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第七百十話 救い(一)

《なにをするのだ。これからが我が力の見せ所だったというのに》

 超然とした声には、怒りや苛立ちといった感情の揺らぎは感じられず、不気味なまでの静謐さを保ったままだった。金色に発光する虹彩は相変わらず神々しく、中性的な顔立ちにも変化はない。腕を一本切り飛ばされたというのに、怒りを露わにするどころか表情ひとつ変えず、眉ひとつ動かさないのは、痛覚が通っていないからなのかもしれない。

 しかし、世界には変化が起きている。周囲に満ちていた光が消え、暗闇が降りてきていた。頭上には星々が瞬き、月が雲間に隠れていくのが見える。

 現実世界への回帰を認識したものの、安堵している場合でもなかった。

 場所は、変わっていない。巨鬼を貫き、その勢いで着地した場所に立っている。リネンダールに穿たれた巨大な穴の縁。巨鬼の巨体は消失しており、代わりに、少年とも少女とも言い切れないものが浮かんでいる。ふたつの頭と四つの肩、二対の腕を持つものは、大穴の上に浮かび、こちらを見下ろしていた。

 腕のひとつは、セツナが黒き矛で切り落としている。切断面から流れるのは血ではなく、光だ。わずかに漏れる光が、その存在の神秘性を示しているようだった。

「力の見せ所? なにをしようっていうんだ」

 セツナは、黒き矛を握りしめながら、相手の出方を窺った。ついさきほどの行動を思い出す。それは、腕ひとつを動かして、なにかをした。手のひらから放出された膨大な光は、セツナではなく、光の外の世界に向けて放たれたもののようだった。光の外でなにが起きたのか、セツナには検討もつかない。しかし、光の外に仲間がいる以上、セツナは黙ってみているわけにもいかなかった。それは、連合軍を滅ぼすために召喚された異世界の神なのだ。

《神矢刹那……汝の願いを叶えてあげようというのだ》

 神は、穏やかに微笑んでいた。セツナに斬られた腕を掲げると、一瞬にして復元してみせる。怒りもしなかったのは、簡単に再生できるからだったのだろう。そして、腕を斬られる程度の痛みなど、それにとってはどうでもいいことなのだ。

「願いだって?」

《そうだ。汝はこの世のものではない。我と同じく異世界から召喚された存在。そうであろう》

「だったらなんだってんだ」

 セツナは、犬歯をむき出しにして言い返した。

 焦りが生まれている。黒き矛の力が、周囲の状況を教えてくれている。神がなにをしたのか、なにをしようとしたのかがわかった。それは、リネンダールの北に広がるリネン平原を破壊し尽くすつもりなのだ。リネンダールの大穴からリネン平原へ至る破壊の爪痕がそれを物語っている。おそらく、それが放った光がもたらした破壊の痕なのだろう。大地が抉られ、進路上にあったものは有無をいわさず消滅させられているのがわかる。破壊跡の上になにもないからだ。

 それが、神の力なのだろう。

 巨鬼のときとは大違いだった。

 リネン平原南部にジベルの軍旗が翻っている。ルシオンの旗もあれば、《獅子の尾》の隊旗も掲げられていた。つまり、ジベル軍がリネン平原で戦闘を行っている最中なのだ。そんなところへ神の力が向かえば、惨事は避けられない。

 いや、既に惨憺たる状態になっているかもしれない。

(ファリア……生きていてくれ!)

 セツナは胸中で祈りながら、神との対峙を続行した。恐怖がある。あれほどの破壊は、黒き矛でも真似できることではない。それだけの力を持つ存在と戦うことなどできるのだろうか。

 初撃が通ったのは、神が巨鬼としての姿を取っていたからだ。巨鬼は、破壊力こそ恐ろしいものの、懐に飛び込んでしまえばこちらのものだった。だが、いまの姿になった神には、到底勝てる気がしなかった。

《ここは、異世界の存在にとって寄る辺なき世界にほかならぬ。本来あるべき世界に戻りたいと考えるのは、正しい》

「もう、決めたことだ。俺はこの世界で生きて、死ぬ」

 セツナは、言い切って、黒き矛の切っ先を神に向けた。神の表情に変化はない。穏やかな微笑みは、揺るぎようのない絶対的優位からくるものなのか、神の本質がそうさせるのか。しかし、睨み合っているものの神経を逆撫でにするような表情ではない。むしろ、荒んだ心を落ち着かせていくような力がある。だからこそ、セツナは自分を励まさなくてはならなかった。自分で自分を怒らさなければならなかった。相手を許してはならない。神を認めてはならない。認めれば、心が負けてしまう。

《心の奥底では、帰りたいと願っている。しがらみがあるから、帰りたくても帰れないのではないか》

「違う!」

《レオンガンド、エイン、ミリュウ、ルウファ、そしてファリア・ベルファリア=アスラリア。汝を利用するものたちがこの世から消え去れば、汝も考えを変えるだろう》

「なにをいっている」

 セツナの声が震えたのは、やはり、怒りによるものだろう。神が口にしたのは、セツナと特に関わりが深く、大切に思っているひとたちの名前だった。彼らがセツナを利用しているのは疑いようのない事実だ。が、同時にセツナも彼らを利用しているのだ。利用し、利用されている。そして、それが現実というものだ。しかし、打算や計算ばかりがその関係を結んでいるわけではない。

 そう、信じたい。

《済度だ》

 神がゆっくりと降下する。重力や物理法則を無視した移動は、神の神たる所以なのかもしれない。

《汝の心の迷いを消し去り、救おうというのだ》

 神の四つの腕が、セツナを抱き竦めた。

 逃れようがなかったのは、逃れる必要がなかったからだ。



「なにが起きた」

 ユベルが憮然としていたのは、あまりの事態に衝撃を受けすぎたからかもしれない。衝撃も度が過ぎれば、驚くことすらできなくなるものだ。思考さえ鈍くなり、魔王らしからぬ間の抜けた表情になったのは、彼としても想定外だったはずだ。

「考えられる事象はふたつ。黒き矛のセツナが超長距離攻撃を仕掛けてきたか、戦神が暴走したか。おそらく後者でしょう。これまでの事例から考えるに、セツナにこれほどの力があるとは考えられません」

 オリアス=リヴァイアは、東側の大部分が消滅したゼノキス要塞の有様を眺めながら告げた。要塞の四分の一ほどが、地上から消滅している。なにが起きたのか、だれにもわからなかった。オリアスでさえ正確に把握できてはいなかった。

 想像できることはあったとしても、それが正しいとは限らない。

 しかし、ほかの理由は考えにくい。

 黒き矛でなくとも、要塞の大部分を消滅させられるほどの召喚武装を連合軍が保有しているのならば、その力をもって戦神を討つことが先決だっただろう。連合軍は、戦神には黒き矛をぶつけているということが判明している。それはつまり、黒き矛以上の戦力を有していないということだ。

 戦神を撃破するつもりならば、少しでも確実性の高い方法を用いるはずだ。現状の黒き矛では不確実だ。戦神の力はザルワーンで召喚したドラゴンとは比べものにならない。

 そして、戦神を撃破した黒き矛が超長距離攻撃を仕掛けてきたという可能性もない。確かにカオスブリンガーは凶悪な召喚武装だ。おそらくこの世界に召喚された武装の中でもっとも強力なものに違いない。魔人アズマリア=アルテマックスのお墨付きでもある。強力無比な召喚武装だということに異論はない。ないが、いまのセツナ=カミヤには使いこなせないようなのだ。力を引き出しきれていないというのだ。どれだけ凶悪な召喚武装であっても使い手が未熟では、脅威にはならない。もちろん、現状のセツナでも黒き矛を持てば脅威としか言い様がないのだが。

 少なくとも、いまのセツナとカオスブリンガーでは、一撃でゼノキス要塞を半壊させることなど不可能だ。

 光があって、音もなく、すべてが消滅した。城壁も、城郭も、天守も、ゼノキス要塞を構成する様々な要素が一瞬にして消え去った。その場所にいた軍人も使用人も軍人の家族も、皇魔たちですら、有無をいわさず消滅してしまった。

 あまりに理不尽な出来事は、神の所業と考えれば納得ができるかもしれない。

 星々瞬く寒空の下、ゼノキス要塞は耐え難い静寂の中にあった。光に飲まれて死んだものは、悲鳴さえ上げておらず、故に静謐が保たれた。だれが死んだのかもわからない現状で、泣き叫ぶものはいない。ただ、要塞の有り様に呆然とするものばかりだった。

「……いずれにせよ、君の失態ということか」

 彼は、笑いもせずにいって、首を横に振った。

「いや、君にすべてを任せたわたしの失態か」

 オリアスは、ユベルの発言を否定はしなかった。実際、失態ではあるだろう。擬似召喚魔法とはいえ、召喚物は契約によって縛られている。契約による行動の束縛がなければ、オリアスも異世界の神を召喚しようなどとは思わなかった。提示した契約に応じた故に、召喚し、この世に解き放ったのだ。

 実際、戦神は、契約を履行していたはずだ。契約の通り、オリアス=リヴァイアの敵だけを攻撃対象としたはずだ。

 故に、彼には腑に落ちないところがあった。

 戦神は、どうやって契約を破棄したのか。

「連合軍がこの廃墟に攻め寄せてくるのも時間の問題だな」

「鬼哭衆がおりますが」

「その鬼哭衆がリネン平原を制し、残りの連合軍を撃破できるというのか?」

「不可能とは言い切りませんが、無理でしょう」

 戦神の攻撃は、リネンダールからこのゼノキス要塞まで届いている。リネン平原に展開した鬼哭衆の皇魔どもも殺戮しただろうことは想像に難くない。もちろん、連合軍の将兵も消滅しただろうが、それが功を奏するとは思えなかった。

「しかし、負ける要素はない」

 ユベルの言葉が強がりなどではないということをオリアスは知っていた。だからなにもいわず、彼の背を追わなかった。彼は鍛え上げた三軍団を失ってもなお、勝つ気でいるのだ。勝つための布石は、既に打たれている。

(いや、勝つ気もないのかもしれない)

 要塞内部に向かうユベルには、リュウディースの女王リュスカと、彼女の侍女とでもいうべきリュウディースたちだけが付き従っていた。魔王は、この半壊同然の要塞で、戦いを終わらせるつもりらしい。

 ベクロボスが掴んだ情報によれば、サマラ樹林で魔天衆を打ち破った軍勢と、ウェイル川で覇獄衆を撃破した軍勢がゼノキス要塞に接近しつつあるということだった。リネン平原の鬼哭衆が突破されれば、連合軍の戦力がゼノキス要塞に集結するということになる。それでも、魔王には負ける要素はない。

 彼は死なないかぎり負けることはないのだ。

 そして、なにものにも彼を殺すことはできない。

 オリアスは、手近にいた兵士に要塞の補修作業の手配を命じると、野次馬気味に集まっていた人員に撤収を促した。それから、廃墟同然の要塞内部に向かい、途中で足を止めた。気配を感じたのだ。強い気配だった。

 振り向くと、闇の中にクルード=ファブルネイアが立っていた。漆黒の鎧の威容は、いつにもまして厳しく感じられた。

「生きて戻ってきたか」

 彼は、ゼノキス要塞に迫りつつあったガンディア軍の野営地に差し向けられたはずであり、成功したにせよ、失敗したにせよ、五体満足で戻ってくるとは思ってもみなかったのだ。

 クルードは、不死である。

 蘇生薬の副作用により、死ねない存在となってしまっている。

 だが、それでも、首が胴体を離れれば死ぬだろう。

(わたしとは違う)

 もちろん、それは喜ぶべきことだ。

 死ねない命など、呪いでしかない。

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