。そうか、おまえには、それだけだったな」

 オリアスは、笑いながら血反吐を吐いた。吐いて、クルードの腕から逃れた。逃れて、机を倒しながら床に転倒した。後ろを向き直りながら転倒したためか、尻餅をついた。痛みは、腹に穴を開けられた激痛によって麻痺している。いや、激痛などという生易しいものではない。死んでもおかしくはないような痛みが、オリアスの意識をかき乱している。

 だが、死ねない。

「だが、残念だったな。おまえの渾身の一撃も、わたしを殺すには至らない。わたしはおまえ以上に死ねないのだ。不老不滅。それがわたしだ。呪われた血の継承者。それがわたしなのだ」

 死ねない以上、痛みには耐えるしかない。体に力が入らないし、動けはしないが、それも時間の問題だ。いずれ再生が始まる。呪いによる肉体の再構築。首を切られたところで死なないのが、この呪いの理不尽なところだ。

 レヴィアに呪いをかけたのは聖皇だといわれている。召喚魔法によって神々を呼び出したほどの人物だ。裏切り者を末代まで呪うのは造作も無いことだったのかもしれない。

「蘇生薬はね、わたし自身を解剖して、分析して、研究して作り上げたものなのだよ。不完全な代物なのは仕方がない。聖皇の呪いまで再現することなど不可能だ」

「ミリュウ……女神……俺の」

 クルードは、自分の右手を見下ろしていた。オリアスを貫いた手。血塗られていた手。違和感があった。

「なんだ……?」

 オリアスは、終わらない痛みの中で、目の前が暗くなっていくのを認めた。復元も再生も始まらない。痛みは消えず、むしろ激しさを増していく。なにかを失っていくような感覚。

「なるほど……そういうことか。わかったぞ。理解した。なるほど、それならばおまえが帰ってきた理由もわかる。ミリュウに遭ったな?」

 ザルワーンで擬似召喚魔法の操者となり、自分を見失って以来言葉を発さなくなっていた男が、唐突にその名を口にするようになったのだ。思い当たるとすれば、それしかなかった。ガンディア軍の野営地にミリュウがいたのだ。ミリュウ=リバイエンは、ザルワーン戦争後、ガンディアに所属していた。王立親衛隊《獅子の尾》の一員としてだ。ガンディア軍と行動をともにしていたとしても不思議ではない。

「ミリュウに遭い、ミリュウと戦い、だが、殺せなかった。殺せなかったが、傷を負わせた。あの血が、ミリュウの血か……ははは」

 クルードの手に付着していた血がミリュウのものだったのならば、すべてに納得ができた。再生が始まらないのも、肉体が復元しないのも、それがすべてだ。

 血。

 リヴァイアの血だけが、血の後継者を滅ぼすことができる。

「わたしを殺すのはミリュウ自身ではなく、ミリュウの血だったか。レヴィアの血、リヴァイアの血が、わたしを滅ぼすのか。だが、そうなれば、この呪いはどうなる。解消されるのか……?」

 長年の研究がすべて無駄になった瞬間だったが、そんなことはどうでもよくなるくらいの発見だった。

 クルードが歩み寄ってくるのが見えた気がする。真っ暗な視界では、黒い鎧は視認性が悪すぎてよくわからなかったが、きっとそうだろう。とどめを刺すつもりかもしれない。それは悪いことではない。どんな状況であれ、敵には止めを刺すべきだ。

 いつもならば気配や物音でも把握できたはずだが、いまはそれすらできなかった。なにも見えない。なにも聞こえない。

 いや、聞こえる。

 遠い声。

 だれかの話し声――。


『ととさまのゆめってなあに?』

『夢……?』

 少し考えたのは、子供は幼く、リヴァイアの宿業を背負わせるには早過ぎたからだ。そのころはまだ、親としての情があった。

『そうだな……星を掴むような話さ』

 星は掴めない。

 それと同じように聖皇の呪いは解けない。

 五百年近く解けなかったのだ。これからも、リヴァイアの血を呪い続けるだろう。

 子供は、きょとんとした。白金の髪が美しい少女。

『おほしさまを?』

『ああ……』

『では、そのときは、わたくしがおてつだいしてさしあげますわ』

 恭しくお辞儀をする子供には、彼も呆気に取られたものだった。だれの真似なのかは想像ができた。ミレルバス=ライバーンに対する妻の態度だろう。

『みりゅうのゆめはととさまの――』


 声が遠い。

 遠すぎて、よく聞き取れない。

 それだけが残念だった。が、彼女が呪われずに済むのは、喜ぶべきことだと想った。

「ようやく――」

 オリアスは、それだけを口にして、息絶えた。

 

 彼は、男の死体を見下ろしていた。

 オリアン=リバイエンの亡骸。

 腹部に開けられた大きな穴が、致命傷となったのだ。

 オリアンはやはり人間だった。人間だからこそ、死んだのだ。化け物ではない。ただの人間だ。

 それでも、殺さなければならなかった。

 でなければ、彼女が救われない。

 ミリュウ=リバイエンのたったひとつの願い。

 オリアンを殺すためだけに、彼女はあの地獄を生き抜いた。親類縁者を手にかけてでも、生き続けた。死んでしまったほうが楽な世界で、それでも明日を見た。一日でも長く生きて、いつか、オリアンを殺す。あの地獄の主催者であるオリアンを殺害することだけが、彼女の生きる目的だった。

 彼女の心を救うには、だれかがオリアンを殺す以外にはない。

 彼は、そう考えた。

 あの森の中で出逢った女がミリュウ=リバイエンだと気づいた瞬間、彼は、自分がなんのために生まれたのかを知った。

 いや、何のために生かされているのかを知った、というべきだろう。

 自分の女神を呪縛から解き放つためだ。

 そのためだけにこの命があるのだと理解したとき、弾けた。

 そして、役目を終えたとき、彼の頭の中から女神の記憶も消えて失せた。

 元の虚ろな存在と成り果てた彼は、男の亡骸に背を向けると、ゼノキス要塞から抜け出した。

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